ノイルビーン領に入った頃に天候が荒れて大雨となり、ぬかるんだ街道を走る事も問題無いゴーレム馬車だが街道そのものが荒れてしまう事を懸念して街道脇の林の脇で休憩とした。
固定化の魔法を定期的にかけていても雨により周辺から土砂が流れ込み、それを踏み荒らせば街道が傷むので仕方ない。無理をする必要は全くないのだが……雨は止みそうにないな。
林は小高い丘に有り水が流れ込む事も無く、風も林が受けてくれるので風向きが変わらないなら問題はない。林の中から小川が流れているが、今は増水して濁っている。
ああ、例の川は此処まで流れて繋がっていたのか。長大過ぎて途中で川から離れたから分からなかったよ。さて今日は此処で野営する事にし、準備に取り掛かる。
「先ずは屋根と床だな」
横殴りの暴風雨でも、僕の魔法障壁ならば大丈夫。雨粒で球形の魔法障壁の形が視認出来る程の強い雨と風、馬車の中からの女性陣の声援に軽く手を上げて応えておく。
ぬかるんだ大地に魔力を均等に流して30m四方の正方形を野営地として設定、先ずはドーム型の屋根を薄い鉄板の仕様で錬金する。雨が入り込むが四方の壁は開口しておく。
次に床を錬金した岩で台座の様に地面から1m程せり上げ、一方向だけスロープを設置。ここから錬金馬車の乗り入れ雨除けとして四角形に配置、この状態で馬車に乗っていた連中が降りて来る。
「相変わらず非常識な錬金技術ですわ」
「本当に、常識知らずというか何というか」
「でも暴風雨の中での野営とは思えません」
女性陣の感想を聞きながら、開放していた壁の部分を錬金で塞ぐ。この際に床から高さ1mの部分に開口を設置、煮炊きをするので密閉状態での酸欠の対応と周囲の監視対策をする。
野営地の周辺の四方に屋根付きの監視小屋も設置、上空に魔力で作った光球を複数浮かべて照明の確保。序に簡易トイレと風呂を錬金、後は炊事用の釜場かな。
空間創造にも温かい料理は大量に収納しているが、やはり煮炊きによる熱々の料理が食べたい。任務中の食事は数少ない娯楽だし、調理専門の使用人も同行しているので、仕事を奪う事はしない。
「リーンハルト様。川での漁を許可して下さい」
ダルシム達が、漁の許可を求めてきたが荒れた天候で濁った川で漁?確かに天候は少し回復してきたが、未だ漁が出来る程じゃないと思うのだが?ダルシム達は自信満々だが、可能なのか?
少し離れた場所で様子を伺っている、シルギ嬢を見るが困った顔をしただけで止める気配は無い。まぁ駄目元で許可をだしても構わないのだが、安全だけは留意して欲しい。
此処まで来て流されましたは勘弁して欲しい。流石に濁流までは行かないが、飲み込まれたら助かるとも助けられるとも思えない。
「安全に留意してくれれば構いませんが、漁とか可能なの?」
「はい。例えばあの普段はそれほど水に接していない茂みですが、増水によって深く水没した場所などに魚が集まります。また増水で流された昆虫や小魚を狙う大き目の魚が活発になるので狙い目なのです」
あっ、コイツ等って只の釣り好きじゃない?尤もらしい理由を言っているけど、悪天候だって釣りしたい連中の常套句っぽい。シルギ嬢が額を抑えてヤレヤレみたいな態度なのは、過去に何度か同じ事が有ったな。
増水でも水が濁っても趣味人って抜け穴っぽい事を探してでも楽しむ系の連中だな。息抜きと言う意味でも許可をして良いだろう。何か釣れたら儲けモノ程度で、皆が困る事は無い。
まぁ親族を取り纏めている、シルギ嬢の心労だけが問題か?それでも僕が許可をしたのだから彼女に責任は無いと、後で言っておくか。こんな泥水だと釣れてもナマズとかじゃないのか?
結論から言うと、ダルシム達は魚を少し釣った。地元ではパーチと呼ばれる大型の淡水魚で、白身で癖のない淡白な身を持つが少し臭みが有った。泥抜きしてないから仕方ないね。
気になったので調理方法を見ていたが、先ずは鱗を剥がして皮を剥ぎ内臓を取り出し内臓壁についている脂肪も取り除いていた。その後で良く水洗いをして下処理が完了、寄生虫がいるので熱処理が必要らしい。
塩焼きとムニエルにされて振舞われたが、釣った本人達は食べないで見ているだけだった。アレか?アレなのか?釣り自体は好きだけど調理や食べたりは、そうでもない趣味人に多いアレか?
