犬は喜び庭駆け回り、猫はコタツで丸くなる。
冬の定番ソングが俺の頭の中で流れ始めていた。
「あなたたち! なにをしているの!?」
ビアンカの怒声がアルカパの町に響く。その厳しい視線の先には、子供達にいじめられている一匹の獣の姿があった。
燃えるような赤いたてがみに、ツンと尖った大きな耳。警戒心からせわしなく動く、たてがみと同じく赤い尾。それに立派な牙と鋭い爪。豹柄の体は獅子のそれを思わせる。
だが悲しいかな、まだまだ体は幼体のようだ。必死になって抵抗しようにも、その身は子供達にいいようにあしらわれていた。
「なんだよう! 今こいつをいじめて遊んでるんだ! ジャマすんなよなっ!」
「ガルルルルー!」
獣が低く唸り声を上げた。
「変わった猫だろ!? 変な声でなくから面白いぜっ」
「ほら、もっとなけ! ほらほら!」
子供達が調子に乗って獣をつつく。獣は牙をむき出して、先ほどよりも大きな声で唸り声を上げる。そんな獣のなき声を聞いて、ますます調子に乗る子供達。ループ状態だ。
「やめなさいよ! かわいそうでしょう。その子をわたしなさい!」
ついに見ていられなくなったのか、ビアンカが獣と子供達の間に割って入っていった。
「おい、この猫をわたせってさ。どうする?」
「そうだなあ。いじめるのもあきてきたし、欲しいならあげてもいいけどさぁ……」
「うーん、でもなぁ」
「タダでやるのも、もったいないよなぁ」
子供達は、顔を見合わせて思案している。相談はなかなかまとまらないようだ。
その頃俺とリュカも、少し離れた位置で顔を見合わせていた。
「ユート、どうしよう?」
「どうしようって言われてもなぁ」
「ビアンカ、猫さんのほうに行っちゃったよ」
「行っちゃったなぁ」
「どうする?」
「どうしようかなぁ」
上の空で返事を返す俺。相変わらず、リュカは俺に行動の指針を求めてくる。俺はお前のご意見番か? そもそも、お前らの目は節穴かと言いたい。小一時間問い詰めてやりたい。あれのどこが猫に見えるのか。猫は「ガルルル」とかなきません。この世界に虎やライオンといった動物がいるのかどうかは不明だが、あの獣っ子はどう見ても猫というよりそっちの方だろうが。
ぶっちゃけると、こいつはキラーパンサーの幼体であるベビーパンサーとかいう魔物である。いっそ、この場で俺が猫の正体をバラしてやろうか。今まで猫だと思っていじめていた悪ガキどもには、いい薬になるかもしれん。
それに、どの道この獣っ子は後々リュカとビアンカに懐くのだ。ならば、今すぐ連れて行っても同じく懐くだろう。今後話の展開次第でレヌール城に行くにしろ行かなくなるにしろ、戦力は少しでも多い方がいい。報酬の先払いということで、獣っ子を今すぐ渡すのを条件にレヌール城のお化け退治を引き受けることを提案してやろう。ベビーパンサーの力があれば、レヌール城の探索も容易になるはずだ。よし、決定。そうしよう。
「その猫を先に──」
「あなたたち! いいかげんにしなさいよッ!!」
俺の言葉は、ビアンカの声によって遮られてしまった。
「な、なんだよう。大声出しやがって。そんなにこの猫が欲しいのかよ」
「そうだ! いいこと思いついた! レヌール城のお化けを退治してきたらあげてもいいぞ!」
「そりゃいいや。レヌール城のお化け退治と交換で決まりだな!」
事態は俺を置きざりにして、どんどん勝手に進行していく。開きかけた口のまま、ビアンカの隣で固まっている俺。このやり場のない気持ちはどうすればいいのだろうか。
「レヌール城のお化けですって……?」
ビアンカは、怪訝な顔をして眉をひそめた。
「知らないのか? 町の北にあるレヌール城にはお化けが出るんだぜ! とにかく、レヌール城のお化けを退治したらこの猫をあげるよ!」
「お、お化けだろうがなんだろうが、退治してあげるわよ!」
声を荒げ、即答するビアンカ。
勇ましいのは結構だが、声が震えてるぞビアンカよ。
「ふーん? 本当かな? ま、どうせできるはずはないだろうけどな!」
「期待せずに待ってるよ! おい、もう行こうぜ!」
「あ、そろそろご飯の時間か。じゃあな!」
悪ガキ二人は、ベビーパンサーを引き連れて家に帰ってしまった。恐らく追いかけても、レヌール城のお化けを退治するまでは何も言うことを聞かないだろう。えてして、子供とは頑固な生き物なのだ。
ビアンカは「お化け……お化け……」と、ぶつぶつ呟いている。俯いた顔が微かに震えていることから推察するに、内心で何か葛藤があるようだ。
「ユート! レヌール城にお化けが出るんだって!」
「ああ。そうらしいな」
「お化けって本当にいるのかな? ユートは見たことある?」
「いや、ないな」
