探偵な魔女は黒猫がお好き   作:灰かぶり

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刑事な彼の不調和なダンシング

 事件に大きいも小さいも無い。

 それは、シリーズとして何本もの映画が世に出された、とある有名な刑事ドラマの中で言われていたセリフだ。橋を封鎖できない云々、会議室じゃなくて現場で事件は云々、数ある名言の中に埋もれてしまい、あまり脚光を浴びないセリフとも言える。

 だが、西深摩署の刑事である大神十三(おおがみじゅうぞう)の頭の中では今、そのセリフが皮肉なほどにスポットライト付きの脚光を浴びていた。

 そんな大神の意識を頭の中の舞台(ステージ)から引きずり下ろすのは、彼と行動を共にする後輩刑事の声。

 

「先輩、何やってるんすか? 早く行かないと怒られちゃいますよ」

「……うるせぇ、分かってるよ。お前は俺の母親か」

「先輩のお母さんは尊敬しちゃいますよ。なにせ、先輩を育てたんすからね」

 

 こちらへ振り向いていた体を前へと戻し、横顔だけを残しながら「ちなみに俺、先輩みたいな子供育てるの嫌です」と返してきた後輩に、大神は「目で殺す」と言わんばかりの視線を送った。

 

「とても市民の味方とは思えない顔してますよ、先輩。ただでさえ普段から犯罪者面なのに」

「そんなにぶん殴られたいのか、星野」

「遠慮しときまーす」

 

 そう言って完全に背を向けさっさと歩きだす、後輩刑事であり相棒である星野。先輩からの有難いお誘いを間髪入れずに断るとは、本当に生意気な奴だ。

 

(でも、ま……仕方ないか)

 

 大神は諦めにも似た罪悪感を心の中で零し、ゆっくりとした歩調で星野の背中を追った。重い足がひきずるのは、底の磨り減った革靴。別にのんびりしていた訳ではなく、それは抱えきれぬわだかまりが溢れ、足にまとわりついてしまったからだった。

 前を行く星野が立ち止り、開いてしまっていた距離が縮まる。

 

「…………先輩、俺の言う事聞いてました? 急いで下さい、って言ったつもりだったんすけどー」

 

 振り返ったその顔立ちは、見慣れたのほほんとした間抜け面――の、筈が、ちょっと歪んでいる。せっつく態度も合わせて、マイペースな彼にしては珍しい感情表現だったが、大神には星野の気持ちが理解できた。

 だが、納得はしない。

 

「ちゃんと聞いてたよ、ホシノオオジ様」

「やめて下さいってば、それ」

 

 素直に謝るのはプライドが許さなかったので、いつものペースに戻してごまかそうとした大神は、嫌がるだろうと分かっていたフルネーム――星の王子ではなく、星野大司(ひろし)だ――をわざと呼び、ポケットからタバコとライターを取り出した。

 

「歩きタバコはまずいんじゃないっすか?」

「携帯灰皿持ってるからいいだろうが。ポイ捨てなんて地球に優しくないことはしねーよ」

「地球に優しくしても、係長と法律には通じませんよ。この間言われたばかりでしょ」

「……あぁ」

 

 そう言えば最近、この深摩市でも条例として正式に定められたんだった。

 大神は口うるさい上司からつい先日注意された内容を思い出し、罰金はいくらだったかを思い出そうとタバコに火を付けた。端から聞く耳は持っていないらしい。

 大きな溜息と共に吐きだされる、夏の日射しに掻き消された煙。ニコチンが駆け巡った体が感じる事で、味覚では無いから間違っているかもしれないが、美味い。

 

「…………そんなに納得出来ないんすか? この前の事件」

 

 言葉足らずの敬語に加わるのは、馬の耳を持つ大神への呆れではなく、お伺いの気配。

 どうやらすっかり、彼のマイペースを崩してしまったようだった。

 

