グラウンドを横切って校門から出て、いくつかの学校の前を通り過ぎ、寮の入り口とやらまで彩人は案内してくれた。
さすがに夜になっているわけではないが、夕方にはなりかけていた。沙羅は空腹を感じ始めてへこんだ腹を軽く押さえた。
彩人が案内したのは女子寮の前までで、男子寮は別の場所にあるらしい。何人かの女子生徒が沙羅達や彩人に視線を投げつつ寮の門をくぐり、十階建てのマンションの中に入っていく。しかも同じ敷地の中に三棟。かなり広くて大きい。
「夕飯と朝食は寮の食堂で出してもらえるし、最低限の生活必需品ももらえるよ。でも私物とか買うならやっぱり街に出たほうがいいかな」
「街!? 街があるのか? 街の外はどうなってるんだ? 行けるのか?」
「ああ、まぁ、外はあるけど海しかないよ。来たときに見たとは思うけど」
「……海?」
その言葉をつい最近どこかで見たような気がする。
沙羅はくしゃくしゃに畳んだパンフレットを上着のポケットから取り出して開いた。
海に囲まれた平和な学園都市
『寺鳴島研究学園都市』へようこそ!
この世界に来て最初のほうに見たからその後は気に留めなかった。それに名前と同じように仮初の設定だとばかり思っていた。
「うん見た見た。でも松風さんは来るときずっと寝てたからわかってないかも」
適当に嘘の返事をする李亜に沙羅は顔をしかめて嫌そうな顔をした。
自分だってよくわかっていないくせに人を勝手に利用して情報を聞き出そうとするんじゃない、と沙羅は思った。
「ああ、そっか。そうだよね。ごめんね、変なこと言っちゃって」
「変なこと? 松風さんがどうかした?」
「……あっ、えーっと」
頭をかきながら彩人は視線をそらした。失言をしてしまったふうなのは見ればわかる。彩人は視線をさまよわせてしばらく口をもごもごと動かしていた。
「あのね、ここって教育研究施設だから転入生が多いんだけど、よその学校でうまくいかなかった子が転入してくることもよくあるんだ。……ええっと松風さんが問題のある人って言ってるわけじゃなくて。いじめられて転入してくる子のほうが多いし、ええと、そうじゃなくて」
「いやもういい。いろいろわかった」
彩人があれこれ言う前に沙羅は言葉をさえぎった。もちろん彩人に気を使ってのことじゃない。似たことならすでに思っていたからだ。
「……本当にごめん。もしよかったら今度の休み、街まで案内させて。謝罪ってわけじゃなくて、俺のクラスメイトとしての好意で」
「案内か。……まぁいい。案内することを許そう」
「よかった。松風さんってやっぱり見た目どおり品があって優しい人なんだね。それじゃ!」
「…………!? お、おい、それこそどういう」
沙羅が呼び止める前に、彩人はあっという間に駆け去り、姿を消してしまった。
「見た目どおり品があって優しい人かぁ……見た目って大切だね、見た目って」
「っ! お前だって」
「僕がどうかした?」
本当に疑問に思っているのか、小首を傾げながら李亜は聞いた。
薄茶色の柔らかそうな髪。制服の上からもわかる、むしろ制服を着ているからこそわかるスタイルのいい体。すらりと伸びた長い脚。
「……いや、何も」
この世界に来たばかりの頃に襲いかけたことは絶対に言わないようにしようと沙羅は心に誓った。
彩人の姿はすでにない。彩人自身のことは沙羅にとっては本当にどうでもいい。
問題は彼が話した内容だ。
「この世界の人間は私達のような存在を異世界から来た人間ではなく、問題がある生徒と認識しているんだな」
「確かにそのほうがうまくいきそうだね」
やたら親切にしてくれるのも、こちらをどこかの学校で問題を起こしていられなくなった生徒だと思っているからだ。あながち間違っていないのはこの世界を創った誰かのせいだろうが。
もしかしたら本当に海の外には別の世界があるかもしれない。
「……もう少し羽虫から話を聞いておくべきだったな」
「たぶん外には出れないよ。この学園の外に別の世界があったとしても。この体になってる間は自由なんてないんだよ、きっと」
「…………」
それは身に染みるほどにわかっている。
沙羅は巨大な剣など握れそうにもない手を軽く握り締めた。
「だいたいお前のせいだがな」
「なっ! それを言うなら君が人間の世界まで支配しようとしなければ僕だって!」
「うるさい。とにかく入るぞ。腹が減ってきた」
沙羅も周りの生徒と同じように門をくぐり『寺鳴島女子寮高等部』と書かれたプレートが張られているガラスの扉を押して入った。
「――それで、ここからはどこに行けばいいんだ」
沙羅は軽く中を見渡した。ゆったりとしたソファがいくつか並べてあるロビーだ。
食堂にもあった自動販売機と呼ばれる四角い箱や観葉植物が置かれていた。
座り心地のよさそうなソファの周りで何人かの女子生徒がおしゃべりをしていた。ロビーからは何本かの廊下が伸びていたが、沙羅や李亜はここから先、どこに行けばいいのかわからなかった。
