むりがく   作:kzm

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校則その8『体調管理は生徒の義務です』・1

 

 寝る直前、李亜が洗面所で歯を磨いていると、怪訝な顔をした沙羅がドアを開けた。沙羅の手にはいつものように炭酸飲料の缶が握られていた。

 

「お前はいったい毎日何をしているんだ」

「何って歯磨きだけど…………あ!!」

 

 何かに気付いた李亜は慌てて歯ブラシを放り出し、沙羅の両頬をつかんで無理矢理口を開かせた。濃い桃色の口の中には小さな白い歯がきれいに並んでいた。

 

「にゃ、にゃにをしゅりゅ~」

「……汚れてはいないね」

「何をするっ!」

 

 パシッ!

 沙羅は李亜の手を弾き、思い切りにらみつけた。李亜は叩かれた自分の手を軽く押さえた。心配して思わずとった行動ではあるが、当然の反撃でもある。

 

「……食べた後には歯を磨かないといけないんだよ。食後が無理でも寝る前には」

「昼はしていないだろう」

「うがいくらいならしてるよ」

「…………」

 

 思い返しているのか、沙羅はしばらく黙り込んだ。

 

「で、歯を磨かないとどうなるんだ」

「口の中が臭くなったり、歯茎が痛くなったり、虫歯になったり、かな」

「むしば?」

「歯がものすごく痛くなる病気。……ひどくなったら死ぬこともあるよ。と言うか、痛すぎて自殺しちゃうような人まで出るくらい」

「お、お前はまた適当な嘘を言う!」

「本当だよ。嘘なら僕が毎日してるわけないじゃないか」

 

 沙羅は李亜をじとっとにらみつけた。信用できるか、と言った顔をしている。しかし反論できる材料は何もない。李亜自身が毎日実行しているのだから信憑性がある話だ。

 

「……だいたいお前、さっき汚れてないと言っただろ」

「……言ったね」

「ならばする必要もないはずだ。バカらしい」

 

 沙羅は勝ち誇ったように嘲笑し、炭酸飲料を飲みながら洗面所から出て行った。

 確かに汚れてはいなかった。毎日磨いているかのように白く光っていた。

 以前に沙羅は言った。この世界は夢のようなものだと。

 それに部屋の掃除は知らないうちにいつの間にか行われている。いや元に戻されているのだ。

 本当は歯を磨く必要も、もしかしたら風呂に入る必要もないのかもしれない。

 

「……でも」

 

 生理というものは存在した。商業エリアに行ったとき、薬局の看板を見たことがある。風邪薬だって存在している。この世界に病気は存在するのだ。

 嫌な予感がする。

 と言うか、もう起こるだろうとしか考えられなかった。

 

 

■□■

 

 

 学校にある食堂はかなり広い。

 空いているテーブルを探すことは簡単だが特定の人間を探すことは難しい。食堂は他にもあるうえに売店まで存在しているから、この場所にいるとも限らない。探していればあっという間に昼休みの時間は過ぎてしまうだろう。

 だから一緒に食事をしたければ一緒に食堂に向かうしかない。

 

 昼休みが始まると同時に沙羅は李亜の腕をつかんで食堂に向かう。

 

「あのさぁ、たまには僕以外の誰かと話してみれば?」

「必要ない」

「じゃあ食堂行くの一人にしなよ。僕、他の人とも話したいから」

「必要ない!」

 

 一言で切り捨てられ、李亜は密かに肩をすくめた。

 この世界の目的を考えるのなら大人しく教室にいるだけではなく、もっと他の人間と関わるべきではないのだろうか。

 それにすでに一ヶ月以上過ごしているというのにまともに話す人間が存在しないのは、そばで見て心配になる。

 小柄な黒髪の少女が休み時間も寝たふりをし続ける姿はどうにかしてあげたいという気持ちを湧き起こす。中身が魔王だと知っていてもだ。

 ……あのしらはまちゃんでさえクラスメイトといろいろ話しているというのに。

 

 券売機の前まで来た沙羅はカツ丼を選び、李亜は丸天うどんを選んだ。

 そしていつもと同じようにカウンターで受け取り、空いているテーブルの席へと座った。

 卵とじのカツを口に含んだ途端、沙羅は頬っぺたを押さえ、その場に突っ伏した。

 

「どうしたの。舌でも噛んだ?」

「いや……歯が」

「痛む? ……虫歯だよ」

「っ!!」

「とりあえず食べておきなよ。痛いかもしれないけど」

「……うむ」

 

 沙羅は眉間にシワを寄せた難しい顔をしたまま、ちびちびと食事を再開した。痛むのか、時々顔をしかめて手で押さえながら。

 

「……歯を磨けば治るのか」

「ここまで症状が出たら治らないよ。自分じゃどうにもできない。抜歯屋に行かないと」

「ばっしや」

「患者の前で歌や演劇をするんだ」

「なんだ、そんなことでいいのか」

 

 沙羅は小さく安堵のため息を吐いた。

 

「ううん。それは患者の気を紛らわすためで、気がそれた瞬間に工具を口の中に入れてえいやって虫歯を引っこ抜く。その後に薬。お金がある人は魔法で治すけど抜くことには変わりないね」

「っっっっ!!!!!!」

 

 沙羅は目をカッと見開きその場に硬直した。手からは箸が落ち、わずかに肩が震えている。どういう言葉をかければいいか李亜が迷っていると、沙羅は小さく口を開いた。

 

「ま、魔王アシュメデはっ」

 

 その声は少しだけ裏返っていた。

 

「恐れなど知らない」

「……へぇ」

「平気だ。平気に決まっているだろう。そのような拷問、耐えてみせる」

 

 拷問じゃなくて治療なんだけどな、と李亜は思った。が、似たようなものであるとも思っているため、何も言わないでおいた。

 何か言ってからかうのもやめておいた。追い打ちをかけるのは胸が痛みそうだ。

 

「……まぁ、でも。この世界の抜歯屋が同じとは限らないよ。この世界の技術のほうが明らかに発展してるしね。別の方法でどうにかするのかもしれないよ」

「う、うむ。そうだろうな。きっとそうだ、そうに違いないな。はっはっはっは」

 

 沙羅が頼りない空笑いをした瞬間、テーブルの近くに見覚えがある二人が通りがかった。

 

「ああっ! 松風さんと三塚さん! こんなところで出会うなんてもしかして運命!? 運命よね! そうだ結婚しよう!」

「ちょっとつぐみん。松風さん、ひいちゃってるでしょ。少し大人しくしてなさい」

 

 それは苅野つぐみと宮飼小織の二人だった。

 

 


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