むりがく   作:kzm

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エピローグその1

 

 頬を撫でる海風が心地よかった。

 フェリーに乗った沙羅は甲板からぼぉっと海面を眺めていた。

 

「松風さん、ここにいたんだ。ジュース買ってきたよ。炭酸でよかった?」

 

 手に缶コーヒーと缶ジュースを持った俊介が沙羅に声をかけてきた。沙羅は俊介から表面に水滴の浮かんだ冷えた缶ジュースを受け取った。

 

「ふん、気が利くな。……いや、違うな」

 

 いつものように偉そうな態度を取ろうとした沙羅は自分の言葉を言い直した。

 

「こういうときはありがとう、と言えばいいのか?」

「ぷはっ、たしかにそうだけどさ。どうしたの松風さん。いつものキミならそんなこと言わないはずなのに」

 

 あやうく噴き出しかけた俊介を沙羅はにらむ。なにか言い返すかと思ったが、小さくため息を吐くだけだった。

 そして視線をそらしてぽつりとつぶやいた。

 

「……だってこれからの私は魔王アシュメデではないのだろう。完全に松風沙羅として生きることになる。だから、誰かになにかをしてもらったときは礼を言ったほうがいいと思って、な……」

 

 最後のほうはごにょごにょと言葉をごまかしながらも沙羅は自分の思いを口にした。そんな沙羅を見て俊介はくすりと笑い、大きな手で沙羅の頭をガシガシと撫でた。

 

「やっぱり松風さんはかわいいなぁ」

「う、うるさい、バカっ! 頭を撫でることまでは許可してないぞっ!」

 

 ぎゃあぎゃあと沙羅はわめいて俊介の手を振り払った。

 

「まったく俊介は……先が思いやられるな」

 

 沙羅は俊介が持ってきた缶ジュースを開けて口にした。

 ある程度予想はしていたとはいえ、まさかこんなに早く事態が進むとは思わなかった。

 

 ――つい、2週間ほど前のことを思いだす。

 それは雅こそが『この世界を造った存在』だと看破した直後のこと。

 

 

■□■

 

 

 完全な暗闇の中に沙羅はいた。

 さっきまで研究所の受付にいたはずなのに、沙羅の周囲にはなにも存在していなかった。

 

 沙羅の身体だけが闇の中にぽかりと浮かんでいた。

 

 上下の感覚がほとんどない。まるで水の中にいるかのようだ。

 沙羅はためしに指を動かしてみた。思うようには動いたが、それがいったいなんの役に立つのだろうと思う。

 動きを封じようと思えばいくらでもできる存在が沙羅の動きを封じていないということは、なんらかの意味があるのだろうが。

 

「心配しないで。あなたを痛めつけたり、この世界から抹消させたいということではないから。ただほんのちょっとお話がしたいだけ」

 

 どこかから雅の声が聞こえた。

 それは遠くから響いてきたかのように聞こえ、かと思えば耳元近くでささやかれたような不思議な音色だった。

 

「さて、なにから話そうか……まずお前は神ではないな」

「ええ」

 

 あっさりと雅、正確には雅の声は肯定した。

 

「が、おそろしく文明が発達した世界の人間だろう。様々な世界に干渉することができるほどの。……そしてこの世界を監視している存在はおまえひとりじゃない。私の知らない場所で私の知らない存在がこの世界を維持し続けているはずだ」

「どうしてそう思ったの?」

「管理者がひとりならほいほい姿を見せることができるはずないからだ」

「せーかいっ! いやー、やっぱり松風さんはすごいねっ」

 

 声の調子がいきなり変わった。

 そして暗闇の中から、沙羅の友人になってくれた苅野つぐみが姿を見せた。

 

「……なんのつもりだ?」

「なんのつもりって? 松風さんのためにネタばらししてあげてるんじゃない、ねぇ、こーりんっ」

「うんうん。おバカさんなようで意外と頭がいいひとだなって思ってたのよ」

 

 つぐみの姿が消え、今度は宮飼小織が姿を見せた。

 かと思えば次から次へと沙羅が知っている存在が闇の中から姿を見せる。

 

「はぁ~、松風さんは正解にたどりつけるなんてすごいですねぇ、私も寮長としてがんばらなければいけません~」

「俺に襲われたときは松風さんもびっくりしたと思うけど、こうして正解にたどりつけるお手伝いができてよかったと思うよ」

 

 寮長の来野みかどに、現在の弥栄彩音こと元・黒樹彩人。

 ――そして。

 

「松風さん。俺とのキスは、気持ちよかった?」

「あーあ、僕がいない場所で男のひととキスするなんてちょっとショックかも」

 

 俊介と李亜がいつもと同じような顔でそばに立っていた。

 

「……やめろ」

 

 沙羅は唇を噛みしめ、それからさけんだ。

 

「やめろやめろやめろやめろやめろ、このバカっ! いまさらこんな幻を見せてなんの意味があるって言うんだ!」

 

 沙羅がさけぶと同時にそばにいた俊介や李亜の姿は霧のようにかき消えた。そしてどこからともなく雅がくすくすと笑う声が聞こえた。

 

「幻? どうしてあなたはそう思うの? 私はいつだってこうしてあなたの前に“お友達”の姿を見せてあげることができるのに。あなたがいままでそうじゃないと思い込んでいただけで、本当はあなた以外の存在は全部幻だったのかもしれないのよ?」

「違う。それはない。証拠だってある」

「証拠ね」

「私は以前に精神を操作する魔術を使った。あれが使えたということは、この世界の人間の精神は本物だということ。……それにお前がさっき出した幻と、私が普段会っているやつらは全然“気配”が違う」

 

 沙羅は暗闇の中でどこにいるのかわからない雅をにらみつけながら言った。

 

「私が出会って話をしてきた人間はみんな生きているし、存在している」

 

 実を言うなら最初は疑ったこともあった。

 自分以外の存在は沙羅を騙すために造られた操り人形なのではないかと。

 しかし、交流を深めるなかでそれは違うと沙羅ははっきりと言えるようになった。

 誰かについて考えるということが理解できるようになったからだ。

 

「で、こんな幻を見せるためにわざわざこんなところに連れ込んだのか?」

「違うわ。話がしたいだけって言ったでしょ。……正解に気づいたあなたがこれ以上この世界にいても意味がないのよ」

「この世界から出すというのか? 私の更生とやらはまだまだ終わってないぞ」

「それはあなたがそう思ってるだけよ。あなたはもう充分に変わったわ」

「…………」

 

 それについて否定することは沙羅にはできない。

 

「あなたはどうしたい? 元の体で元の世界に戻りたい? 私の力なら今の姿で元の世界に戻すことも可能だわ。そうすればあなたは元の世界に戻っても迫害されることはない」

「……そうか。帰れるのか」

 

 魔王アシュメデとして。もしくは誰も知らない黒髪の少女として。

 沙羅は以前にいた世界の土を踏むことができる。

 頬を撫でる風はどんな感触だっただろうか、もう思い出せない。

 

「…………。私は……」

 

 暗闇の中で沙羅は答えを絞り出した。

 

 


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