「あの、すいません」
「はい、なんですか?」
李亜は横を歩く女子生徒に話しかけた。
「実はぼ、……私達転入生なんです。でもここからどこに行けばいいのかわからなくて……」
「あ、それならちょっと待っててください。寮長呼んできます」
女子生徒はどこかに誰かを呼びに行ってくれた。
しばらく待っていると、真正面にある廊下の向こうから長い髪を一つ結びにした眼鏡の若い女性が駆けてくるのが見えた。手にはファイルらしきものを抱えていた。
「あっ! あなたがたが、わぁぁああっ!?」
ずばっしゃああっ。
ロビーに敷かれている絨毯の端に足を引っ掛け、女性はファイルをその場にぶちまけながら派手に転んだ。
「……ううっ、眼鏡のパットが鼻に食い込んで痛いです……」
赤くなっている目と目の間を指で擦りながら女性は起き上がった。そして呆然と見つめたままの沙羅達を見て、困ったように笑った。
「あなたがたが転入生さん達ですね。すいません、変なとこお見せしてしまいまして」
女性は散らばったファイルを拾いなおし腕に抱えて立ち上がった。が、次の瞬間、腕の隙間からファイルが全てこぼれ落ち、再び絨毯の上に散らばった。
「うええ、なんでですかなんでですかぁ~」
沙羅の横から李亜がすっと歩き出し、落ちている書類を拾って女性に差し出した。
「どうぞ」
「あ、どうもどうもすいません。親切にありがとうございます」
女性は絨毯に手をつき深々と頭を下げた。沙羅も李亜もこの女性も、外を歩ける靴を履いている。ここは裸足で歩く場所じゃないはずだ。
「よ、汚れるから頭あげてくださいっ」
「すいませんすいません」
女性は頭を上げて、眼鏡がずり落ちかけてる顔でにへらと笑った。美人ではある。が、表情や雰囲気や動作全てでだいなしにしている。
「もしかして寮長さんですか?」
「はい、そうです。私、この寮の寮長をやってる魔女のゲネブベルデと言います」
李亜と沙羅は思わず身構えてしまった。
自分が異世界から来たと簡単に言うなんて、この女、いったい何を考えてるんだ。
「あっ、間違えましたっ! すいませんすいません、今は来野みかど【くるのみかど】と言います。もう二十年も寮長をやってますのに、つい」
どうやら何も考えていないようだ。
「ふん、バカだな。相手がどんな奴かわからないのに自分から手の内を明かすとはな」
「それを言うなら君もだろうに」
小さく李亜が突っ込むが、当然のように沙羅は聞かない。
「でも私は皆さんのように何かすごいことをして追放されたんじゃなくて、実験の失敗でここまで飛ばされちゃったんですよーあはははは」
おい、お仲間がいるぞという目で沙羅が李亜のほうを見るが、李亜は沙羅をなかったものとして扱った。
「いなくなったかたは何人もいらっしゃるのに、なぜか私はどんなに頑張っても寮長止まり。うう、世知辛い世の中です……」
レンズの下の涙を指でぬぐい、みかどは立ち上がった。
「お二人を部屋まで案内しますねー。こっちで、あぅっ」
立ち上がった途端にまた転び、いい具合にすべったプリントがそばにあった自販機の下へと吸い込まれるように隠れてしまった。
「あああ、プリントが自販機の下にぃー……あっ、あっ、お願いです、んうっ、もっと奥、もっと奥まで入れてーっ、ん、んンッ!」
慌ててみかどは自販機の下に手を差し込んだ。プリントはかなり奥まで入り込んだらしい。物言わぬはずの自販機に頼みながらみかどは必死に手を動かした。二人のほうから見ると突き出した尻が動いてるようにしか見えない。
「どうした、そんなに奥まで突っ込めるものが欲しいのか? 卑しい奴だな」
「ほっ、欲しいです。……っの奥に届く、……棒がっ、ほ、欲しいっ、んくっ」
棒と言われて李亜は自分の手に持っているものの存在を思い出した。
学校の道場からこっそり持ち出した竹刀だ。何となく持ってきてしまっていた。
「これ使えるかな?」
「あっ! それいいです、それっ! ……早くっ、奥にそれを、入れてください……っ」
「じゃあ……」
渡そうとした李亜を沙羅が片手でさえぎった。
「ダメだ! 『私は卑しいメス豚です。早くその長くて硬い棒でこの奥をかき回してください』と言うんだ!」
「わ、私は卑しいメス豚ですぅ……はっ、早く、その長くて硬い棒でっ、んっ、この奥をかき回してください……!」
「くくく、仕方ないな。メス豚の望みどおり自慢の獲物でかき回してやるといい」
「……わかってはいたけど君って最低だね」
李亜は竹刀を使って奥まで滑り込んでしまったプリントを回収し、みかどに手渡した。
「すいませんすいません、ご迷惑おかけしてしまってっ」
今度こそこぼさないように両腕でプリントをしっかりと抱きしめながらみかどはペコペコと頭を下げた。プリントは腕の力のせいでくしゃくしゃになっていた。
どんなに真面目に生活しても出してもらえない理由がわかった気がする。
「一人で平穏を乱す天才だな」
「そんなこと言わないでください~」