世界最悪の女   作:野菊

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世界最悪の女、アバンに弟子入りする 4

「お帰りなさい。疲れているところ申し訳ないのですが、明日、ロモスへ向かうことになりました」

地上へ無事生還し、約束どおり城へ向かうと、珍しく真面目な顔をした先生が待っていた。

「ロモスですか。じゃあ、長旅ですね」

「いいえ、ロモスへは、ルーラで向かいます」

随分急いでいるようだ。

事情を尋ねると、妊娠中の王女の経過が悪く、母子共に危険な状態だということだ。ロモス王のことは漫画で知っていたが、あの国王に、そんなに大きな娘さんがいたのか――なんて考えている場合ではない。

王女のお腹の子供ということは、ゆくゆくはロモスの王様だ。王女は国王の一人娘。母子に万が一のことがあれば、世継ぎのことで無用な争いも起こり得る。

幸い、店はまだ相手いた。洞窟で得た不要なアイテムを売り、幾らかの現金を手にした私は、小さなマジックショップへ向かう。

洞窟に入る前に、町を探索した時に見つけたこのお店は、呪術用の道具や、ハーブ、薬、専門書が所狭しと並ぶ。目をつけたのは、調合セット。500Gと、少し根の張るそれは、広辞苑ほどの大きさの鞄と、秤、匙、すり鉢、スポイトや耐熱皿がセットになったものだ。鞄はそれ専用に出来ているらしく、道具を安全に収納、運搬することが出来る。手に提げることも、背負うことも出来るデザインなので、旅人には丁度いい。

もちろん、私なんかが王女の治療をなんて、大それたことは考えていない。ただ単に、この商品が現物しか残っていないので、売り切れる前に購入しただけである。

侍女たちの間で私の作った保湿クリームやサプリが話題になり、手元にある分を結構な値で買ってくれたお陰で、何とか支払うことができた。

店主に私の作った薬草クッキーの話をすると、レシピと引き換えに、聖水の意外な使い方を教えてくれた。呪物が、呪術に使う一部の粉末を成型する際、聖水を加えるのだそうだ。真水や他の液体では固まらなくても、聖水をつなぎに利用することで、綺麗に形作ることが出来るのだという。

年齢不詳の女性店主は、薬草などにも詳しく、時間があるときに情報交換をする事を約束して、私は店を後にした。

 

ロモスは気候の良い、賑やかな町だった。通り過ぎる人々は歌を歌いながら働き、とてもカラフルな町並みは、歩いているだけで陽気になる。

しかし、事態はかなり深刻で。

「アバン殿、娘が……娘が……」

先生に縋る国王の気持ちはよく分かる。王とは言え父親だ。娘と、孫のことがよほど心配なのだろう。

先生は王に連れられ、王女の寝室へと向かった。残された私は、帽子の置き場に困りながら、出されたお茶を飲み、ぼんやりと窓の外を眺める。空は青く、雲は緩やかで。

王女の様態は、先生の顔色を見ればよく分かった。

「ソウコ、こちらへ」

先生は私を呼び寄せると、国王に私の事を紹介した。

「このものは、私の弟子なのですが、薬学の知識は私以上にあります――」

そう、私が王女の診察をするための、許可を得ているのだ。王は先生の話を聞くと、私を王女の寝室へ招いた。

 

アバン先生は、勇者であると同時に、この世界切っての知識人。

魔王討伐の際世界中を旅して得た知識と、カールの学者の家系というバックボーン。戦闘だけでなく、天文学や航海術、各地の文化、料理、地層学、歴史、美術といった幅広い分野に精通している。

今まで、一流の医者でも手に負えない病気や怪我を、治癒したこともあった。だから、今回ロモス王は先生を呼んだのだろう。

その先生にもどうにもならないということは、王女を一目見てすぐに分かった。

齢18になるという王女は、実際の年齢よりもずっと幼く見えた。生命が宿り膨らんだ腹部は、細く小柄な少女に不釣合いで、痛々しくすらある。

妊娠が可能だからといって、出産に耐えられるわけではない。それはどんな動物も、成熟した大人でも同じ事で。どんなに医学が発達しようと、どんなに健康な適齢期の女性でも、出産で命を落とす危険性は存在し続ける。

