体を洗ったふたりは浴槽に向かった。
沙羅は堂々と真ん中を陣取ったが、タオルで体を隠すことができない李亜は大きな浴槽の隅っこに背中を向けて座った。そんな李亜を見て沙羅はため息を吐く。
そこにつぐみと小織が姿を見せた。
「あ、松風さん、やっほー」
恥ずかしげもなく裸体を晒すつぐみの胸は意外と大きく、対して小織の胸はつぐみよりもささやかなものだった。それにしてもほぼ平坦と思われる沙羅よりも大きかったが。
沙羅は喜ぶどころか不満そうな顔を見せて顔を横に向けた。
「おい、李亜。つぐみたちが来たぞ。お前もこっちに来い」
「やっ、やだよ!」
沙羅が李亜の背中に呼びかけても、李亜が振り向くことはない。
正直言って、沙羅はつぐみたちの相手を自分だけではしたくない。
何を話せばいいのかまったくわからないからだ。
「まぁまぁ、こういうのは少しずつ慣らしていけばいいのよー」
「ぬ、それもそうだな。強情なやつは少しずつじわじわと教え込むのが一番いい」
沙羅は魔王らしい笑みをにやりと浮かべた。
「ところで松風さん。このあいだ写真撮る男の人とデート行ったわよね。どうだった? ばっちりおめかししたもんね。何か言われた?」
「何度も言ってるがデートじゃない! あいつもそう言ってた! しゅ、趣味につき合っただけだ!」
小織の言葉に沙羅は叫んだ。
思わず真っ赤になった顔は湯気の中で隠れた。
「えぇ~本当なのかしら? 趣味につき合う時点でデートな気もするんだけどなぁ」
「ち、違うぞ! 絶対に違うからな!」
「でも松風さんってどういう男の人が好きなのかにゃ? あたし興味あるなぁ~」
「い、いきなりなんなんだお前らは!?」
小織とつぐみにはさまれ、沙羅は悲鳴をあげた。
助けを求めるように李亜のほうを見るが、李亜は背中を向けたままだ。沙羅のほうを振り向く気配さえない。
「そうだね~、たとえばクラス委員長だった黒樹彩人君とか。今はいないけどさ」
「嫌だ。あいつは気持ち悪い」
「うはっ、はっきり言うなぁ~。そっかああいう真面目なタイプは嫌いなんだね~。どんなタイプが好き?」
「そうだな、私に無様に媚びへつらうのなら少しの憐憫を与えてやらんこともないぞ」
「わぁ、松風さんドS!」
「あとはそうだな。ないとは思うが、私を屈することができる強さを持った男だな。強い男に称賛の意を示すのは当然のことだろう」
「わぁ、でもちょっと強引なほうが好きなのね! なるほど!」
沙羅とつぐみの微妙にかみ合ってない会話が続く。
その好きはたぶん違う好きだよ、と李亜は沙羅たちの会話を背中で聞きながら思った。
「……違うのだろうな」
沙羅自身もわかっていたのか、不意にぽつりとつぶやいた。
「何が?」
「その、だな。女は男を好きになるのが“普通”か?」
「それはまぁ、普通って言っちゃったら他の傾向の人に対して失礼になっちゃうけど、多数の人は男性を好きになるものよね。……松風さんは違うの?」
遠慮がちに小織が聞くと、沙羅は小さく首を振った。
「……わからん。そういう意味では誰のことも好きになったこと、ない」
「ああ、好きになってみないと好みのタイプがわからないのねー」
勝手に小織は納得したが、もしかしたらそれは間違ってないことかもしれない。
沙羅は白い湯気の中でため息を小さく吐いた。
ぽちゃん、ぴちゃんと天井から滴り落ちる滴が湯船の中に落ちていく。
どこか心を落ち着かせる音を聞きながら、沙羅は口を開いた。
