大浴場から沙羅が戻ってくると、姿を消したはずの李亜がベッドの上ですやすやと眠っていた。
「何をのん気な」
沙羅は李亜の肩を揺さぶった。反応はない。ただ規則的に呼吸を続けているだけだ。
「鼻か口を塞ぐか? それとも両方か? 寝ているあいだに体を自由にするのも面白いかもしれないな?」
ベッドの横から話しかけても李亜の反応は変わりなく、なかった。
沙羅は肩をすくめて苦笑した。
「ま、下手に手を出せば反省室行きか」
沙羅は李亜の頬をつつき、それ以上は触れないことにした。
李亜がいつ目覚めるか、正確なところはわからない。
反省室送りになったということは大浴場で負った怪我が相当なものである証拠だ。
最悪、一週間は帰ってこない。
「まさかあんなことで初めて反省室行きになるとはな。戻ってきたら笑ってやろう」
くつくつと笑う沙羅の声に反応するものはない。
沙羅はすぐにつまらなさそうな顔を見せた。
「……早く戻って来い、バカものめが」
■□■
翌朝になっても李亜は目覚めなかった。
沙羅は一人で食堂に行って朝食を食べ、そしていつものように制服に着替えた。
寮を出た沙羅は学校には向かわず、病院がある方向、つまり研究所のある方角へと歩いた。バスには乗らなかった。
研究所の前についたとき、学校がある方向からチャイムの音が聞こえた。どうやら朝のホームルームが始まったようだ。
何度か沙羅は授業を抜け出したり、遅刻したりを繰り返している。
どうやらその程度では教師に怒られることはあっても反省室に送られることはないようだ。
(まぁ、あの羽虫共に見つかったらわからんがな)
ごくたまにであるがバスの中に自称妖精の人形たちがぷかぷか浮いていることがある。沙羅がバスに乗らなかったのはそういう理由だ。
「さてと」
研究所の前まで来たが、どうやって中に入るべきか沙羅は悩んだ。
このまま入って受付の前を素通りして俊介の部屋まで向かう、そんなことをすれば引き止められることくらい沙羅は理解していた。
「まぁ、とりあえずこの研究所の周辺を探索してみるかな。もしかしたら裏口などあるかもしれん」
「あら? あなた、学生よね? もう学校始まってる時間よね?」
さっそく研究所の裏へと向かおうとした瞬間、沙羅は後ろから声をかけられた。
しまった、と思いつつも沙羅は振り向いた。
そこには長い髪をひとつ結びにした女性が立っていた。歳は俊介か、みかどと同じくらいに見える。
「たしかあなた、松風さんよね」
「な、なんで私の名前を知っている!」
「覚えてないかもしれないけど、あなたがバイトしに来たときに受付してたのよ」
「あー……」
そういえばそうだった気もする。
しかし沙羅にとって受付の人間なんて印象は薄かった。その後俊介と再会したせいもある。
「もしかして結城先生のところに忘れ物、してたの?」
「あ、ああ、そうだな」
下手に否定すればじゃあどうしてこんなところにいるのかについて追及されかねない。沙羅は顔をそむけながらも適当に返事をした。
「それなら結城先生呼んでくるから入り口のところで待ってて。ほらほら中に入って」
ひとつ結びの女性は沙羅の背中を押して研究所の中に入った。
そして沙羅を残してロビーの奥へと消える直前、振り向いて微笑んだ。
「私は藍染雅《あいぞめみやび》よ。よろしくね、松風さん」
「…………?」
微妙な違和感を覚えながらも沙羅は雅を見送った。
なんだろう。なにかおかしなものを感じるが、それがなにかがわからない。
やがて廊下の向こうから俊介が姿を見せた。バイトのときにも見たように、ラフな私服の上から白衣を着ている姿だった。
「おはよう、松風さん」
どこか遠慮がちにしながらも俊介は沙羅に挨拶した。
「俺に話があるって、藍染さんから聞いたけど、こんなとこで立ち話もなんだし、とりあえずは俺の部屋に来ないか?」
沙羅は素直にうなずいた。