劇場版クレヨンしんちゃん ちょー嵐を呼ぶ、黄金の聖杯戦争   作:ホットカーペット

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大変遅くなって申し訳ございません。
おまけに話があまり進まなくてすみません。
プロットの段階ではこの三倍の速さで進んでいたんです。
書いてるうちに半分になって、中身作っているうちに3分の1になっちゃった。
どうしてこうなった!



第2話 “野原”の日常

 

 

「た、頼む~みさえ……もう勘弁してくだせぇ……。

お前はマリリ・モンローだ……決してコッペパンなんかじゃないです……。

叩くところがないからって顔を殴るのはもうやめちくり~」

 

野原家の一階、寝室に並べられた布団の中でひろしは魘されていた。

夢の中でみさえは、ひろしに向かってラッシュを繰り出しており、背後には幽霊のような男がみさえと共にパンチを叩き込んでくる。

「オラオラオラオラァ!」と叫びながら何故か時間を止められた上で迫り来るみさえは、まさしく悪夢そのもの。

終いには波紋を流されタンクローリーに潰され、そして顔面に渾身のパンチを叩きこまれそうになった所で――

 

「ハッ!?」

 

まさに最悪の瞬間、続きを見るのを生存本能が拒否したのか、拳が迫るその一瞬でひろしは夢から目覚めた。

慌てて布団から跳ね起き、そこがエジプトではなく家の中であることを確認。

ついでに顔面が無事である事を確認して、自分が柱の一族とか吸血鬼ではなく野原ひろしであることも確認する。

 

「…………なんだ、夢か~……。

ぁぁぁ、夢でよかった~~」

 

ほっとするあまり、ひろしは布団の上でしくしくと泣き出す。

夢の中でも妻の尻に敷かれている自分に嫌気を覚えつつも、一方で妻がスタンド使いでなかったことに安堵する。

時間を止められた上に延々と殴られ続ける感覚は、悪夢に等しい惨たらしい仕打ちであった。

実際に悪夢であったのだが。

 

寝室のカーテンからは、布の向こう側から光が差し込んでおり、部屋を僅かだか明るく染めている。

太陽の位置から、朝が到来したことをひろしに告げている。

そういえば今は朝だけど、いったい何時なのかとひろしは寝ぼけ眼で布団の近くに置いてあるはずの時計を確認しようとした。

 

「すぴー……すぴー……」

 

時計のあるところには、時計よりもやけに大きく、しかももぞもぞと動く物体が。

暗闇の中、目を凝らして見てみると、そこには時計……だけではなく、静かに寝息を立てながら時計を抱いたまま眠る息子の姿があった。

 

「なんだよ、しんのすけ……時計抱いたまま眠りやがって……。

お前は卵を温めてる親鳥か何か……ふぁ~~」

 

一体何をどうすれば、隣の布団から時計のある所まで寝相で移動できるものか。

大事そうに時計を抱えながら眠る姿は、産んだ卵を抱えている親鳥そのもの。

きっと夢の中でも鳥になっているに違いない。

 

そんな息子の可愛らしい一面を寝ぼけ眼で見たひろしは時間を確認することも忘れ、すぐさま眠気の赴くままに布団に潜り込み、二度寝の体制に入る。

そして直ぐにことの重大さに気が付き、跳ね起きた。

 

「――――時計っ!?」

 

そうだ、さっきしんのすけは時計を抱えていた。

そしてしんのすけの抱いている時計は、ボタン式のアラーム時計であったはず。

それが人によって強く抱きかかえられていたのだから、時間になっても鳴るはずがない。

 

慌てて時計もろとも一体化しているしんのすけをそのまま持ち上げ、腹の時計を確認する。

 

「い、今何時だよ!?

……9時ぃ!?」

 

時計の短針はアラームがなるはずの7をとっくの昔に通過し、すっかり左を向いていた。

それを認識した瞬間、ひろしの脳裏には今日の予定が走馬灯のように過ぎさっていく。

 

――今日は平日、会社がある。

そして、思い返せば早朝からだい~じな会議があったよーななかったよーな……。

いや、確かにあった。数日前から上司からも散々念を押されていたっけ……。

そして現在時刻はとっくの9時。ということは……。

 

「――だあああああああああああああああっ!!」

 

ひろしは叫んだ。そりゃもう大声で叫んだ。

完全に遅刻だ、大遅刻。

その上大事な会議まですっぽかしてしまった。

 

もはや怒られるどころの話ではない、会社に大損害だした時点で責任問題だ、その上……。

首がポンポンはね飛ぶ最悪の状況が頭に思い浮かび、野原家にひろしの絶叫が木霊する。

その悲鳴に慌てて跳ね起きたみさえもまた、しばらくしてひろしと同じような理由で絶叫したのであった。

 

「すぴー……すぴー……」

 

なお、それにも関わらず時計を抱え込んでいた本人は、全く夢の世界から目覚める気配はなかったそうな。

 

 

 

 

 

コトコトと鍋の中の具材が煮込まれ、溶け出した味噌の良い香りが辺りに漂う。

フライパンの上では卵が熱せられ、炊飯ジャーからはお米の匂いが鼻孔を刺激する。

家族の朝食を作るのは主に主婦の役割であり、そこから漏れることもなく、台所でみさえが普段通りに朝食を作っていた。

違いといえば今日の朝食が前日とは違い和風である点だろう。

 

「……でも良かったわよね~、実は時計の針が動いてた……なーんて」

 

目玉焼きに味噌汁、ご飯と一般的な朝食を作りつつ、みさえは今朝の出来事を思い返す。

 

絶叫が飛び交い布団が宙を舞う波乱な目覚めであったが、結局、種を明かせば彼らが起きていたのはなんの偶然か、いつもどおりの時間であった。

というのもしんのすけが抱いた時に時計の針が動いたのか、腹の中の時計の時刻は現在時刻よりも数時間ほど進んでいたのである。

最も時間が大切なひろしにはどっちが正しかろうが関係なく、彼は本気で現在時刻が9時であると思い込んでいた。

故に彼の意識では遅刻したことに変わりはなく、みさえが居間の時計との時刻の差異に気がつくまで、ひろしは白い塊と化していたのである。

 

「よかねーよ。

ったく、今回ばかりは心臓が止まるかと思ったぜ……」

 

白い塊から無事に人間に戻ることができたひろしだったが、危うく大事な会議をすっぽかして、サラリーマン生活に致命傷が与えられる寸前(というより、ひろしの中では致命傷だった)の身としてはあくまで慰め程度にしかならない。

そもそも時計に悪戯なんかしないでほしいと切に願うのだが……そんな願いが天に届いたことなどこれまで一度もなかった。

 

「ウチの時計、なんていうか本当に仕事できないわよね。

何か別のに買い替えたほうがいいのかしら?」

 

「何にだよ?

