日曜、の朝。
「はぁぁぁん! 松風さんの髪の毛さらさら~、いい匂いぃぃ~。はぁはぁはぁはぁふんふんふんふんくんすかくんすか」
椅子に座らせた沙羅の髪を撫でつけながらつぐみは匂いを嗅いでいた。もちろんそればかりではない。つぐみは沙羅の髪をくいくいと引っ張りながら細い三つ編みを作っていた。その感覚が沙羅にとってはどうにもむずがゆくてたまらない。
土曜にくっついていたネコ耳や尻尾は朝になったら何事もなかったかのように消え失せていた。
「おい、やめろ。髪なんて別にどうだっていいだろ」
「ダメよ。せっかく写真撮ってもらうんだから気合は入れておかないと」
「むぅっ」
うんざりとした顔を見せている沙羅に、小織はあれこれと化粧品を塗りたくりながら言った。
――朝食を終えてすぐにこの二人はやってきた。
出かける時間までまったりしていようと思っていた沙羅は突然の来訪に抵抗することもできずに、ただされるがままになっていた。
李亜はただにこにこと愛想笑いを浮かべていた。
特に説明されなくても李亜が呼んだということは沙羅にもわかっていた。
「ねぇねぇ、写真撮ってくれる人ってもしかして男の人?」
どこかうきうきと楽しそうにしながら小織は沙羅に聞いた。
「ああ、そうだが」
「それってデートじゃない!?」
「はぁ!? ……えぇっ?」
沙羅は大きな声をあげ、続いて目と口を丸くぽかんと開いた。
デ、デート?
デートというものは確か、男と女が仲良く二人で街をうろつくことだ。沙羅にとってはトラウマを呼び起こす言葉の一つでもあるが。
確かに街をうろつく予定ではあるが、デートだとはまったく思わなかった。
「違うよ、デートじゃないよ。デートじゃないもんね、松風さん?」
そばで様子を見ていた李亜はにこりと笑いながら言った。……ただし目は笑っていない。
「……そ、そうだな」
殺気のようなものを感じた沙羅は視線をそらしながら小さくつぶやいた。
やがてつぐみと小織による化粧は終わり、沙羅は洗面所の鏡の前に立った。
「…………」
何も言うことはできなかった。
いくら美しくても見慣れてしまえばなにも感じなくなる。すでに自分の顔だという意識のほうが強く刷り込まれていた。
しかし化粧をした沙羅の顔は見違えるほどに美しかった。言葉どおりに。
思わず右手で頬をくいくいと引っ張った。ちゃんと自分の顔だ。
ちなみに沙羅が着ている白色のフリル多めのワンピースは、沙羅のものではなくつぐみのものだ。ヒールがついたサンダルも押し付けられた。
「それじゃ私達部屋に戻るね。デートがんばってきてねっ、松風さん!」
「デートじゃないってば、あはははー。ありがとうね、苅野さん、宮飼さん」
しっかりとデートのことは否定しながら李亜はつぐみと小織の二人を見送った。
沙羅は腕を組みながらじとりと李亜をにらみつけた。
「……本当にどういうつもりだ。何かたくらんでるなら早く言え」
「別に。何もたくらんでないよ。黒樹君のときみたいに尾行するつもりもないし」
本当なら徹底的に邪魔してやろうかと思った。
……だけどやめておいた。
告白がうまくいかなかった八つ当たりに写真撮影を無茶苦茶にするなんて、情けなさすぎる。
だから逆に今日の出来事にほんの少しでも介入してやろうと李亜は思った。
写真の中に残る沙羅がいつもよりも美しいのは自分が動いたおかげだと。
それはそれで情けないかもしれないと李亜は密かにため息を吐いた。
「そう言えば君ってさ」
口説く、という行為については知っていたのに『好き』と言われる理由については知らなかった。
そもそも本当に意味がわからなかったのだろうか。うまくごまかされただけにすぎないんじゃないだろうか。
もしかしたらのもしかしたら。……沙羅の本命は今日の約束の相手じゃないんだろうか。
そんなことを李亜は考えてしまった。
「…………」
「なんだ。話しかけておいていきなり黙るな。……と言うかなぜにらむ」
「……別に。早く行きなよ。遅刻しちゃうよ。ほらほら、早く靴履いて。せっかく靴も貸してもらったんだから」
「おい、腕を引っ張るな! 靴くらい自分で履ける! まったくなんなんだ、昨日からずっとおかしいぞ! メンテナンスとやらが終わってないんじゃないのか!?」
沙羅は李亜に追い立てられサンダルを履き、慌てて寮の廊下へと飛び出した。
ガチャリ。
丁寧にも鍵まで閉められた。
「……意味ないだろ。私も開けられるんだから」
かと言って戻る理由はないから沙羅は待ち合わせの場所へと向かうことにした。
■□■
待ち合わせは研究所の前と決めていた。
沙羅自身は時間なんて気にしないで出発したいときに出発するつもりだったが、バスから降りて到着した時刻は待ち合わせの5分前だった。
しかし俊介はすでにそこに立っていた。
「あ」
やってきた気配に俊介は顔を上げた。そして沙羅の姿を見つめてぽかんと口を開けた。
「……え? あれ、松風さん、だよな? や、松風さんなのはわかってるんだけど、昨日とちょっと雰囲気が違うっていうか、すごくなってるっていうか……」
「なんだその妙な態度は。せっかく来てやったというのに」
「あっ、ご、ごめん。ああ、えーと……」
俊介は視線をうろつかせながら口をもごもごと動かした。言うべき言葉を迷っているようだ。
やがて正面から沙羅を見つめて優しく微笑んだ。
「すごくかわいいと思うよ、今日の松風さん」
その言葉を聞いた瞬間、今度は沙羅が言葉をつまらせた。
嘘じゃなく本心だということは俊介の普段の態度から考えればよくわかることだ。
「か……美しいということか?」
「ああ、うん、そうだね。かわいいって言うか、きれいな感じがする」
「な、ならばいいのだ。うむ」
沙羅は小さくため息を吐いた。
魔王アシュメデの仮の器が評価に値する美しさを持っていることは当然のことだ。賞賛の言葉は素直に受け入れるべきだ。
……しかしなぜだろうか。
言われた瞬間から胸の鼓動が少し速くなり、顔が熱い。まともに俊介の顔を見ることができない。
理由はわからないが、落ち着かない。
「なぁ……これはデートというものなのか?」
もしも俊介が肯定したら沙羅はすぐに帰るつもりだったが。
「えぇっ!? デ、デート? いや、俺はそんなつもりじゃ……ああ、でも他人からそういうふうに見られる可能性もあるのか、困ったな……」
意外にも俊介は動揺していた。
「困る?」
「ああ、俺はここの研究員だけど、一応教員のようなものでもあるから。生徒と、その、デートなんてことをしたらいろいろ言われそうな気が……いや、特に罰則があるわけでもないんだけどな」
俊介の都合なんて沙羅にとってはどうでもいい。
「つまりはこれはデートではないのだな?」
「ん、ああ、そうそう。今日は俺の趣味に付き合ってもらってるだけだから。……もし何か聞かれたらそんなふうに答えてくれると助かるんだけど……。いや、実際そうだし」
「そうだな、私はお前の趣味に付き合っているだけだ。感謝するがいい」
「せっかくの休みにごめんな。昨日もバイトだったし。謝礼……出すのはまずいから今日は昼飯をおごるよ。それじゃ、そろそろ出発しようか」