配下の親族の趣味等を理解できた貴重な体験だったな。
◇◇◇◇◇◇
悪天候という予想外の足止めを食らったが翌日は快晴、通過するノイルビーン領の領民達から歓迎を受けながら中心地である、ハノーファーの街に向かう。ノイルビーン領の特産品はエール、貴族はワインが主流だが、平民はエールが主流。
イルメラも「シュタインハウス」という宿屋兼ビヤバーに通っていたし、ハンマーガイズのカイゼリンさんもワインよりエールを好んで飲んでいたし。僕は微妙だし、立場上でも好んで飲む事は出来ないだろうな。
でもノイルビーン領にはエールの醸造所が百を超えるらしいので、献上品として振舞われる可能性が高い。そこで『我等貴種たる者はエールなど飲まない』とか言えば大問題だろうな。
でも実際に居る。過去に『貴種たる我に庶民の酒を勧めるとか侮辱したなっ!』って決闘沙汰になった事が……
勧めた貴族も自分の領地の特産品を貶された訳だから、当然決闘を受ける。代理を立てる事も出来るのだが、身代わりで勝つ事は周囲の貴族からの受けが悪い。そもそも血の気が多いから決闘騒ぎを起こす。
つまり武力に自信が(それなりに)有る連中な訳で、死傷率も低くない。立会人もそうだが、大抵は怪我をしても直ぐに治せる様に回復魔法の使い手やポーション類も用意されている。
即死以外は助かるが、自分の主張が負けた事で通らなかったからと最悪の場合は自害する者も居たとか。酒の上の過ちって怖いね。僕も模擬戦や決闘も行うが、安全マージンはちゃんと確保しているよ?
「大きな建物が多いですわね」
馬車に同乗している女性陣が窓から歴史の古そうな外観の建物を楽しそうに見ている。古い建物が残っているのは長い間、戦火に巻き込まれてない証拠だ。大抵は略奪の対象になるし、略奪後は放火される事も多いし。
外観は二階建てっぽいが、ガラス窓から覗ける範囲で確認すると建物内は吹き抜けらしい。醸造用の設備に室内の高さが必要なのかもしれない。前にクリスも大好きなブドウをワインにする事が嫌でワインの醸造所まで見学に行ったって聞いたな。
あの時飲んだ『ディープブルー・トロッケン』の白ワインは美味しかった。意外と酒類の醸造所の見学って人気なのかもしれない。僕も興味が出て来たけど、流石に予定はギッシリだし見学の時間は取れないかな……
「エールの醸造所だね。街中にあるし、ビアバーと直結しているみたいだし。作りたてを味わえるのは良いんじゃないかな」
大通りに面した部分は解放されており、人々が出入りをしている。直売でもしてるのだろう。エールを仕込んだ木樽も幾つか見えるし、小分けにした小さな木樽も山積みだな。
窓を開けて外の空気を吸えば、僅かに何かを焼いているような油を含んだ匂いが漂ってくる。多分だが、ソーセージでも焼いているのだろう。エールの定番の摘みはソーセージだから。
時刻は午後の三時過ぎ、夕食には未だ早いが昼食からは、それなりに時間が経っていて小腹が空く頃合いかな。少し早いが一杯飲むには良い時間だろうか?
