妹が何時も嬉しそうに話す、リーンハルト卿が王宮の中心部分に有る王族の生活区に一人で居たので思わず声を掛けてしまった。
慌てん坊でおっちょこちょいの妹の話だから、内容は盛っているか勘違いだと思っていたわ。あの女性に対して一定の線引きをしている、リーンハルト卿が妹に対して特別な対応をしているのは信じられなかった。
だが伝えられた事実は衝撃的で、思わず唸ってしまう。まさか愚妹が、リーンハルト卿に自分も知らない内に二つも恩を売っていたなんて……まぁ偶然らしく本人も分かってないし、リーンハルト卿も教えないと言っていたわ。
でも愚妹に何か有れば相談してくれと、それは助けてくれる事が前提の話だわ。何時か問題を起こすと思われていて助けてくれるつもりなのだろう。我が妹ながら、なんて羨ましい妬ましい。あのリーンハルト卿が助けてくれる?
もう私の心配は殆ど無くなった。何故、あの慌てん坊のおっちょこちょいが侍女見習いの試験を通過したか謎だったのよ。何時か大失敗をすると、毎日思い悩んでいたけど今日解決したわ。
まぁ失敗する事は前提だけれども、フォローには望みうる最高の相手が名乗り出てくれたわ。淑女が選ぶ今年の理想の結婚相手No.1、最優良物件リーンハルト卿が愚妹の世話をしてくれる。
「何故、ラナリアータは高頻度で壺を持っているのかな?」
「いえ、それは私にも分かりません。ですが今迄に中身は零しても壺を割った事は有りません」
「それは気休めにもならないね。何時か落として割れそうだからヒヤヒヤする。壺の価値よりも、壺を持って来いと頼んだ相手の気分を害する事の方が心配だよ」
確かにそうだわ。私も二回に一回は、妹が壺を持っている所を見掛ける。苦笑しながら話してくれたけれど、私にも意味は分からない。
何となく一人にしておく事も出来ず、壁際に並んで立って会話をするのだけれど……誰かに見られたら誤解されて大変よね。
前にレジスラル女官長の孫娘である、クリステルさんと噂になった時は大変だったもの。翌日本人が静養の為に実家に帰って不在だったから、余計に噂が酷かった。
でもあれは不治の病に犯された孫娘の為に、レジスラル女官長が無理を言って頼んだ事で彼女が側室に迎えられるとかではなかった。
祖母から孫娘への最後のプレゼント、あの後クリステルは病が悪化し亡くなってしまった。無表情で少し変わっていた娘だったわね。
あの夕食会は今でも語り草になっている。リーンハルト卿の女性扱いの上手さ、誰もが憧れた淑女の扱い。私もクリステルと自分を置き換えて想像し、真っ赤になってベッドに倒れて悶えたわ。
「そうですね。今度確認してみますわ」
「うん、気になるから結果は教えて欲しい。何かしらの因果関係が有りそうなんだ、壺とね」
「そんな馬鹿な事は無いと思いますわ。妹が壺に愛されているとか?」
「壺を愛しているとか?」
お互いに笑い合う。楽しい、殿方と会話する事など仕事以外では少ないけれど、リーンハルト卿との何気ない妹絡みの会話が凄く楽しい。
アウレール王の忠臣と公言され、優良な領地を四つも持ち、宮廷魔術師第二席として他国との戦いを繰り返す怖い人かと思ったのに……
穏やかで優しい、愚妹の事も心配してくれる。同期のフレイナル様がアレ過ぎて、比較するのも哀れ過ぎる差が酷過ぎますね。この人は基本的に善人なのに、凄惨な戦いを繰り返して大丈夫なのでしょうか?
「僕の中では、ラナリアータと壺はセットだな。目の前で振り回されて中身を周囲に撒き散らした事は少なくないよ」
「まぁ酷いです。妹が聞いたら悲しみますわ」
肩を竦める仕草は、年相応で可愛らしい。ザスキア公爵様の広める新しい世界、年下の男の子との関係って、こんな感じなのかしら?
物凄く有能な人なのに、何故か放っておけなくて面倒をみたくて。年下の魅力も何となく理解出来る、ベルメル様が墜ちたのも理解したわ。
廊下の角から此方を伺う同僚達に気付いた。あの口パクは、私達もこの場に早く呼びなさいかしら?違うのかしら?
