昼休みもすぎ、午後の授業が始まった。
沙羅は満腹から来る睡魔に抵抗することなくそのまま眠り続けた。生徒からも教師からも特になにかを言われることはなかった。
そして放課後。
李亜の姿が見えなくなってしまった。
「あいつ、どこに行ってしまったんだ」
李亜を探しに行くべきか、それともこの学校とやらを探索するべきか、それとも他のことをすべきか。
少し迷った沙羅であったが、次にやるべきことは向こうからやってきてくれた。
「くっくっく。学校の番長は校舎裏に生意気なやつを呼び出すのがお約束なんだぞ」
目の前で仁王立ちをするチビでツインテールの白羽磨子が含み笑った。
教室に入るときに黒板消しを落した犯人だ。
いったいどんなお約束だというのか。
通常ならば一笑に付すところだが、得られる情報は多ければ多いほどいい。
沙羅は磨子の案内のもとに校舎裏まで移動した。
校舎の表側はグラウンドと面しており、授業が終わったというのに騒いでいる生徒達がいる。何をしているかなんてことは沙羅には関係がない。
校舎裏には表と違い誰もいないことをざっと確認し、沙羅は磨子よりも先に口を開いた。
「お前はどこかの世界の支配者だったのだろう?」
「支配などしていない。自分は好きに食べて好きに遊んで好きに眠ってただけだ。そしたらちっこい人間たちが自分に変な技を使って、この世界に送り込んだんだ」
「……なるほど」
魔王アシュメデも似たようなものだ。
しかし、どんな世界にいたのかはわからないが、元の世界での磨子はかなり大きな生物だったようだ。
「その世界で名前はあったのか?」
「名前?」
磨子はしばらく、うーん、と考え込んだ。
「じゃりゅう、とかエイシェントガルロスとか言われてた」
「……じゃりゅう。竜か」
「そ、そんなことはどーでもいいだろ! それよりもだな! この世界は平和な生活を学ばせる世界だそーだ。意味わからんがな。だが転入生ということは異世界から追放されたバカってことでもある。新人には力関係ってのは教えてやらないとな!」
「それならもうひとりのバカは呼ばなくてもいいのか」
「? もうひとりは普通の転入生だろ?」
どうやら磨子は李亜をサポートする側の人間だと思い込んでいるようだ。そして気色悪くも李亜が演技を続けるのはこういう存在に自分も異世界から来たと知られないため。比較対象として沙羅が好き勝手に動けば動くほど、李亜のほうがあやしまれることはなくなる。
やっと理解はしたけれども、今度は李亜に対する怒りが湧いてきた。
あいつ、この私を捨て駒にしたな?
「で、お前はいったいどうするつもりなんだ」
「まずはきさまを脱がせる! そして男たちの前に放り出すんだ! すると餓えた男たちはすぐさまきさまに襲いかかるんだ! 本で読んだ!」
「…………」
いったいどんな本を読んだというのか。この世界の平和ボケしきった軟弱そうな男たちの前に全裸で飛び出たとして、磨子の言うとおりに襲われてしまうだろうか。この世界には来たばかりだが、おそらくそうはならないだろうことくらい沙羅にも理解できた。
だが、こいつは本当にバカすぎる。少し遊んでやることにした。
「ああー、わかったわかった。裸になればいいんだな」
パサッ。
沙羅が脱いだ上着が地面に落ちた。そのままシャツのボタンを外しながらゆっくりと校庭のほうへと向かう。校庭では見知らぬ生徒たちが走り回ったり、飛ぶ球を追いかけたりしていた。まだ沙羅の存在には気づいていない。
「んなっ!? いや、脱がせるとは言ったけど! な、な、なんで自分から脱ぐんだっ!?」
沙羅のうしろでは脱がせると宣言したはずの磨子が目をしろくろとさせていた。
そんな磨子を一瞥しながら沙羅はシャツの袖から手を抜き、シャツをその場に放り投げた。シャツの下には薄いキャミソールを着ていたが、さすがにこの姿で校庭に出れば注目を浴びるだろう。
「お前はいったい何をやってるんだ? 誰も殺せない子供のような罠を張り、人目を忍ぶためにわざわざこんな場所に呼び出して。まるで本当の女子高生とやらだな、蛇龍エイシェントガルロスよ?」
「う、な、な、……仕方ないだろっ! 今はこんな姿になってるんだから! お前だって同じじゃないか! 子供みたいな罠にもかかったお前なんかよりはずーっと偉いんだからな! それをわからせてやるんだ!」
「別に構わんが。この世界で上下を決めるということは、この世界の法則に従ったということだ。お前は誰かの上に立ったつもりで、どこかにいる審判役や世界を作った奴に屈してるだけだ」
沙羅は元蛇龍エイシェントガルロスに向かい、あざ笑った。
「すでに負けているんだ、お前は」
「…………っ!」
中途半端すぎるのだ、白羽磨子は。
異世界の支配者を気取りつつ、この世界のルールに従おうとしている。バカだから間違っているが。
沙羅が一歩一歩、校庭へと踏み出すと何人かの生徒が沙羅のほうを向いた。
