古代魔術師の第二の人生(修正版)   作:Amber bird

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第914話

 妖狼族の巫女である、ユエ殿の態度がおかしい。魔牛族のミルフィナ殿と友好的な関係だとしても、危険なバーリンゲン王国領内に自ら行く事に意味は薄い筈だ。

 

 実働部隊として実績の有る、フェルリルとサーフィルに現場指揮を任せる方が効率的だ。彼女達もミルフィナ殿と友好的だし、連携にも問題は無いな。

 

 それどころか個人的に手紙で連絡を取り合ってるし、親密度の高さは情報漏洩を心配するレベルだと思う。まぁジゼル嬢が検閲しているので大丈夫だとおもうけど……検閲してる?

 

 

 

 あれ?もしかしなくても、王都に滞在してる妖狼族って既に、ジゼル嬢の監視下に収まってる?いや、これは深く確認すると危険なパターンだから止そう。

 

 

 

 同族の三人に意見を否定されて涙目の、ユエ殿をアーシャが優しく抱き締めて背中を軽く叩いて落ち着かせている。優しい彼女の事だから、ユエ殿を哀れに思ったのだろう。

 

 だが、僕やウルフェル殿達になにか言う事もしない。聡い彼女の事だから、ユエ殿を慰めはしても意見を通そうとはしない。状況が分からない内に一方的な決め付けはしない。

 

 先ずは何を考えているかを全て聞き出してから判断しよう。ユエ殿だって我儘だけで言っている訳ではない筈だ、無いよね?

 

 

 

 彼女の心を読んでいるだろう、ジゼル嬢をチラリと見れば……アレ?何とも微妙な顔をしているけど、なにか問題でも有るの?その表情を僕に見せる意味ってなに?

 

 

 

「ユエ殿が我儘だけで言っている訳はないと思うから、理由を教えて貰えるかな?」

 

 

 

 話し易い様に話題を振ってみるけど、涙目の幼女に見上げられるって心がギュって締め付けられる。実年齢は二十過ぎなのだが、あの姿を見てない連中には信じられないだろう。

 

 

 

「私が新しい里に作られた神殿に入れば、今の様に自由に動く事が出来なくなります。以前、ダーブスに誘拐された事が一族の者達の心に強く残っていますので厳重に警備された神殿の奥で暮らす事になるでしょう」

 

 

 

 うーん。今は割と自由に王都内を動き回っているけど、本来は神殿の奥に居て一族でも族長と一部の世話をする者以外の目には触れない生活だったんだっけ?

 

 現状は護衛は伴うが、それなりに自由に動き回れる。アーシャも気に入っているので、ユエ殿を色々な所に連れ回しているのも知っている。それが神殿に行けば、同じ事は出来ない。

 

 女神ルナ様から御神託を授かれる、ユエ殿の身柄の安全は妖狼族にとって最重要課題。もしかしたら、今の自由過ぎる状況は好ましくなかったのだろうか?

 

 

 

「女神ルナ様の御神託を授かれる、ユエ様は妖狼族の至宝です。十分に安全が配慮された神殿の奥に住まわれる事が必要です」

 

 

 

「そうです。女神ルナ様には深い考えが有られたと思いますが、我等の巫女様を厳重に警備された神殿内から誘拐させるなど一族全体の恥でしか有りません」

 

 

 

「旧領の里からの移住で思った以上に女神ルナ様を崇める事に不自由を感じていましたが、新しき里と神殿は前以上に素晴らしいのです。女神ルナ様も喜ばれます」

 

 

 

 三人が、ユエ殿を説得しようとするが思わしくない。だが折角掴んだ自由を失いたくないという理由なら微妙だぞ。最悪の場合、一族の中から反発する者も出るかもしれない。

 

 それは統治という意味では悪手でしかないので、族長のウルフェル殿の焦った顔も理解出来る。彼等にとって、女神ルナ様は絶対だから、巫女が崇めないとか有り得ない。

 

 うーん、ユエ殿の気持ちも理解は出来る。一度手にした自由を失う事は恐ろしい、だが巫女の責務を考えれば神殿に籠る事が好ましい。

 

 

 

 困ったな。説得は彼女を神殿の奥に押し込める事と同義だが、でもそれが普通の事なんだ。女神第一主義の連中からすれば、折角建設した神殿に巫女が来たくないとかは……

 

 

 

「確かに妖狼族にとって、女神ルナ様は絶対的な唯一無二の存在。その御神託を授かる事は巫女として誇らしい使命です」

 

 

 

 伏し目がちに小さな声を絞り出す様に言った言葉には賛同するしかない。それが巫女の存在意義でもあると前に、ユエ殿本人から聞いた事があるから。

 

 神殿は神域、女神ルナ様の御神託を授かるに必要な舞台。そして満月前後の深夜にのみ、美女形態になった彼女に御神託が下りて来る。

 

 人知の及ばない存在とのコンタクトには非常に厳密な条件が課される事は理解出来るし、簡単な条件でホイホイと高位存在とコンタクトが取れるなんて事は有り得ないよな。

 

 

 

 それ以外の条件では駄目だと……ん?条件?それ以外?あれ?神域の条件ってなんだ?何故、僕の屋敷でも御神託を授かる事が可能なの?