しんのすけに抱かれない、ひまわりに分解されない、士郎がわざわざ一階まで止めにこない、お前に壊されない。

そんな時計があったらもうとっくの昔に買ってるって」

 

野原家の時計ほど仕事をしない――いや、仕事ができない時計もないだろう。

今日に限らず、過去にも早朝に何かしらの用事があるときや旅行するときなど、何度も早起きを予定するような場面は何度もあった。

その度に目覚まし時計がかけられていたのだが、大事な会議とか早朝に何かしらの用事があると、全くもって役に立たなくなる。

となると当然予定した時間に起床できなくなり――どういうわけか必ずと言って遅刻してしまうというジンクスがある。

 

まず、今日に限らずしんのすけは時計を服の中や布団にしまう悪癖の持ち主。

ひまわりは赤ん坊にして時計分解中毒者。

士郎は親切のつもりなのか時折トイレの最中に、わざわざ勝手に止めに来て部屋に戻る(しかもその時の記憶は全くない)。

 

お陰で目覚まし時計が機能したことは殆どなく、その度に大騒動を起こした上で遅刻し、朝に苦労する生活が続いているのだ。

 

「「はぁ~~……」」

 

とことん遅刻と縁の深い野原家であった。

頭痛や胃へのダメージに互いに深~~いため息を吐きつつ、ひろしは眠気覚ましのコーヒーを流し込んで新聞を広げる。

しばらくするとドタドタと階段を降りる音とともに、士郎が台所に顔を出した。

 

「おはよう、父さん、母さん」

 

「よ、士郎。おはようさん」

 

「おはよう、士郎」

 

士郎の自室は野原家の二階部分にある。

その為朝の騒動でも起きなかったらしく、何事もなかったかのように普通に挨拶を交わして席についた。

 

が。

 

「あ、そうだ、二人共聞いてよ。

今朝あたり、なんだかもの凄い悲鳴があったよーな気がしたんだけど……何かあったりした?」

 

「「っ!」」

 

どうやら聞こえていたらしい。

士郎の質問にギクリ、と二人は震える。

朝に聞いた悲鳴というのは、もちろん二人のあの悲鳴であることに間違いはない。

あの時の二人の悲鳴は実は二階にまで聞こえており、夢の中の士郎を一時起こすまでの音量であったのだ。

 

「ああ、い、いや、なんでもないなんでもない。

きっと気のせいだろ、うん」

 

「そ、そうそう、きっと夢の中の出来事よ」

 

「「あ、アハハハハハ………」」

 

「?」

 

阿鼻叫喚の出来事を思い出したくないのか、二人は早朝のことを無かったことにした。

まあ結果的に何もなかったのだから、別になんともないさ……と、みさえとひろしは互いに目で示し合わせる。

そんな二人のおかしな態度に首を傾げつつ、まあ何もなかったのならこれ以上聞かなくてもよいか、と士郎はテーブルの上にチラシへと目を戻した。

 

「ててててて」

 

さて、士郎が起きたことで反応した野原家の一員が、もう一人。

野原家の長女、ひまわりである。

大人たちは辛い朝であるが、食べる、遊ぶ、寝るが仕事の赤ん坊にとって昼夜の区別はなきに等しく、早朝でも元気全開で遊んでいた。

一人で居間で暇をつぶしていたひまわりであったが、起床した兄の姿を見つけるとすぐさま近づいた。

 

「たいぁー、うー」

 

「ん?」

 

足元まで移動したひまわりは士郎の足を引っ張り、自身の存在を主張する。

おそらく遊んでくれ、と言っているのだろう。

そんなひまわりの態度に気がついた士郎は、ひょいと妹を抱き上げる。

 

「……お、ひまー、おはよう」

 

「とたとー!」

 

「お前は偉いなー、ちゃんと早起きできて。

お兄ちゃんなんかまだ寝てるっぽいしな」

 

野原家の家族は一人を除き、既に全員が起床していた。

ひろしを一時期絶望に追いやった朝に起こった騒動の主犯は――噂をすればなんとやら、のそりのそりとゆったりした動作で台所に現れた。

 

「ううーん、朝の香りはバードピア……オラは渡り鳥パトロール……」

 

もそもそと、半脱げのパジャマを引きずりながら最後まで寝ていたしんのすけが現れた。

幼稚園児にとって早起きはつらく、普段の機敏な動きからは考えられないほどに動作は怠慢であった。

いまだ半分は夢の中の鳥状態なのか、寝ぼけ眼で大きな口を開けて欠伸をする弟に士郎は苦笑する。

 

「しんのすけ、わけわかんないこと言ってないで早く着替えるぞ」

 

「士郎にーちゃん、オラまだ眠いんだゾー……」

 

「そんな事言ってると、また幼稚園バスに乗り遅れるぞ?

