異変は、突然。
予測していたのにほぼ近いタイミングだったお陰で、準備は粗方整っていたのが救いだ。
そのとき私は丁度マリアさんのカフェで、数人の医師とコーヒーを飲みながら談笑していた。コーヒーの認知度は徐々に上がりつつあるが、提供してくれる店はまだまだ少なく、カフェはコーヒー目当てのお客でそれなりに賑わっていた。
「ソウコさん!!村の外に、大量のモンスターが!!」
来た――!!
思わず立ち上がり、我に返って、報告に来た町の衛兵に状況を確認する。知っていたことなのだ。ここからは、何が起きても予定通り行動しないといけない。何が起きても、誰が傷ついても。
勇者を1人にしないために。
「落ち着いて――何が起きてるの? 怪我人は? モンスターの詳細は!?」
医師の手当てを受ける兵士の様子を観察する。怪我はそれほど深くないらしい。医者が言うのだから間違いない。
「腕が…泥のような腕が突然地面から出現して…倒しても倒しても次々と…!!我々で抗戦しているのだけど、あの数が相手では――もう、そこまで迫っていて…」
「マドハンド!?」
場違いに喚起の声を上げるシンプソンさんのことは、とりあえず無視する。
マドハンド――タイマンならば今の私のレベルでもなんとかなるが、複数相手はきつい。しかも増幅するのだ。
「分かった――とりあえず町の人たちは地下に避難!!外には絶対に出ちゃ駄目――!!!!採掘場にも伝えて。男手は必要だから――それと、お抱え魔法使いのルーシーをつれてきて。周辺の村にも連絡をして、被害状況を確認し合うの。ルーラじゃ危険――打ち落とされる可能性があるから…連絡は地下通路を使って!!」
鉱山の多い、ベンガーナ周辺の町同士には、その発掘技術を利用し、地下道が張り巡らされている。また、教会や庁舎には、いざとなれば町民全員が数日間避難できるほどの大きな地下室が、どの町にも備えられている。
全て15年前、魔王ハドラーによる侵略の際作られたもので、それらの地下施設は今でも生きていた。
「この町、なぜか医者の人口密度が高いから…怪我人は生きてさえいれば何とかするって、周辺の町に伝えてね――スカイ行くよ! じゃあ、後は宜しく! 」
カフェに残った医師たちに、高いハードルを用意すると、私は店を飛び出す。
「あらあら、これ、キリが無いじゃない」
ルーシーの言うとおり、マドハンドは倒す側から増幅していた。衛兵たちも、体力の限界が近い。
「でも、実験には持って来いってとこね」
「まね――みんな、ここはわたしたちに任せて、町の中を――いい!?かなり危険だから、今から30分間は屋外に出ないよう徹底して! 」
「ソウコさん――でも…」
「うーん、貴方たちお邪魔なの。大丈夫、ソウコはこう見えて、『あの』勇者様の弟子なんだから」
一言多いが、私の評判はこんなものだからもう慣れた。
ルーシーが上手く説得してくれたお陰で、衛兵たちはその場を離れ、町の中へ。周囲に逃げ遅れた人もいない。
「ルーシー、スカイ、私がひきつけている間に準備を!!」
「アウー」
「オッケー、任せて頂戴」
ルーシーの胸元、そしてスカイの首にも、私がつけているものと同じ、この町の坑夫の家に伝わるカメオ。ルーシーはネックレスを首から提げ、スカイは小さなリングをコールブレスに引っ掛けている。被毒を避けるため――これから繰り出す、ルーシーとふたりで開発した、多分最悪の呪文に備えて。
「――つうか、リアルで見るとキモイ…!!無理無理無理、これでも食らえ!!」
ルーシーとスカイを守るように身構え、液状の痺れ眠り薬をたっぷり注入した、ジャンクさんから貰ったロン・ベルク作の投げナイフを4本、同時に放つ。4本ともそれぞれ、手前に居たマドハンドたちに命中し、彼らを痺れさせ、ゆっくりと眠りに導いた。
襲い来る敵たちを空裂斬で薙ぎ払いながら、ルーシーとスカイの状況を確認する。
「――」
ルーシーの足元には燃える紙。立ち上る緑の煙に向かって、詠唱を始める。その頭上には、大量の魔法力蓄えたスカイが。
「――!!」
その隙に、足元から大量のマドハンドが発生した。
「っや――――!!」
両足を泥の手で地面に固定され、私のちからでは脱出できない。気付けば、泥の手は背面にも、側面にも。
「っが!!」
腹部を殴打される。身動きできないこの状況では、衝撃を逃がすことが出来ず、ダメージは全て体に響いて。内臓が押し上げられ、口の中に酸っぱい鉄の匂いが充満した。
私を素通りしたいくつかのマドハンドは、そのままルーシーとスカイに向かう。
「そ…ソウコ――!!」
私を信じ、無防備だったルーシーは複数のマドハンドに取り込まれ、泥の中へ。
「アウアウアウ!!」
助けようとしたスカイの羽にも、泥の塊が。重さで飛ぶことが出来なくなって、そのまま落下し、待ち構えていた泥の手に、握りつぶされる。
「いやあああああああああああ――!!! 」
