古代魔術師の第二の人生(修正版)   作:Amber bird

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第984話

 娼婦からの新しい提案、それが定期連絡会議の議題となれば、アルドリック殿の上司であるバニシード公爵も知っている事になるだろう。

 

 もう一つの可能性は、アルドリック殿の提案で此処で許可が下りればバニシード公爵へ報告し正式に動くという事か?だが、僕も彼も娼婦達の扱いは慎重にしている。

 

 こういう多方面に調整が必要で、そこまで重要でない事をやらせるとは思えないのだが……視線を合わせない彼の態度を見れば、誰が提案してきたか分かる。

 

 

 

「発案者は、バニシード公爵ですか?」

 

 

 

 頭を下げて観念したという分かり易い仕草の後、何とも微妙な顔をして他の参謀達の顔を見た。お互いが苦虫を嚙み潰した様な顔をしているのは、強引にねじ込まれた提案なんだろうな。

 

 彼等自身も貴族であり、参謀と言う公職についてはいるが公爵には勝てないのは理解している。彼と正面からやりあえるのは、同じ公爵達か両騎士団長。それとサリアリス様くらいだろう。

 

 それでも公爵達以外は、相応の配慮が必要とされる。役職以外の爵位の部分で盤外戦術を仕掛けられたら負けはしないが相応のダメージを負うから。

 

 

 

 これも貴族社会の特権を享受する者達の苦労だから、飲み込むしかない。

 

 

 

「はい、そのもっともらしい理由も言われました。兵士達の慰安という事ですが……当然ですが、私達は反対しました」

 

 

 

「ここは敵地の最前線で、我々は軍事行動中。娯楽や慰安が必要なのは理解していますが少々度が過ぎています」

 

 

 

「最優先すべきは王命の達成。その為の多少の不自由は飲み込んで欲しい。その為に各種手当等の特別報酬や、派遣期間の短縮などを行っています」

 

 

 

 うん。流石は参謀、正論だし僕もそう思う。リゼルはもう少し突っ込んだ理由が有るだろうという顔をして両手を胸の下で組んでいる。不機嫌アピールだが、正直可愛いだけだぞ。

 

 

 

「兵士達の意見を募りましょうか?僕は彼等の待遇改善や福利厚生に動いていますが、そこまで不満が溜まっているのなら違うアプローチで不満を解消させますか?」

 

 

 

 収穫祭やお茶会で、それなりのスパンで交流をしている。確かに彼等にも大なり小なり不満は有るし聞いている。だが、娼婦にお酌をさせて酒を飲めば解消する事は無い。

 

 根本的な部分を修正しないと、不満は溜まるだけでガス抜きをしても何時かは爆発する。彼等の主な不満は行政手続きの不正確さと遅さだぞ。酒を飲ませれば万事解決じゃない。

 

 それが出来ないから、一時的な不満解消をして自分への評価の下降を防ぐとか?対処療法にしても酷いと思う。うーん、腕を組んで考える。

 

 

 

 バニシード公爵の思惑ってなんだ?単純に娼婦達に唆された?兵士達の不満は私達が解消しますので、その機会を与えて下さいとか?

 

 

 

「娼婦ギルド本部は民間の諜報を担っている部分が有り、それは規定の料金さえ払えば他国の連中でも利用が出来ます」

 

 

 

「それと各国の娼婦ギルド本部は連携しています。それは他のギルドでも大なり小なり行っている事ですので、一概に悪いとは言えませんが今回は駄目でしょう」

 

 

 

「国家クラスが金を積めば、この地を調べる事を請け負うでしょう。仮想敵国のデンバー帝国やルクソール帝国の連中なら駄目元でも依頼しそうです」

 

 

 

 頭を抱え込んだ参謀達の気持ちは痛い程分かる。王命中の一時的とは言え、上司のポカは配下の方に多くの被害を及ぼす。今回の件など、彼等の予想が当たっていたら……

 

 モレロフの街の防諜対策を全くの無にする事になる、『利敵行為』で『売国行為』だよね。何たって、自分から最前線に諜報員や工作員を呼び込むのだから。

 

 これで、今この国に起こっている事実が周辺諸国に知られたらさ。最悪のストーリーは反エムデン王国を掲げた周辺諸国が連合を組んで一斉に攻め込んで来るかな。

 

 

 

 流石の僕でも一国の侵攻は防げても他の国の侵攻は防げない。負けはしないだろうが、戦争は長引き復興には膨大な時間が掛かる。序に今回参戦しなかった国が乗り込んで来るだろう。

 

 国家に永遠の友は存在せず、相手が隙を見せれば奪いに来るのが普通だろう。国の代表とは自国を富ませる為に行動するのが仕事なのだから、弱った(隙を見せた)国が悪い。

 

