静かな薄暗い寮の部屋。
朝の光が遮光カーテンの隙間から差し込む。
外からは海鳥達の声がきぃきぃと聞こえていた。
「んーっ」
ベッドに寝ていた李亜は体を起こし、くぅっと背伸びをした。
長い茶色の髪の毛がふわりと広がる。
この世界に来たばかりの頃は肉体の変化よりも長くなってしまった髪の毛の方が違和感があった。常にウィッグを被っているような気がしていた。一ヶ月もしないうちに慣れたが。
壁の時計を見れば食堂が開く時間には少し早い。寮の朝食は和食か洋食かを選べる形になっている。お代わりは自由で、来たばかりの頃に沙羅がお代わりしすぎて授業中も苦しんでいたことは今は懐かしい。
その沙羅はベッドの中でもごもごと動いていた。
なんとなく、起きている気がする。
しかし沙羅に放送が聞こえるまで動く気はないということも知っている。
『寮生のみなさん、おはよーございまーす。朝食の準備ができましたー。お腹いっぱい食べて今日も一日頑張りましょう! みなさん、今日は土曜です。休みだからと言って……』
いいタイミングで朝食を知らせる放送が聞こえた。
「にゅぁ~~」
布団の中で体を伸ばした沙羅がゆっくりと起きあがった。
その頭には動物の耳のようなものがついていた。それを見た李亜は思わず吹き出した。
「ぷっ! なんだよ、その寝癖。ネコの耳みたい」
李亜が笑うと、沙羅は寝起きの顔でじろりとにらみつけた。
「お前こそ、今日の寝癖はひどいじゃないか。私に爆発すると言っておきながら自分が爆発してどうする」
「……もしかして爆発って寝癖のことって、わかってた?」
「…………」
沙羅は黙って顔をそむけ、ベッドから降りた。同時に今まで布団で隠れていた腰の物体がぴょこんと飛び出た。沙羅の腰の後ろには細長く黒い毛に覆われた、どう見ても尻尾と思われる物体がついていた。
「え……えぇ……?」
李亜は頭の“寝癖”と腰の尻尾を交互に見た。いやすでに寝癖には見えない。あれは立派なネコ耳だ。よく見ればぴくぴくと小さく動いているじゃないか。
「ちょ、ちょっと!? なんだよ、それ!」
「ふにゃあっ!?」
李亜は沙羅に駆け寄り尻尾を思いきりつかんだ。途端に沙羅は悲鳴をあげた。演技には見えない。
「…………!?」
沙羅自身もあるはずのない感覚に口と目を丸く見開き、自分の尻尾と李亜を何度も何度も交互に見つめた。
やがてその視線は李亜の髪の毛に向かう。
……起きたばかりで少し寝癖がついている長髪から何かが飛び出ている。
沙羅は寝癖だと思っていた長い何かをぎゅうっと握りしめた。
「ぴぎーっ!?」
李亜の口から小動物のような悲鳴が飛び出た。
髪の毛をつかまれたにしてはありえない感覚が存在する。
二人は顔を見合わせ、洗面所へと飛び込んだ。
洗面台の大きな鏡にはネコ耳が生えてしまった沙羅と、長いウサギの耳が生えている李亜が映っていた。
「あああ……うああ……!」
二人は同時に手と膝をその場についた。
頭をがくりと落とし、ぶるぶると肩を震わせている。
思った以上に衝撃的な映像だったらしい。
「……まさか二回も自分の姿が変わることにショックを受けるとは思わなかったよ……」
「い、いや、この姿は仮の姿なのだからな。この際胸がでかくなろうが身長が高くなろうが私は気にしないぞ」
「気にしないんじゃなくて、それは君の願望だよね」
二人は起き上がり、それぞれに自分の耳や尻尾を触って確認し始めた。
「飾り、じゃないね。触感あるし。自分で思いどおりに動かすのは難しそうだけど」
「いったいなんなんだ、これは。何のつもりなんだ、この世界を創った奴らは」
ちっ! と沙羅は自分の耳を触りながら不機嫌そうに舌打ちしていた。
その尻尾はビタンビタンと床を叩き、尻尾の持ち主の感情をありのままに表現していた。
「……ごくっ」
李亜はツバを飲み込んだ。
ネコっぽいと思うことはあったけど本当にネコ耳と尻尾が生えてくるなんて……。
好奇心を止められるわけもなく李亜は沙羅の頭へと手を伸ばし、耳と耳の間をくすぐった。
こしょこしょこしょこしょ……。
「ふにゅうううう~~~~」
目を細めうっとりとした表情を浮かべた沙羅は次の瞬間に李亜の手を弾き飛ばした。
「やめろ、バカが!」
しかし李亜の手は沙羅のあごの下にも伸ばされる。
こしょこしょこしょこしょ……。
「にゅわああああぁぁぁ……やめろと言ってるだろうが!!」
「か、感覚までネコっぽくなってるのかなぁ……! いや、これだけじゃ本当にそうなのかわからないね、もうちょっと調べるべきだと思うんだ……!」
「そ、そ、そんな必要ない! もうやめろ触るな、と言うかこっち来るな! どうしたんだ、お前おかしいぞ! 落ち着け、少し落ち着くんだ!!」
息を荒くし指をわきわき動かしながら近づく李亜を見て、沙羅は洗面所の壁まで後退して張り付いた。その尻尾はぼわぼわにふくらみ、耳はかわいそうなくらいにぺたんと倒れきっていた。
「ご、ごめん。……なんだろう、君の姿を見ていると胸がざわつくって言うか、」
むらむらっと?
「お前はウサギになっているんだよな」
「うん」
「ウサギの特徴は……なんだ?」
「……音が聞こえやすいとか?」
「それだけじゃないような気がするんだが……」
沙羅はよくわからない寒気を感じて李亜から少しだけ距離をとった。
しかし洗面所にいるばかりじゃ何もわからない。とりあえず二人は洗面所から出た。
そのときだ。
「きんきゅうーメンテナンスでーーーーーす!!!!」