ああ、ほら、ちゃんとパジャマ脱いで……」

 

しんのすけの通うふたば幼稚園は、早朝に送迎バスが各家庭を回る。

もしこれを逃すと、幼稚園へは自転車通学となるため、何としてでもバスに乗らねばならない。

しかもそうなった場合、幼稚園に届けるのはたいていがみさえの役割だ(たまに士郎)。

 

そうなると結構面倒であるため、早朝に比較的手の開いている士郎がしんのすけの着替えを手伝う。

手間のかかる弟をあやしつつ、ボタンを外していると……しんのすけは、上目遣いでぽっと頬を染めていた。

 

「や、優しく脱がせてねェ~ン……?」

 

「お前は一体、何を想像してるんだよ!?」

 

自分の行為の一体何処に頬を染める要素があったというのか。

 

「いやー、日々の生活に潤いを持たせてあげようと思って」

 

「いらねーよ、全っ然いらねーよ!

無用な気遣いだよ本当に!」

 

弟にそんな顔されても全然うれしくないし、正直気持ち悪い。

まさしく心底無用な気遣いであった。

 

「そーだぞ、しんのすけ。

そーいうのはな、お前じゃなくて女の子が言えば喜ばれるんだよ」

 

ひろしはというと、そんな二人を咎めるかとおもいきや的はずれな主張を始める。

 

「いいか、二人共?

女のパジャマを脱がせるってのは、男の夢なんだからな~」

 

女性のパジャマを脱がせるのは、男の神聖な儀式。

一人のチェリーボーイが、立派な男になるための必要な儀式なのである。

故にそうそう出すものでも体験するものでもないのだ……と、ひろしは持論を並べる。

 

「ほほう、そーなんだ。

ちなみにとーちゃんとにーちゃんはどんな人を脱がせるのがいいのー?」

 

「うーん……そうだなぁ。

やっぱりこう、紫色の髪の眼帯しててさ、献身的な幸薄い女性がいいなぁ……」

 

「俺は……そうだな、縦ロールの金髪女性がいいかな?

こう、さ、高貴なオーラ纏っててさ、名家の生まれでさ。

『脱がせてくださる?』とか聞かれるのがたまんねー!」

 

しんのすけの着替えは中断され、朝から“誰のパジャマを脱がせるか”について議論が開始された。。

ひろしはどこぞのペガサスに乗る英霊な彼女がいいと主張し、士郎は誰がいいかと聞かれ、どこぞの名門魔術師一族の主席候補を思い浮かべた。

傍らから見れば非常に馬鹿に見える会話であるが、本人たちは至って真面目なのがたちが悪い。

 

「おうおう、士郎もマニアックな所いくね!」

 

「そりゃ父さんの息子だからな!」

 

互いに互いの趣味が気に入ったのか、大笑いで褒め称える。

外見は和気藹々とした雰囲気であるがその内容は至って馬鹿丸出し。

血は繋がっていなくとも、間違いなくこの二人は親子であった。

いろんな意味で。

 

「――――うぉっほん!」

 

そんな幸せな世界に、突然亀裂が入る。

幸せな世界に浸っていた三人の間に割って入ったのは、朝食を作っていたみさえであった。

不機嫌な顔の侵入者は鼻息荒く、先ほど作り終わった朝食の乗ったお盆をゴトン! と乱暴にテーブルに落とし、三人の顔をぐるりと睨みつける。

 

「三人共……そんな下らないこと話してると、本当に遅刻しちゃうわよ?」

 

献身的で薄幸でも貴族の生まれでもないただの主婦みさえ、彼女の三人を目を見るその目は非常に鋭く。

その視線は朝っぱらからしょーもない話題で盛り上がる男性諸君に冷水を浴びせる。

 

「ハッ!? さ、さっさと食って会社行かなきゃな!」

 

「お、俺も学校があるしな!」

 

「オラも幼稚園行かなきゃ!」

 

特に自分の夫がチェリーボーイ卒業が眼帯した訳のわからない女性がいいと言われたみさえの怒りは、当然ひろしに向けられている。

朝からみさえの怒りの受けてはたまらないと、慌てて三者三様に食事を開始。

みさえの怒りを向けられ、夢の中での出来事を思い出したひろしはひときわ早く朝食を平らげると、逃げれば勝ちとばかりにすぐさま玄関へと向かう。

 

実際に会社員であるひろしは、この三人の中でいち早く出かける立場にある。

 

「じゃあ、仕事に行ってくるわ!

この分じゃあ朝の会議は大丈夫っぽいな」

 

「行ってらっしゃーい。

お土産はグレードチョコビプレミアムセットね~」

 

「あ、じゃあ俺は中華鍋。

鉄分補給できるおっきいやつな!」

 

「するかっ!

あと士郎、おみやげ頼むんならもう少し高校生らしいおみやげを選べ!」

 

出かけようとするひろしの背後、壁から顔を出しつつおみやげを主張する息子二人。

しんのすけはともかくとして、おみやげに中華鍋とはいったい何なのだ?

高校生のくせに調理器具を欲する息子の将来心配をしつつ、ひろしは会社へと向かう。

 

「俺もごちそうさまでした、さて、と……」

 

「にーちゃんオラを着替えさせて~」

 

「ごめんな、しんのすけ。

ちょっとひまわりにご飯上げなきゃいけないからな」

 

「むー……」

 

しんのすけは士郎に着替えさせてと要求するものの、士郎にはひまわりに食事を与える仕事が残っていた。

断られてしまったしんのすけであるが、士郎を取られたとはいえ流石に相手は赤ん坊。

この状況下で妹を怒るわけにもいかず、おとなしく一人で着替えようとするが……。

 

「…………へっ」

 

「!?」

 

笑われた。

そんな彼を、彼女は笑った。

ひまわりは今、明らかにしんのすけを見た上で、嘲笑した。

負け犬の彼を、兄の腕の中で抱かれるという勝者の上から目線で笑ってみせたのだ。

 

(く~~~~!

生意気な、赤ん坊の癖してッッ!)

 

その心情は男を取られた某ばら組担任のよう。

怒りのあまりしんのすけは何処からかハンカチを取り出して、それはそれは激しく噛みしめる。

 

「ほらひま。

ご飯だぞ―」

 

「たぃあー♪」

 

(キィィィィィィィィ!)

