世界最悪の女   作:野菊

29 / 42
世界最悪の女、戦いが始まる 1

アスクラスの町に戻ってからは、目の回るような毎日だ。

なんせ具体的な時期が分からない。手がかりはマァムとポップの年齢だけ。

留守中、シーボルトさんはじめ近辺の医師たちがかなりモルヒネの臨床実験を進めてくれたのが、救いだった。

「これで依存性に関しては、ほぼ解決なのですが――ただ、コスト面がネックですね」

自宅に篭りっぱなしですっかり出不精になった私は、ベンガーナのサロンも随分ご無沙汰で。それでも私に会いたいという奇特なお医者様は大勢いて、最近はシーボルトさんのところに、この地方の医師たちが集まるようになっていた。中にはそのまま町に居つき、増築したシーボルトさんの病院に勤務する物好きも。

意外に商魂逞しかったマリアさんが、病院の隣にカフェを開いたので、私の食事もそこでお世話になることが殆どで―とはいえ、研究に熱中してしまうと、それすらままならないのだけど。

「あー、聖水の件だけど、何とかなりそう」

「――本当ですか!?」

「うん、教会にはちょっとしたコネがあるんだ」

「ならば、モルヒネの安定供給も、夢ではなさそうですね」

モルヒネ使用の副作用の中で、一番懸念していた依存性と幻覚は、精製時、聖水で煮詰めることでほぼ解消されることが分かった。

粉末と錠剤を比較した際、錠剤のほうが副作用の出づらい傾向があることで発覚したのだ。錠剤への成形には、少量の聖水を使用している。

医師たちの慎重な投与と、詳細なカルテのお陰で、まさに夢のような鎮痛剤が誕生したのだ。

「それでは、名前を考えませんとな」

ベンガーナ王室で筆頭侍医を務め、数年前引退してからは後進の育成に奔走している、世界中の意志が尊敬してやまぬ老医師が、コーヒーに砂糖を落としながらそう言った。

私たちに協力してくれているのは若手の町医者が殆ど。権威の中心にいるお医者様からしてみれば、眉唾な小娘の戯言とも取れるモルヒネの研究だ。にも関わらず、老医師はこの研究に将来性を見出し、ずっと助力してくれた。

若者に混じって徹夜でカルテを眺め、古い文献を提供し、遠くの医師たちに協力を仰いでくれたこの人のお陰で、保守的な人たちに馬鹿にされ挫けかけた若い医師たちも、モチベーションを保つことが出来た。危険な臨床実験への批難から身を挺して庇ってくれた。

新しい薬のために。

「ソウコ君が作った夢のような薬だから――ドリームソウコなんてどうだろうか」

――やっぱり、ドラクエのネーミングセンスだ。

年長者への礼を尽くしながら、私はその名を断った。第一、モルヒネの完成は私一人の力じゃない。たくさんの人たちの努力が、希望が、この町に集った結果だ。

「――アスクラスの結晶、なんてどうでしょうか? 」

私の意見を聞いていた1人の医師が、そっと呟いた。

ホイミも、キアリーも、ザオラルも使えない。そんな若者たちが、それでも人の命を救いたいと一生懸命勉強して、医師になり――だけど結局いつだって最後に頼られるのは、僧侶や賢者の呪文。

王族の臨終を確認するのは、医師ではなく聖職者。この世界では、聖職者の蘇生呪文が、国王に与えられる最後の治癒だった。

「魔法にはまだまだ及ばないかもしれないけれども――知識があれば、誰でも使える。誰にでも投与できる。たくさんの人を救える――そんな薬が出来るのは、まだまだ先かも知れないけれども、アスクラスの結晶は、その第一歩になればいいと思います」

 

 

 

聖水も、大量購入を条件に、かなり安価で入手することが出来た。

オーザムのシスターが功績を認められて大出世したことと、ロモスでの調査がきっかけで、世界中の教会に新しく戸籍管理の任が与えられたことで、教会に強いコネクションが出来たおかげだ。

戸籍管理は教会にとっても悪い話ではない。新たな仕事を与えられれば、その分国から予算を頂けるし、住民の詳細な情報を把握していれば、布教活動もやりやすくなる。

もともと僧侶は賢者に対してコンプレックスがある。実力のある僧侶は賢者に転職して、宮廷に入ったり、弟子を取ったり、パーティーに混じって大発見をしたり。

一般的にも、僧侶より賢者のほうがすごい! という認識があった。国王は教会よりも一賢者を尊重するきらいがある。そこにきて、戸籍管理という大事業を任されたのだ。教会の権威は一気に上がり、そのきっかけを作った私への好感度はうなぎのぼりである。