「大きな木樽が横倒しになって、そこからエールを直接注いでいますね。ワインとは違いエールとは常温なのかしら?」
ウルティマ嬢の疑問だけど、貴族ってワインについて本当に並々ならぬ思いが有るのかな?ワインって種類によって最適な温度が違う事は、貴族の中では殆ど常識扱いだから知らないと恥を掻くんだ。
例えば赤ワインの場合、フルボディ(重口)だと冷え過ぎると渋みが強調され常温に近いと、まろみが感じられる。白ワインも同じく冷やし過ぎると本来の味わいが感じられなくなり常温だと香りが豊かに感じられる。
ならワインも常温で良いのかと言えば、そういう訳でもない。赤ワインのライトボディ(軽口)は冷やすと口当たりが良く引き締まった味わいとなるし、白ワインも甘口だと冷やした方がさっぱりとした甘みを感じられる。
スパークリングワインは基本的に冷やした方が美味しく、最近はホットワインとか加熱して飲む味わい方も有る。これは賛否両論で、この件に関しては貴族は話題にしない。すれば戦争だから……何をやっているんだか。
「ワインの適切な温度は貴族の常識の範囲で今回は触れないけど、エールって基本は地下室の温度以下らしいよ。今は気温も14℃以下だから、外に出した木樽から直接注ぐのかな?」
それなりに大きな家には必ず地下室が有る。戦火で上の建物が燃えても貴重品を守る為とか、室温が保存に適しているから保管庫としてとか。隠し部屋とか緊急避難場所とか用途は色々だな。
僕の屋敷にも、イルメラ達の守りの備えとして大規模地下秘密基地を構築している。備えあれば憂いなしの精神だが、王都が陥落するか僕が犯罪者として国から追われなければ使う事はないだろう。
地下要塞の秘密をイルメラに伝えた時には本気で泣かれてしまった。基本的に、僕が直ぐに助けに来れない事を前提とした設備だから。深読みすれば、僕が死んでしまった場合に残された者達の避難場所って事だから……
「流石はエムデン王国随一の酒豪の、リーンハルト様だけの事はありますね。王家主催の舞踏会で並みいる酒豪を酔い潰し、王宮の侍女達を侍らせていた事は武勇伝として広まってますわ」
シルギ嬢の尊敬の籠った視線が痛い。侍女達じゃなくて、オリビアだけだった。確かに専属みたいに世話を焼いてくれたけど、その所為で彼女に不要な嫉妬は集まってしまったんだよな。
僕の専属侍女として庇護下に置いたので問題無かったが、当時は知らなかったから専属侍女にしなかったら……多分だが、彼女は酷い嫉妬に晒されてしまっただろう。反省が必要だな。
魑魅魍魎溢れる王宮って比喩はさ。間違いじゃないんだよ、伏魔殿とも言われている。まぁ伏魔殿は過去に魔王を封じ込めた場所の事だから微妙に違う感じだけどさ。
「ジョッキ以外にもワイングラスや、長靴みたいな形のグラスも有りますわね。エールはジョッキで飲むモノと思っていましたが、実際は色々あるのですわね」
通り沿いにテーブルを置いて、エールを楽しむ領民を良く見掛ける。昼間から大通りで酒を飲めるって、治安が良くないと駄目なんだよね。基本的に酒場ってガラが悪い場合も多いし、巡回の警備兵も必ず立ち寄るし。
酒場に屯(たむろ)する連中も品行方正な連中ばかりじゃない。酔えば判断力や注意力が散漫になるから、犯罪の標的にされる事も有る。自衛できる冒険者達ならよいけど、普通の連中では厳しいだろう。
その普通の領民達が安心してエールを楽しめる場所を提供出来るって意味合いは大きい。ザスキア公爵の治世は良い部類、流石だと感心する。
「長靴型のグラスは、この地方の特産品の一つらしいよ。実用より飾り物って意味合いが有ったと思ったな。エールも香りや色合い、泡立ちを楽しんで飲むらしいからね。
きめ細かい泡を楽しむ陶器製とか香りを楽しむ為に口が広がっているピルスナーとか、風味を逃がしにくい蓋付きも有るよね。木製の樽型のジョッキとか、耐水性能的に疑問が有るのも……」
あれ?女性陣が僕を見詰めてるけど、何か失敗したのか?
「流石は御当主様です。深い知識に感嘆してしまいました!」
え?シルギさん?その狂信的な目は、イルメラさんを思い出すから止めて下さい御願いします。違います違うんです。酒豪として嬉しくない称号を得た日から、独学で色々と調べたんです。
酒豪と言われながら知識が無いとか言われるのは、勝手に名付けられたとはいえ貴族として恥を晒すわけにもいかず。かといって酒豪って言われながら誰かに聞くわけにもいかず、仕方なく自分で色々調べました。
浅学で申し訳ないですが、僕の酒類に関する知識なんて大したものじゃないのです。恥を掻かないだけの最低限の知識でしかなく、上辺だけの見せ掛けなので深く突っ込まないで下さい。
「そうかい?有難う」
心を読んで笑いを堪えている、リゼルに一瞥する。後で仕返しするから覚えてろよなっ!
◇◇◇◇◇◇
色々と寄り道はしたが、漸くハノーファーの街にある領主の館に到着した。正門にはザスキア公爵の私兵かな?見目の良い美丈夫達が整列して待ち構えていた。
そこから館に続く道の左右には使用人達が整列、玄関前には執事とメイド達が並んでの出迎え。当然だが身分上位者の所に行く訳なので、玄関先で馬車を降りる。
この状況だと同行出来るのは護衛のクリスと爵位持ちのリゼルだけだな。クリスが先に降りて次に、僕が下りてリゼルが馬車を降りるのをエスコートする。
何とも大袈裟な出迎えの演出だけど今の内に、ザスキア公爵の意図を考えておかないと駄目なパターンだと思いリゼルに目配せする。多分だが間違いなく何か企てていると思うんだ。