 

しんのすけの嫉妬心などつゆ知らず、士郎はひまわりを片手で抱き上げ、スプーンで一口一口食べさせる。

ひまわりは兄を独り占めできて大変ご満悦であり、あえてしんのすけに見せつけるようにして食事を口にしていく。

それがまたしんのすけの嫉妬を煽り、さらに激しくハンカチを噛み締め――。

 

ブチッ!

 

「…………」

 

刃すら受け止める歯によって、ハンカチが真ん中から二つに裂けた。

よりにもよってしんのすけお気に入りのアクション仮面ハンカチが。

 

「オラ……何やってんだろ……?」

 

勝手に激怒し自分で宝物を粉砕、ふんだり蹴ったりである。

どんよりと落ち込むしんのすけを、ひまわりに食事を終えた士郎が見つけた。

 

「しんのすけ、何落ち込んでるんだ?

一緒にバスの見送りに行くぞ~」

 

「!

うっほほーい!」

 

流石は士郎にーちゃん、オラをまだ見捨ててはいなかった!

先ほどとは心機一転、ハンカチを破壊したショックは消え失せしんのすけは思い切り喜ぶ。

玄関へと向かう二人をまだ遊び足りないのか、ひまわりが背後からその後を追いかける。

 

「ててててて」

 

「あ、ひまごめんな。

ちょっと今遊んでる暇ないんだ」

 

「ひま、お前はじゅーぶん士郎にーちゃんと遊んだでしょ。

今度はオラの番!」

 

「むぅー」

 

かまってくれない兄に、今度はひまわりは剥れる番となった。

それで終わればよかったのだが――。

 

「……エッヘヘヘヘ♪」

 

後ろにいるひまわりにむけて、士郎を独占しているしんのすけはニヤリと、あえてひまわりに分かるように笑った。

さらに先ほど笑った仕返しとばかりに、自慢気にダブルピースを送る。

無論、それを見たひまわりはたいへん激怒。

 

「!? てぁ!!

く~~、たぃぁくぁwせdrftgyふじこ!」

 

「あー、ごめんごめん、直ぐ戻るからな―」

 

「むー!

ててててててて!」

 

ひまわりは必死で足元にいる邪悪な存在を士郎に訴えるが、士郎が足下で行われている攻防やひまの怒りに気が付くはずもない。

当人がまるで分かっていないことにさらに激怒したひまわりは、諦めきれないのか士郎たちの後を猛烈なスピードでつけていく。

 

 

玄関にてしんのすけと待つこと数分、しんのすけの通う幼稚園のバス――通称猫バスが到着した。

バスの扉が開き、しんのすけの担任である吉永みどりが顔を出す。

 

「おはよーよしなが先生!」

 

「おはようございます、先生」

 

「おはよう、しんちゃん。士郎くんもおはようございます。

いっつもご苦労様です」

 

「いえいえ、こちらこそ。

しんのすけ、幼稚園じゃ先生のいうことをよ~く聞くんだぞ?」

 

遊び盛りの幼稚園児というのは、大人からすれば面倒のかかる存在だ。

こと、しんのすけが何かしらの行動を取ると常に騒動がついて回るので、先生方には兎に角迷惑をかけている。

それは特に、しんのすけのクラスであるひまわり組の担当であるみどりにとっては……。

 

「大丈夫ですよ~、いつもの事ですから。

……あら」

 

「…………本当に、いっつもすいません。

ホラ、先生に迷惑かけるなよ?」

 

「ほっほーい!」

 

しんのすけを乗せると、バスは出発する。

窓からこちらへ手を振る弟に手を振り返し、士郎もさあ登校しようと玄関においてある鞄を手に取りに戻る。

いざ出かけようとすると、居間からみさえが困惑した表情で出てきた。

 

「ねえ、士郎。

ひまわり知らない?」

 

「え、ひまわりがいないのか?」

 

「それがね、どこにもいないのよ。

さっきから探してるんだけど……いったいどこに行ったのかしら?」

 

士郎たちがバスを待っている時、みさえがひまわりを探しに居間に入ると、ひまわりの姿は影も形もなかった。

ひまわりはしんのすけの妹だけあり、行動範囲が無駄に大きい。

みさえは寝室や台所、ひまわりが秘密の隠し場所にしてるトイレなども探したのだが、何処にも見当たらず。

玄関には士郎たちが、窓も鍵がかかっているため、外に出れるはずがない。

となると残るのは、必然的に室内ということになるのだが……。

 

「分かった、俺も探すよ」

 

好奇心旺盛で、しかも小さい赤子。

見つけるのは難しい。

登校時刻まではまだ時間があるため、士郎もひまわりを探そうと家の中に入る。

 

「おっかしーなー……さっきご飯上げてたのに。

おーい、ひまわりー?」

 

「たぃあー」

 

士郎が名前を呼ぶと、何処からか声が帰ってくる。

 

「あれ、そこかしら?」

 

「ん?

後ろか?」

 

声のする方向を振り返ると、みさえと士郎は互いに顔を見合わせる。

 

「いない……」

 

「わね……」

 

「ぃうー」

 

「もう、ひまったらー?

どこにいるのー?」

 

呼ぶたびに返事は帰ってくるものの、声を頼りに振り返ればそこには誰もいない。

声はすれども姿は見えず、ひまわりは一体何処に消えたのだろうか?

 

「もう、一体どこにいるのかしら……」

 

「おーい、ひまー」

 

「あう~」

 

士郎がひまわりを呼ぶと、また返事が聞こえてくる。

互いに振り返ると、しかしまた誰もいない。

 

「…………ん?」

 

ふとんの中を探していたみさえの手が、ふと止まった。

みさえや士郎が呼ぶたびに聞こえてくるひまわりの声。

それは全て、士郎の近くから聞こえてきていることに気がついたのだ。

 

(も、もしかして……)

 

声をかけて振り返っても、そこには士郎がいただけ。

であるので今度は“声をかけずに”、ひまわりの捜索をしているゆっくりと士郎の方を振り向き――。

 

「って士郎、背中!

