「なんだここは」
気付いたらごく普通の住宅街の真ん中に沙羅は立っていた。ごく普通と言っても魔王アシュメデにとっての普通ではない。デザインを統一させる気なんてカケラもない和風洋風ロッジ風の家が立ち並ぶ、どこかの世界にとって普通の住宅街だ。
「ああ、そうだった」
自分がこんな場所にいる理由についてはすぐに思い出した。
――間抜けにも自分の横で寝息を立てている李亜の胸にキッチンの包丁を突き立てた。
殺しても意味がないということはわかっていたが、どのようになるかを確かめなければ気がすまなかった。
刃が胸に深々と食い込み、赤い染みがパジャマに広がった瞬間、包丁は抗うことができない不思議な力に押し返された。赤い染みも少しずつ消えていった。まるで時を巻き戻すように。
そして視界にザザザッとノイズが走り、ブツンと意識を失った。
「さてここが反省室とやらか」
反省室と呼ばれるのだからもっと苦しい空間に放り込まれるのかと思っていた。極寒か灼熱の空間か。砂漠に一人放り出されるか。ありとあらゆるひどい拷問も覚悟していた。
そしてなぜか沙羅はパジャマではなく制服姿だった。
「反省をうながすような空間だとは思えないが。さて」
何が起こるか。まさか何も起こらない平和な空間が反省室だとは思えない。
などと思っているうちに。
ガチャ、バタン!
目の前にある一軒家のドアが開き、誰かが飛び出してきた。
「やだやだいっけなーい! オシャレしてたら遅くなっちゃった! 大切なデートなのに遅刻しちゃう!」
などと野太い声で叫ぶと同時にダッシュしているのはムキムキマッチョの魔族の男。人間や下級の魔族から『強欲の魔王』『時空を統べる覇者』と呼ばれて恐れられた男はフリフリヒラヒラのワンピースを着て内股気味に走っていた。
沙羅にとっては見覚えがありすぎる姿だ。今の姿よりも。
「うっ、うわあああああああ!? うわああああああああおおおっ!! 何をしているんだ、私! 止まれっ、止まるんだ!!」
沙羅は魔王アシュメデの前に立ちふさがった。だが魔王は沙羅の体をすり抜け前方から後方へと走り去ってしまった。
「な……!?」
沙羅は近くのブロック塀にも手を伸ばした。スカスカ。どうやら地面以外に触れることができるものはないようだ。石を拾うこともできない。
そんなことをしている間に魔王アシュメデの姿はどんどん小さくなっていく。
「待て、待つんだ私!」
どうにもならないことは知っていたが沙羅は魔王を必死になって追いかけた。
たどり着いたのは駅前の噴水広場。
家族連れや友人同士で遊びに出かける平和な光景が広がっている。そこを走り抜ける屈強なスカート姿の男。平和な光景が真っ二つに裂かれていくようだ。だがなぜか誰も驚かない。
「ごめんなさい! 遅刻しちゃった……!」
「ううん、いいよ。実は僕も今来たとこなんだ。だから顔を上げて?」
噴水のところにいたのはこれも見覚えがある少年だった。
勇者トビア。自分と一緒に学園世界に飛ばされて女子高生にされたはずの。
ただ今は戦いをするような姿ではなく黒い薄手のジャケットとシャツを着たカジュアルな姿だった。
「おい! おい、お前! どうしてお前だけ元の姿に戻ってる! そしてどうしてこんなとこにいる!」
沙羅はトビアの胸元をつかもうとした。当然のようにその腕はスカッと空を切った。やはり何もつかめないようだ。そして声さえも誰にも聞こえない。
「ちっ!」
これはおそらく幻覚だ。
こんな意味のないものをいつまでも見せられてたまるか!
沙羅は噴水広場に背を向けて走り出した。が、次の瞬間視界にノイズが走り、後ろにあったはずの噴水広場が前に出現し、視界に入れたくなかった二人がすぐ目の前にいた。
沙羅は一瞬のうちに前後を入れ替えられてしまった。
「どうして遅くなったか当ててあげようか。うん、きっとオシャレしてたから遅くなったんだね」
「えっ、どうしてそんなことがわかるの……?」
「だっていつもの君よりずっとかわいらしかったから。いつもの君ももちろんかわいいよ。でも今の君は――まるで花畑を走るお姫様みたいだ」
「うわああああああああああああああああああああっっっ!!」
沙羅は叫び声と共に自分の目を潰そうとした。だが次の瞬間、体が自分の意思で動かなくなった。瞬き一つすることも許されない。なぜか目は乾かない。目薬がいらないなんて超便利。
「やだそんな……恥ずかしい……!」
両手で顔を覆いながら魔王アシュメデは顔をブンブンと振った。今の沙羅のようなかわいい少女がやれば見れたものになったのかもしれない。だが実行しているのは強欲の魔王、アシュメデ。それはそれはおぞましい姿だった。
なのに周りにいる人間は逃げ出そうともしない。むしろ微笑ましいものを見る視線だ。
「それじゃ出かけられないじゃないか。せっかくのデートなのに。……えい」
トビアは骨と筋肉と拳ダコでゴツゴツとした手の上にキスをした。
がああああああああああっっ!!