新たなプライドと収入源を手に入れた教会にとって、聖水を安く買い叩かれるぐらい、痛くも痒くも無い。

「いつものホイミ、お願いしまーす」

アスクラスの教会も、お陰ですっかり顔馴染みだ。

20代前半のシスターは、いつものように私が持ってきた樽一杯の『肥料』にホイミをかけてくれる。これでソレッタの土の出来上がりだ。

「すいません、毎回甘えてちゃって」

「いいの。それより、レイラ様のお話を聞かせて」

勇者の仲間で紅一点だったレイラさんは、15年前少女だったシスターにとって憧れの存在で。何でもレイラさんに憧れて神職に就いたというのだから、ものすごい影響力だ。

「そうだなあ――レイラさんは料理も上手で、豪華って言うわけでもないんだけれども…なんでもない食材を、ちょっとしたひと手間で…そう、例えば塩。この塩も、普通の塩じゃなくって――色々なハーブを混ぜたものを使っていて、それを掛けると何でも美味しくなるんだ。例えば――」

この話ももう3回目だが、若いシスターは特に突っ込むことなく、目をキラキラさせながら私の話を聞いていた。気持ちは分かる。若くして勇者と魔王に立ち向かい、ママになっても僧侶としての力を失わず、世界を救った聖女。平和になってからは、妻として母として家族を支え――。

女の子からすれば、勇者よりも崇拝の対象になるだろう。それに、レイラさんはシスターの期待以上に素敵な女性だ。

「私はまだまだ修行中の身で、呪文も初歩の回復呪文しか使えません。ただ――私の力が少しで世界の役に立てれば」

彼女が私に毎回ロハでホイミを提供してくれるのは、レイラさんの話と引き換え――というよりも、私がアバン先生の弟子だからという理由のほうが大きいのだろう。

レイラさんと同じく、勇者に関わる私。そんな私がやっていることは、きっと世界を救う大きなことだと思っている。だから惜しまず力を貸してくれるのだ。特に理由を尋ねることもなく。

「――」

私は彼女の期待に応えるような高尚な人間じゃない。

だけど。

彼女の力は、きっと――勇者を救えるはず。

 

 

 

この町のお抱え魔法使いルーシーは、お金さえ払えば気前よく魔法を使ってくれる。

「じゃあ、マヌーサをお願い」

「オッケー、1マヌーサ70ゴールドね」

おまけに、何を血迷ったか僧侶を目指していた時代があったようで、初歩的な僧侶の呪文も使える。

お陰であのシスターには頼めないようなことも、気軽に相談できた。

「70って――!!高っ、せめて2マヌーサ50ゴールド、プラス魔法の聖水1個」

「むうっ――分かったわ。お得意さんだし、大オマケよ」

私達が留守の間も、地下の冷室を維持できたのは、彼女のヒャドがあってのこと。温帯席で温室、冷室を管理していて、温めるのは火に掛ければ済むのだが、冷やすのはそうもいかず。氷はなかなか手に入らない。スカイがいればブレスで解決するのだが、留守中ではどうにもならず。そういうわけで、ヒャドを使える彼女に力を貸してもらっていたのだ。お陰で随分散財した。

「それにしても…マラリーサね。さすが大魔道士様、信じられない魔法を使うわ」

マトリフ様を訪れた時、掛けられた呪文――私を溶岩原人のステージに送った、多分幻術に近いもの――を再現できないかと、彼女に相談し、今は試行錯誤の最中。

弟子を名乗るなとは言われたけれども、親交を隠せとは言われなかった――筈。

マヌーサではあそこまで強い幻覚を与えることが出来ない。メタパニは私の想定しているものと少し違う。

相手に、リアルな夢を与えるような薬。イブだけでは駄目だ。アダムもイブも、経口、もしくは粘膜からの摂取で効果が出る。粉末にして相手に投げつければいいのだが、想定している使い道はもっと広範囲。そうすると大量のイブが必要になる。ソレッタの土を使っても、そこまでの量産は厳しい。どちらかといえば、アダムを優先したいのが本音だ。