「カルミィ殿、同僚達が呼んでいるけど大丈夫ですか?仕事の途中ならば、其方を優先しても……」
「構いませんわ。リーンハルト卿をこの場に一人で残しておく方が問題です。彼女達の事は気にしなくても平気ですわ。どうせ、紹介して欲しいとかでしょう」
私にまで気遣いをしてくれる。他の上級貴族の方々とは違う、少し前は新貴族男爵の長子だったのに伯爵級の後継者並みのマナーを既に身に付けている。
今は侯爵待遇の伯爵様だから違和感が無いけれど、不思議な殿方。きっと影で相当な努力をして、マナーを身に付けたのでしょう。
それを他人には気付かれない様にする。お姉さん、そう言う弟が居たら溺愛しそう。ザスキア公爵様の気持ちが分かる、これは構って甘やかしたい気持ちになるわ。
「その、何か生暖かい優しい視線を向けられると困りますが……」
「いえ、こんな弟が欲しかった。手の掛かる妹と交換出来たら、なんて幸せなのだろうか?そう考えていたのです」
ああ、思わず本音が漏れてしまったわ。普通なら不敬罪適用案件なのに、リーンハルト卿は苦笑しただけ。
「僕には弟しか居ませんが、お姉ちゃんって、こんな感じなのでしょうか……って、ええ?大丈夫ですか?」
思わず壁に頭を打ち付けてしまう。『お姉ちゃん!』何て破壊力。姉上でも御姉様でも姉さんでもない、『お姉ちゃん!』良い、グッと来る。
馬鹿や生意気で下品な弟じゃない、出来の良い男の子からの『お姉ちゃん!』は貴族的には微妙だけれども、リーンハルト卿は半年前迄は貴族の最下層の新貴族男爵の長子。
そう言う呼び方も仕方無い。いえ、逆に良い。素晴らしいチョイス、そう私はリーンハルトのお姉ちゃん。お姉ちゃん、良い響きだわ……
「あの、大丈夫ですか?いきなり壁に頭を打ち付けるとか、本当に大丈夫なんですか?」
「(お姉ちゃんは)大丈夫です。額が痒くて少し叩いただけですから、(お姉ちゃんは)本当に大丈夫なんです」
痺れを切らした同僚達がジリジリと近付いて来る前に、リーンハルト卿はセラス王女の室内に招かれてしまった。
呼びに来た、ウーノが壁の音を気にしていたけれど何とか誤魔化す。女官が王宮の壁に頭突きとか有り得ない失態だけれど、リーンハルト卿も何も言わず会釈した後で部屋の中に入ってしまったわ。
「嗚呼、お姉ちゃん。もう一度、もう一度だけで良いから、お姉ちゃんと呼ばれたいわ」
◇◇◇◇◇◇
多分待たされたのは十五分位だと思うが、あのグチャグチャだった部屋が見事に片付いている。ウーノは肩で息をしているが、レジスラル女官長は普通だ。
窓際にテーブルセットが有り、セラス王女が優雅に紅茶を飲んでいる。どうやら物理的な部屋の片付けをウーノが行い、セラス王女の身嗜みをレジスラル女官長が整えたのかな。
流石は王族の世話を任される女官、ウーノは有能なんだな。視線を合わせず窓の外を見ている、セラス王女に近付く。
「セラス王女、リーンハルト卿がご機嫌伺いに来ております。何かお言葉をお掛け下さい」
レジスラル女官長が話を振ってくれるのだが、セラス王女の機嫌は悪そうだ。先に聞いた話だと、嘘の政略結婚と他人にマジックアイテムを渡した事に拗ねている。
まぁ可愛い範疇だよな。セラス王女は王立錬金術研究所のオーナーでもあるし、勝手にマジックアイテムを錬金してバラ撒くな!かな?
彼女の希望に添う物を錬金すれば機嫌は直るだろうか?普段一緒に居る、リズリット王妃も居ないので変な思惑は絡まないだろう。
此方をチラリと見て、プィって横を向いた。兄弟戦士曰わく萌える動作らしい、久し振りに兄弟戦士の役に立たない情報を思い出したな。
「リーンハルト卿は、私以外の者にマジックアイテムをバラ撒いたみたいですね?」
予想通りだが、無闇にバラ撒いた訳じゃないと説明しても無理っぽいな。公爵三家絡みと、もしかしたら後宮警護隊のドレスアーマーもかな?
王立錬金術研究所の成果は出しているが、それだけじゃ御不満みたいだな。チラチラと此方を見るのは、自分の行動を恥ずかしいと思っているのだろう。
セラス王女は王族としては微妙な所が有るが、レジスラル女官長から聞いた生い立ちならば多少は仕方無いと思うし何とかしてあげたい。
「これも宮廷魔術師として国家の戦力の底上げの為ですが、セラス王女が不機嫌になるのも理解出来ます。何か希望が有れば、出来る限り希望に添える物を錬金しましょう」
「何でも?本当に?」
食い付いた、掴みはオーケーだ。凄い勢いで此方を見た、目がキラキラしているよ。
「はい、可能な範囲ならば。同行を許して貰えるならば、短期間なら空も飛べますし地にも潜れます。水の中は相性が悪いので無理ですね。巨大なセラス王女の像が望みならば10m位ならば可能です」
この言葉に、セラス王女は一瞬だけニヤけた後に直ぐに下を向いて表情を見えなくしたが……まさか洒落のつもりだったけど、自分の巨大像が欲しい?
空を飛ぶは黒縄(こくじょう)の、大地に潜るは奈落の応用で可能だし、巨大像などゴーレムルークよりも楽だ。つまり掴みのネタで、これからが本番なのだが彼女は巨大像が良さそうだぞ。
「リーンハルト卿、その巨大セラス像に乗って動かせますか?」
「え?ああ、そうですね。肩に固定の椅子を取り付ける事も出来ますが、振動は凄いですよ。乗り心地を考えれば、手の平の上かな。腕を上下すれば、振動は抑えられます」
おぅ!巨大セラス像とか自分で言っちゃってるよ。そんなに自己顕示欲が強かったか?一番お手軽な方法で、機嫌直しちゃうの?
