手に入れたハーブの移殖を急がなければと、取り急ぎベンガーナまで移動する。最近になってやっとルーラが上達し、距離の制限はなくなった。
選んだのはベンガーナ北部にあるアスクラスという町。もっと北に行けばテランに続くが、今回は後回しだ。山に面したこの町は、大都会というわけでもなければ、田舎というわけでもなく、飲食店や娯楽施設、店屋なども一通り揃っている。
単身者が住むには、丁度良かった。
「この物件はいかがでしょうか。中古物件ですが、広さはご要望通りですし、庭の畑に少し手を加えれば、ちょっとした野菜の栽培も出来ます」
不動産屋に案内された平屋の一戸建ては、私の希望にぴったりだった。
以前は鍛冶職人の夫婦が暮らしていたというその物件は、3LDKお風呂付。更に地下室まであり、ひとり暮らしには充分すぎる広さだった。
裏手は林、隣家まで500メートル近く離れている。スカイもなかなか気に入ったようで、先ほどからどたばた走り回っている。
「うん、買います! 即金で!!」
胡散臭そうな顔をしていた不動産屋も、私が20万ゴールドを差し出せば、即座に契約書を作ってくれた。それとは別にお金を渡し、掃除や修繕、畑の復旧手配をしてもらったので、スムーズに入居することが出来た。
ベンガーナのデパートで購入した一通りの家具も、ルーラがあるので簡単に運ぶことが出来、夕方までには配置をすませる。
「晩御飯食べてくるから、スカイは留守番お願いね」
近所の定食屋は、味はまあまあだったけれども、安いし雰囲気も落ち着いていた。野菜炒め定食を頬張りながら、新居に必要なあれこれに思いを巡らせる。
ベッドメイクが面倒で、リビングのソファで眠ってしまったけれども、寝心地は悪くない。かなり奮発したソファは、本当は白にしたかったのだけれども、スカイが居るのでインディゴを選んだ。春先になると抜け毛が酷いのだ。
3部屋あるうちの一部屋は寝室。もう一部屋は物置。
一番広い部屋に本棚を置き、午前中いっぱいかけて預かり所から引き上げた本を並べる。調合台やデスクを配置し、棚に道具やハーブ類、今まで調合した薬品を収納すれば、いっぱしのラボが完成だ。何か物足りない気がし、暫く悩んで、パソコンの存在に行き当たる。
「データベースが作れると、かなり便利なんだけどな」
旅の最中記録した植物の特徴、薬効、利用方法、それからレシピの束を見て、ため息をつく。ないもの強請りをしても仕方がないのだ。
「よし、次は地下だ。スカイおいで」
「アーウ」
地下には部屋が2つあり、手前の部屋は囲炉裏付き。前の住人は鍛冶職人と聞いていたので、ここで作業をしていたのだろう。部屋と部屋を仕切る壁はかなり厚い。
囲炉裏に火を入れ、購入したプランターに、畑の土と『ソレッタの土』を混ぜたものを入れて行く。
ソレッタの土は、アバン先生から貰ったもので、植物の成長を促進させる効果のあるアイテムだ。昔パデキアが全滅しかけた時、この土のお陰で難を乗り越えたという伝説がある。
私がパデキアという植物を名前しか知らないこと、調味料としての認識しかないことに、先生は大層驚いていた。この世界では、割とメジャーな植物ということなので、もしかしたらゲームに出てくるのかもしれない。ドラクエに関しては、スーパーファミコンで発売されたものしかやったことがないのでよく分からないのだが。
弟は、私がダイの大冒険を読み終えたと知ると、次にゲームのドラゴンクエストと攻略本を差し入れしてくれた。
死刑囚は、刑の執行を待つこと以外何もする必要がない。ただ精神状態を維持するだけ。そのため、差し入れに関しても他の受刑者に比べると、随分寛容なのだ。
拘置所によっても差はあるのだろうけれど、私の場合はスーパーファミコンの許可が下りた。プレイステーションは駄目だったので、ドラクエはⅠからⅢ、Ⅳを飛ばしてⅤとⅥをプレイ済み。特にⅤは、4,5回クリアした。
多分プレイステーションはDVDの再生も可能なので、家電製品と判断されてしまい、許可が下りなかったのだろう。交渉すれば何とかなったはずだが、電気代を税金から負担していただいている身分で、そこまで図々しいことは言えない。
漫画に出て来た呪文がゲームにも出てくるのは感動したし、ゲームをプレイすることで分かった台詞の意味もいくつかあった。
それに、この世界に来てゲームの知識はかなり役立っている。武器やモンスター、呪文などは、ゲームのお陰でかなり理解をしやすかった。
私の事件は、かなり世の中から注目を集めていたということもあり、拘置所の待遇も慎重だったのだろう。
入信することもなく、週3回手紙を書くことと、大量に届く手紙を読む以外は何をするわけでもない私が情緒不安定にならないようにと、ゲームが許可されたのだと思う。労役の義務がないので、朝起きて運動をすればあとは何もする必要のない生活の中で、すっかりゲーマーになってしまったのだ。