「と言うかだ。好きになったらどうすればいいんだ。欲したいのなら手に入れて自分の思うがままにすればいいのではないか? ……自分の気持ちなんて伝えてどうなるというんだ」
「…………」
李亜は振り向かずに沙羅の言葉を聞いた。そして何も言わなかった。
「それは……えっと、ほら、……な、なんでだろうねっ?」
「それはねぇ、好きだって想いを伝えて先の関係になるためよ」
戸惑う小織の横からつぐみが口を出してきた。
「好きだって伝えないといつまでも同じ関係のまま。自分が相手を好き、もしくは相手が自分を好き、それがわかってると、今まで見えてた光景がまったく違うものに見えてくるの。それにキスをするのも、ぎゅうってするのも、好き合ってないと嫌がられちゃうものね」
「つぐみん、なんだか大人……」
「まぁ、嫌がるイケメンを好き放題にするってのもなんだかいいわよね!」
「つぐみん、台無しよ……」
「……いまいちよくわからんが」
つぐみの話をふむふむと聞いていた沙羅は不意につぶやいた。
「好きだぞ、つぐみ」
「ぶふっ! い、いきなりなんなの松風さんっ、も、もしかして松風さんの好きな人ってあたしだったの!? いやぁ、まいっちゃうわ」
「お前のことも好きだぞ、小織」
「ちょ、ちょ、ちょっと!? い、いきなりそういうこと言われると照れるっていうか……!」
いきなりの沙羅の告白につぐみと小織は慌てふためく。
しかし数秒後に、沙羅の『好き』が友情に値するものと気づいたらしい、小織は小さく力の抜けたため息を吐き、つぐみはにやりと笑って沙羅に抱きついた。
「あたしも好きだよー! もうこれからは沙羅ちゃんって呼んじゃうよー!」
「うわっ! 風呂の中でくっつかれるとベタベタして暑苦しい! やめろ!」
「…………!!」
そんな3人の会話を李亜はぷるぷると震えながらも黙って聞いていた。が。
「よくわからんが関係が変化するということは理解できた。……なるほど、色仕掛けという手段もあるんだな、女には」
「ほっほー、沙羅ちゃんは悪女ですなぁ」
「さっそく実践するべきだな。……というわけで私は明日、俊介に会いに行こうと思う」
バシャーン!!
「わぁああん! なんで君はそっちの方向に行くんだよ!?」
黙って聞き逃すこともできない沙羅の言葉に、李亜は自分の体を隠すことも忘れて振り向いた。そして浴槽の中を歩きにくそうにバシャバシャと進みながら沙羅の方へと駆け寄った。
そのたびに李亜の体のごく一部分が激しくゆさゆさと揺れる……。
沙羅は飛びつかんばかりに近づいてきた李亜の、ある一ヶ所に手を伸ばした。
もみゅん。
「ひにゃああああっ!?」
遠慮もなく直に触れられ、李亜は悲鳴をあげて飛び上がった。
「わああああん!」
そして胸を押さえながら浴槽から飛び出て、濡れたタイルの上を走った。
……その足元に石鹸が落ちていた。
ずるびたべしゃーーーんっっ!!!!
ものすごい音を立てながら李亜の体がひっくり返った。頭から落ちた李亜はぴくりとも動かなかった。やがて、その体にノイズが走り、李亜の体は大浴場から消え去った。
「つぐみ。今、李亜が……」
「え? 三塚さん? そういえばいないね。どこ行ったんだろ、先に帰っちゃったのかな」
つぐみは先ほどまでいたはずの李亜の姿を探した。
どうやら“自殺”の記憶と共に、前後で矛盾する記憶も消えるようだ。
「……なんでもない。気のせいだ」
とりあえず、沙羅も見なかったふりをすることに決めた。
湯船の中に半分ほど顔を沈ませながら沙羅は思った。
(……大浴場とはおそろしい場所だな)
沙羅はしばらくこの場所に近づかないことを決めた。