 これは最悪のシナリオだけれども、モア教との関係性が崩れたり周辺諸国の中でも友好国からも敵対認定されるだろう。そして各国の中に有る、エルフの森に棲むエルフ達との関係の悪化。

 

 

 

 バーリンゲン王国で起こった国土が森に埋まるという事が、自国で起こらない保証など無いのだから……

 

 

 

「その危険性は伝えましたか?」

 

 

 

 理路整然と懸念事項を伝えれば、流石に意見を取り下げるだろう。どう見ても、王命に対して妨害にしかならないぞ。

 

 

 

「いえ、未だです。バニシード公爵は我慢弱い御方ですが、今は頑張って耐えています。自分の発案を拒否されたと伝えたら、我慢出来ず暴発しそうです」

 

 

 

「自分のお気に入りの妾殿が、自分の為に考えてくれた提案だと笑って言っていました」

 

 

 

「自分達が反対しても結果的に実行すれば、実務を担う自分達の責任として失敗した場合は責任を押し付けられるでしょう。では現状で反対すれば、癇癪をおこして自ら実行するでしょう」

 

 

 

 そして失敗した時の責任は配下に押し付けるか。前例が有り過ぎて、全く否定出来ない。上級貴族の悪い癖が出たでは済まされない。

 

 

 

「でもこう言っては何ですが、バニシード公爵ってこれ程の愚か者でしたっけ?馬鹿はするけど引き際は相応に弁えていると思ってました。

 

愛妾殿が唆したにしても、そもそも男尊女卑が強いと聞いていますので言いなりになるのも変ですよね?」

 

 

 

 馬鹿な事はするけれども最悪の前に引き際を弁えているからこそ、僕と敵対していても未だに公爵四家の最下位とは言え生き残っているのだろう。

 

 随分上から目線だけど、ニーレンス公爵やローラン公爵。それとザスキア公爵の三人は明確に敵として捉えていて、アウレール王が見放したら即座に潰す準備を進めている筈だ。

 

 今回の王命は。そんな彼にとって成功させれば巻き返しの好機となるチャンス、その大切な時期に馬鹿な行動をするとも思えない。

 

 

 

「もしかして、洗脳とか?愛妾殿に骨抜きにされている?」

 

 

 

 僕の把握していない、洗脳が出来るギフト持ちが居るというのか?他の可能性としては麻薬とか?額に手を添えて悩んでしまう。そんな事になっている事に気が付かなかったのか?

 

 

 

「その様な兆候は見られません。薬物を使用された形跡もないですし、愛妾殿に過度な傾倒もしていません。そもそも愛妾殿に向ける思いは性欲発散程度でしょうね」

 

 

 

「そもそもバニシード公爵は男尊女卑の傾向が強く、自分が不利益を被るような女性の願いを聞くとも思えません。過去に何人もの愛妾を娶っては、定期的に変えてます」

 

 

 

「自己愛の強い方ですし、日頃から『わははっ、自分は日々成長している!』とか独りで言っている方です」

 

 

 

 参謀達のバニシード公爵に向ける評価は、ブッタ切りでメッタ刺しだった。自己愛って、確かにそんな感じだけど周囲の認識と評価が酷い事になってるぞ。

 

 まぁ上級貴族で公爵家の当主だし子供の頃から後継者として大切に育てられた来たのだろう。自己愛と自己肯定感の高さは何となく理解出来る。自分の命令に逆らえる者など少ないし。

 

 後継者として相応の教育を受けて来ているのだから、自己肯定感も高いよね。『自分は高貴なる存在』そういう教育を受けて来たのだからさ。

 

 

 

 まぁ大人になって現実を知ると自分の持ってる知識との齟齬に気付いて、自分なりに調整して擦り合わせるのだが……そのままで育ってしまったのかな。貴族のあるあるだね。

 

 バニシード公爵は公爵家として保っているけれども所属する派閥構成貴族達は、エムデン王国の中でも良い部類の者達は少ない。他の公爵家が引き抜き攻勢をしているから。

 

 カルロセル子爵と息子のカスタイン殿を王都に戻して引き締めを頼んでいるみたいだが、此方に送られてくるのは良く言えば従順な、悪く言えば無気力な連中。そして総じて能力は低め。

 

 

 

 リゼルに視線を向ければ小さく頷いた。バニシード公爵の考えをギフトで読んでもらうのが一番確実、今は情報を集める事が最優先か……

 

 

 

「この案件については保留です。娼婦達の裏の仕事の件も匂わせつつ、危険性が無いと認められなければ許可は出来ないと言って下さい。僕が言ったと伝えて良いですよ」

 

 

 

 やんわりと反対だと伝えて、その後の感情の動きを読んでもらい思惑を調べる。リゼルのギフトは有能だが、対象者との距離が離れすぎては使えない。隣室くらいなら問題無いのだが……