「別にそんな事言ってねーだろうが」

「態度で分かりますよ。相棒になってどれだけの苦楽を共に過ごし、数々の困難を乗り越えてきたと思ってるんすか。2人の絆はもうそれだけでラスボスさえ倒せるという理不尽なレベルに」

「……一年も経ってないぞ、まだ」

「ありゃま、そうでしたっけ?」

 

 星野は指折り数えて確認すると、手の指だけでギリギリ足りる事に気付いたのか、「じゃあ今は魔王辺りっすね」とのたまった。

 魔王が最後じゃないのかどうかはともかく、ふざけているのに天然っぽく見せる、その惚けた反応。いつもの調子に戻ったらしいが、これはこれでやっぱりむかつくな、と大神は思った。

 大神十三は叩き上げの刑事だ。「踊る」と銘打ってはいるがダンサーの話ではない例の某有名刑事ドラマに憧れて――いた訳ではないが、多少の影響を受けて警察官となった。特に目指していたという事はなかったが、正義感だけは人一倍あった若かりし頃の彼にとって、町のお巡りさんから刑事になることを志すのは自然の成り行きと言って過言ではなく、運もあってか、刑事になるのに時間もそうかからなかった。

 そして、晴れて刑事となってもうすぐ10年。新米の域を抜け、ベテランの域に差しかかろうとしている彼の相棒となったのがこのマイペースな新米刑事、星野大司。

 警察の捜査とは組織で行うものであり、効率化を図る意味でも刑事は最低2人組で動く。そんな大義名分の下で彼と組まされた大神だったが、本当は別の理由があることを知っていた。

 それは、星野が期待の新人で、大神が凄腕の新人教育係だからという、出来ればそうであってほしかったと夢想する理由ではなく、

 

「ったく、なんでお前みたいな奴と組まされなきゃなんねーんだか……」

「顔が怖いからでしょ」

 

 つまり、そういう事だった。

 

「お前は……さっきから人が気にしてる事をズバズバと――」

「別に気にする事無いじゃないっすか。俺はかっこいいと思いますよ、先輩の顔。なんか腕利きの殺し屋っぽいし、大金でしか動かない孤高の狙撃手(スナイパー)とか、国家転覆を狙う元外人傭兵部隊のテロリスト? てな感じで」

「お前のその感じとやらは全く意味が分からんが……結局のところ犯罪者じゃねーか、全部」

「職質されるのは免れない、と」

 

 再び背を向けて歩き出し、「お巡りさんから職質される刑事ってウケますよねー」と言ってきた星野へ、大神は苦々しい舌打ちしか返せなかった。

 つい先日、コンビニに昼食を買いに行こうと財布だけ持って出かけた時、彼の言うウケる事件が実際にあったからだ。たとえ非番の日でも、もしくは家の中に居る時でさえも、大神は警察手帳を肌身離さず身に付ける事を固く誓っていた。

 

「というか、何でお前がその事知ってやがる」

 

 かなりの不名誉だから、あのお巡りにも黙っているようにお願い――脅された被害者のようだったが――した筈だ。疑問に思った大神は、梅雨明けのジメジメした空気の残滓と、炎天下の夏の始まりを大いに予感させる暑さの日中、何故かあまり汗の滲んでいない半そでシャツの背中へと問いを投げかけた。こっちはよれよれのスーツだというのに。

 脱げばいいだけだが、刑事としての妙なこだわりのせいで暑苦しい目に合っている先輩刑事へ、ネクタイも学生のように緩めている涼しげな後輩が、やはり涼しげな声で答える。

 

「もしもの話をしただけなんですけど……もしかして合ってました? 先輩ってば、ますますウケる」

 

 早とちりだった、というのはこの際置いておくとして、

 

「……そんなにぶっ殺されたいか、星野」

「レベルアップしてる。名実ともに犯罪者の仲間入りですね」

「そんな名声ないし、まだ実行もしてない」

「『名実』の『実』は『実力』の『実』ですよ、先輩。俺を殺したら晴れてその腕は血塗れとなり、評判通りの犯罪者面に見合うって寸法です。ワオ、誰もが納得、ハハハハハ」

 