阿片とのブレンドも視野に入れているが、マヌーサの可能性を試す価値はあった。多分、マトリフ様が使った呪文はマヌーサとラリホーを複合させたものだろうから。

メドローアは、多分メラとヒャドを組み合わせた言葉。それを鑑みれば、マラリーサの名前の由来も想像が付く。

「私程度の魔法使いじゃ、どこまで大魔道士様に近づけるか分からないけれど――うん、出来るだけのことはやってみるわ。愛と平和とお金のためにね」

ヒッピーのようなボヘミアンスタイルを身にまとう彼女は、全ての魔法使いの頂点に立つマトリフ様の名前を出しても、お金はしっかり取る。――教会の若いシスターとは大違いだけれども、ルーシーもまた信頼できる魔法使いだ。

この町を選んでよかったと思う。

素晴らしい出会いと、悲しい別れがあった。

これからの戦いで、強敵を打ち負かす武力こそ無いだろうけれども、彼らにはステータスで表すことの出来ない力がある。

未踏の鉱山を掘り進めながら発展したこの町には、何があっても前に進み続ける忍耐力と、どんな時も仲間を信じるスピリッツが。自分たちの力でこの町を大きくしたという誇りが、そのためによそ者を大らかに受け入れる柔軟性が、新しいことにチャレンジする事をいとわない情熱が、この町にはある。

だから守りたい。

私じゃ世界は救えない。全ての人々に救いを与えることが出来るのは、勇者だけ。

私の力で出来ることは、目の前の人たちを助ける努力をすること。

だから選ぶ。

誰を救うか。

そのためにどうすればいいのか。

勇者を1人にしない――ここに来た時は、それだけが存在意義だった。

アバン先生と出会い、別れの時託されてしまった。先生の愛弟子たちを助けろと。彼らを1人にするなと。

そのためにはもっと力が必要で――先生から学んだこと以外の。私だけの力が。

もっと大きな力を得るための旅で出会った、新たに出来た大切なもの。

布の服と竹の槍、200Gから始まった私の冒険は、今、こんなにも大きく、かけがえの無いものになっていた。

 

 

 

変った出会いもある。

「それじゃあよく分からないので…もっと詳しく、スライムとバブルスライムの質感の違いを――あ? バブルスライムは直に触ったことがないと――なんで!?はあ…じゃあソウコさん、分かる限りで結構なので、バブルスライムの群れの構成を――雌雄、親子の見分けが付かないって!?あんたどこに目が付いてるんだ!?あー、もう。なんなら分かるんだ――!!」

…いや、スライムの雌雄とか分かんねーし。つうか、モンスターって性別あんの?

「あるに決まってるじゃないですか!?ここから説明しなきゃいけないのか…例えば、その素晴らしいキャットバットですが、どう見ても雌ですよね。え!?知らなかった――だと…? 信じられない。ソウコさん、あんた大丈夫か? 」

私の事を、かわいそうなものを見るような目で見下すこの男の名はシンプソン。

元ベンガーナ筆頭侍医が連れてきた獣医で、重度の魔物マニア。先ほどからスカイをぎらぎらした目で見ている。怯えきったスカイは、可哀想に、私のケープの中に頭を突っ込んだまま身じろぎもしない。お尻は丸見えだというのに。

――こういうやつ、いたよな。

中高一貫の女子高出身の私にとって、大学の理学部はカルチャーショックの連続だった。なんせ男女比9:1。どこを見ても男しかいない。臭い汚い金がない――三拍子揃った男子学生に囲まれる生活に、はじめは不安を抱いたものだ。

教室で臆面もなくヤングマガジンを広げる光景に馴染めたのは、それでも『科学大好き』という最大の共通点のお陰。

使用期限が過ぎたマウスの処分を女生徒にばかり割り当てるような、陰湿で歪んだ講師も居たけれど、同級生は基本的にいい人たちで、時にちやほやされつつも、お互い知識や書籍や課題を分け合いながら将来に向け切磋琢磨し合った。

キャバクラでバイトしながら理学部に通うくらいだから、それなりに大きな志を持って挑んだキャンパスライフ。同級生の、広さだけがとりえの汚いアパートで、明け方までいいちこを割りながらそういう話を聞いてくれたのは、同じ人種の男子――つまり飽くなき知的好奇心で生命の神秘の探求を目指す、同じ理系オタクたち。