背中にひまが張り付いてる!」

 

「え……んなっ!?」

 

「えへへ~♪」

 

見つからないのも当然――ひまわりは、士郎の背中に今の今までべったりと張り付いていた。

実は先ほど、士郎がしんのすけを見送ろうと玄関にて靴を履いているその僅かな隙に、ひまわりは素早く接近し背中にしがみついたのである。

それからはしんのすけやみどりはもちろん、バスの中にいた誰にも気配を気取られることなく背中に張り付き、そして微動だにせずにいたのだ。

その隠密スキルはもはやアサシンクラスといってもよいかもしれない。

 

「なんで背中に張り付いてるのよ!

お前は忍者か!」

 

「い、いったいいつの間に……」

 

「もう、ひまったら!

お兄ちゃんはねー、これから学校なの。

迷惑かけちゃだめよー?」

 

「むぁー!」

 

みさえが引き剥がそうとするが、まだ遊び足りないのかひまわりは士郎の背中から離れようとしない。

 

「ごめんなひまわり。

帰ってきたら遊んでやるかさ、さ」

 

「むー……」

 

遊ぶ約束を取り付けてなおふくれっ面のひまわりであるが、とりあえずは納得してくれたらしくようやく制服から手を放した。

 

「それじゃあ、行ってくるよ。

母さん、ひまわり」

 

「いってらっしゃーい。

気を付けてねー」

 

「たぁー!」

 

母親と妹に見送られ、二人に手を振りつつ士郎は、冬木にある学校へと向かったのだった。

 

 

 

「――でね、士郎にーちゃんは縦に長いくるくるパーマの人のボタンを外すのが好きなんだって」

 

「えーと……それってさ、要するにアフロな男の服を脱がせたいってことなの?」

 

「……士郎さん、随分変わった趣味持ってるんだな」

 

幼稚園行きのバスの車内。

しんのすけは友人たちに今朝の出来事を――誰のパジャマを脱がしたいかという話をしていた。

無論幼稚園児が大人の趣味を完全に理解できるはずもなく、やけに改悪された内容となっている。

 

マサオは士郎の謎の趣味に戸惑い、ヘタに聡明な風間は逆に邪推している。

一方のネネは、年上の高校生の恋愛に興味津々であった。

 

「あーら、世の中恋愛は自由よ?

男が好きな男の人だって、いたっておかしくないんじゃない?

ねえ、ボーちゃんはどう思う?」

 

若くして同性愛を認める幼稚園児。

春日部の住人の精神年齢は、かなり高い。

 

「……人の趣味は、人それぞれ。

決して笑ったりしちゃ、いけない!」

 

「おーーーー!

流石はボーちゃん!」

 

「流石はかすかべ防衛隊一の賢者!」

 

「かっこいい!」

 

「……ボー……」

 

人間として立派なことを言ったボーちゃんに拍手喝采が送られる。

実はそこに根本的な間違いがあることに、彼らが気がつくわけもない。

 

「……士郎くんって、あんな趣味持ってるんですね……?」

 

「まあ子どもたちの言うことですからね、話半分に聞いておきましょう……」

 

そして、運転手たる園長と、みどりもまた。

幼稚園バス、そしてふたば幼稚園に――士郎の趣味が激しく曲解されて広まっていった。

 

 

 

 

 

 

士郎が住んでいる街、春日部から彼が通っている高校――「私立穂群原学園」が存在する冬木市へは、電車を利用して通学している。

春日部から冬木へ、サラリーマンや学生でごった返す電車に揺られ、冬木へと向かう。

駅から通学路へ、学校に近づくにつれて、次第に通学路は同じ制服を纏った学生で溢れていく。

 

「おいっす、一成」

 

「む、野原か。おはよう」

 

その通学路の最中、士郎は友人の一人である眼鏡をかけた男子学生、一成と顔を合わせた。

 

“柳洞一成”。

士郎のクラスメートであり、生徒会長でもある。

しんのすけ曰く“生徒会長オーラ”を発しているらしく、そのカリスマ性は高いとされている。

容姿端麗成績優秀、頭脳明晰を地で行く凄い人間であり、士郎は“男じゃなく女だったらよかったのに”とうっかり発言し彼との間にホモ疑惑が密かに持ち上がってたりしている。

 

そんな一成と士郎は、不思議なことに友人であった。

元々共に根が真面目なのが気が合ったのかもしれない。

 

「最近寒くなったよな」

 

「うむ、ようやく冬らしくなったと言ったところだな」

 

「冬は嫌だよな~、寒いし雪かきとか大変だし。

寒くなると女の子の肌の露出も減っちゃうし……はぁ~~……」

 

「……お前は本当にブレないな」

 

ここ数日、随分と気温は下がり冬模様が街に見え始めていた。

学生たちはマフラーやコートを羽織り、各々の防寒対策をしている。

そうなると自然と女子たちは厚着となり――父親に似て女の子好きなのか、士郎は寒くなったことよりもむしろ女の子の露出が減ったことに残念がっていた。

寒さよりも女性の露出を心配する彼を一成は呆れ顔で見つめていた。

 

そんな二人の話を背後から聞いていた女子生徒が、残念がる士郎の姿を見てケラケラと笑っていた。

 

「よーう、士郎。相変わらず女の後でも追っかけてるみたいだな?」

 

「なんだよ、綾子。

人がまるで女の子好きなみたいに言いやがって」

 

「いや、実際そうだろ?

お前のいままでの言動を考えてみろって」

 

振り返ってみると、そこにいたのは“美綴綾子”。

彼女もまた一成と同じく士郎の同級生であり、士郎が所属している弓道部の部長でもある。

容姿端麗、才色兼備と揃った美少女であり、姉御肌な性格もあってか男女からも人望が厚く、学校での人気は高い。

 

ちなみに士郎から見ると彼女とは友人関係であると同時に、部長と部員の関係でもある。

役職は綾子のほうが上であるが、弓道の実力では士郎のほうが上であり、大会では幾度となく優勝を飾るほどの腕前を誇っていることから「穂群のシモヘ○ヘ」「赤毛ゴルゴ」という名が出回っているほどであった。

 

「そうそう、士郎。

この前ウチに新入部員が入ったんだ、少しでいいから道場に顔出しといてくれないかな?」

 

「お、新入部員が来るのか、分かった。

今年は可愛い子とかいるかな~?」

 

前述したように士郎は弓道部のエースであり、つまりはこの学校における“顔”でもある。

部長としては、有数の実力者を後輩に顔見せさせるのは当然の事である。

が、そんな事情も知らず士郎は可愛い後輩の姿を想像して顔がにやけ気味であった。

えへらえへらと笑う同級生に綾子はハァ、と頭を押さえる。

 

(こんな奴が私より実力が上なんて……その上……ハァ)

 

「オイ、士郎。

お前はな、ウチのエースとして後輩に指導する身なんだぞ?

