世界最悪の女、勇者に出会う 1
オーザムはほぼ壊滅。
「ここは人里から離れているお陰で、難を逃れることが出来たわ――」
シスターの顔は、酷く沈んでいた。
アスクラスはじめ、ベンガーナ周辺の町の教会や庁舎、集会所などにマホカトールを施すのに、思ったよりも時間がかかってしまい。なんせ私の魔法力では、1度に2発が限界だ。精神力も大いに浪費するので、魔法の聖水だけでは回復が出来ない。
同時に、リリルーラの粉についても説明して回る。どの町にもルーラの習得者が最低1人は配置されるようにした。地下通路は、全ての町と迷路のように繋がっているので、リリルーラでの行き来が可能だ。一番遠い町同士だと、トロッコを使っても、3,4日は移動に要してしまうのだが、リリルーラなら、未熟でも4,5箇所経由すれば合流可能なのだ。まあ、私でも今なら粉無しで端から端まで1回で合流できるのだ。普通の魔法使いならば、すぐにこつを覚えるはず。
あとは、ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズについて。必要なのは、マヌーサとヒャドとバギ。全て下位の呪文だが、小さな村にはそれでも習得者がいないことがあって、そちらの調整や特訓にも時間を割いた。それでもリスクは低い上、効果は立証されていた。何より、ルーラもヒャドもバギもマヌーサも、そうそう難しい呪文ではない。片っ端から契約してもらい、才能が有れば、数日の特訓で身に付けられる。
マドハンド以降、周辺の町にモンスターの襲来がほぼ無かったことも幸いした。あったとしても、軍団長がお出ましするレベルではなく、お陰でいい訓練になった。
そういうわけで、ずっと気がかりだったオーザムへの訪問が、思ったよりも伸びてしまい。既に、オーザムは氷炎魔団の手に落ちた。主要施設で残っているのは、今では立派な修道院が建設されたこの場所だけ。
いや、もっと早く来られたとして、私にはどうすることも出来ない。私とスカイだけでは、フレイザードを倒すことは不可能だ。私は平気でオーザムを見捨て、そして既知のシスターの無事に安心する。
「修道院全体にマホカトールをかけたので、通常のモンスターなら入って来られないはずです」
「…すごい呪文だわ」
さすが高位の聖職者。この呪文の価値を、ひと目で見抜いたようだ。
「助かったわ。怪我人が多いので、襲来があってもすぐに身動きが取れそうに無いの――」
シスターは、フレイザードが去ったあと町へ降りて、生き残った人たちを保護していた。この修道院は、各地からたくさんの聖職者が『研修』に来ていたし、保護されている女性たちも以前よりずっと増えていたので、人手はある。
「医師と薬と食料――よろしければ男手も用意します。いざという時のために、地下を拡大しましょう」
「ありがとう、助かるわ」
「あとは…ヒャドを使える人はいますか? 」
これだけ聖職者がいるのだから、マヌーサとバギは問題ないはず。私の問いに、シスターはにこりと笑って。
「ここはオーザムよ。保護した怪我人の中に、ヒャドの得意な兵士がいるわ」
ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズも使えそうだ。
「とにかく、襲来があったら逃げる事を最優先に――」
「もちろんよ。生きてさえいれば、建物なんて、いくらでも作れるわ」
それから私は50万Gの入った袋を差し出す。
「あと、こんな時に申し訳ないんですが…このケープ、すごく便利で…フバーハの効果があるので、何度命を救われたことか――すみません、もう少し作ってくれませんか? 」
シスターは、袋の中身を確認すると、大きく目を瞬かせて。それからもう一度にこりと笑う。
「ええ。実は魔王が復活したと聞いてから、用意はしていたの。あなたに依頼されるだろうと思って。マァムにも、以前同じものを…と言っても少しデザインは違うけれど、同じものを渡したし。あなたは相変わらずのようだけど、あの子は随分変わったわ――お金は遠慮なく頂くわ」