 振り向かないまま笑う星野の肩の揺れが体全体に広がり、こちらをあざ笑うかのようにその背中が震える。

 

(…………なるほどな)

 

 これが、蹴り殺したい背中、というやつか。

 読んだ事は無いが一昔前に流行った小説の題名(タイトル)を思い出し、大神は納得と共にタバコを銜えた。

 肺に入れた煙を、前を歩く背中にヤクザキックをかましたい気持ちと混ぜて吐きだす彼に、もっとソフトな題名(タイトル)だった筈だと訂正してくれる人間は居なかった。ちなみに独り身なので、彼のヘビースモーカーさ加減を心配してくれる人物も居ない。

 田舎の尊敬すべき母親ぐらいだ。

 

(人が下手に出てやったら、調子に乗りやがって……)

 

 彼の母親が聞いたら、いつまで経っても可愛い嫁を連れてきそうな気配の無い息子への愚痴に、「どこで育て方を間違えたんやろねぇ……」と付け加えそうな言い分だった。

 もちろん、自分の中ではあれで下手に出ているつもりだと思っている大神にも問題はあったが、彼が全て悪い訳では決してない。

 つまり、そういう事だ、の詰まる所。良く言えばマイペース、悪く言えばふざけている、正直言えば殺したい、どんな人間がどんな対応をしようともそんな感想を抱かせる奇跡の人材、それが星野大司だった。鬼の上司――口だけは、と思う――でさえも扱いに困ったこの新人を、見た目でビビらせようとあてがわされたのが、鋭すぎる目つきから研ぎ澄まされ過ぎなナイフの雰囲気を放つ大神だったのだが。

 結果は、言わずもがな。

 

「このホシノオオジ様が……」

「ヒロシですってば、もう」

 

 暴力に訴えてもヘラヘラして効かない後輩へ、唯一残った弱点を再び責める。大神としては、何度もそれにイライラの吐け口を頼るのは情けない、という事は分かっていたが、何分致し方ないだろう。敵は宇宙人だ。

 

「それじゃ先輩。ご機嫌が直った所で、さっきの続きっすけどー……」

 

 緩やかに伸びる語調に合わせ、緩やかな天然パーマが風にそよぐ。

 宇宙だろうが地球だろうが、王子なんて大層な身分の輩の髪型はいけ好かない。現実の王子は違うだろうが。

 

「誰がいつ不機嫌だった」

 

 そもそも王子ってのはイケ面に限るだろ、と全く関係無い毒舌を内心で零しながら、大神は星野の横に並び歩いた。

 湯気の立ち上るコンクリートへ叩きつけた革靴が、カツカツと大音量を鳴らす。

 

「先輩っすけど……なるほど、失礼しました。今が不機嫌株のストップ高っすね」

「誰のせいだ」

「夏の仕業?」

 

 こちらを見ずに、首を傾げる星野。

 大神は何も言わず、いつもより余分にタバコの煙を取り入れながら、スーツの内ポケットを探った。出てきたのは、コンビニで販売され多く出回っている、小銭入れと見間違えてしまいそうな携帯灰皿。

 ふぅぅ、と煙付きの溜息を吐きだした大神は煮え繰り返る腸とは裏腹に、冷たい声音を「太陽は罪な奴。バーイ、サザン」と言って空の彼方を指さしている星野に突きつけた。

 

「ぶっ殺すぞ」

「静かな方がより本気っぽく聞こえる不思議。でも、サザンにそんな暴言はいただけないっすよ」

「曲名じゃなくてお前に言ったんだよ」

 

 決して、38枚目のシングルに対して向けたものでは無い。心の中で一つ頷いた大神は、「……もしかして隠れファンっすか?」と追及する星野を無視して、灰の落ちたタバコを携帯灰皿へ入れた。