若い子にそんなだらしない顔見せるなって。

そんな体たらくじゃ、他の部員に示しもつかないぞ?」

 

「若い子って……オイ、一年年下なだけではないか美綴」

 

綾子に突っ込む一成。

弓道場の中では、何人か後輩が既に練習を始めていた。

 

「――だからさ、お前はたるんでるんだ。

もし何かしらの噂がたったら困るのは――」

 

「――あ、見て!

あれ、弓道部の野原先輩よ!」

 

弓道場に入っても綾子の小言は終わっていなかったが、士郎の姿を見た後輩たちはそれはそれは騒ぎ始めた。

 

「大会で穂群原を連続優勝に導いた、うちの学校のエース!」

 

「試合で出した成績は脅威の命中率99%!

人呼んで冬木の赤毛スナイパー!」

 

「「「きゃー!」」」

 

前述したとおり、弓道部のエースとして活躍している士郎は当然学校の内外で人気がある。

こと、弓道を志す女子にしてみれば所謂アイドル扱いであり、士郎の姿を見つけた後輩たちは黄色い歓声を上げて『サインください!』『握手して!』と一斉に群がった。

当然、アイドルに夢中な彼女らの目に、隣にいる部長は映らない。

 

「むぎゅっ!」

 

数の暴力により説教は中断、綾子は押しのけられ、士郎は後輩たちに囲まれる。

士郎は可愛い後輩に囲まれアイドル扱いされ、まんざらでもない表情だ。

 

「い、いや~困ったなー。

それじゃサインでも……」

 

「…………」

 

調子よくサインやら握手やらをする士郎。

その姿はどことなくふたば商事で働く某サラリーマンを思い起こさせる。

当然、説教を中断されたり士郎に女子が群がったりと、綾子は色んな意味で面白くない。

 

「士郎ッ!」

 

「ん?

い、いってててててて!」

 

鋭い声が聞こえたと思ったら、耳に激痛が走る。

士郎は割って入った綾子に耳を引っ張られ弓道場の隅へと引き摺られていった。

 

「もう、言ってるそばからお前は!

いいか、お前はウチのエースなんだ!

エースとして上級生としてもう少し貫禄を持ってだな……」

 

「は、はい。すみません。

すみません、反省してます……」

 

綾子の表情は完全に怒り顔。

怒り狂った女性の機嫌を取るためには、例え自分が悪くなかったとしてもとにかく謝るしかない。

士郎はそれを父親から教えられ、同時に目の前で見ていた。

 

父親にならいへこへことしきりに頭を下げて謝る士郎。

その光景を見ていた後輩たちは、若干引いている。

 

「……さ、流石は部長。

あの野原先輩が腰に敷かれてる……」

 

「すご~~い……」

 

「まさしく女性は強し、だな」

 

まるでどこかの家の夫婦の様子を幻視したような気がした、一成であった。

 

 

 

「耳が痛ぇ」

 

「自業自得だ……」

 

綾子に引っ張られ、寒さとは別に赤くなった耳をさすりながら教室へと入る。

結局あの後後輩の前で長々と説教されるわ、お陰で足は痺れるわと朝から散々であった。

 

「よっ、士郎!

おっはよーさん!」

 

「あ、藤ねえ。

おはよう!」

 

士郎を呼び止めたのは、彼の担任である藤村大河だ。

ちなみに彼女にタイガーと言うのは禁句である。

 

「あ、士郎。

この前みさえさんにいただいたお漬物、とっても美味しかったってお礼言っといて頂戴?」

 

「ああ、わかった。

母さんに伝えとくよ」

 

二人の関係は、単なる教師と生徒というものではない。

もちろん別に禁断の恋という意味ではなく、かつて士郎が世話になった衛宮切嗣の、彼の住居を用意したのが彼女の祖父なのである。

その祖父の孫娘である大河は、時折衛宮家を訪れたり掃除をしていたりと、なにかと切嗣の世話を焼いていた。

ある日、時折家を訪れていた野原家と知り合うこととなり――なんの偶然か、こうして士郎の学校の教師となり今でも交流が続いているのである。

 

(独り身は寂しいのか)彼女は時折、野原家を訪れてはしんのすけやひまわりの面倒を見ることもあり、家族とは仲が良い。

両親からの反応もよく、みさえともこうして料理をおすそ分けしあう仲となっていた。

 

その親しみやすい性格から、生徒たちからの信頼も厚く、意外に聡明な部分もあるために教師としての実力は高い。

最も、野原家で見せる素の彼女は、最近みさえに類似する点が多くなり始めているのは秘密である。

 

(バラしたら竹刀のプロトンスイッチで殺されるからなー……)

 

「さ、みんな席について!」

 

大河の号令と共に、生徒たちは席につき、朝のHRが始まる。

それが、野原士郎の日常であった。

 

 

 

 

 

 

午前の授業を終えると、昼休みを迎える。

たいていの学生が教室や学食に向かう中、士郎は生徒会室のストーブの前で工具を片手に陣取っていた。

 

「毎度毎度悪いな、野原」

 

「いいっていいって、これくらい」

 