「そっかぁ。お化けってどんな顔してるのかな? 見てみたいなぁ! ユートもそう思うでしょ?」
「え? いや、俺は別にそんなに……」
「うわぁ! 楽しみだなー! もしお化けと会えたら、お父さんやサンチョにも、きっとじまんできるよ!」
「おーい……」
顔を上気させ、興奮気味に話してくるリュカ。矢継ぎ早に言葉が飛び出すのは、未知なるものとの遭遇に胸を高鳴らせているせいだろう。俺の答えなど、ろくに耳に入っていないようだ。さすが冒険大好きなお子様である。お化けと聞いて、探究心が抑えきれなくなったらしい。
こうなっては仕方ない。俺は溜め息を一つ吐いた後、思考を切り替えることにした。お化け退治を無事に終えることだけを考えよう。さて、さし当たって今からどうしたもんかね。
「お化け……。うぅ……でも、猫さんが……」
相変わらずぶつぶつ言っているビアンカの方へ目を向けてみる。ビアンカは強く噛み締めた唇が青くなっていた。そんなに怖いなら、さっき断ればよかったのになぁ。強情というか、気の強い子だ。もしかすると、俺やリュカの前ではお姉さんぶりたいから虚勢を張ったというのもあるかもしれない。
やがて、ようやく心が決まったのかビアンカは顔を上げた。
「こうなったら、お化け退治をするしかないわね! リュカとユートも手伝ってくれるでしょ?」
「僕はかまわないよ!」
間を置かずにリュカがすぐさま返事をする。
「本当!? リュカったらずいぶんたくましくなったのね! びっくりしちゃったわ」
「うん! このままだと猫さんがかわいそうだし、お化けにも会ってみたいからね!」
「え……? そ、そうね……」
ビアンカが口ごもる。お化けという単語に、思わず反応してしまったらしい。
「ユートはどうするの? もちろん手伝ってくれるんでしょう?」
「ユートも来てくれるよね?」
じっと、俺の目を見つめてくるリュカとビアンカ。きっと断られることなど微塵も考えていないのだろう。曇りのない目は、人を疑うことを知らない純真そのものである。とてもじゃないが、断れる雰囲気ではない。「だが断る」とか言ったら、一生恨まれそうだ。
二人はじっと、俺の答えを待っている。俺がすぐに返事をしないせいか、二人の顔は時が経つにつれて不安そうになっていく。
「はぁ、分かったよ。俺もお化け退治に付き合うよ」
苦笑しながら俺は頷いた。リュカとビアンカの顔は、ぱぁっと花が咲いたように明るくなった。
こうして当初の予定通りとはいえ、俺もレヌール城のお化け退治に参加が決定した。
「猫さん、ぜったいに助けてあげようね、リュカ!」
「うん! がんばろうね!」
さて、それじゃ盛り上がってるお子様達に一つ単純な質問をしてみようか。
「でも、お化け退治っていつ行くつもりなんだ? 俺とリュカは今日にもサンタローズ村に戻るんだぞ?」
「あ」
「あ」
リュカとビアンカの声が、見事にハモった。
……やれやれ。
◇
結論から先に言うと、俺とリュカはしばらくアルカパの町に滞在することが決まった。
まぁ、俺だけは何となくこうなることは分かってはいたが、とにかく掻い摘んで経緯を説明する。
あの後ダンカンへの見舞いが終わったパパスが、俺とリュカを連れてサンタローズ村へ帰ろうとした時だった。
「パパスさん、パパスさん! このまま帰るなんてとんでもない! せめて今日だけでも泊まっていってくださいな!」
宿屋の人達が、そう言ってパパスを引き止めたのだ。
「それではお言葉に甘えることにするか」
パパスは快くその申し出を受け、
「ああよかった。どうぞこちらへ」
「じゃあパパスさん、どうぞごゆっくり」
あれよあれよと俺とリュカも部屋に案内されて、
「さてと……。明日は早く出るぞ。村の皆が待っているからな。今日はもう眠ることにしよう。おやすみ、リュカ。おやすみ、ユート」
と言われて、パパスと共に床についたまではよかった。異変はすぐに起きた。ベッドに横になったパパスが一時間もしないうちに、くしゃみを連発し始めたのだ。
「ハクション! ハクション! うう、頭が痛い……。どうやら、ダンカンのやつに風邪をうつされてしまったらしいぞ。情けないことだ」
そこからは大騒ぎ。宿屋の人がダンカンへ用意した薬と同じものを大慌てで処方したり、「薬など飲まなくても大丈夫だ」と言い張るパパスに強引に薬を飲ませたりと、気がつけばあっという間に一夜が明けていた。
こうして結局、パパスの具合がよくなるまでは宿に滞在を続けることになったのだった。
その後、昼になると「散歩に行く」と言って俺とリュカとビアンカの三人は、遊びにいくふりをして宿から出た。
今すぐレヌール城へ行こうにも、町の入り口ではサンタローズ村と同じく兵士が見張っていて子供だけでは通れない。
では、どうするか?