この世で唯一の大魔道士は、二度目の私の訪問を、とても面倒くさそうに迎えてくれた。もちろん今回も、魔法の聖水2ダースを持参で。その辺の抜かりは無い。
「ったく、最近この辺を気球がうろついていると思ったら、今度はお前か――何の用件だ」
「はい、アバン先生が復活したハドラーにメガンテを掛けたものの失敗し、死んだ振りをして破邪の洞窟に篭った話をしに来ました」
「――まあ、上がれ」
こんな重大なこと、誰にも言わず胸にしまっておくなんて私には無理だ。できるだけ共犯者を作っておきたい。それに、元パーティーのマトリフ様へ、アバン先生の状況を報告するのは、至極当然のことだろう。
「なるほど、復活して強化されたハドラー、魔王軍、大魔王バーンね。けっ、面倒くせえ話を持ってきやがって」
スカイは外だ。バルジの大渦上空を見張っている。
物語への合流を、この場所に選んだのには訳があった。私の力が唯一必要とされるのが、この地点なのだから。アバン先生が死んだことになっている今、この世界で私だけにしか出来ないあの技が――。
「弟子の成長を促すために、死んだ振りして自分は気楽に修行ね――あいつらしいっちゃらしいが……で、この事を知っているのは? 」
「私と、スカイと、マトリフ様――そしてレイラさんです」
オーザムの修道院での手配を終えると、次に向かったのはネイル村。マァムたちが無事合流できたのかを確認するためだが、単純に心配だったというのも本音だ。
「マァムは、アバン様の弟子と一緒に旅立ったわ――あの子も変ったから、あなたびっくりするんじゃない? 」
なにやらマァムは変わったそうだ。なに? 胸? 更に成長したと!?もう、勘弁して欲しい。確かまだ16でしょ。
レイラさんにアバン先生の放蕩ぶりをチクると、大笑いされた。
「やっぱり、あの方が死んでしまっただなんて、信じられなかったから…それにしてもあの方らしいわ。大丈夫、あなたたちの事を信頼して、あなたたちに任せておけば大丈夫だと確信しているから、安心して冒険に出たのよ。本当にピンチになれば、必ず駆けつけてくださるわ」
それからロモスでマァムたちの足取りを確認し、パプニカでは胸が痛んだ。仕方ないのだ。私の計画には、パプニカの襲撃が必須で。そしてレオナ姫の存命も。だから、ここは慎重に、確実に行わなければならない。万全の準備をした上で。
カラフルな花火を確認したのが先ほど。それからすぐ、ここに来た。
「長い! 」
イブを含ませた緑の紙を見せながら、ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズの説明をすると、まず命名をダメ出しされた。
「なるほど、イブの幻覚作用をマヌーサで増幅、操作し、その煙をヒャドに閉じ込めてバギで撒き散らすというわけか」
「はい、もともとはスカイのブレスを前提に作ったので、放出方法に関しては考えていなかったんですけれども、バギでやったら案外上手くいったので」
「マヌーサ、バギ、ヒャド…駆け出しの魔法使いや僧侶、賢者でも3人集まれば大魔道士様並みの大呪文が繰り出せると――チッ、気に食わねえな」
そう言いながらも、マトリフ様は緑の紙を細かく千切り、呪文を詠唱したり、よく分からない液体に浸したりと、とても楽しそうなご様子で。
「お気持ちはお察ししますが、私ごとき凡百の一市民が恐ろしいモンスターに対抗するためには、こういう小細工に頼るしかないわけで」
けっ――マトリフ様は鼻白んだ目で。
「おい、ソウコ! 薬品と3種類の下位魔法を組み合わせて、大魔道士でも再現不可能な魔法を作り出そうなんて考えるような女を、この世界じゃ『凡百』とも『一市民』ともいわねえ」
「…」