そんな私がこのアイテムの存在を知ったのは、別れ際に餞別として先生に頂いた時。私の役に必ず立つはずだと、レシピも一緒に。
いってみれば肥料である。作り方は簡単で、土に砕いた貝殻や牛脂、木炭など、手に入りやすい材料を混ぜるだけ。ただ、完成には生命の活性化を促す強き言葉の詠唱――即ちホイミが不可欠なのだ。
もちろんホイミは使えないので、どうあがいても私1人で作ることは出来ないが、すぐに必要なだけの量は充分ある。
その土に、以前破邪の洞窟で手に入れた植物の種――この世界での名称は不明なので、芥子と呼ぼう――を植える。地下といえども、天井付近に窓があり、この時間帯であれば灯りは不必要なくらい日は入ってくるし、暖かくしておけば育つだろう。
そして奥の部屋。隣の部屋の熱気が伝わっていないことを確認し、こちらにも同じようにプランターを作って、オーザムでシスターに分けてもらった苗を2つ移植する。
「スカイ、お願い」
「アーーーーーーウウウウウウウウウウウ」
スカイの吐いた息の威力は、前より上がっている気がする。マヒャド並みに成長してくれると個人的には助かるのだが。
「よし、充分。ありがとうスカイ」
温室と冷室が出来た。これで、自家栽培できる品種の幅も広がる。あとは、温度管理に必要なあのアイテムを入手するだけ。
「じゃあ、温度管理と火の元の注意だけお願いね」
「アウアウアウ!!」
囲炉裏の火は付けっ放しだが、燃え移った時に備えて、水を張ったバケツを用意しておく。スカイは暖かい場所が大好きなので、温室に篭るはずだ。もし火事になっても、消火作業くらいはできるし、最悪息があるので心配はない。一酸化炭素中毒の予防に、窓も開けておいた。
冷室のほうも、2時間に一回くらいは温度を下げるよう頼んで、私は山へ向かう。
この場所を選んだ理由は、色々ある。
よそ者の単身者でも住みやすく、生活に便利な店が近くて、治安がいいといったことはもちろん、ベンガーナなら魔王軍の被害をあまり受けないということも、大きな理由のひとつだ。
そしてもうひとつの理由が、このあたりの地盤から、温度管理に必要なアイテムである、温帯石が採掘できるから。
向かっているのは、モンスターが住み着いたせいで閉鎖した採掘場。店頭で買えば拳大の大きさで50ゴールド。必要量を購入するとなると、結構な額になる。むしろそれだけの量を購入する人など、まずいない。
広範囲の暖房であれば暖炉を使ったほうが効率的だし、冷房に関しては、そもそも夏は暑いものという認識があるので、打ち水や水分補給、食事と、衣服による温度調節以上の対策はほぼない。
そのため、部分的な保温以上の使い方をしてこなかったのだ。
採掘者にとっての温帯石も、鉄鉱石の副産物という認識だ。そのため、廃坑には捨てられた温帯石が大量に残っているのである。
「レミーラ、レミラーマ」
もちろん私に鉱石を見分ける能力はない。足を踏み入れるやお馴染みの呪文を唱え、『お宝』を目指す。
入り口付近で見つけた手押しの荷台のタイヤに、嫌な感触があった。
「――――っっっ!!!!」
足元を確認するや絶句。
「シャー!!! 」
「ひっ、やだ、やだ無理無理無理――とととと…トロへス!!! 」
詠唱すれば、大量の火炎ムカデはその場から四散した。――モンスターについてもっと確認しておけばよかった。
何あの色。何あの動き。これ以上出現されたら、精神的に耐えられそうもない。ここに来るまでに、いくつか大きめの温帯石を見つけたので、この周辺の探査をしたら引き上げよう――。
「うわー!!!!!!」
思わず駆け出した。洞窟の奥から反響する、男性の悲鳴。先客がいたのだ。多分、今のトロへスで奥に逃げた火炎ムカデの餌食に――まずい、火炎ムカデは火を吐のだ。
「やめろっ!!わああーーー!!!!!!!!」
3分ほど走り続け、目の前に現れたのは、想像通りの光景だった。
壁際に追い詰められ、あのおぞましいモンスターに囲まれた男が1人。嫌だ、キモイ…なんていっている場合じゃない。
「息止めて!!」
「え…あ……」
「早く!!口と鼻を塞いで!!!!」
動転しながらも手布で顔を覆ったことを確認すると、火炎ムカデに向かって即効性の睡眠薬の粉を投げつけた。
「ルーラ」
強力ではないが、すぐに動きは鈍化した。その隙に男の側まで移動する。
「リレミト」
洞窟を後にし、男を連れて自宅に戻って、井戸水を頭から全身にかける。
「大丈夫? 」
火傷の処置というよりも、睡眠薬を流すために。それに、火炎ムカデの炎に毒素がある可能性もあった。