 大神がまだ十分な長さのあるタバコを捨てたのは、ポップで官能、時には泣けるバラードさえも世に名曲として送り出すそのグループ――またはボーカル――のファンだという事が露呈して、柄じゃないだろと馬鹿にされることを恐れたからではなかった。携帯灰皿越しにまだ燻っていた火元を消す際、焦りでグシャッと中の葉っぱまでぶちまけるほど握り潰してしまったのは、彼だけが知るご愛敬。

 

「まさか先輩がそんな(つら)してサザンが好きだったとは……むしろサザンに謝るべき?」

「おふざけは終わりにしとけ」

 

 むきになって否定すると返って怪しい。そんな考えも少しあっての発言だったが、大部分は本当の忠告だった。

 住所の標識を確認し、頭の中で目印代わりにしていた喫茶店の角を曲がる。

 

「そろそろ着くぞ、現場に」

「アイアイサー」

 

 思考を冷やし、心を燃やす。余計な雑念を切り捨て、刑事としての自分を戒めた大神に、星野のふざけた返事はもう苛立ちにもならなかった。彼も一人の刑事としてきっちり仕事はこなすということを知っていたから、というのもあるが。

 緩やかな坂の上にある住宅街、その頂上付近に位置する5階建てのマンション。周りの建物が低いせいかやたら目立つその事件現場には、歩き煙草をやたら口酸っぱく注意する係長が先に行っているはずだった。

 だが、表で待機などはしていない。さすがに自分の歩きタバコを監視するほど暇じゃなかったようだ。

 つまり、まだニコチン摂取の為の時間的猶予は、残されていた。

 

「そういや、係長が先に行ってるんすよね」

 

 たかが一本、されど一本。安月給故の貴重なタバコを早々と吸い殻にしてしまった後悔、という新たな雑念が早速生まれた時、先ほど頭の中で確認した情報を星野が話題に出す。

 大神は聞き込み中に携帯電話で伝えられた内容の一部を足し、彼に伝えた。

 

「あぁ、さっきの電話によるとな。他の奴らはほぼ別件で出張ってたらしい」

「あの腰もお腹もヘビー級の係長が動かなければならない時が来るとは……人員不足がいよいよ末期っすね、ウチの刑事課も」

(……確かに、な)

 

 大神は心の中でその意見――前半部分は無視して――に同意したが、完全なイエスでは無い。あくまで「一理ある」、だ。

 確かに、定年を迎えた先輩刑事や、仕事がきつくて退職した後輩刑事と、立て続けに2人分の穴が空くという出来事が、大神の所属する西深摩警察署の刑事課ではつい最近起こっていた。これから忙しくなるだろう事を、誰もが予測した。

 が、実際は、予測を上回る程に忙しい。少なくとも大神はそう感じていた。

 

――この街は最近、事件が起き過ぎ(・・)ている気がする。この間のような、妙な事件が――

 

(――俺の、思い過ごし……だよな?)

 

 誰に問う訳でもない疑問を持った大神の遥か頭上。

 流れる雲が光を遮り、過る闇が熱を奪う。緩やかな坂を登る途中、刹那に変わる世界の中で感じるのは、見えない不安と凍える寒さ。

 問いかけた願いが、消える。

 暗く、冷たい。

 

――寒い。

 

「…………先輩?」

 

 鼓膜の振動が揺らす意識。取り戻されるのは、視界と世界。

 そして、似合わない表情をする相棒。

 

「どうかしたんすか? 怖い仏頂面が一段と怖くなってましたけど……」

 

 生意気な相棒のこんな表情を見るのは、今日だけで二度目だ。そして、今日が初めて。

 

「…………何でもない。ちょっと、寒気がな……」

「寒気? ――あぁ、おっきい雲でしたねぇ」

 

 星野が手で庇を作り、流れて行った雲の行方を見つめる。

 そう、ただの雲。太陽にかかり、一瞬曇っただけ。

 

(――それだけ、なのに……)

 

 どうしてこんなに、鳥肌が立っているんだ。

 