そんな時こそ、話し合いだ。三人寄れば文殊の知恵。みんなで話し合えば、いい知恵も浮かんでくるというものだ。
俺達は一つのテーブルを囲い、それぞれイスに座って顔を突き合わせていた。
「では、今からレヌール城お化け退治作戦対策会議を始める」
厳かな宣言と共に、会議は開始された。俺はリュカとビアンカに向かって、真面目な声で言い放つ。
「では、意見のある者は遠慮なく言うように!」
「それはいいけど……。ユート。話し合いするのに、どうしてこんなとこにくるの?」
「前にも言ったけど、ここはお酒をのむ場所よ。大人の人しかきたらだめなんだからね」
人もまばらな昼間の酒場に、呆れたような子供達の声が響いた。明らかに非難を込めた視線が俺を責め立てている。
そ、そんな目で俺を見ないでくれ。……だって、だって仕方ないんだ。宿屋を出た後、俺の足がいつの間にか酒場に向かったんですよ。俺は見た目は子供でも、中身は健全な成人男性。バニーさんという名の、おっぱい神の導きには抗えないんです。俺は悪くない。悪いのは、俺の意思に反して勝手に動いた足だ!
「とにかく、細かいことは気にせずに話を進めよう」
リュカとビアンカは不満そうな顔だったが、俺は強引に話を進め始めた。バニーさんは「あらあら? 酒場で秘密の会議かしら? うふふ、頑張ってね」と、素敵な笑顔で承認してくれたので、この場で話し続けても問題はない。
それにしても、バニーさんはいいなぁ。あの乳がたまらん。この世界のバニーさんは、みんな巨乳なのだろうか? 乳を見るためだけに、今後も俺は酒場に通いつめてしまいそうだ。あ、他にもカジノにもバニーさんいたな。夢はどこまでも広がるぜ。いつか、ドラクエ世界バニーさん観賞の旅に出かけるのもいいかもしれん。バニーさん素晴らしいよ、バニーさん。
「ユート、どうしたの? へんな顔してるよ?」
「……え?」
心配そうなリュカの声で、俺は我に返った。妄想が広がりすぎてトリップしていたようだ。
「い、いや、なんでもない。うん、話を続けようか? えーと、どうやって町から出るかだったな」
「うん、そうだよ。こっそり出るのは無理かなぁ……」
「向こうは大人だし、さすがにこっそり出てもバレるだろうな。しかも、こっちは三人もいるからなおさらだ」
「そっかぁ……」
落胆するリュカに、ビアンカが声をかける。
「そのことなんだけどね。見張りのおじさん、夜になるといつも寝ちゃうの。わたし知ってるんだから」
この一言で、今後の指針は決定した。昼間は宿屋で仮眠をとって、夜になったらレヌール城へ出かけようと、そんな風に決まった。
「あぁ、そうだ。実は、宿屋にいた詩人の人から、レヌール城について聞いた話があるんだが……」
俺はおもむろにリュカとビアンカの顔を見回すと、声を潜めてそう言った。本当は小さな声で話す必要はないが、雰囲気作りだ。
「え? なになに? もしかして、お化けの話?」
「お化け……? そ、そうなの……?」
「まぁ、いいから聞いてくれ。昔々、レヌールの城にはたくましい王と美しい王妃が住んでいました……」
俺が話を始めると、二人とも何も言わずに黙り込む。リュカは楽しそうな顔で、反対にビアンカは少し強張った顔で俺の話に聞き入っている。
「しかし二人には子供ができず、いつしか王家も絶え、お城には誰もいなくなったのでした。ところが、そのレヌール城から夜な夜なすすり泣く声が聞こえてくるという。その泣き声は……」
一旦、話を止める。そして小さく笑うと、
「ギャアアアアアアッ!!」
唐突に叫んでやった。
「うわぁああああッ!?」
「いやぁあああああああッ!?」
リュカとビアンカの絶叫が響き渡る。特にビアンカは、よっぽど怖かったのかイスを蹴倒して店の奥へと逃げ出してしまった。
「ホギャアアアアアアッ!!」
そんなビアンカを更に追撃。ずっと俺のターン!
「キャアアアア!? いやぁあああああッ!?」
「ギャアアアアアア! うおおおおおおッ! きしゃあああああッ! ほあああああッ!」
大騒ぎしながら逃げるビアンカと、ノリノリで叫んで追いかける俺。どうすればいいのか分からずに、おろおろしながら店内を右往左往するリュカ。まさに阿鼻叫喚。
この後、涙目になったビアンカに俺が土下座するまで追いかけっこは続いた。そんなこんなで、酒場での話し合いは幕を閉じたのだった。