悲鳴を上げた口の中に、泥の塊が。口内にこびりつき、岩のような硬さとなる。そしてそのまま顔面を殴打されると、歯は簡単に折れ、吐き出す血に混じって、泥の中に沈殿して行く。
泥に縫い付けられ、動けない私の目に、マドハンドに襲われる衛兵たちの姿が映った。私にこの場を任せ、倒れそうな体に鞭を打ち、町人を批難させるため、町へ戻ろうとする彼らを、泥は無常にも取り囲み。
「――――――!!」
更に、大量のマドハンドが、町の中を襲う。逃げ惑う人々を嘲うかのように。
私の家も、病院も、カフェも、協会も、庁舎も、定食屋も。
「!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
シーボルトさん、マリアさん、医師たち、シンプソンさん、若いシスター、町長、坑夫の家族。私を信じ、協力してくれた人たちが、泥に飲み込まれていく。
「っっっっっ――!!!!!!!!!!」
その光景を目に、叫ぶことも、倒れることも出来ず。
私に出来ることはもう――。
正気を、失うだけ。
そんな夢を、見ているのだろう。
「あらまあ、てきめんね――怖いくらい」
涼しい顔をしているが、ルーシーの米神には冷や汗が。足元には灰になった緑の紙の残骸。そして視線の先には、恍惚に眠るモンスターたちの姿。
「上手くいった――ありがとうルーシー、スカイ」
「アーウ」
「気にしないで、これも仕事のうち。そう、愛と平和とお金のため――それに魔法使いたるもの、一生に一度はこんな大呪文を使いたいと思うものよ」
確かに、とんでもなかった。
数百ものマドハンドが、一瞬で極上の眠りに付く。そんな呪文、まさか流石のマトリフ様でも――いや、あの人の事だからもしかして。
「それにしても、マヌーサにこれだけの可能性があったなんて――うん、意外」
ルーシーは、呪文を繰り出した右手を、そして足元を感慨深く見詰めた。
「まるで、大魔道士にでもなった気持ち。この緑の紙と、スカイ――そしてソウコのお陰ね」
緑の紙は、溶かしたイブを染み込ませたもの。それを燃やし、発生した煙に、ルーシーがマヌーサを混ぜる。イブの幻覚作用と、マヌーサの幻覚作用――二つが合わさった煙に向かってスカイが凍える吹雪を吹きかければ、氷結した煙が、空の向こうまで飛んで行って――それはまるで、ダイヤモンドみたいに。ルーシーがダイヤモンドを飛ばしたみたいに。
ダイヤモンドの吹雪を受けた敵は、イブとマヌーサで何倍にも増した、夢の世界に囚われる。それはきっと、サイケデリックな不思議の世界に――なんて言う悪夢。
そうなってしまえば、後は空裂斬で地道に消していくだけ。
「ソウコってば、やっぱりアバンの使徒なのね・・・」
「……もし他の町が襲われても、これなら何とか迎撃できそうだね。マヌーサの使い手ならどの町にも1人くらいいるだろうし…ブレスがなくても、バギやヒャドなんかを組み合わせればいけそう。後は連携だね。上手く地下通路を使って周辺の町と連絡を取りながら、状況を確認して、常に先回りを……」
「そうね。これなら私たちでも、一先ずは町を守れそう――」
「せめて3日は持ってもらわないと」
「3日!?」
「3日待てば――」
3日後、この世界に勇者が誕生するのだから。
「名前、付けないとね。この大呪文に――そうね、ソウコの作った呪文だから、ソウコマジックなんてどうかしら? なかなかでしょ? 」
ネーミングセンスに関しては、もはや突っ込む気力も無い。
私はふと、思いついた名前を口にする。辛抱強く夢のような話に付き合い、これだけのモンスターの前で大呪文を成功させた、賢く勇敢な魔法使いに敬意を表して。
「何それ、長すぎる――せめて頭文字を取ってLS…」
「いやいやいや、それはまずい」
慌てて、最後の一文字を塞き止めた。それは、色々と問題がありすぎる。
ルーシーとスカイによって編み出された、ダイヤモンドの呪文。これしかないでしょう、どう考えても。
「まあ、悪い気はしないわ――呪文に自分の名前が入っているなんて」
Lucy In The Sky With Diamonds――。
それは曲名。私が始めてイブの世界を訪れたとき掛かっていた、3分29秒の夢。サイケデリックな不思議の国の物語。もしくは子供の白昼夢。
「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズか――うん。やっぱり長いわね。センスゼロ」
呟いたルーシーの瞳は、まるで万華鏡みたいに――。
ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズを省略表記すると、R-15タグをつけなければいけない気がするのですが、いかがでしょうか?
問題ないのであれば今後はアルファベット3文字表記も検討したいのですが・・・。