 

 

 

「女神ルナ様の御神託について、確かに以前は神殿にて満月の夜の前後の深夜に特定の条件を満たす事で授かる事が出来ました」

 

 

 

 うん、そうだね。特定の条件とは、ユエ殿が美女形態へと変身する事だよね。これは秘密であって、族長以外は世話係の者ですら知らない事ですよね。

 

 

 

「ですが今は違います。御神託を授かる条件が変わりました」

 

 

 

 下を向いて話していた、ユエ殿が顔を上げた。その表情は何と表現したら良いのか分からない。敢えて言うなら困惑か?

 

 

 

「その条件とは?女神ルナ様の御神託を授かる条件が厳しくなったのですか?」

 

 

 

「前みたいに御神託が授かれないって事ですか?」

 

 

 

「新しい里に建設した神殿では駄目だと?今更そんな事を言われても困惑しかありませんぞ」

 

 

 

 フェルリルとサーフィルが詰め寄り、ウルフェル殿も声を荒げた。確かに折角建設した神殿じゃ御神託が授かれないじゃ無駄骨どころの騒ぎじゃない。

 

 多分だが、妖狼族の意思決定は女神ルナ様の御神託をそのまま受け入れる事だったんだ。それが覆されるとか一族全員がパニックになっても仕方無いぞ。

 

 そして僕にも責任の一部は有る。所有する領地の中から妖狼族の里の候補地を探して選ばせたのだから、それが適さないじゃ責任が無いとは言えない。

 

 

 

 新しい候補地を探すと言っても、そうそう適する場所も無い。今の場所が最良だと思ったんだけど、駄目なら他の候補地を探すしかないのか……

 

 

 

「女神ルナ様は、この御屋敷に頻繁に御降臨されます。多分ですが、新しい神殿でお呼びしても降臨されるかは疑問なのです」

 

 

 

「「「はぁ?」」」

 

 

 

 え?ユエ殿は何と言ったのかな?僕の屋敷に頻繁に御降臨してる?いやいやいや、他宗教のモアの神を崇める僕の屋敷に降臨?有り得ない珍事じゃないか?

 

 

 

「あっ?そう言えば前に、イルメラから偶に屋敷内で神威を感じる事が有るって聞いたけどさ。まさか偶にじゃなくて頻繁に降臨してるの?ウチに?」

 

 

 

 異教の女神様が気楽に立ち寄る屋敷です!とか笑えないから止めて下さい!

 

 

 

「はい。そうです。私も毎週お泊りに来させて貰っていますが、この御屋敷でお泊りする時は月の満ち欠けに関係せず御降臨なされます」

 

 

 

 御神託を授かるじゃなく御降臨?女神本人が来てるって事だよね?そんな馬鹿な事が有り得るのか?

 

 

 

「ウソでしょ?ウソだと言ってよ、イルメラさん!」

 

 

 

 思わずさん付けしてしまう程、気が動転してヤバいです。此処はモア教を信奉する主とモア教に仕える僧侶が住まう伯爵家です。

 

 他種族の女神様が気楽に立ち寄る場所では絶対に有りません。只でさえモア教から目を付けられているのに、更に他種族が崇める異教の女神様まで気楽に御邪魔してます?

 

 余り滞在出来ない自分の屋敷が偉い事になっている事を聞かされたら、どんな顔をして良いのか分からない。笑えば良いの?

 

 

 

「確かに前から深夜に神威を感じる事は有りました。最近は頻度が上がって深夜以外でも感じますが、それ程気にする必要は有りません。異教とは言え女神様も、リーンハルト様を認めているという事です」

 

 

 

 素晴らしい事です!って両手を胸の前で組んで祈る様に、僕を見ているけどさ。それも大問題じゃない?仮にもモア教の僧侶である、イルメラさんが言う事ではなくない?

 

 久し振りに聞いた。イルメラさんの僕至上主義、異教の女神様も僕の偉大さをお認めになられたのです。とか言っちゃ不味いです。此処だけの話にしないと……

 

 やべぇ、参加者全員が頷いちゃってる。辛うじて、ジゼル嬢だけが考え込んでいるけど否定的って感じがしない。もしかしなくても僕が不在の時に頻繁に降臨しちゃっているから既成事実出来てる?