 

 バニシード公爵と対面で打ち合わせる機会を設ける前に、考えを知っておきたいんだよな。その場で臨機応変にとか無茶振りは出来ないし止めて欲しい。何事も準備と根回しは必須です。

 

 リゼルのギフトの事は秘密だから偶然を装って近づく必要が有るな。基本的に避けられているから難しいけれど、バニシード公爵が全く出歩かない訳でもない。

 

 

 

 その辺は上手くやろう。こうして第36回定例報告会は結構な問題事を先送りして終わった。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 報告会を終えて自分達の執務室に戻る。此処ならば防諜対策は完璧だから、話し合いの内容が外に漏れる心配は無い。探査魔法で周囲に人が居ない事も確認している。

 

 エルフ族の対応以外は比較的難しくない部類で、仕事の区分も責任の所在も明確に分けたので少しは楽な王命だと思っていたが、なかなかそう言うふうにはいかないみたいだ。

 

 まぁ小国とはいえ独立国家が森に埋まり国民が根絶やしになるのだから、簡単に終わる話じゃないのは理解した。何事も楽な事は無いって事だね。

 

 

 

「バニシード公爵だけど、最近少し落ち着いたと思っていたけどさ。少し変じゃない?」

 

 

 

 応接セットに向き合って座る、リゼルに聞いてみる。初期の頃と違い、感情剥き出しで行動する事が減ったし存続の危機だからと思慮深くなってきていた筈なのに問題行動を起こすか?

 

 王命の失敗は自分の家の没落に直結する。カシンチ族連合と魔牛族をモレロフの街に無条件で送ったりと、少しは見直していたのに今回の件で評価は急降下中だ。

 

 僕の偏見や一方的な評価じゃないと思っているけれど、リゼル的にはどうなのだろうか?前に聞いた評価は中の下だったけど、今日の提案を聞いた後は下の上くらいに落ちたかな?

 

 

 

「幾つかの可能性で言えば、先ずは男尊女卑思考が強い為に、そもそも娼婦達の情報収集能力を甘く見ているかです。私はこれが一番可能性が高いと思います」

 

 

 

「自分を有能だと思い込んでる人が陥り易い、周囲を見下して正当な評価を下せないという悪癖だね。大した事は無いから、兵士達の士気高揚と自分の人気取りに利用するとか?」

 

 

 

 単純だけど一番分かり易く、特に裏切りや足を引っ張るとかの悪意が有った訳じゃない場合か。男尊女卑は悪意だから、結局は悪意なのだがエムデン王国を裏切った場合じゃないのが救い?

 

 

 

「二つ目は単純に娼婦の色香に負けた場合。言いなりになってしまった場合ですが、そういう感じはしないそうです。具体的には『俺様が一番だぞ』というオラオラ感が消えてないそうですわ」

 

 

 

「オラオラ感って?まぁ自分が一番って思っていれば他人からお願いという強要をされても、他人の言う事は聞かないって事かな?」

 

 

 

 此方も有り得そうって思える事が凄いな。子供の頃から特権という甘い蜜を吸って、高度な後継者教育を受けて知識は人並み以上。自分は選ばれた存在だと過信する土壌は出来ている。

 

 殆どの者は成長途中で、自分の中に芽生えた恥ずかしい増長と慢心を諫めて現実と擦り合わせる事を覚えるのだが、そこそこの確率で子供のまま育った大人が出来上がる。

 

 唐突に、インゴの事を思いだした。代官から定期的に報告書が届くけど、相変わらずらしく更生は遅々として進んでいないそうだ。両親との和解は当分先になりそうだよ。

 

 

 

「最後の三つ目ですが、洗脳された可能性ですわね。ですが普段の行動や言動に変わりは無いそうですので、あくまでも可能性の範疇ですわね」

 

 

 

「洗脳か、モンテローザ嬢の行方も不明らしい。この国の辺境に向かったという目撃情報を最後に行方が分からない。何処も混乱した状態だし、亡くなっている可能性も高いか……」

 

 

 

 モリエスティ侯爵夫人の『神の御言葉』の下位互換のスキルが有るか調べたが、その様な情報は無かった。モンテローザ嬢の『感情増幅』も洗脳と言うよりは思考誘導だし、可能性は限りなく低いかな。

 

 どうやら物理的に近付いて、バニシード公爵の思考を探る必要が有りそうだな。出来れば娼婦絡みの問題は、アーシャ達が来る前に解決しておきたかったが無理そうだ。

 

 肺の中の息を全て吐き出す勢いで溜息を吐く。予想していた懸念の中で、本命が自己肯定感高めの中年の思惑による事とか、正直勘弁して欲しいです。

 

 

 

 


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