沙羅は話した。
自分が異世界の魔王アシュメデであること。
勇者トビアと共にこの世界に飛ばされてしまい、女子高生の姿にされてしまったこと。
この世界は異世界から追放されるような存在を更生する場所であること。
フェリーに乗って島の外に出ることはもちろん、自殺することさえ許されないこと。
このことはいつか誰かに話してみなければいけないと思っていた。
俊介は沙羅の話を黙って最後まで聞いていた。
途中で質問することや疑いの言葉を口にすること、失笑することは一度もなかった。
「……仮に、君の話が本当だとしたら」
「仮に、じゃない! 事実だ!」
「ごめん。でも、なにかの証拠が出せる話でもないんだろ? だから仮にってことで」
俊介の言うとおり、証拠は出せない。
この場で自殺してみせても俊介の記憶が変わるだけだ。他人を殺しても同じことだろう。
もちろん俊介と一緒にフェリーに乗って外に出ても結果は変わらないと沙羅は考える。
途中で反省室へ送られ、俊介の記憶が改ざんされるだけだと。
「真剣な顔で話してくれたんだから、君にとって大切な話だってことはわかる。だから、君の話が本当なら、君にとって俺は嘘の存在ってことじゃないのか?」
「嘘の存在? どういう意味で言ってるんだ」
「つまり君はゲームの中にいるってことだろう。あ、ゲームやったことある?」
「一度だけ……」
黒樹彩人に街を案内されたとき、雑貨屋に入ってゲームの体験版を遊んだことがある。
面白いとは思ったが、結局あれ以来ゲームというものを手にしていない。
「どういうゲームだった?」
「……私がボタンを押すと、画面の中のちいさなやつがボタンを押したとおりに動き、襲ってくる敵の攻撃を避けたり、迎撃するものだった」
「でも本当に敵に襲われてるわけじゃないだろ? ゲームっていうのは誰かがそういうふうに作った世界なんだ。だから君にとって俺は、誰かが作った嘘の存在じゃないかって思ったんだけど……違う?」
「違う! 私は、この世界の外には別の世界があるのではと考えていた! お、お前たちの存在が嘘だなんて……」
俊介やつぐみや小織の存在が嘘だなんて。
正確に言えば、この世界に来たばかりの頃は可能性のひとつとして考えていた。だが。
「お前たちはここにいる生きた存在だ。この世界の真実を知っておきながら私をあざむくために演じているわけでもない。それはここで暮らして、お前たちと過ごすうちにわかったことだ」
「そうか、君はそう思ってくれてるんだ。ありがとう」
「な、なんで礼を言う必要がある! お前はいちいち意味がわからん!」
「よかったんだ、嘘の存在だって思われてるわけじゃなくて。君の話を聞いたとき、君がそういうふうに考えてるならさびしいなって思ったんだ」
俊介は心の底からの、優しい笑みを浮かべ、それを見た沙羅は顔を赤くした。
もしも沙羅が俊介を嘘だと思っているならさびしい、それは沙羅に好意を持っていないと生まれない感情だ。今の沙羅にはそれがわかるからこそ、沙羅は俊介を正面から見つめることができなかった。
「君の言うことは信じるよ。その、これから君をなんて呼べばいいんだ?」
「今までと同じでいい。この姿で魔王なんて呼ばれてもむなしいだけだ」
「そうか。それじゃ松風さんはこの世界でどうしたいんだ?」
「元の姿になって元の世界に戻る」
「本当に?」
俊介の問い返しに沙羅は眉間にしわを寄せた。
今更本当かどうか聞かれてもそれしか目的がないのだから。
「当たり前だ。どうしてそんなこと聞く」
「だって君、こことは違う世界で悪いことしてたからこの世界に来てしまったんだろ。もし、俺がその世界の住人だったら、戻ってきた悪人を信用なんかしない。更生した人は元の世界に戻ったって言うけど、……本当にそうなら、きっといい結果にはなってない」
「…………」
それはつまり、戻っても再びこの世界に追い返されるか、もしくは殺されるか。
「同じ過ちなど繰り返さぬ。人間たちにどうこうされる前に、圧倒的な力を見せつける。この世界に追いやった復讐もしなければいけない」
「できないよ」
俊介はきっぱりと魔王の言葉をさえぎった。
それは沙羅が少女の姿をしているからこそ簡単にできたことかもしれない。
しかし魔王の言葉をまっすぐに否定するという初めてのことに、沙羅は言葉を失った。
「この世界で友達ができた君には、きっともうできない」
沙羅はなにも言い返さなかった。
……俊介の言葉の意味がよくわかっていたから。
人間に復讐するということは、その中に勇者トビアも、李亜も含まれるということ。トビアに手を出さなくても、人間を攻撃すれば再びトビアは敵になる。ならなくても、勇者が悲しむことは止められない。
それを振り切ってでも人間に復讐することは……できないと沙羅は考えた。
――だからこそ、こんな世界には慣れたくなかったのに。
沙羅は自虐的な笑みを浮かべることしかできなかった。
「松風さん、俺とつき合わないか? その、彼氏と彼女として」