そんな人生の一大事に、目の前の骨格が耐えられるとは思えなかった。

「恐れ入りますが、何ヶ月目でしょうか? 」

「5ヶ月に入ります」

侍医のひとりが答えた。妊娠の経過、王女の体調を、詳しく聞き取る。これでは例え私がいた世界でも、自然分別を提案する医者はいないだろう。

以前先生に聞いたところ、この世界にも手術はあるという。しかしそれは、骨折の治療など、怪我の処置になされるものだ。病気の治癒や出産に切開を用いるということはない。輸血や点滴の技術が確立していないため、体力の低下した患者にメスを入れることが出来ないのだ。

結局、現時点でこの王女に出来ることは、安静にさせることだけである。

 

「恐れ入りますが、ひとつ、私の個人的な意見を申し上げてもよろしいでしょうか」

国王、王女の夫、侍医、大臣――王女の寝室の次の間に集う面々は、みんな沈鬱な顔をしている。

「あのまま出産をすれば、恐れながら、母子共々万が一ということが大いにありえます」

これは、アバン先生とは関係のない、私の個人的な意見と言う事を強調するため、私は先生から少し離れた場所に立った。

「僭越ではございますが、堕胎をご提案いたします」

部屋の中は一瞬、しんと鎮まる。

一番初めに口を開けたのは、侍医の1人。

「堕胎なんて――それこそ危険ではないか」

「そ、そうだ。大体どうやって……民間にはいくつか方法があるが、どれも不確かな上、野蛮なものが多い」

民間の堕胎方法は、何となく予想が付いた。高校時代、友人に頼んでお腹に何度もバスケットボールを当ててもらい、目的を遂げたクラスメイトの存在を思い出す。もちろん、王女にそのような事をするわけにはいかない。

「堕胎薬を使います」

「薬だって!?」

「それこそ…まじないと変らない」

「……私は完璧な堕胎薬を作ることが出来ます。今まで607人に使用しました。うち528人は安全に堕胎しました。堕胎が出来なかったのは59人、17人は妊娠不可能な体になり、3人死亡しました」

裁判で何度も繰り返されたため、その数字は覚えている。忘れもしない、3人のうちの1人

から、足がついたのだ。それからは芋づる式だった。

「し、しかしそんな――」

医者や大臣は、国王に視線をやる。国王は何も言わなかった。口を開きかけたアバン先生に割り込む形で言葉を続ける。

「このまま何もせず、臨月を待てば――最悪臨月に至る前に王女は御子ごと命を落します。出産に至ったとしても、王女に耐え切れるとは考えられません。御子が生まれたとしても、王女は多分、助からないでしょう」

先生に言わせるわけには行かなかった。これは、命の選別。勇者にそんなことをさせるわけにはいかない。

「王女の後ろ盾無しに育つことになるお世継ぎの事を考えてください――子はまた産めばよいのです。国王、今王女に万が一のことがあれば、次に生まれるかもしれない御子の命を奪うということになるのでは? 」

無事に子供が生まれれば、第一王位継承者ということになる。母親のいない時期国主が、どんな子供時代を過ごすかは想像に難くない。

取り入ろうとするものは、まだマシだ。王子さえいなければと、常に命を狙われる。幼い世継ぎの即位を願ったものが、現国王の廃位を企むかもしれない。

ならば、王女が生きたほうがいい。

王は賢い方だ。なにが最善で、そのために自身がどう決断すべきなのかを知っている。だけど、感情はまた別で。

お腹の子供よりも、母親の命を優先するべきだ――それが何よりも、胎児のためだと、信じている。

何より私がそうだったのだから。


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