「…………汗で冷えちまった、かな」

「かき氷でも食べます?」

 

 ちょうど隣にあった小さな軽食店ののぼり旗、風に波打つ「氷」のロゴを星野が指さす。

 

「……寒いって言ってんのに、どうしてそうなる」

「更なる地獄へご招待」

「ぶっ殺すぞ」

「一緒に行こうだなんて、先輩の愛ってば重い」

 

 身をくねらせて「でもちょっと嬉しいかも……」と言う星野を無視し、大神はいつの間にか立ち止っていた坂の途中を再び歩き出した。恐らく、さっきの表情は見間違いだろう。

 

「ちょっと先輩、相棒なんだからつっこんで下さいよ」

「相棒であって、相方になった覚えはねーよ。おふざけは終わりだって言ったろ」

「――おふざけ……か」

 

 何やら含みのある言い方だけを残し、星野はそのまま黙った。

 人気の無い、閑静な住宅街。自らの足音に混じるのは蝉の鳴き声と、革靴嫌いな相棒のスニーカーがコンクリートを踏みしめる音。

 やや後ろから聞こえてくる、タッタッタッというリズミカルなその音だけが、孤独ではないことを証明してくれる。そんな時間がしばらく続いた。

 

(…………急に大人しくなりやがって。気持ちわりぃ)

 

 口を開こうとも閉じようとも、人を不快にさせる男だ。そんな身も蓋も無い感想を抱きながらも、大神は少し、星野が側に居る事に安心していた。

 心霊スポットを、少なくとも一人で回る事はない。そんな心強さを抱かせる原因は、先程の寒気。刑事の仕事場までの道すがら、大神は歩を緩めず、余計な事だと分かりながらも先程の寒気に関して思考を割いた。

 あれは、何だったのだろう。

 

(まるで……)

 

 冷たい空気に重なる不安。闇。

 まるで、夜の森の中に居たような――

 

(――よるの、森?)

 

 大神は咄嗟に腕へ手を遣り、体が思い出したのか、再び立ちはじめた鳥肌をさすった。

 

(夜の森、なんて……)

 

 次々とプツプツ湧き起こるさぶいぼの保護を諦め、凶悪な目つきを隠す為に長めな自らの髪を、クシャッと掻き上げる。

 

(…………森の中になんて、入ったことねーだろ?)

 

 ただの比喩表現だったのか、それとも自分の記憶違いか。

 いずれにしても、何故「森」などと表現したのか。そんな自分自身が大神には分からず、そして無性に恐ろしかった。

 この世で一番信頼している筈の自分が、どこか遠くに行ってしまったようで――

 

(――考え過ぎだ、俺。下らねぇ……)

「考え込み過ぎっすよ、先輩。下ってどうするんすか」

「あ?」

 

 思考の中断を告げる心の声と微妙に同調(シンクロ)したセリフに、大神は驚き半分で振り向いた。残りの半分は、他人に言われるとムカつく、というやつだった。

 

「『あ?』って……。可愛い反応なんて先輩には無理な芸当でしょうけど、他になんか無いんすかねぇ……」

「言いたい事があるならハッキリ言え」

「お帰りですか?」

 

 ハッキリ言えとは言ったが、脈絡も無く辛辣だ。

 

「帰る訳ねーだろ。事件があったってのに」

「事件現場は坂を上り切った先。なので、帰り道は下り坂。そして先輩は今、下りのスタートを切っている。もう一度聞きますけど、お帰りですか?」

 

 やや冷めた顔つきの星野が、横を見ろとでも言うように右手を上げる。釣られて動かした目に飛び込んでくるのは、事件現場のマンションを囲む壁と、侵入を防ぐフェンス。バルコニー側、マンションの入口無き裏側。

 そして自分が今居る場所は、入口の方へと曲がらずに、そのまま直進した先の下り坂。

 