沙羅は叫んだあげくに胃の中の物を全部吐き出したいくらいの気持ち悪さに襲われた。もちろんそんなことはできない。
何者にも屈しないと言われていたアシュメデは手のひらの下から真っ赤に染まった顔を見せてくれた。
「さ、今日は映画館だよ。チケットは君のためにもう買ってあるんだ」
「うれしい!」
二人は手をつなぎながらどこかへと走った。沙羅の足は二人を追うように勝手に動き出した。沙羅は血反吐を吐いて死にたかった。
――それから一週間、沙羅はベタベタとした甘すぎる恋愛ドラマを見せられ続けた。しかもヒロインは魔王アシュメデ、相手役が勇者トビアの。
腹も減らないし眠くもならない。丁寧にも寝ている時間はカットしてくれたが鼻歌を口ずさみながら風呂に入っているシーンは強制的に見せられてしまった。
罪が軽ければ最初の方で帰ることができたのかもしれない。
沙羅は……考えることをやめた。
カーテンを閉めた部屋の中。そこは勇者トビアが住むマンションの寝室だ。もちろん幻覚だから架空の設定だ。寮のシングルベッドよりも少しだけ大きいベッドの上に二人が腰かけている。
一人は勇者トビア。もちろんもう一人は魔王アシュメデ。
トビアは自分よりも大きな男であるアシュメデをそっと優しくベッドに押し倒した。ギシ、と鳴るベッドの音が沙羅には悲鳴に聞こえた。沙羅は二人の様子をベッドのそばで直立して見守らされている。
何かを呟こうとしたアシュメデの口はトビアの指によって押さえられた。
「ダメだよ、子猫ちゃん。優しくしてなんてお願いは聞いてあげられない。僕はもう君を食べてしまいたいんだ――」
誰もスイッチに触れていないはずなのに部屋は勝手に薄暗くなった
やがて二人の顔が重なり、指と手が絡み合い、体さえも――
■□■
「…………ッッッ!!??」
沙羅は寮のベッドの上で目覚めた。
「おかえり」
隣にいた制服姿の沙羅が声をかけてきた。
目をカッと見開き、呆然とした顔で沙羅は上半身を起こした。一週間前に着ていたものと同じパジャマだ。髪の毛が少しベタベタとしていたが、夢の中と比べたら不快ではなかった。悪夢を見続けたはずなのに思ったより寝汗はかいていない。空腹ではあるが餓えて死ぬほどでもない。
「ああ、君はずっとここで眠っていたんだよ。一週間もね。大丈夫、変なことはしてないから安心して」
「そうか……」
「反省室ってどんなとこだった?」
やはりバレていたか。
眠っているときに殺したから気付かれないのではと少し期待したが、ちょうど一週間目覚めないままなら気付かれて当然だ。通貨についてはよくわからないが小遣いももらえるらしい。
「ふ、大したこと……」
ないと言ってしまったらどうなるか沙羅は考えた。本当にたいしたことがないと思った李亜は沙羅に対して復讐するかもしれない。もちろん反省室行だ。それはさっきと逆の配役になったものを見るだけじゃないのか?
魔王たる自分が勇者である、いや少年であるトビアに手を出す世界など見せてたまるか!
「とっ、……とても恐ろしいところだった……二度と行くものか……」
「だ、大丈夫?」
最後のシーンを思い出してしまい、沙羅は膝を抱えながらカタカタと震えた。その顔はすっかり血の気が失せている。どこからどう見ても恐ろしいものに怯えるか弱い少女だ。李亜は思わず手を差し伸べた。
「うわあああっ! 寄るな、頼むから寄らないでくれ!! わ、私なんか食べてもおいしくないぞ! 本当だからな!?」
沙羅は差し伸べられた李亜の手を払いのけ、布団を被ってベッドの端っこまで逃げてしまった。もはやか弱い少女と言うより妖精か妖怪の類だ。
元魔王アシュメデは本気で泣きかけていた。
「……そんなに恐ろしいところだったのか」
想像のできない恐怖を考え、李亜はゴクリとツバを飲み込んだ。反省室について聞くことは李亜はやめた。その代わり話さなければいけないことがあったことを思い出した。
「ああ、そうだ。今度の休み、デート行くことになったから」
デートと聞いて沙羅の体は大きく震えた。デートの意味は理解した。本来なら男と女が仲良く二人で街をうろつくことだろう。だが今の沙羅にとってはトラウマの一つでしかない。
「か、か、勝手に行けばいい! 今は私に話しかけるなっ」
「いや、僕じゃなくて君が」
「…………!?」
なんでだ!
さくりん【さくりん】(性別:ない)
三頭身の人形が杖を持った姿のふざけた(自称)妖精。見てるだけで叩き潰したくなる。
学園世界に来たばかりの人間の前に現れる案内係。さくっと殺される。
さくりんを殺した場合、人を殺した場合とは違う反省室に送られる。
殺されない場合の方が珍しい。
しらはまちゃんは殺してないけど、みかどさんはぷちっとやってしまったらしいよ。