いったいどうして、という呆れた顔で沙羅を見ている。
やはり、この世界で全裸になろうとも襲われることなんてありえない。
沙羅はスカートのホックに手をかけた。
「……う……」
脱がすと宣言していたはずの磨子は唇を震わせ言葉を失った。
「帰る! もう知らん! 知らんったらしらーん! 自分のせいじゃないもーーーーん!!!!」
沙羅に背を向けて磨子は叫んだ。そして全力で走り出した。
静かになったところで沙羅は肩をすくめた。
そして引き返しながらシャツと上着を拾い、校舎の裏まで戻ると。
「……本当に男に襲われるつもりなのかと思った」
校舎裏の階段の上部から李亜がひょっこりと顔を見せた。校舎裏の下からは死角になった場所だ。
どこかにいるだろうとは思っていたが、そんなところにいるとは思わなかった。
「できるはずもないだろう。おそらく誰かに止められたか、誰も見ぬふりをするかのどちらかだ。べつに襲われても構わないがな」
「えぇー、本当かなー?」
「こんな身体、別人のものだと言えるからな。どうなろうとも関係ない」
「まぁ、君がそう思うならそれでいいけど」
コツコツと音を立てながら李亜は階段を降りてきた。どこから持ってきたのか、その手には竹刀が握られていた。
「……なんだそれ。なんに使うつもりだったんだ」
「いや、必要になるかなって思って。きみがあの子に呼び出されるのはなんとなく予想していたから」
握った竹刀をヒュンヒュンと振りながら李亜は答えた。少し適当すぎやしないかと沙羅は思った。――いや。
「私だって考えていたわけではない」
自分のほうがもっと適当だ。思っていることをそのまま正直に言葉に出しただけだ。
生きるために泥水をすすることは厭わない。力を奪われ女子高生とやらになって生きるほうがずっと楽だ。
だが自分から喜んで尻尾を振りながら従っているわけではない。
噛みつく機会があれば逃さず噛みつくつもりだ。
何者かがわからない空間の中で上に立とうとするなんて愚かすぎる行為だ。
「服着たら? このままだと僕がいじめてるみたいで誤解されちゃう」
「なるほど、そういう手があるか」
「この世界で上下を決めるつもりなのかい?」
「お前に辱めを与えることができるなら何だって構わん」
「どっちかというと辱めを与えられてるのは君なんじゃないのか……?」
「まぁいい。どうせ誰も来ないだろうし、服くらい着てやる。ありがたく思え」
「はいはい」
脱いだシャツと上着を手に取り、沙羅は校舎の壁に寄りかかった。李亜も同じように隣に並んで微妙に視線をそらす。
同じくらいだとは思っていたがこうして近くで並ぶと、どうやら李亜のほうが少しだけ背が高いようだ。身長だけじゃない、胸の大きさも違う。しかも見ただけでハッキリとわかるくらいに。
どこが平等だ。差だってこんなにあるじゃないか。
「………………ちっ」
「なんでこっちをにらみつけるんだよ」
「……いや、あやうく私もこの世界に屈するところだった」
危ない危ない。胸の大きさなんて本当の自分にはまったく関係ないじゃないか。沙羅は黙ってシャツを着た。
この体になってから人の気配に対して鈍くなっている。
沙羅は数秒後に後悔する。誰も来ないなんて言うんじゃなかったと。
「あ、二人ともこんなとこにいたんだー。何して……」
さわやかに笑いながらいきなりこの場に現れた彩人の顔が凍りついた。
この場にいるのは李亜と、シャツのボタンを数個留めているだけの沙羅。
彩人は凍りついた笑顔のまま、くるりと背中を向けた。
「ごっ、ごめん! 変なとこ来ちゃったね、ほんとごめん! 大丈夫、俺、そういうことに偏見とかないから。ただちょっとびっくりしただけ、うん。えーと、二人に用事があったんだけど、三十分後くらいに来たほうがいい?」
「え? ううん、特に何もないから用事があるなら今話してくれる?」
「あ、お楽しみの後だったんだね。着替え終わったら振り向いてもいい?」
「……別に構わんが」
何だろうか、思い切り誤解されているような気がする。沙羅にとってはどのように誤解されているかわからないから解きようもない。ただ、李亜に恥をかかせたわけではないようだ。
沙羅が着替え終わると彩人は二人に言った。
「先生から二人を寮まで案内するように言われてたんだ。入り口まで案内するよ」
「寮?」
白羽磨子(性別:女) 元蛇龍エイシェントガルロス(性別:不明)
子供のような残忍さで人々を苦しめていた巨大な蛇。
本当に子供かもしれないが一体で生きていたためよくわからない。
言葉を話す知能はあったが下等な人間と話す気がなかったので誰も会話できると気付いていなかった。
睡眠薬を盛られた獲物にひっかかり、寝ている間に異次元に飛ばされた。
最近は二十年くらい前に出た(とこの世界で言われている)少女漫画が好き。
クラスメイトからしらはまちゃんと呼ばれてペットのようにかわいがられている。
釣りたいときはお菓子で釣るべし。