「は……?」
その言葉の意味を理解するのに、沙羅は数十秒を必要とした。
もちろん、彼氏彼女としてつき合うという意味がわからないわけじゃない。いろんな経験を得て、それがどういう意味なのか沙羅はすでにわかっていた。
「おま、おま、お前ー! 自分は教員のようなものだからまずいと言っていたのはお前じゃないかー!」
「いや、そうだけど。でも君の言うとおり、この学校が異世界の悪人を更生させるためにあるとしたら、そんなの意味ないかなって思って。まぁ、一応は隠してくれるとうれしいんだけどなぁ」
「隠すもなにもつき合うと決めたわけではない! ふざけるな!」
「あははは、ごめん。でも君は、元の世界に戻る以外の選択を考えたほうがいいと思うんだよ」
「……だからつき合うなどと言い出したのか?」
嘘や冗談やからかうためではなく、真剣に沙羅のためになると思って。
沙羅は呆れたようなため息を吐いた。
「俺はこの世界の真実とかよくわからないし、異世界の勇者でもない。ゲームみたいに魔法が使えるわけじゃない。ただの研究員だ。でも君が、自分の世界に帰る以外の選択を見つけられる手伝いができるなら、俺はうれしい」
俊介の真っ直ぐな想いに、沙羅はわずかにうつむいた。
ぽつりとつぶやかれた返事は。
「……少し、考えさせてほしい」
■□■
その後沙羅は遅刻しながらも学校に行き、教室でぼんやりとすごした。
放課後になりおとなしく寮へと戻り部屋に入ると、ベッドに座り込んだ李亜がぼけーっと天井を仰いでいた。
「お、起きたか」
沙羅はにやりと笑みを浮かべながら李亜の隣に座った。
「初めての反省室はどうだっ……ぶわっ! なんだいきなり抱きつくな!」
「わああああん! 結婚なんかしないよね? いやだよ、僕、君の結婚式に友人として呼ばれることになるなんて! 絶対に邪魔してやるんだからあああああ!!」
「…………」
「えっ、なにその意味ありげな沈黙? もしかして君……いやいやまさかね」
「結婚などするか、バカか」
「だよねー!」
「……まぁ、選択のひとつとしてはありえると思っただけだ」
李亜の動きがぴたりと止まった。ピシリ、と空気が凍りついたかのような錯覚まで感じてしまう。やがて動き出した李亜は自らのベッドに戻り、布団にもぞもぞと潜り込んだ。
「ああああ、僕まだ反省室から出られてないよぉぉぉぉ! 僕が犯した罪ってそんなにひどいものだったの!?」
「落ち着けバカ! もう反省室からは出ているぞ!」
布団を被りながら泣き叫ぶ李亜に怒鳴りつけ、沙羅は李亜の布団を引っぺがした。体を丸めた李亜がめそめそと泣いていた。
「まったくこんな調子じゃ意見を聞くこともできないな」
「なんの?」
「……いや、なんでもない」
「ねぇ、 な ん の ?」
嫌な予感を覚え、ガバッと起き上がった李亜は笑顔で沙羅に詰め寄った。
ただし目は笑っていない。
「いや、その、な……」
迫力に押された沙羅は――結局、俊介と話したことをすべて打ち明けた。
むぅ、と唇をとがらせ、眉間にしわを寄せた李亜は、やがて深々とため息を吐いた。
「あーあー、僕、まだ君のこと好きなんだけどなぁ、好きな相手からつき合う相手の相談されるとかさぁ」
「その、なんだ…………い、いやならべつに……」
「いいよ、これくらい」
くすりと笑った李亜は、その直後には真面目な表情になった。
「別の選択を探すのはありだと思う。そもそも僕が使った魔術は、時の神殿に伝わるものだった。だから僕以外の誰かが使うことは可能なんだ。……君が戻れば再び使われる可能性は高い」
「冷静に考えればそうだろうな」
「この世界で別の選択が探せるかどうかわからないけど、君がそうしたいなら僕も手伝うよ」
ふと、沙羅は思った。
「……お前は? お前はどうするんだ?」
勇者が元の世界に戻ったとしても、魔王のように排除されるということはない。
元の世界がどんなふうになっているかはわからないが、勇者の帰還を喜ぶ人々はたくさんいるだろう。
だけどその隣に魔王が並ぶことはない。
勇者と共に、魔王は帰ることはできない。
胸の痛みを感じながらも沙羅は李亜の答えを待った。
「うーん……僕はどうしようかなぁ」
沙羅の不安とは裏腹に、李亜の答えはのんきなものだった。
「あんまり考えてなかったんだよね。なんだかんだでこの世界にいるの楽しくて。僕も考えなくちゃいけないよね。さて、本当にどうしようかな」
「……お前は本当に勇者なんだな。それともただのバカか?」
「どういう意味だよ、それ」
「言葉のままだ」
「ま、いいや。それよりさ、……僕そろそろ君の話してる男の人に会いたいんだけど、会わせてもらえるかな?」
まっすぐに沙羅の顔を見ながら李亜は言う。
その顔は凛とした少女のようで、中性的な少年のような顔だった。
なぜか沙羅はそれをとても美しいと思った。
「どうしたの?」
「いや、なんでも……そうか、俊介に会いたいのか。……わかった、いいぞ」
沙羅は李亜を俊介に会わせることにした。