「約束をした。だから明日も出かける」
昼食前に寮に戻ることができた沙羅は開口一番に李亜に言った。
「や、約束? 何の? 誰と?」
「うむ。私の高貴な姿を写真にしたいと言うものがいてな」
「しゃ、写真!? ヌードってやつ? はっ、裸になるのか、君は!」
「裸じゃないと思うが……どうせなら外で撮りたいと言っていた。海や公園を背景にしたいそうだ」
「なんだ、裸じゃないんだね……そうなんだ……」
「ああ、確かに裸体の絵というものは美しいな。この体は膨らみが足りないが美しくないというわけではない。絵として残すにはちょうどいいな」
「だ、ダメ! 絶対ダメ! 他人の前で脱ぐっていうならもうここで僕が脱がして……!」
「な、なんだお前! 下着姿くらいなら何度も見せたことあるだろうが! 今日のお前、本当におかしいぞ!?」
鼻息荒くしながら近づく李亜から沙羅はぶるぶると震えながら距離をとった。ロングスカートからはぼわぼわに膨らんだ尻尾が飛び出ていた。
その時、沙羅の脚に風邪薬が入ったダンボール箱がぶつかった。上には俊介がくれたトレーナーが畳んで置かれている。
「…………」
沙羅はそのトレーナーをつかみあげ、じっと見つめた。
「もしかして、さ。写真撮ってくれる人って、その服貸してくれた人?」
「ど、どうしてそんなことがわかるんだ!?」
「いや、その、なんとなく、だけど……それって男物だよね?」
李亜は眉間にしわを寄せ、手をぎゅっと握りしめた。そして沙羅から軽く視線をそらしながら小さく口を開いた。
「……やめなよ。明日、写真なんか撮りに行くなよ」
「なぜだ」
「だって何されるかわかんないよ? 黒樹君みたいに異世界から来た存在かもしれないじゃないか」
「それなら心配ない。俊介はフェリーを使ってこの島にやってきた人間だ。だから異世界から来た存在ではない。異世界から来た人間が女子生徒以外に変わるときは空き教室を使うと元クラス委員長が言っていただろう。みかどにも聞いた」
「……俊介って言うんだ、その人……」
「うむ。教育研究所の人間だ。あの場所はどこか怪しい。奥に踏み込むためにも親しくする必要はある。……考えてみればこの学園都市の外から来た人間でもあるのか。もっと詳しく話を聞く必要があるな」
「だ、だからと言って! その、やっぱり……!」
李亜は何かを言いかけたが、唇を噛むだけで結局何も言わなかった。前髪をくしゃくしゃとかき上げ、李亜は沙羅に背を向けた。
「……ごめん。ちょっと外走ってくる。僕、ウサギだから!」
「は? お前何言ってるんだ。そんなことして誰かに怪しまれたら、って待て!」
沙羅が止めても李亜は部屋をあっという間に飛び出し、廊下を駆けて姿を消した。昼食のために食堂に向かっていた他の生徒が何事かと見送っていた。
「昼食だってあるのに。あいつ、おかしいぞ」
本当に何を考えているのかわからないといった顔で沙羅はため息を吐いた。
しばらく李亜は戻ってこなかった。沙羅は部屋の中でただごろごろと寝転がっていた。
空が茜色になり始めた頃、ようやく部屋のドアが開き、荒く呼吸を繰り返す李亜が戻ってきた。
沙羅は目をこすりながら上半身を起こした。
「君のことが、好きだ」
赤く染まった李亜の顔を沙羅はぽかんと見上げた。
何を考えているのかわからないがネコの耳がひくひくと動いていた。
しばらく沙羅は無言だったがやがて口を開いた。
「好き、とはなんだ?」
「…………え」
「ああ、言葉の意味が理解できないわけじゃないぞ。私にだって好きなものはたくさんある。コーラもカキフライ定食も好きだ。しかしそれを相手に伝えて何の意味があるんだ」
「何の意味がって、それは……」
いったい何の意味が?
好きだと伝えれば何の変化があると思ったんだろう。
言葉を聞いて明日行かないでいてくれるとでも? そんなわけない。そんな権利ない。
外を走っているうちに抑えきれなくなった思いを伝えたかっただけなのに、それさえも意味がないと言われたような気がして、李亜はくちゃくちゃに顔を歪めた。
「どうした? 腹でも痛いのか? ああ、もしかして昼食も食べずに走ってきたのか。バカだろ、お前」
沙羅はくすりと笑い、ベッドから降りた。そして。
「私もお前のことは好きだぞ、李亜」
黒髪の少女は無邪気に微笑みながら言った。
「うむ。気分は悪くないな。なるほど、こういう意味があるのか」
『ぴんぽんぱんぽーん。もうすぐ夕食の時間です、もうすぐ夕食の時間です』
沙羅が満足そうに呟いた瞬間、夕食を知らせる放送が部屋中に響いた。
「腹が減ってるんだろ。早く行くぞ李亜。もちろんウサギの耳は隠しておけよ」
沙羅は帽子を被りながら李亜に笑いかけ、李亜は――泣きそうな顔でただ歪な笑みを浮かべていた。
……胸が痛い。
結城俊介【ゆうきしゅんすけ】(性別:男)
教育研究所に新しく来た研究員。26歳だが若く見られることのほうが多い。
教育を補助するプログラムを作成しているらしい。趣味は写真撮影。山に登ることも多いため体は鍛えられている。被写体はあまり問わない。
異世界から来た存在ではないことは明らか。