先程迄の不機嫌さは何処に行ったのか、座っているのに前屈みで迫って来る。胸が薄いから、ドレスの谷間の部分が覗けそうなので視線を逸らす。
「駄目です!危険過ぎます、巨大ゴーレムに乗るなど聞いた事が有りません。却下です!」
「レジスラル女官長は固いわね。ゴーレムに乗るなど、普通なら絶対に無理なのよ。それを可能と提案するのは、常日頃からゴーレムに乗ってるからだわ。だから慣れていて安全だと思うのよ、そうでしょ?」
「まぁ過去に城壁の高所の補修作業の時に実際に行いましたので、ぶっつけ本番ではないですね。ですが僅かですが危険は有ります」
レジスラル女官長が速攻で却下した。確かに未婚の王女の行動じゃないが、セラス王女の不満顔を見て下さい。子供みたいに頬を膨らませていますよ。
これは最初の不機嫌さは無くなった、今は子供っぽい不満だな。機嫌を回復させるのは難しくは無い。兎に角、楽しませれば良い。僕以外には絶対に出来無い方法でね。
この人は年上だけど時々可愛くなるのは、子供っぽいのだろう。アウレール王も特別可愛いがるのも、何となく理解した。
「巨大セラス王女像が駄目なら、巨大な船を錬金しましょう。河川用でも15m位、いや20m位なら可能かな。ゴーレムに漕がせれば、普通では有り得ないスピードが出ますよ」
「私的戦艦?それはそれで夢が膨らみますね。普通の水遊びじゃ面白く無いけれど、高速川下りとか楽しそうで……」
「却下!却下です。そんな危険な川下りなど、王女のする事では有りません!駄目です、諦めて下さい」
ん?私的戦艦?そんな物騒な事を言い出したぞ。だが、レジスラル女官長が速攻で却下した。軍事的な意味でも、ゴーレムを動力源とした高速軍艦は利用価値が高いんですよ。
この事をリズリット王妃が聞けば祖国の為にと色々考える筈だけど、僕が乗船しないと無理なんだよな。だから考えて無理と分かり悔しがる。
セラス王女は子供っぽいんじゃなくて、更に幼児退行化してないか?年上の王女が年下の少女っぽくなっている。レジスラル女官長に懇々と説得されているけど、全く聞いてない。
両の頬を力一杯膨らませて、私は不機嫌ですとアピールとか可愛いですよ……
「ならば危険が少なく珍しい魔法を見せましょう。現代では退化し数個しか生み出せない光球魔法ですが、僕は何百と操れます。夜の催しとして、煌めく光球の乱舞で地上に夜空を生み出して見せましょう」
「それです、リーンハルト殿!そう言う雅(みやび)な魔法が、王女に相応しいのです。巨大ゴーレムも軍艦も却下、却下です」
セラス王女が答える前に、レジスラル女官長から猛烈な要求が来た。確かに安全で雅な催しだけど、セラス王女が許可しないと無理です。
「それは……でも確かに珍しいし、面白そうな魔法ね。古代のライティングの魔法、数百個の光球の乱舞……分かりました、リーンハルト卿の裏切り行為はライティングの魔法の御披露目で許します。レジスラル女官長、今夜中庭の池の畔で開催します。準備を頼みますが、私だけの私的な催しですからね!」
え?僕は、セラス王女や王族を裏切った疑惑が掛かっていたの?
ウーノが物凄い不満な顔をした。つまり私的ならば、セラス王女の専属女官しか同席出来無いから自分は見れる可能性が低い。
レジスラル女官長は責任者として指名されたから確実に見れる。だから余裕綽々、序でにセラス王女の機嫌も回復したから尚良し。
セラス王女も珍しい魔法を自分が最初に見れる事で満足みたいだ。多分だが、リズリット王妃は同席を許され、アウレール王は駄目っぽい。
「リーンハルト卿は、今夜は私主催の晩餐会に参加しなさい。その後に、月見を兼ねてライティング魔法の御披露目です。今日は王宮に泊まって、明日は御礼として王家秘蔵のマジックアイテムを私が案内して、見せてあげます」
「有り難う御座います。未だ誰も知らない、古代魔法の神秘をお見せ致しましょう」
椅子から立ち上がり、セラス王女の前に移動し片膝を付いて頭を下げる。これで彼女の機嫌は回復、明日は御礼に王家秘蔵のマジックアイテムを見せて貰える。
僕的にも十分なメリットが有り、王家秘蔵のマジックアイテムならば面白い物も有るから模倣して錬金する事も出来る。
王立錬金術研究所の新しい課題にしても良いし、セラス王女との付き合いは僕に多大なメリットを齎してくれる。得難い王女だな、本当に助かります。
セラス王女、これからも末永く宜しくお願いしますね!
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