むりがく   作:kzm

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校則その8『体調管理は生徒の義務です』・3

 

 最も先に食べ終えた李亜は沙羅が食べ終わった途端にその手首をつかみ、食堂の出口に向かった。律儀にも食後のトレイを片付けながら。

 

「君、さっきのはなんなんだよ」

 

 教室へと向かう渡り廊下を歩きながら李亜は沙羅をにらみつけた。

 

「言ってはならぬことを隠したら曖昧になっただけだ」

「そうじゃなくて! 随分と自分に都合の、むぎゅっ」

 

 ぽふ、と李亜の唇に沙羅の手が押しつけられた。

 

「騒ぐな。人が見ているぞ?」

「…………」

 

 改めて李亜は周囲を確かめた。

 周りにはそれぞれの教室に向かう生徒や雑談を続けている生徒がいる。沙羅と李亜の二人が特別に注目を浴びているわけではないが、大声を出し続ければ目立つことは間違いない。

 

「それに嘘は言っていない。…………あくまで私から見たことだがな。お前達が何を考え、何を否定するかなど私には関係ない」

 

 李亜は沙羅と並んで歩くことさえ止め、ただにらみつけた。李亜の様子に気付いた沙羅は少しだけ歩いて振り向いた。

 

「……病院ぐらい一緒に行ってあげようと思ったけど、やっぱりやめた。一人で行ってきなよ。みかどさんに病院の場所聞いてさ」

「はっ」

 

 沙羅は鼻で冷たく笑った。

 

「自惚れるな。お前の助けなど最初から必要としていない」

「利用価値があるんじゃなかったっけ」

「価値があるだけだ。便利であることと必要であることは等しくない」

「ああ、わかったよ。そういうこと言うならもう何も手伝わない。君が何か痛い目に会いそうでも何も口出さないから」

「お前こそ私を散々利用しておいて何を言う。お前が私に手を貸すのは自分が正しくあるため、だろう」

 

 沙羅はただ冷たく李亜を見つめた。

 正しい生活をしていればこの世界から早く出ることができるかもしれない。

 もしくは力を失った魔王に手を貸すことは勇者として当然の行為だから。

 どちらの意味で言ったかはわからない。どちらの意味も含まれるかもしれなかった。

 

「自分のために私を利用しておきながら“してやった”などと恩を押しつけるな。付け加えるのならばお前の行動を受けて私に何やら変化があると思うな。――ああ、そうだ。私自身が何か変わるはずもないのだ。私は常に私の為したいことを為してるだけなのだからな。たとえどんな姿になってもだ」

 

 沙羅は忌々し気に恨みを吐きだすように呟いた。

 

「……不愉快だ。お前の善悪など私には関係ない」

 

 沙羅と李亜の間には距離があった。

 それは目で見ればほんの2、3歩だったかもしれない。

 しかし李亜はもっと長い距離を心に感じた。

 

「僕は……っ」

 

 李亜は指先をぐっと握りしめた。

 

「……もう、いい」

 

 李亜は顔をうつむかせながら早足で歩きだし、そのまま沙羅を一人廊下に残して廊下の奥へと消えた。

 その姿を見送った沙羅は。

 

「……ちっ」

 

 短く舌打ちをし、前髪をくしゃくしゃとかき上げた。

 沙羅は自覚していなかったがその顔を見た通りすがりの生徒はこう思った。

 

 泣きそうだ、と。

 

 

■□■

 

 

 ――お前が私に手を貸すのは自分が正しくあるため、だろう。

 

 それは確かにそうかもしれない。最初のうちはそんな気持ちのほうが大きかった。

 だけど今は違う。

 そして沙羅はわかっていない。

 風呂あがりに炭酸ジュースを飲んでほっこりとした姿に、強がりつつも怯えを隠しきれない姿。そしてごく一部の人間にだけは悪態を吐きながらも心を開いている姿。そして最も許している相手が李亜だということ。

 どうして手を貸すのかと言われたらそうしたくなる気持ちを湧き起こさせるから、としか言い様がない。

 それは理屈じゃない。

 

「はぁ……」

 

 ベッドに仰向けになり部屋の天井を見上げながら李亜はため息を吐いた。

 この気持ちをどう伝えればわかってもらえるのか。

 そもそもこの気持ちはいったいなんなのか。

 自分でも、わからない。

 

「いや、その、だってあれは魔王で……!」

 

 ベッドの上で李亜は悶えた。

 現在沙羅は風呂に入っている。順番でもめるのは嫌だったから李亜は夕食前に風呂に入り、その後は部屋から出てロビーの周辺で時間を潰した。

 夕食後はみかどの部屋に行き、いろいろな手伝いをした。

 部屋に戻れば沙羅と顔を合わせたが、沙羅は何も言わずに着替えを持って風呂場に入った。

 

