沙羅の寝起きは悪い。
本人曰く
「以前はそんなことはありえなかった。寝首をかかれるわけにはいかないからな」
ということらしい。つまり寝起きが悪くなったのは今の体になってからだ。
ただ朝になると朝食の準備ができたという寮内放送がある。それが聞こえると沙羅はむくりと起き上がり、ふらふらと、時には壁にぶつかりながらも食堂に向かった。
「食べれるときに食べておかねばならない」
と沙羅は言っていたが食い意地が張ってるだけのようにしか見えない、と李亜は思っている。ジャムがたっぷり塗られたパンをほお張っている姿を見ると特に。
そう言えば。
三週間ほどしかすごしていないが沙羅が太る気配はどこにもない。
夢のようなものを見せられていると沙羅は言った。みかどもずっと変わらない姿でここに二十年いるらしい。もしかしたら餓死はすることはあっても痩せたり太ったりなんてことはないのかもしれない。
もちろん身長が伸びたり胸が大きくなったりすることも。
「どうした……? いきなりニヤついた顔でこっちを見て」
「え? ううん、なんでもないよ? たくさん食べて大きくなりなよ」
「余計なお世話だ」
李亜を不審げに見ながらも沙羅は手に持っているパンをもきゅもきゅと食べた。
成長することはない。だから病気になることもないだろうとそのときの李亜は勝手に思っていた。
次の日の朝、朝食を知らせる放送が聞こえたというのに沙羅はベッドの中から出てこようとしなかった。
「ほら朝だよ。食堂行かないとご飯なくなっちゃうよ?」
すでに起きていた李亜が布団の塊を揺さぶると中から「うー」といううめき声が聞こえ、沙羅の不機嫌そうな顔だけが出てきた。
「……腹痛い。腰も痛い」
「君、昨日は腹減ったーなんて言って夕食が終わった後もお菓子食べたりジュース飲んだりしていたじゃないか。だからお腹壊しちゃったんだろ」
と言いながらも李亜は少しだけ悩んだ。
食べすぎによる腹痛は病気なのか、それとも自分がまねいた怪我の一つなのかと。
「……本当に腹が減っていたのだから仕方ないだろう」
沙羅はもぞりもぞりと布団の中から這い出て、眠たそうに目をこすった。寝る前に乾かした黒髪は爆発はしていないが、バサバサに乱れており、寝相の悪さのせいかパジャマのボタンが数個外れていた。
「便所、行く」
頭をゆらゆらと動かしながら沙羅はトイレに向かうためにベッドから降り、歩き出した。その背中を見守っていた李亜は「ぶはっ」と噴き出した。
「まっ、待って! ちょっと待って!」
「……なんだ。便所くらい行かせろ。腹が痛いんだ」
いきなり肩をつかんだ李亜に対して沙羅は寝起きの顔でにらみつけた。もし普段ならトイレに行くのを邪魔されたら振り払うだろう。だが沙羅は首を動かすことさえだるそうにしていた。
「えーと、何て言ったらいいのか……君、生理って知ってる?」
「せいり……せいとん? 掃除ならする必要ないだろうが」
「あー、うん、そういう反応してくれるってわかっていたよ? 説明しきれないから見たほうが早いと思うけど……あんまり心配しなくてもいいから。当たり前のことだから、うん。それじゃトイレ行ってきなよ」
「……変な奴だな」
ちっともわけがわからないという顔をし、沙羅はトイレのドアを開けて中に入った。その背中を生暖かく見守りながら李亜は呟いた。
「……下着とパジャマの替えは出してあげたほうがいいのかな」
しかしそんな暇はなかった。
沙羅がトイレに入って数十秒後。
「ぴぎゃーっ!!」
情けない悲鳴がトイレの中から聞こえた。そして中の存在の動揺を表すようにガタガタと物音が。静かになったと思ったらドアが開き、顔がすっかり土気色になってしまった沙羅がふらふらと姿を見せた。
「ま、ま、股から血が、血っ、血が……」
「あー……」
困った顔で視線をそらしつつある李亜に沙羅はしがみついた。