数分ほど前、一成から故障したストーブを修理できないかと頼まれた士郎は、二つ返事で引き受けこうして生徒会室まで来ていた。

手先が器用な事、そして“とある理由”により機材の修理が得意な士郎は、こうして時折一成から学校の機材の修理を頼まれることが多々ある。

一成としては予算不足による苦肉の策であったが、士郎としては内申点も稼げるうえに楽してそれなりの“対価”が貰えるので結構おいしい仕事だったりする。

 

ちなみにこれから士郎が行うのは、普通の修理ではない。

ストーブという重厚な金属の塊を直すことは容易なことではなく、通常ならば士郎のような学生では難しい作業となる。

ましてや目の前のストーブのように、“どの部分が壊れているのか”から調べる場合だと、かなりの時間を擁することとなる。

 

――そう、通常の手段ならば。

 

「それじゃあ、始めるか」

 

士郎は手をストーブにかざし、精神を集中させる。

精神を統一させ、外界からの音を、一切遮断する。

 

――ガキン、と“何かが落ちるような感触”と共に、士郎の脳裏にストーブの構造が浮かび上がった。

 

「――うん、ちょっとネジが緩んでるところがあるな。

そこ直せばまあしばらくは持つだろ」

 

「そうか、ならよかった。

――しかし、なんとも不思議な力だな、壊れた部分が自然に分かるとは……」

 

一成は、士郎の持つ不思議な力に唸る。

士郎の特殊な力……それは、機械に手をかざし何やら念じれば、自然と機械の構成が分かるというもの。

 

特に壊れた箇所を修理する場合は壊れた状態も分かるため、今回のように修理にはもってこいの能力であった。

士郎はこうして、生徒会室のストーブをこれまで何度も修理していた経験がある。

 

「ハハ、まあ自分でも不思議に思うよ」

 

(――まぁ世の中には魔法とかパラレルワールドとかタイムマシンとかあるくらいだしな~。

いまさらこれくらいじゃあ驚かないし)

 

一成から見れば摩訶不思議な力であるが、タイムマシンとか光り輝く温泉とか巨大ロボとか映画の世界とかパラレルワールド、この世のありとあらゆる不思議な力を経験していた士郎にとって、この程度の超能力などなんとでもない。

それこそあらゆる望みを叶える願望器とか実は何度も見てきた立場で考えれば、今更機械の構造が分かる程度とか別に「その程度?」で終わってしまう程度の神秘だ。

むしろそのような経験をしたために彼の中に秘められていた、ある種の才能が開花しつつあるのかもしれない。

 

兎に角破損箇所は分かったのだからと士郎はごそごそと工具を取り出し、破損した箇所を修理していく。

もともと手先が器用であることも幸いし、士郎は手慣れた様子でストーブを修理していく。

その様子を見ながら、一成がぽつりと呟いた。

 

「ただ、どうせならその力で直してほしい所だな」

 

「だよな。

なんで構造とか壊れたところしか分かんないんだよ。

微妙に使いづらいことこの上ないんだよな~……」

 

前述したとおり、士郎が分かるのはその物体の構造、そして壊れている箇所ぐらい。

壊れた部位が分かったからといってどうにかなるというものではなく、その先はどうやっても人力が必要となる。

さらに壊れた部分がもし士郎でも修復不可能な部位であったら、それはもうお手上げなのである。

 

この世界には色んな力があるというのに、どうして自分は物の構造がわかるだけなのだ……と世の中の不条理を士郎は嘆いた。

 

「あーあ、魔法の力とか欲しーなー……。

こう、自分の思い通りの道具作れたりとか物直す力とかー」

 

「そんな便利すぎるものがあってたまるものか。

ホラ、購買のパンとかお菓子を持ってきたぞ」

 

「おう、いっつも悪いな。

それじゃー頑張んなきゃな……探せば意外にあると思うんだけどな~……」

 

実は自分の中に眠るとんでもない才能に微塵も気が付かず、士郎は愚痴りつつも代金とばかりのお菓子やパン目当てにストーブを修理していく。

もしその光景をあかい魔術師がいたら、魔術を安売りされてていることに噴出し、激怒していただろう。

 

――そして、実はそれは遠くない未来であったりする。

 

 

 

ストーブの修理を終え、一成から受け取った報酬代わりのお菓子やらパンやら戦利品を抱えて士郎は教室に戻った。

そんな彼の姿を見つけたのは、士郎の友人である間桐 慎二である。

 

「よう、野原。

相変わらず慈善事業に勤しんでるようだな?」

 

「慎二、違うぞ。

これは資本主義の相応の対価なんだよ」

 

「何言ってんだ、お前?」

 

士郎と慎二はクラスメートであると同時に共に弓道部に所属しており、所謂“悪友”の関係にあたる。

これに一成や綾子を加えたのが、主にこの学校における彼らの交友関係であった。

ちなみに三人と共通してそれなりに女性にモテる性格や顔であるが、別に品性高潔という訳ではないので、士郎とその手の話題で盛り上がることも多々あったりする。

 

(パンごときで何度も修理に駆り出されるお前もお前だけどな……)

 

「あ、そうだ。

慎二、この前お前から借りておいた雑誌後で返すよ」

 

「分かった……ってあの雑誌お前が持ってったのかよ!?

クソ、道理で何処にもないわけだ……桜に見つかったのかと思ったじゃないか」

 

数日ほど前、慎二の所有していたアダルト系雑誌が忽然と姿を消した。

何処を探しても見つからず、てっきり妹に見つかったのかと報復にビクついていたのだ。

当然彼の妹がそんなことに気がつくはずもなく、何も言わない妹にさらに怯え、家では休まらない日々が続いていたというのに……。

 

「お前な、いい加減その癖やめろよ!

いったい誰に似たんだよ!?」

 

「ごめんごめん。

……慎二、まだ桜に尻にしかれてるのか?」

 

「ふ、フン、お前には関係のないことだろ?

それに、妹に兄が負けるなんてあるわけ無いじゃないか!」

 

そんなことはない――と、慎二は主張する。

変にプライドの高い慎二にとって、年下の、しかも妹に負けることなど彼あってはならないことである。

そう、兄より優れた妹などいない!

