むりがく   作:kzm

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校則その11『変わることを恐れてはいけない』●

 

 寮の部屋に戻ってきた沙羅は無言でワンピースをその場に脱ぎ捨て、そのまま洗面所へと入った。

 そしてドタバタと物音をたてながら何かをしたあと乱暴にドアを開け放ち、自分のベッドへと黙ってもぐり込んだ。

 

「ちょ……! な、ど、どうしたんだよ!?」

 

 思わず李亜は沙羅が寝ているベッドへと駆け寄った。

 いったい何があったというのか。

 具体的に想像することもできないまま李亜は心臓をバクバクと鼓動させながら、ただ沙羅の返事を待った。

 すぐに沙羅は布団から顔だけを出した。そして。

 

「……生理」

 

 とだけ呟くと、そのまま再び布団の中にもぐり込んだ。

 

「生理……」

 

 李亜は沙羅の言葉を繰り返して呟き、開け放たれたままの洗面所のドアや脱ぎ捨てられて放置されている白いワンピースに視線を投げた。

 洗面所へと向かうと、生理用品が入れられている棚が開け放たれて床に生理用品の包み紙が落ちていた。これは適当に放置していればやがて片付くはずだが、李亜は棚を閉めて包み紙をゴミ箱へと捨てた。

 次に洗面所から出て部屋の入り口近くに脱ぎ捨てられている白いワンピースを広げてみた。

 

「……汚れはついてないみたいだ」

 

 生理でつく“染み”が白いワンピースについていなくて本当によかった。ついていたとしても何事もなかったかのように綺麗になっているだろうが、借りたものだから安心した。

 李亜はワンピースを畳んで机の上に置き、もう一度沙羅が寝ているベッドのほうを見た。

 丸くふくらんだ布団の塊は小さく上下している。

 

 ……本当に何もなかったのかな。

 

 何かあったとしてもなかったとしても、しばらくはそれを知ることはできない。

 

 

■□■

 

 

 夕食も風呂も沙羅は一応は済ませてくれた。

 まだひどくない、と沙羅は小さく呟いた。

 そして次の日の朝、朝食の放送が聞こえても沙羅は起き上がってこようとしなかった。

 

「…………」

 

 ただじとりと、制服に着替えようとしていた李亜を黙ってにらみあげるだけだ。

 

「……わかったよ。僕が言ったことだもんね」

 

 李亜はため息を吐いた。

 もう勝手にいなくならない、ずっとそばにいると言ったのは李亜だ。

 沙羅に学校に行く気がないのなら李亜がここに残るしかない。

 あの言葉は駄々をこねる子供をおとなしくするために思わず言ったことだけれども、嘘じゃない。

 

「でも朝食くらいは行かせてよ。昼食は出ないんだから。君だって昼ごろになったら何か食べたくなるはずだよ。パンか果物か、とにかく何かこっそり持ってくるから待ってて」

 

 李亜はひとり食堂に向かい、昼のことも考えていつもより多く食べておいた。

 そしてお代わり自由のパンや果物、ジャムやゼリーなどをこっそり袋の中に入れて部屋まで戻った。

 飲み物は部屋の備え付けの冷蔵庫の中に入っているから大丈夫だろう。

 部屋に戻ったとき、沙羅は相変わらず布団の中だった。

 

「なにか食べる?」

 

 声をかけても返事はなかった。眠っているのかもしれない。

 李亜は軽くため息を吐き、持ってきた食べ物の一部を冷蔵庫の中に入れてから自分のベッドの上に腰かけた。

 

 学校を無断で欠席するのは初めてだ。

 

 病気になった場合どうするのかと李亜はみかどに聞いたことがある。

『はぁ、どうやら何もしなくても学校に連絡があるようなんですよぉ~』とみかどは答えた。

 

 この世界は常に監視されているようなものだ。おまけに病気の存在も自由自在。

 正当な理由もなく学校を無断で休めばすぐにバレてしまう。

 

「反省室、行きたくないな……」

 

 まだ反省室に行ったことがない李亜にとって反省室というものは想像もできないくらいおそろしい場所だった。

 

 

■□■

 

 

 無断で欠席しているのにテレビをつけるのはためらわれた。

 沙羅がすやすやと眠っているところを起こしたくないのもある。

 生徒が誰もいない寮はとても静かで、なんともいえない不思議な空気が漂っていた。今はこの静けさを楽しみたかった。

 しばらくすると布団から沙羅が顔を出した。李亜がすぐ目の前にいるのを見て、少し表情が緩んだ。安心したらしい。

 

「寒い」

 

 沙羅は小さく呟いた。

 

「寒い? 僕のとこの布団もいる?」

「違う、そうじゃない」

 

