沙羅がこの世界に来て二度目の休日がやってきた。実感としては一度目だ。
一週間は七日あり、土曜日と日曜日の二日だけが休日だ。
土曜日の朝、寮の門の前にはふわもこのイヤーマフとマフラーとレッグウォーマーをつけた制服姿の沙羅がいた。
李亜はついてこなかった。
ほんの数分前の出来事を沙羅は思い返した。
直前まで一緒に来るとばかり思っていたのに、なんと李亜は先週のうちに他のクラスメイトに街を案内されていた。
「これとこれとこれを買ったんだよー。僕はちょっとわからなかったから適当に選んでもらっちゃった。お小遣いは学生証にチャージされてるんだって。あ、使いかたわからないなら黒樹君に聞いてくればー?」
李亜のクローゼットの中には沙羅が持っていない私服がいくつかぶら下がっていた。沙羅のクローゼットの中には制服とパジャマとジャージと下着しか存在しない。
「おやおやー、魔王様ともあろうおかたのお召し物はたったそれだけですかー?」
「なっ!?」
「仕方ないよねー、一週間眠ってたんだもんねー? 自業自得だけどねー? ぷふー。何か貸してあげようか? このネコ耳カチューシャとか」
「いらん! 飾るものくらい持っている!」
――こうして沙羅は特に寒くもないのにもらったばかりのイヤーマフやマフラーやらを装備した。
その後は待ち合わせの時間だからと李亜に部屋から追い出されてしまった。
これが数分前の出来事である。
「というかだ。どうして私はここで律儀に待っているんだ」
それにも理由はある。沙羅はまだ学校と寮しかこの学園都市のことを知らない。だから寮の前で彩人を待つしかできない。
「バカが、このまま二人きりだと本当にデートとやらになってしまうではないか。一人だけここの案内をしてもらったからと言って逃げ出しおって……そうかアイツに案内してもらえばいいのか!」
わざわざ彩人に案内してもらわなくても李亜に案内してもらえばいいはず。沙羅は寮内に戻るためにくるりと体を反転させた。
「おはよう松風さん! 少し待たせちゃったみたいだね、ごめん」
だが寮に戻る前に背中に声をかけられてしまった。振り向いて確かめなくても彩人だということはわかった。今日の彩人は制服姿ではなく、シンプルなジャケットとシャツを着ていた。
「どうしたの? 忘れ物?」
「いや、別に……」
ここから戻ったら戻ったで面倒くさいことになるだけだ。そもそも李亜が素直に案内してくれるとは思えない。
そして街の案内が必要な状況はまったく変わっていない。パンフレットに書かれていた簡単な地図だけでは街のことは理解できなかった。
寮に戻ることはやめた。予定どおりに彩人に案内してもらうことにした。
「少しとはいえこの私を待たせたのだからな。罪は重いぞ」
「えー、そんなー。どうしたら許してくれるんだい、松風さん」
「ふっ、決まっている。この私を満足させる案内をやり遂げてみせるがいい。言っておくが私は厳しいぞ。一挙一動に気を払え。少しでも不満があれば許されることは永遠に叶うことないと思うんだな」
「あはは、それは怖いなー。……あ、そうだ」
「どうした?」
「その格好、もこもこでかわいいね。俺と会うからオシャレしてきてくれた?」
オシャレ……?
沙羅の脳内によみがえる反省室での一週間。思い出さなくてもいいのに次々と思い出される嫌な景色。青ざめた顔は幸運にもマフラーとイヤーマフで隠された。
「そんなわけあるか!! こ、これはだな、……風邪をひいたからだ!」
「ああ、まだ体調悪い? 大丈夫?」
叫び返した沙羅の額に彩人の少しだけ冷たい手が当てられた。避ける暇もなかった。
「うん、熱はないみたいだ。でも無理はしないで」
「……早く案内しろ。不満を持たせるなと言ったはずだっ」
無性に悔しくなった沙羅は彩人の足を軽く蹴飛ばした。
■□■
沙羅はかなりくしゃくしゃになっている学園都市のパンフレットを広げた。
中心に寮エリア。その周りを囲むように学校エリア。そしてそれらを囲むように商業エリアが存在している。
彩人の案内でバス停まで歩き、定期バスに乗って商業エリアに向かった。
この学園都市にはバス以外にもモノレールと呼ばれる移動施設があるらしい。
次から次に後ろへと流れていく光景を見るのは沙羅にとって面白かった。窓枠にしがみついて夢中になっていると、景色が急に変わり、車体が少しだけ傾いた。
「……おお」
高台に作られた学校エリアから商業エリアへと続く坂道をバスが下り出したからだ。
遠くに海と、そして小さな小さな船が見えた。島の周囲を囲むように伸びている細長い通路はいったい何なのだろうか。あれがモノレールと呼ばれるものなのだろうかと沙羅はため息を吐いた。
「ほぉ」
「いい眺めだよねー。ほら、あそこ、フェリーが見える。あれがこの学園都市唯一の出入り口だ。俺達学生はここから外に出たら処罰を受けることになるから気をつけて」
「…………」
やはり一度くらいは試しておくべきだ。が。
「……今はやめておこう」
沙羅が無言で考え込んでいるうちにバスは商業エリアへとたどり着いた。
バスから降りて沙羅は軽く背伸びをした。ずっと座っているばかりも同じ姿勢で疲れてしまう。
周りの風景は学校や寮の周囲とはかなり違った。
学校や寮は四角くシンプルなデザインの建物ばかりだが、ここは茶色と白色の屋根付きの建物しかない。どうやらデザインを統一化させているようだ。
反省室で見た住宅街や商店街とはまた違う風景だ。
店にぶら下がる看板の色さえもこげ茶色で均一されている。違いと言ったら店先に並んでいる商品くらいしかない。
道は灰色のタイルで整備されていて歩きやすかった。
「商業エリアは外国の町並みを参考に作られたんだって。きれいだけど同じような風景ばかりだからさ、迷わないように気をつけないと。っと、あそこだあそこ。案内の俺が通り過ぎるとこだったよ。早く早く」
「おい、手を引っ張るな! 自分で歩ける!」
彩人に連れられ、沙羅は一つの店の前にやってきた。
道からよく見えるように作られている大きな出窓にはコートを着たマネキンがいくつか並べられていた。
ここは服を売っている店だ、と言うことは紗羅にもわかった。
「ここが女子達に人気の店。セットで売ってるから初めてでも買いやすいんだって。俺は男だからよくわかんないんだけどねー」
「ふむ。よくわからんがよさそうではあるな」
扉についている小さな鐘を鳴らしながら二人は店の中に入った。