「……坂だなんて呼べるほど、きつくねーだろ」

「それだけっすか? 言いたい事」

「……通り過ぎてたなら素直にそう言え」

「通り過ぎてますよ、先輩」

「おせぇよ」

「ちなみにこれが3回目」

 

 ピース、とでも聞こえてきそうな星野のポーズは、指が一本多い。

 2回、聞き逃していたようだ。

 

「…………さっさと行くぞ、付いて来い」

「謝る気ゼロの半端ない亭主関白。新婚一年目にして早くも破局の危機?」

「ふざけるな、ぶっ殺すぞ」

 

 かなりひどい言い分だと大神は自覚していたが、こいつだけには絶対謝りたくない、と思いながら引き返し、マンションのフェンスに沿って左へ曲がる。その先に見えたのは、路上駐車している数台のパトカーと警察関係車両、そして制服を着た警官。野次馬はいないが、疎らな通行人が何事かと不審な目を向けていた。

 

「それじゃ先輩。ぶっ殺されたくないんで、おふざけ無しで1ついいっすか?」

 

 見張りの警官が立つ入口へ大神が歩き出すと、星野が背後から淡々とした声で尋ねてきた。

 

「なんだ? これ以上ふざけるようだったら――」

「何考えてたんすか、さっき」

 

 苛立ちを抑えるような冷たい声に、本当にぶっ殺すぞ、という物騒さを増した口癖は続けられなかった。

 珍しい事のオンパレードだ、今日の相棒は。

 

「どうした、星野。らしくねぇな」

「おふざけ無しって言ったのは先輩っすけど」

「まともに喋れるんだなと思ってつい、な」

「……ごまかさないで欲しいんすけどー」

 

 拗ねを隠そうとしない、上がる語尾。珍しいが、聞き覚えがある。

 刑事ドラマのセリフを考えて足を止めた自分に、彼がせっついた時だ。

 

「……ふりだしに戻る、か」

「ゴールっすよ」

 

 そう言って警察手帳を取り出した星野が、ゴールと評した見張りの警官へと手帳を見せる。一緒に居るのだから自身の警察としての身分も立証されており、本来ならば見せる必要は無いのだが、それでも大神は警察手帳を取り出そうとした。トラウマとは根深い。

 大神を追い越し、入口の自動ドアをくぐろうとする星野へ、警官が気合のこもった敬礼をする。

 

「御苦労様ですっ!」

「……ありゃま、どもどもー」

 

 もうちょっとあるだろ言い方が。と言いたい。

 警察手帳を取り出した大神は、見本を見せてやるという心意気で、真面目に職務をこなす若い警官を労った。

 

「暑い中ごくろうさん」

「…………ご、ご、ごく、ごくろう、さささ、さまでありますっ!!」

 

 蛇に睨まれた蛙――もとい、震える警官に敬礼を返し、自動ドアをくぐる。

 何故、だ。

 

「おふざけ無しの割には笑かしてくれますね、先輩」

 

 小窓の前で立ち尽くす星野が皮肉を投げてくる。

 自動ドアをくぐった先の小さなエントランス。侵入を阻むもう一枚の自動ドアは、どうやら部屋番号入力式のロックがかかっており、開けてもらう為に管理人を呼びだそうとしていた所らしい。

 

「俺は大真面目、なんだがな……」

「今更なに傷ついてるんすか? 慣れっこでしょ」

「傷つくことに慣れたら人間終わりなんだよ」

「ヤダセンパイカッコイーホレナオシチャウ。で、誰の言葉っすか?」

 

 やはり刑事物のドラマだったか、それとも先輩刑事の口癖だったか。

 

「忘れたな。そしてぶっ殺す」

「オマケで言った割には、殺害予告が宣告になってるし。タスケテー管理人さーん」

 

 コンコンコン、と星野が小窓を叩く。大神は、警察が市民に助けを求めるな、とは言わなかった。

 いつも通りのからかう口調。しかし一味違うと感じるのは、星野が内心に隠していた苛立ちを曝け出し始めたから。

 そして、その理由が分かっていた大神は下手に彼を刺激しないよう、反対側にある郵便受けに視線を逸らした。彼が出そうとしている話題は、大神にとって非常に罰が悪いからだ。