「病気か? 私は病気になってしまったのか? どこか壊れてしまったのか? こ、これから全身から血を噴き出して死んでしまったりするのか? 昨日食べ過ぎたのが原因なのか!?」
「えーと病気じゃない、と思う。たぶん。実は僕もよく知らなくて……そういうものがあるとしか聞いたことがなくて」
曖昧な答えしか返さない李亜に沙羅は顔をひきつらせ、じわっと涙を浮かべ始めた。魔王アシュメデと呼ばれていた存在にとって生理というものはそんなにショックな出来事だったのだろうか。腹から内臓がチラリしても平気な顔していそうなのに。
「みかどさん呼んでくるっ! あの人寮長だし、元から女の人だしっ」
李亜はしがみついている沙羅を引き剥がし、寮長室に向かうために部屋を出た。
「あ! 私を置いていくな! 頼むからここにいろっ、なあ!」
後ろから聞こえてくる悲痛な叫びに少しだけ胸を痛めながら。
■□■
寮長室のみかどを連れて李亜は部屋に戻った。沙羅は部屋を出たときと同じ場所で寒そうに立っていた。
「すいませんすいません遅くなってしまいまして、廊下で五回、階段で三回こけてしまいまして、ええっとそれで眼鏡が途中でなくなってしまいまして三塚さんに探してもらって……」
「い、いいから早くしろ! どうすればいいんだ!」
「すっ、すいませんすいません、えっとですね、こういうときに使うものは洗面所の棚の中にありましてね……」
みかどに教えられながら生理用品を使い、沙羅は新しい下着とパジャマに着替え終わった。沙羅は半泣きになりながらも当たり前のようにベッドに潜り込み、起きたばかりだというのにスヤスヤと眠り始めた。
「……どうしちゃいましょうか」
すでに制服に着替え終わっている李亜は困ったようにみかどに尋ねた。
「大丈夫です。こういうときは休ませてもいいって寮長用の冊子に書いてありました。女の子慣れしてない人へのケアも私の仕事なんです」
「そ、そうなんですか」
「あぁっ!? 私なんかでは不安ですよね!? すいませんすいません、できるだけ痛くしないように早めに楽にしてあげますから!」
「えーと、そんなわけじゃー……」
この人に任せちゃってもいいのかと思ったのは本当だが。みかどの言いかたでは早くトドメを刺したがってるようにも聞こえてしまう。
少し不安になりながらも学校に行く準備をしようとしたところで李亜はとても嫌そうな顔をした。気付きたくないことに気付いてしまったような。
「あ、あの、ちょっといいですか」
「はい?」
李亜はみかどに近づき、声をひそめながら聞いた。こんなことしても無駄だろうということはわかっていたが声を大にして言うことじゃないとも思っていた。
「……この世界を創った人達にとってこういうののありなしって思いのままのはずですよね?」
「ええ、おそらく」
「……正直に言うと、ちょっと気持ち悪いんですけど」
「……私もそれは思いますけどぉ。でも弱者の痛みをわからせるため、ってのも考えられますしー」
「うーん」
納得がいかないという顔をして李亜はみかどから離れた。理由としては妥当だと思うがやはり納得がいかない。
何と言うべきか、……やりすぎではないのだろうか。
だが誰かが正しく答えてくれるわけでもなく、仕方なく李亜は学校に行く準備を再開させた。朝のドタバタのおかげで朝食は食べ損ねてしまった。しかし一食くらいなら餓死しないはずだ。
「それじゃ、お願いします」
「はい。お任せくださいー。あ、そうそう」
「なんですか、みかどさん?」
「もしも感情的になったり普段ならしないことをやったとしても、それは体調のせいなんであまり気にしないほうがいいですよぉ。できるなら優しくしてあげてくださいね~?」
「……はぁ」
優しく? 魔王アシュメデに?
微妙な気持ちになりながらも李亜は返事をして部屋から出た。
「あ、そっか」
ああ、らしくもなく沙羅が泣きそうな顔をしていたのは体調のせいなのか。