いや、まあ、私の発想じゃないんだけれども。ほんの数日前、優秀な弟弟子が最強の兄弟子に対抗するため編み出した方法――それを事前に漫画で読んで知っていたから、ここまで行き着いたわけで。
まあ、それを言うととても面倒なので、私の手柄ということにしておこう。
「それと、もうひとつ…これを見ていただきたいんですけど」
差し出したのは、小瓶。中には、楊枝状の結晶が1つ。モルヒネを煮詰めた聖水を、更に煮詰め水分を完全に蒸発させて出来た、アスクレピオスの杖。どういうものかよく分からないので、鑑定してもらおうと思ってきたのだ。
それを目にした途端、マトリフ様の顔色が変わった。
「お前――」
「アウアウアウ――アウー!!!」
突然、スカイの咆哮。合図だ。
「マトリフ様、ちょっと様子がおかしいので見てきます」
「お、おい――!!」
「リリルーラ」
更に面倒を持ち込む気か――そんな言葉が聞こえた気がするが、気のせいだろう。
キャットバットのスカイは本当に賢くて、頼もしくて、常に最高の結果を出すかけがえの無い相棒。
「わああ――!!今度は吹雪か!!??落ちる落ちる、渦に!!」
「バシルーラ」
聞き覚えのある声に懐かしくも苦笑いしながら、私は下降しつつある気球を岸まで『飛ばし』た。多少嫌な音はしたものの、着地による人的被害はなさそうで一安心。
「…たた、なんなんだ一体」
「ちょ、どこ触ってんのよ!!」
「いて――!!」
前言撤回。被害者約一名。
「はは、相変わらずだね」
懐かしい。思わず駆け寄ると、驚いた顔がふたつ。
「そ…ソウコ!!ソウコね、ソウコなのね!?ソウコ――!!」
「ソウコって……わっ、ソウコ!!」
気球から飛び降り、私のほうに駆け寄るふたり――マァムとポップに、思わず手を伸ばすと、ポップに堅く握り返された。
「マァム、ポップ、久しぶり――ネイル村で話は聞いたよ」
「ソウコ!ソウコ…!!」
「――ぐひっ」
マァムにそのままジャンピングハグをお見舞いされ尻餅をつく。いや、私はいいけれど、なんか背負っていたものが落っこちたんじゃ――。
「うっ、グス…ソウコ、ソウコ……先生が、ヒック…おれ――またアストロンで、何も出来なくて……」
「あのね…うっ・・・ううっ、ヒュンケルが、ヒュンケルが私たちを助けるためにマグマに――わあーん!!ソウコ、ソウコ!!」
子供のように泣きじゃくるふたりに、思わず私の涙腺も緩みかけた。あの恐ろしい魔王軍相手に、どれだけ大変な思いをしてきたのだろう。ふたりの体にところどころ残る傷跡の数々が、それを物語っていた――が、ここで私まで泣くわけにはいかない。
ていうか泣き虫だなあアバンの使徒は。
何とか上半身だけ起き上がり、宥めるように右手でポップの、左手でマァムの背中を擦りながら、私はふたりの様子をしげしげと見た。
うん、変わった。驚いた。
「ごめんね、大変な思いをさせて…。だけど大丈夫、これからはきっと全部上手くいくよ。だってふたりはアバン先生の弟子なんだから」
私の言葉に、ふたりとも胸元に手を置いて。それからマァムは思い出したように、背中を振り向いた。そこには先ほどまで背負っていた『落下物』が、頭を擦っていて。
「ピーピピピピ!!! 」
「ごめん、つい落しちゃった!!大丈夫? ――ほら、あの子が話していたソウコよ」
「いてて――あ、レオナは!!レオナは無事なの!?」
マァムは悲しそうに目を瞑り、首を横に振った。
「でも大丈夫、ソウコが来てくれたから――うん、多分。大丈夫かな…? とっ…とにかく、私たちにはまだ心強い…とは言えないかもしれないけれど、仲間がいるわ! 」
「え――ソウコって…アバン先生の弟子で調合マニアの? 」
マァムは少年の肩に手を取って、私の前に連れて来て。それはとても小さな、本当に小さな男の子だ。
「紹介するわ、ソウコ。この子がアバン先生の最後の弟子――小さな勇者ダイよ」
それが、2年間待ち望んでいた勇者との出会い。