「と言うかだよ、なんでこんなことになってんだよ」

 

 沙羅に虫歯ができて、小織とつぐみに話しかけられて。沙羅が遠回しに挑発してきて、それが少しだけ許せなくて。

 李亜が枕を抱えてもだもだしてると風呂場兼洗面所の扉が開いた。

 

「…………」

 

 出てきたパジャマに着替えてはいたが黒髪からは水滴がポタポタと落ちていた。李亜は何も言わずに寝転がり、沙羅に背を向けた。

 

「……ち」

 

 小さな舌打ちの音が聞こえ、沙羅は洗面所へと戻った。ガチャガチャガタバタンッ! と激しい物音がした後、ドライヤーが動く音が聞こえた。しばらくの後、音は止んで再び沙羅は出てきた。その髪は寝起きかと思うほどにバサバサに乱れていた。

 沙羅は黙ってベッドの布団に潜り込み、李亜はしばらくたってから部屋の明かりを消した。

 それから更に数分後。

 ベッドに潜ったはずの沙羅が起き上がり、李亜のベッドの横に立った。

 

「入らせろ」

 

 返事を聞く前に沙羅は李亜の布団をつかんでいた。

 

「な、な、何をする気だっ」

「お前相手に何もせんわ。いいから一緒に寝かせろ」

 

 止める暇もなく沙羅は布団に潜り込み、起き上がりかけている李亜の横にごろんと寝転がった。自然と二人は近距離で向かい合う姿勢になってしまう。

 今更追い出す気も湧かず、李亜はため息を小さく吐いてから口を開いた。

 

「君と僕って喧嘩してなかったっけ」

「……喧嘩? 殺し合いなどしていないだろ。お前、反省室に行きたいのか?」

 

 沙羅は心底不思議そうな顔をしていた。

 どうやら沙羅にとって喧嘩というものは命の取り合いを含む血生臭いレベルのものらしい。

 

「…………」

 

 李亜のすぐ目の前にいる黒髪の少女は自分から布団の中に潜り込んだというのに落ち着きなさそうにもぞもぞと動き、視線を李亜と合わせないためにひたすらにシーツを見つめていた。

 

「その、私は……」

 

 どうしようかと思っていたら先に口を開いたのは沙羅だった。しかし言葉が続かない。またも続く沈黙。

 沙羅は黙り込んだまま李亜の胸へとがしっとしがみついた。

 

「わっ」

 

 驚いたが突き飛ばすようなことはしない。もう慣れてしまった。

 

「私は私の為したいことを常にしてきた。今もだ」

「これも?」

「……知るか。その、だからお前が私にしてきたことは、私のように……、そのお前が……」

「え?」

「……いや、お前がやりた……うぐ……」

 

 胸に抱きついたまま沙羅は言葉をもごもごとにごらせた。

 

「…………ああああっ! もう! わからぬ! まったくわからぬ!」

 

 沙羅はいきなり叫んだ。李亜の胸にしっかりと抱きつきながら。

 

「お前がいつものように接してくれなければ私は! 胸が苦しくなるんだ! なんだ、どうしてこんなことになってるんだ! 私は怒っているのか? 違う、怒りではないのだ! これは、これは…………ひっく」

 

 ひっく?

 何かしゃっくりのようなものが聞こえ、李亜は胸にしがみついたままの少女のほうを見た。肩が小さく震えていた。演技ではない、と思った。

 そして今日は生理の日でもない。

 李亜はそっと腕を伸ばし沙羅の背中をぽふぽふと叩いた。……まるで子供を寝かしつけるときのように。

 

「…………っ」

 

 びくり、と沙羅の肩が大きく震えた。しかしそれは一度だけで、李亜のパジャマを握りしめていた沙羅の手から力が抜かれるのがわかった。

 やがて沙羅はすぅすぅと寝息をたて始めた。

 

「……どうしよう」

 

 静かになった部屋の中で李亜は小さく呟く。

 眠れない。

 いやそんなことは問題じゃない。

 胸の中にいるのは黒髪の小柄な少女。体格の差はそれほどないが、そっと抱けば折れそうな気もするし、半乾きの髪からはシャンプーのいい匂いが漂ってくる。筋肉はほとんどついておらずどこに触れてもふにふにと少しだけやわらかい。

 こんな存在を抱きしめて冷静に眠れるわけがない。

 

 ――魔王を好きになってしまった。

 

 しかも一人の、ワガママでそれでいて心身共にもろい黒髪の少女として。

 考えてみれば魔王アシュメデと相対したのはこの世界に来る直前だけで、その前は噂ばかりを聞いて姿かたちはまったく見たことがなかった。

 魔王が少女になってしまったと言う気持ちよりも倒すべきはずの相手が実は黒髪の少女だった、という思いのほうが強すぎる。

 

 この気持ちは伝えるべきなのか。

 

 


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