 じぃっと沙羅は李亜のほうを見ていた。

 寒いと言ったはずの沙羅は布団を軽く持ち上げて隙間を作った。

 

「わかったよ……」

 

 制服を着たままの李亜は沙羅が作った布団の隙間へともぐりこんだ。すぐに沙羅は李亜の胸へと抱きついてきた。やわらかい豊かな胸の谷間へと沙羅の顔が埋もれてしまう。

 

「ひゃあっ!? や、やめ……っ!」

 

 思わず李亜は身じろぎして体を後ろへとずらすが、沙羅の手はより強く李亜へとしがみつき、じたばたと動く李亜の背中にしっかりと両手を回していた。

 その動作にいやらしいものは感じられない。これを無理矢理引き剥がせば罪悪感のほうが大きくなってしまいそうだ。

 

「…………」

 

 李亜は沙羅の背中をそっと撫でた。背中にしがみつく腕の力がゆるめられた。

 ずっと寝ているせいか、それとも体調のせいか、温もりきった体の熱がじんわりと伝わってくる。ほのかな汗の匂いが鼻腔をくすぐる。

 どくどくどくどく。

 胸に本人の顔が押し当てられてるというのに鼓動が速くなってしまう。

 どうしよう。李亜はそれしか考えることができなくなっていた。まともな呼吸のやりかたさえ忘れてしまいそうだ。

 

「……魔王アシュメデが、魔王と呼ばれる前のことだ」

 

 ふと呟きが聞こえ、李亜は顔を下に向けた。

 

「魔族の世界は弱肉強食だ。弱い赤子のままで数年も過ごせば食われて死んでしまうだけだ。だから数ヶ月で自立することができる種族だけが生き残った。それでも子供のうちは弱く、家畜同然として扱われる。私も同じだ。家畜となるために生まれ、家畜として育てられた」

 

 沙羅は顔を見せずにもごもごと呟き続けた。

 正直言って、李亜にとっては想像することが難しいことだ。

 李亜にとって沙羅は沙羅でしかなく、幼い黒髪の少女がいじめられて泣いている姿しか頭に浮かばない。きっとそれは“魔王アシュメデ”が語る事実とは大きく離れている。

 

「だから“母親”というものが持てるのはごく一部の強い魔族から生まれたものだけだ。……ほとんどの人間は母親を持つことが許されているのだろう。お前の母親はどんなものだったんだ? ……いや、やはり答えなくてもいい」

 

 もう一度確かめるように、胸へと頭が擦りつけられた。その背中を反射的に撫でようとして李亜は気付いた。

 

 あれ? 今の話ってつまり。

 

「っふ、くふっ」

 

 李亜は思わず噴き出した。

 つまり……僕のことをお母さんみたいだって思ってるってことなの?

 

「……ふふふふふっ、あはははははっ」

 

 そしてそのまま抑えきれない笑いをこぼし続けた。

 ああ、なんだ、そういうことか。

 こうやって甘えてくることに深い意味なんてなかった。

 きっと誰かを好きになることもなかったのだろう。“口説く”という駆け引きのやりかたを知っていても、それが本来どういう意味なのかも知らなかった、子供。

 ひとりだけ空回りしていた事実に気付き、李亜はくすくすと笑い続けた。

 

「な、なんだ、いきなり!? 変な笑いかたするな! も、も、もういい! 暑苦しいから離れろ!」

「いやいやいやいや、遠慮しなくていいよー、ほんと遠慮しなくていいからねー、沙羅ちゃんはいい子だね~、よしよしよしよしよし」

 

 慌てて布団から押し出そうとする沙羅の体を李亜は無理矢理抱き込み、頭や背中を強く無茶苦茶に撫でつけた。最初のうちは沙羅は抵抗していたが、やがておとなしくなり、黙って撫でつけられるだけになった。

 

「……お前が優しくするのは私がか弱い少女に見えるからだろう?」

「…………っ」

「それはそうだな。本来の私を動物のように撫でるなど、気持ち悪くてしょうがない」

 

 沙羅は李亜の体を軽く押した。李亜は素直に腕から沙羅を解放した。沙羅はもぞもぞと動き、李亜から少しだけ距離を取り、向き合うような形で寝転んだ。

 

「この世界は気持ち悪い。幸せの姿を、あるべき姿を当然のように上から目線に押し付けてくる。私はこの世界が嫌いだ。生まれたときから優しく扱われた奴らが、当たり前のように誰かに優しくすることができる世界が。……この世界は魔王アシュメデとして生きてきた全てを否定する……! お前もだ、李亜」

 

 沙羅は布団をぎゅうと握りしめた。

 

「この世界にいれば私は私でなくなってしまう。仮初の世界だとごまかすことなんて、できない。偽りだと思っていたものが本物になり、本物だと思っていたものが偽りとなる」

 