 

 

 コンコンコン。

 

 

「……あれー?」

「居ないのか」

「そうなんすかね」

 

 重ねたノックにも無反応の小窓を見つめ、星野が首を傾げる。それは、具合が悪い。今は誰でもいいから、第三者が居てくれた方が助かるんだが。

 

 

 コンコンコン。

 

 

 なおも小窓を叩く星野を無視し、大神は事件現場の部屋の郵便受けを調べる事にした。もう調べた後かもしれないが、中に入れるまで星野と会話するよりはマシだろう。

 

(確か、505)

 

 聞き込み中に受けた連絡によると、505号室の高梨宅で死体発見。通報者によると一人暮らしの入居者本人で間違いなく、発見時、既に絶命状態だったらしい。「殺されてる!」と取り乱す通報に、とにかく係長など署に居た刑事が現場に急行した。

 そして、近くに居た大神達にも、すぐに駆け付けるよう命令が下った。

 

(…………だが、殺しにしちゃ暢気だな)

 

 外に居る見張りの警官が一人だった事を思い出し、大神はチラッと外に目を遣った。

 すぐ辺り一帯に警戒網を張れ、とまでは言わないが、せめて2人ぐらいは見張りを配置するべきではないだろうか。

 

(それに……)

 

 空気が、緩い。

 大神は、殺人事件独特の緊張感がこの場に漂ってない事に疑問を持った。これは、星野に言ったら馬鹿にされる「刑事の感」に属する類の感覚だが、大神は何よりも自分のそれを信頼していた。古臭いと言われたらそれまでだったが。

 

(――考え過ぎだな、ホント。今日の俺は)

 

 外の車両を見るかぎり、鑑識は着いているだろうが、捜査員の数は少なそうだったからそう感じたのかもしれない。そもそも、はっきりと「殺されてる」と通報するぐらいだから、さすがに実は事故でした、なんてオチは考え難い。

 

(まあ、現場に行けば分かる事か)

 

 大神は横道に逸れた思考を修正し、放ったらかしにしていた郵便受けの確認作業に戻った。501と書かれた郵便受けから、指をスライドさせていく。

 502、503、――あった、ネームプレートは、

 

「…………小鳥?」

「? どうしたんすか、急に気持ち悪い事言っちゃって。死神すら逃げ出しそうな顔してるんすから、先輩の指には一生止まってくれませんよ、そんなファンシーなもの」

 

 ノックするのを諦めたらしい星野が、大神の可憐な少女かの如き発言を揶揄する。ぶっ殺すのは後にするとして、

 

「いや、仏さんは、高梨のはずなんだが……」

 

 そう言って大神は、郵便受けのネームプレートを指さしながら、星野の位置から郵便受けが見えるように体をどかした。

 

 

『505 小鳥遊』

 

 

 ネームプレートの字を見た星野が、なんでもない事のように言う。

 

「あぁ、タカナシっすよ、これ」

「――何?」

「そう読むんす。小鳥が遊ぶって書いて、タカナシ」

 

 電話口から聞いた「タカナシ」を、頭の中で漢字へと変換した故の勘違い。

 被害者は、小鳥が遊ぶと書いて、タカナシ。

 

「……あぁ、そうだったな」

「知ったかぶりは体に毒っすよ」

「…………」

「……また無視、ですか」

 

 口を尖らせる星野という、国宝及び重要文化財指定基準並びに特別史跡名勝天然記念物及び史跡名勝天然記念物指定基準を満たす特別天然記念物――――要するに、とんでもない物を見逃し、大神はひたすらネームプレートの字を見つめた。

 知ったかぶり、ではない。知っている。知った。

 しかも、つい最近。

 

(どこかで、聞いた……?)