「今、タオルと――薬を持ってくるので、そこで休んでて」
庭に設置したベンチが早速役に立ちそうだ。
「ありがとうございます、ソウコさん」
「――え? 」
何で私の名前を――思わず男の顔をまじまじと見て、知り間ということに気づく。
「ロモスの――シーボルトさん!!」
間違いない、王女の侍医の一人だ。30前後という若さで侍医の地位まで上り詰めたこの医師のことは、よく覚えている。
ロモス滞在中は色々と面倒を見てもらった。
アバン先生の弟子というだけで、経歴も正体も不明だった私の、この世界には存在しない調合を手伝ってくれた。この世界の医学知識がないせいで、素っ頓狂な質問をしてしまっても、いつだって親切に教えてくれて。
「どうしてあんなところに――とりあえず上がってください」
火打金を暖炉横に置いた石へ打ち付けると、火種はすぐに点火した。
ここに来た頃一番困ったのが、火だった。
カンダタの洞窟では、眠っている間に消えてしまうのを防ぐため、試行錯誤を繰り返したものだ。結局、炭火の上から灰をかける方法に行き着いたのは1週間後。
火打金と火打石で火を起こす方法は、アバン先生に教えてもらった。この世界の人なら子供でも出来ることが、なかなか上手く出来ない私に、先生はそれでも辛抱強く指導してくれて。
呪文が身につかなかったのも、そういうことだと思う。
早く移動したければ車があった。暗ければ懐中電灯。怪我をすれば病院。火を点けたければライター。
私の居た世界では、生活の向上を科学技術で図ってきた。不可思議な事象は観察と推測によって解明した。自然現象を模倣するために技術を培うことに躊躇がなかった。神の御力とされている全てを、大いなる好奇心で紐解こうとしてきた。
どちらがいけないということではない。ただ、あちらの世界では、とんでもないオタクが現れては世紀の大発見をするということが、何度も繰り返されてしまっただけだ。
私も人のことは言えないのだけど。
「はい、これ、あったまりますよ」
お昼の残りのスープに、香辛料を加えたものをシーボルトさんに手渡す。
幸い火傷はなかったが、火炎ムカデから逃げた際に負った擦り傷がいくつかあったので、アジリーゼの心で手当てをすると、その効果に驚いていた。
「また、大変な薬を作り上げましたね」
ライセンス料を頂いている以上、詳細なレシピを教えるわけにはいかないのだが、エリート侍医のシーボルトさんはこの薬の価値をすぐに理解してくれる。
「それで、何でまたあんなところに? 」
「はい、お恥ずかしい話なのですが……実は、母の看病のため城を辞めて……今、故郷であるこの町に戻ってきているんです。亡くなった父は坑夫の棟梁でしたが、僕は昔からこの通り、貧弱で。だけど勉強は出来たので、親戚の伝手を頼り医者の道へ進みました。両親は随分応援してくれました。そんな父が5年前亡くなり――」
つまり、夫に先立たれた母の介護のため、栄職を辞して地元に戻ってきたのだ。なんと親孝行なことだろう。
親の介護と銘打って、地元で不倫していた養母に、爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。
母親の病状はいよいよ篤く、現在の医術では手の付けようがない状態だという。
「腹の中に腫れ物が出来て…それが全身に広がっている状況です。同じ症状の患者は何人か見てきましたが、この病は手の施しようがありません。酷い痛みで、食欲も落ち、段々痩せて……最後は…」
多分癌のことだろう。かなり転移しているようなので、もし手術や抗がん剤が存在したとしても、間に合わない状況。
「情けないです――せっかく医者にしてもらったのに、親父のときも、お袋のときも…何の役にも立ちませんでした。だけど、ひとつ思い出したんです。昔親父があの採掘場に落し物をした事を」
「落し物? 」
「はい――お袋が親父にお守りとして渡したブローチです。毒避けの効果があるということで。昔から、発掘場は毒ガスが出ることがあったので、坑夫の家ではこういったものが割りと代々伝わっていたりするんです――母方の祖父も坑夫でしたので。それが、あのモンスターが住み着いて――モンスターに襲われそうになり、逃げ出した時、落としてしまったみたいで。情けないですよね。医者の癖に何にも出来ず――そんなお守りに縋って――だけどお守りを探すことすら出来ないで……」
炎ムカデに襲われたことに関しては、私にも責任の一端はある。私の先に洞窟に入ったシーボルトさんは、私がトロヘスをかけるまで襲われていなかったのだ。なんか存在感も薄いし、もしかしたらスルーされたのかもしれない。
それは置いといて。
「シーボルトさん、治療は出来なくても、痛みを和らげることは出来るかもしれない」