 沙羅はまっすぐに李亜を見て、問いかけた。

 

「私は、いったい誰だ? ……お前は誰だ、勇者トビアか? それとも……」

 

 すがるような顔の黒髪の少女はじっと李亜の顔を見続けた。

 

「君は……『君』だよ。そして僕も僕だ」

 

 李亜は寝転びながらも沙羅の顔にそっと手を伸ばした。布団の熱で火照ってしまった頬が指先に触れる。沙羅は少しだけ目を細めた。

 とても愛らしいと思った。

 たとえ目の前にいる存在が仮初のものだとしても。

 いや、きっと本当の姿なんてものは最初からこだわる必要もなくて。

 

「もし君が君自身が認めてしまうくらいに『松風沙羅』になったとしても、君がかつて魔王アシュメデであったことは変えられないよ。変わることは過去を否定することじゃない。子供が成長して大人になるようなものだよ。……それはきっと、僕も同じだ」

 

 今はまだひとりの少年として心ひかれているけれども、いつかこの好意はただの友情に変わってしまうかもしれない。

 もしかしたらすでに、沙羅を愛らしく思うことは保護者としての感情に変わりつつあるのかもしれないけど。

 

「……だから僕は完全に変わってしまう前にもう一度言う。君のことが好きだ。ひとりの男として」

「ひとりの、男……?」

 

 沙羅はしばらくまばたきを繰り返した。

 

「それはつまり、男として女の私を支配したいと思ってるのか?」

「支配したいとまでは思わないけど……君が他の男とふたりきりになるのは嫌だし、君の隣にいるのは僕であってほしい。それにもっと……触れてみたいと思う。きっと、君の中に『魔王アシュメデ』がいなかったら、僕はここまで心惹かれることはなかった。だから、君は君で……」

 

 李亜は沙羅のほうへとぐいと体を寄せた。そして沙羅が体を動かす暇もないまま、沙羅の頭の両脇に両手を置いた。仰向けになった沙羅が李亜に押し倒されるような姿勢になっていた。

 

「ちょ、ちょっと待て! わ、私はお前のことを、友のようだと思っていて、お前もきっと同じなのだと考えていて、だから……!」

「……うん、だから、もしかしたら本当にそうなってしまうかもしれない」

 

 李亜は小さく悲しそうに笑いながら呟き、沙羅の頬をそっと撫でた。

 

「私は……」

 

 どうすればいいのかわからなくて、見ていることさえできなくて、沙羅は視線をそらした。

 だけどふと思い出したのは俊介の言葉。

 ――『逃げるのはきっと一番残酷なことだと思うから』

 沙羅は唇を噛み、息を飲み込み、李亜と向き合った。

 

「私はお前にどう答えてやればいいのか、わからない。……だが、お前が悲しむところは見たくない。本心だ。信じられないかもしれないが……」

「何も考えなくてもいいよ。何もしなくてもいい。――ただひとつだけ、許してほしいことがあるんだ」

「……なに、を……んっ」

 

 問い返す前に沙羅の唇はふさがれた。李亜の唇で。

 数秒、押し付けられた唇は、押し付けられたときと同じ速さで離れていった。

 

「さてと。もうこれで悩んだり嫉妬するのはおしまいだ」

 

 にぃ、と李亜は明るく笑い、沙羅から離れてベッドから降りた。

 そしてくぅっと背伸びをしてから沙羅に向かって微笑んだ。

 

「そろそろお腹すいたんじゃない? なにか食べる?」

 

 それはいつもと同じ笑いかたで、だからこそ沙羅は理解した。

 三塚李亜が松風沙羅を“男として”好きになることは、もう終わってしまったと。

 そして沙羅自身も、昨日から持っていたもやもややイライラをきっぱりと捨てることにした。

 考えても、しょうがない。

 なるがままにしかなるしかない。

 

 

「どうせ食堂から持ってきたものしかないんだろう。それならいっそ外に食べに行きたいな」

「えー。学生が昼間に街をうろついたら怪しまれるよ。僕、反省室なんて行きたくない」

「……そうかお前一度も行ったことなかったのか……よし、それなら絶対食べに行こう!! けーさつしょの前でさっきと同じことをするのもいいな! ふはははははは! 楽しくなってきたぞ!!」

「や、やだよ! もうしないよ! 腕ひっぱらないで! せめて着替えてから! 君もパジャマじゃなくて他の服着て!!」

「おやぁ~? 松風さんに三塚さん。どうしてまだ寮にいるんですかぁ~?」

「げぇっ!!」

「み、みかどさん!?」

 

 ……なお、その後反省室に行くほどではなかったが、教師からの厳重注意を受けたという。

 

 


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