 

 たかが珍しい苗字の読み方だと切り捨てるには妙に引っ掛かり、大神は必死で記憶を探った。

 小鳥が遊ぶ。そう書いて、タカナシ。誰かがそんな事を言っていた。

 

 

 コン、コン、コン。

 

 

 静かな空間に響く澄んだ音が、記憶の引き出しの鍵穴を見えなくする。それでも、あと少し。

 小鳥が遊ぶ。小鳥の、遊び。

 

 

 コン、コン、コン。

 

 

 キツネが、うるさい。

 違う、小鳥だ。うるさいではなく遊び――

 

 

 コン、コン、コン、コン、コン、コン、コン。

 

 

「――っと」

「…………なにやり切った、みたいな声出してやがる」

「三三七拍子」

「ぶっ殺すぞ」

「一本締めがお好みで?」

「黙ってろ、というか叩くな。邪魔だ」

 

 大神は記憶の鍵を落としてしまった苛立ちを星野にぶつけた。

 外国風の呆れや疑問を表すジェスチャーのように、星野が開かない自動ドアと管理人室の小窓を両手で示す。

 

「今邪魔なのはこの状況で、俺はその状況を切り開く為にこうやって管理人さんを呼んでいる。先輩は何もせず、また考え事。さて、邪魔なのはどっちでしょう? ヒントは、ベランダが無いのに買った物干し竿、または釣りなんてしないのに買った釣り竿」

「…………」

 

 ヒントの意味は、無用の長物。正解は、自分。随分と遠回しな嫌味だが、大神は怒りを感じるよりも驚いていた。

 キレたら無表情で早口になるんだな、こいつ。

 

「……居ないなら叩いても無駄だろうが」

「それならそれで、次に取るべき行動があるでしょ」

「あ?」

「『刑事なら一秒でも多く、頭と足を働かせろ』って教えてくれたのは、先輩なんですけどね」

 

 生意気な口から飛び出したのは、昔自分が教えた言葉。自分も、先輩から教わった言葉。

 真剣な顔をしている星野に対し、よく覚えていたな、と大神は感心した。そして、不真面目な後輩という評価を少し見直していた時、背後の自動ドアが開いた。

 慌てて入ってくるのは、先程の蛙警官。

 

「も、申し訳ありません! 管理人は今、現場検証の為に上に行っておりまして――」

「だから通用口からですよね。早く行きましょう」

「え?」

 

 焦る警官の言い訳を奪い、星野が外へ出ていく。

 

「あ、あの――」

「謝る必要ないですよ、時間を無駄にしたのはあなたのせいじゃないですから。ただ、誰かさんの頭の上に滝を降らして修行僧のように悔い改めさせる時間が必要だったんです。効果の程は分かりませんけどー」

「――は、はぁ。修行、ですか……?」

 

 目を白黒させる警官に続き、大神は閉まろうとしていた自動ドアを手で抑えながらくぐった。

 

(修行、ね)

 

 入口の横、一階に隣接する形の居住者用駐車場へと案内する警官に続きながら、前を行く星野の後頭部を見つめる。

 

(『頭を冷やせ』とは、随分偉くなったもんだ。しかもめんどくせぇ……)

 

 もうちょっとストレートに言えないもんかと思った大神は、目の前のユルフワ天然パーマを見て無理だろうなと悟った。人柄とは髪型にも出る、かもしれない。

 




*4/25、26

 タグ追加、というか変更。そして2話と3話の黒猫のセリフ一部削除。2話はニュアンスをちょっと変えただけで、3話は「バカ」消去。勢いで書いてしまったが、黒猫は意味を知らない設定だった……。2話の部分は、まぁ、辻褄がちょっとだけ合わなくなる位のもので、気にする程でも無かったのですが一応……。

 これより以前に読んで頂いた方に、改めて謝罪を……! あんまり、居らっしゃらないですが……!

 そして次話は、続きから。どえりゃー長くなったのでカットして投稿しました。ファンタジーは何処へ……。

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