 

 

 

「うん?深夜以外でも?あれ?月の光が必要な筈じゃ?月の満ち欠けに関係無くって、月の出ていない昼間でも良いの?何その条件緩和?ゆるすぎない?」

 

 

 

 女神ルナ様、そんな気楽に御降臨してしまっては有難みが薄くなりませんか?もっと勿体ぶらないと駄目だと愚行します。

 

 

 

「女神ルナ様は、この御屋敷が大変気に入られています。可能ならば簡易的でも祭壇を備えたい位なのですが、祭壇が無くても御降臨されます。

 

最近は御神託以外にも普通に会話が成立します。多分ですが、私達妖狼族が女神ルナ様を信奉してから初めての事だと思います」

 

 

 

 そう言って、ユエ殿は一旦話を止めて僕等を見回した。僕以外が動揺していない事に僕が動揺した。

 

 

 

「巫女としての存在意義に疑問を感じてしまいます。私は妖狼族の巫女として必要なのでしょうか?他にも何かしなければ駄目なのではないのでしょうか?

 

新しい里の神殿に籠ってしまっては、女神ルナ様の今の様な御神託を授けられなくなるのではないでしょうか?」

 

 

 

 巫女としての存在意義が、新しい里の神殿の奥深くに籠ってしまっては薄れてしまう。現状、女神ルナ様は過去にない位に頻繁にユエ殿の前に降臨している。

 

 それは女神ルナ様を信奉する妖狼族の巫女として、素晴らしく誇るべき事であり自身も巫女としての働きに充足を感じているのだろう。それが無くなってしまう不安と恐怖。

 

 だが、魔牛族の護衛の為に、バーリンゲン王国領内に行く事は微妙に噛み合わない。他に出来る事があるなら、それを実行して存在意義を高めたいって迷走しちゃったのかな?

 

 

 

 真面目な彼女らしいのだが、それはそれとして同行は却下だな。新しい里の神殿に行く事については、どうしようかな?

 

 

 

「先ずバーリンゲン王国領内に行く事は却下です。危険だし、巫女本来の仕事からは逸脱しています。それこそ同行中は女神ルナ様も御降臨出来ないでしょうから余計に駄目でしょう。

 

新しい里の神殿については、どうしようかな?女神ルナ様が御降臨しないなら本末転倒だけど信仰の象徴としての神殿は必須でしょう。この屋敷を第二神殿にする訳にもいかないし……」

 

 

 

 第二神殿とか変な言い回しだが、分社として各地に神殿を分ける事は良く有るしモア教だって各地に教会を建てている。妖狼族の神殿は唯一、里に構える神殿だけだから問題なのだろう。

 

 だが、僕の屋敷を神域化されるのも問題が有る。関係者以外にバレたら何をいわれるか分からない。他宗教に比較的寛容なモア教だって、信者の屋敷が異教の女神の神域になったとか認められないと思うし。

 

 ていうか、女神ルナ様は何を考えているのだろうか?これって妖狼族だけじゃなくモア教にも関わる問題だぞ。宗教間紛争とか、正直に言えば勘弁して欲しいです。

 

 

 

 宗教戦争とは極論から言えば、何方かが滅ぶまで止まらないから。信仰に妥協など無いから。

 

 

 

「ならば新しい神殿には身代わりの巫女を配置して、ユエ様は此処に滞在して頂くのはどうでしょうか?」

 

 

 

「本来の巫女様は神殿の奥深くに籠っていて一般の目に付く所には出ないのですから、問題は少ないのではないでしょうか?」

 

 

 

 うーん、二人共ユエ殿には甘いな。即、偽者案を出すとか中々言えないよ。ある意味で一族を裏切っているのだから、彼女達は巫女であるユエ殿優先だな。

 

 

 

「だが世話をする者達には真実を教える必要が有るぞ。秘密がバレた場合、一族の者達がどう思うかが問題だな。騙されたと思えば、信仰も揺らぐし一族の結束も綻ぶ」

 

 

 

 フェルリルとサーフィルが雑な妥協案を出して、ウルフェル殿が現実に行った場合のリスクを語った。まぁ確かに神殿に女神ルナ様に仕える巫女が不在で、別の場所に居ますじゃな。

 

 神殿とは間接的に信仰を集める象徴だから、そもそも神殿の必要性が問われる。女神ルナ様だって、多分だが力の源の信仰心が集まらないと困るんじゃないかな?

 

 身代わりだって、そこで生活するならばバレる危険性は低くはない。世話係を巻き込んでも同じ、それこそフェルリルとサーフィルが付きっ切りで常に警戒していないと駄目だろう。

 

 

 

 それでも限りなく危険性を下げてもゼロじゃない。いつかバレる、それも大抵は最悪の状態でバレる。

 

 

 

「女神ルナ様は大変高揚しております。妖狼族に崇められて数百年の時を経ていますが、今が最高の状況だそうです」

 

 

 

 女神ルナ様も浮かれているって事?急に俗っぽくなってない?確かに自身の眷属達の繁栄が最高潮になる予兆があるなら嬉しいと思うけど、それはそれとして、女神として神の一柱としてどうなのだろうか?

 

 

 


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