理論とロマンと戯言の境界をお酒とテンションで曖昧にしながら、「オレはサラブレットの歴史を変える!!」なんて豪語していたのは、何百頭もの競走馬の血統を諳んじられる牧場の息子。

シンプソンさんは、そんな彼らにそっくりだった。

「もともとウチは魔物使いで…ほら、モンスター図鑑を売ったり、武器職人にアドバイスをしたり。幅広いモンスターの知識は、そりゃあ重宝されていたんだ。――先の大戦前までね。それが……勇者が魔王を倒してから、すっかりモンスターも大人しくなりやがって――。……今じゃ人里はなれた山奥にスライムが群れを作っている程度。新種が誕生しないもんだから、モンスター図鑑も15年前を最後に新刊の執筆依頼は皆無……モンスターを見たくても、オレの力じゃダンジョン攻略なんて無理だし――あーあ、15年前に勇者が魔王さえ倒さなければ……」

マリアさんのカフェは、夜になると多少のお酒も出す。医者の奥さんがそれはどうなんだろうと思ったが、誰も突っ込まないので、私も何もいわない。

グラスを傾けながら、勇者の偉大な功績を批難するシンプソンさんに、周りの人たちはひやひやしていて、なんとも微妙な空気になっていた。

まあ、情勢が変れば需要も変るものだ。どんな功績も、批判があってしかるべき。当人の環境により発生した感情について、周りがどうこう言うのも違うと思う。

というわけで、私は何よりもこの場を丸く治めることを優先した。

「………………………うちの先生が、ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」

 

 

 

私が覚えている限り人生で一番初めの転機は、弟の誕生。

長男長女ならば誰でも身に覚えがあることだろう。今まで自分に向かっていたベクトルが、突然やってきた新入りに横取りされる。

親だって完璧じゃないのだ。赤ちゃんの世話をしながら上の子のフォローまでは手が回らず、世の中のお兄ちゃんお姉ちゃんはそこで大きな試練を迎える。

特別なことじゃない。そうやって、少しずつ色々な感情を乗り越えて、人は大人になっていくのだ。

私の場合はそれが「だってお姉ちゃんでしょ」ではなく「だってうちの子じゃないからでしょ」だっただけ。ほんの、些細な差異。

そんな幼少期の経験により、自己主張することよりも妥協するほうが楽だと学習した結果、私はかなりの事なかれ主義者となった。

ある程度社会経験を積めば誰にだって身につくことだが、それが人より早かったのだろう。

そこまで人に立ち入らない、相手の希望に沿った言動を心がける、そしてとりあえず謝る――日本人なら誰でも遺伝子に刻み込まれた本能。何も特別なことじゃない。

大魔道士様には不評だった私の性格は、しかし大学生活を潤滑に行う上で大いに役立った。

アルバイト先では、学費と生活費を賄え、且つキャストの子達から不評を買わない程度の売り上げを保てた。女子生徒からありとあらゆる陰口を囁かれていた特殊性癖の講師のことも、上手くあしらっていた。

べつに肥大化しすぎたマウスを水没させることなんて、なんともない。むしろ好都合で。

ドラッグの経験はもちろんなかったが、イブの多幸感がそれに近いものだということは、容易に想像が付いた。芥子の自生がきっかけで、そういう話は嫌でも耳に入ってきた。だから、イブの発生に芥子が絡んでいるという仮定はすぐに立って。

そして、当時の状況はその仮定を簡単に立証させることが可能だった。駆除の手が行き届かないような空き地に行けば、赤い花はすぐに見つかる。収穫し、あの白い花と掛け合わせ、少し待つだけ。

そして誰もいない実験室で、廃棄を命じられたマウスに与え続ける。どの辞典にも、データベースにも載っていない2種の植物の、花を、茎を、種を。

悪意なんて何もなかった。探究心と好奇心、そして功名心。私だけが知っている植物は、大きな特徴を備えている――解明したかった。ただそれだけ。

そして、発表しなかったのは、エデン完成直後トッチから「死にたい」と言われたから。

死を願う少女がいる。私の手元には彼女の願いを最高の形で叶える薬がある。私がトッチのために出来ることは、これだけなのだ。

恍惚の表情を湛えながら死んでいくトッチを見ながら、私は自分の使命を確信する。

――それが私の、何度目かの間違え。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。