「きんきゅうーメンテナンスでーーーーーす!!!!」
沙羅が洗面所から出た途端、眼前に小さく光る三頭身の人形が現れた。
「うわっ! いきなりなんだ羽虫めが! 半分ほど死ね!」
「ほんぎゃーすっ!」
即座に放たれる一寸の狂いもないネコパンチ!
羽虫ことちんちくりんな人形は壁までばしーんと弾き飛ばされた。
「ええっと、さくりん? それともぷちりん?」
「……さくりんでーす。あなたがたの担当はこのあたしなのです」
さくりんを名乗った人形はよろよろと浮かび上がった。まるで秋の終わりに出てきた死にかけの蚊だ。
そんなさくりんを殴った張本人でもある沙羅は冷たくにらみつけた。
「いきなり出て来るな。反射的に殴ってしまったぞ」
「……明確な殺意を感じたような気もしますけどぅ」
「なに、半分ほどだろう。わざわざ反省室行きになるようなことなどせぬ。ところで何の用だ。緊急めんてなんす? とか言ったか。なんだそれは」
「メンテナンスって言うのはー、生徒の皆様が幸せな学園生活を送り続けることができるようにこの世界の整備や点検をすることですにー。動物の耳や尻尾は皆様のデータ保護のためのものなんですよぅ。けしてつけたほうが面白いから! なんて理由じゃあーりませんよーう! ほんと、ほーんと!」
「……怪しいな」
沙羅はじと目でさくりんをにらみつけた。しかし本当かどうか知る方法は相変わらず存在しない。
「実はですなぁ、システムに強制的に侵入したかたがいらっしゃいましてなぁ、メンテナンスはそのせいで必要になったんですなぁ。いったいどこの誰のせいやら……」
「まったく誰のせいなんだ。迷惑なことをする奴もいたものだ」
「いや、君のことじゃないかな。よくわかんないけど」
沙羅はすっかりとぼけているが李亜には心当たりがある。
システムというものはよくわからないが、数日前、沙羅は魔術を使い強制的にこの世界の外に干渉した。あの行為が何かに影響を与えていてもまったく不思議ではない。
「そおおおだ! 犯人はお前だ! ばっちゃの名にかけて! 真実はいくつかある!」
なぜか蝶ネクタイと眼鏡を身につけたさくりんは沙羅をずびしっと指差した。
「証拠があるとでもいうのか」
「証拠も何もー、この世界の目的をお忘れですかぁー? あなた達の行動は常に記録されているのですよぅ。すっとぼけても無駄無駄無駄ァ!」
「……ちっ」
沙羅は苦い物を噛み潰すような顔をして、前髪をくしゃくしゃとかきあげた。
最初から隠し通せるとは思っていなかったがまさかこんな形で自分に返ってくるとは思わなかった。……反省室に送られるよりかはいいのかもしれないが。
「データ保護のためにって、これってもしかして異世界から来た人にだけついてるとか?」
「そぅいえす! 一般ぴーぽーにはまったく関係がないことです!」
「うわ、それは面倒だな……じゃあメンテナンスっていつ終わるの?」
「正確に言うのでしたらメンテナンス自体は終わってるんですけどー、データ調整のために一日はそのままですよぅ。そうそう、もう二度とあんな危ないことできませんからねー」
「……やらないよね?」
念のために李亜は沙羅に聞いた。
「やらん。この世界がどうなっているのかわからないことのほうが多いんだ。あのときだって失敗すれば死ぬ可能性があった。対策されてしまったのなら今度こそ本当に死ぬと考えてもいいくらいだろう」
「ならいいんだ。よかった」
「生きて戻ってもこんなものが生えてくるのではな」
沙羅はげんなりとした顔で自分のネコ耳をくいくいと引っ張った。獣耳がついてはいるが元から存在している人間の耳が消えてしまったわけじゃない。
「そういう意味で言ったわけじゃないんだけど……ま、いいか」
沙羅の言うとおり、もう一度同じことをすれば今度こそ死ぬ可能性がある。
李亜が心配してるのはそのことなのだが今は言わないでおくことにした。
「そういえば、君って今日はバイトだよね」
病院で治療を受ける代わりにバイトをする。
異世界から来た人間にだけ与えられた条件だ。
沙羅も歯の治療後に仕事の内容について聞かされた。そして寮に帰ってから李亜も沙羅から仕事について教えてもらった。
今日、沙羅は病院横の研究所に行き、引越しの手伝いをしなければいけない。
「こ、こんな姿で外に出れるか!」
「行かなければ反省室行きですよぅ! ではではっ」
「!!」
さくりんが自分のステッキを振り上げると、何事もなかったかのようにさくりんの姿は消えうせた。
沙羅はネコ耳と尻尾をぷるぷると震わせて黙りこんでしまった。
「……僕は今日は外に出るより、反省室に行ったほうがいいと思うけど」
「お前は一度も行ったことがないからそんなことが言えるんだ。あんなとこ、一時間でもいてたまるか」
「でもその姿を見られたら異世界から来た存在だってすぐにわかってしまうじゃないか」
「そんなことがわかる奴だって今はついているんだろう」
「君がネコで僕がウサギだろう。もしかしたら目立たない変化が起きている人もいるかもしれない」
「……隠す。それで問題ないはずだ。お前だって食堂くらいには行く必要あるだろう」
「一日くらいなら食べなくても平気だと思うけど……」
結局、沙羅は帽子を被りロングスカートを履き、李亜は長い髪の毛をツインテールにすることで耳の存在をごまかした。