 

「ふーん……だってさ、桜」

 

「っ!?」

 

「嘘だ」

 

「こ、この野郎!」

 

とは言うものの、実際の力関係は未だ桜のほうが上。

桜の名前が出た途端、慎二は思いっきりビクついた。

その慎二の態度そのものが、間桐における兄妹間の力関係を如実に表している。

 

「クソ、もうこの話は終わりだ、終わり!

そうだった……野原、お前遠坂について何かしらないか?」

 

「え? 遠坂?

遠坂になにかあったのか?」

 

遠坂凛――それは士郎の学校で『全身絶滅危惧種』のアダ名を持つ超が付く美少女。

容姿端麗成績優秀、おまけに性格も良く教師からの受けも良い、この現代においてリアルでアイドル扱いされている凄腕の美少女である。

 

一成や綾子は彼女の本性を察知しているのか邪険に扱っているが、学校の大半の生徒が彼女に好印象を抱いている状態だ。

 

そんな、粗探ししたところで弱点すら見つけられないような彼女に、何があったのだろうか?

とはいえ早朝、凛の姿を見ていない士郎は質問に答えようがなく、慎二は逆にそんな士郎に何故か驚いていた。

 

「何って……なんだ、お前知らないのか?

いや、よく分かんないんだけどさ……今朝あいつ、結構やつれて登校したんだぜ。

その上時折物陰で人知れず『クククク』とか『ウフフフフ』とか笑ってたりするんだよ。

屋上でもなんかシャドーボクシングやってるし、あのままだと気持ち悪いから何とかしたいんだよ」

 

学校のアイドルともなると、常に人目を引くのは当然。

ところがそんな彼女は普段なら決して考えられないような奇行を繰り返した。

 

まず早朝の時点でおかしかった。

登校してみれば、何故かげっそりとやつれている。

それでも普段の優等生ぶりはそのままであったが昼休み、人気のないところにいたかと思うと奇妙な笑い声をあげているのをうっかり慎二は目撃してしまったのだ。

 

それを見ていた慎二はというと――不気味に笑う遠坂は、それはそれは恐ろしかった。

魔術関係の知識が若干ある慎二は、実は彼女は何かしら怪しげな儀式でも行っているのではないかと邪推していた。

何せ、あのうっかり魔人と呼ばれた遠坂の血脈である。

何かをトチ狂って宇宙の彼方のタコ型怪物を呼び出されたりとか、実はもう中身が魚人とかこんにゃくとかと入れ替わったりしていたら目も当てられない。

 

「な、なんだよそりゃ……。

言っとくけど俺は知らないからな?」

 

「ふ~~~~ん……。

それ、本当か?」

 

士郎はもちろん何も知らないと主張する。

それは考えてみれば当然の事であり、ただの一般人たる彼と校内一の美少女との間に、何かしらの接点があるはずもない。

――が、慎二はその事実を考慮の上で疑っていた。

 

「わからないぞ……野原のことだからな~。

知らずのうちに相手の心を抉るような言葉喋ったりとか。

相手のハートを引っ掛けるような発言を何気なしにとかしていそうだしな?」

 

「な、なんでそこまで俺を疑うんだよ。

俺にそこまで疑われる要素があるってのか?」

 

「ある」

 

慎二の士郎を疑う目線は止まない。

 

こう見えて、士郎は意外に女子からの好感度は高い。

顔もいいし成績もそれなり、弓道部のエースであるため知名度も高く、学校の内外で有名。

そして料理上手で家庭的、よく弟達と遊ぶ様子が目撃されており、他人から見れば彼は非常に面倒見がいい人物として映っている。

何より、完全無欠な才色兼備というわけではなく、どことな~く手を伸ばせば届きそうにある、というのが士郎が好かれている理由であった。

要するに、親しみやすいのが一番の特徴。

それが、間桐慎二から分析した野原士郎像であった。

 

げんに、彼は複数の女性から好意を向けられているのを慎二およびに一成は知っている。

慎二の妹とかも含めて校内の女子からも好意が向けられており、弓道部の部長とかも案外怪しい。

 

更に問題なのは、士郎が自分に向けられる好意(しかも女性限定)に関してまるで気づいていないということ。

本人は自分を凡夫だと信じて疑っておらず、そんな自分が好かれるはずがない……と思っている。

となると、先ほど慎二が疑ったように、本人が全く気がついていないところで何かしらのフラグを立てて放置している可能性も、無きにしも非ずなのである。

 

つまりどういうことかというと、士郎が女性と関わると何かしらの化学反応が起こるのが通例なのである。

ということで今回の遠坂事件に関しても士郎が何かしら関与しているのではないかと慎二は勝手に疑っていた。

 

「だーかーらー、そんなことないって。

それに、相手はあの遠坂だぞ?

俺なんかと恋愛ごとなんてそうそう起こるはずもないだろ?」

 

「……ああ、そうかい……」

 

(こりゃ、本当に知らないみたいだな)

 

心の底から遠坂との関係を否定する士郎に、慎二はこの発言より士郎が“関係者”でないことを再確認し、そして改めて友人の女性に対する疎さを再確認する。

妹が好いているのだから姉だってどうなるか分からないというのに……。

 

まあ士郎の恋愛事情はともかくとして、そもそも慎二の目的は遠坂の奇行を解決したいがために士郎に声をかけていたのであって、別に関係ないのならこれ以上踏み込む必要はない。

そう、無理に接触して桜の機嫌を損ねる必要は何処にもないのである。

 

「そーか、知らないならそれでいいさ。

引き止めて悪かったよ。

まさか……でも、しかし……流石になあ……」

 

しかし、士郎が問題でないとなると、いったい何があの遠坂をそうさせたのか。

 

流石にあの遠坂が、“魔術師”たる遠坂が、自分がサーヴァント呼び出しましたよ、ってあからさまなサインを出すはずがない。

多分アレは――そう、きっと何かをだますためのサインなのだろう。

きっと遠坂には僕らには見えない誰かが付け狙っているのだろう、と慎二は無理やり納得することにした。

 

 

――そう、遠坂の自宅がすでに崩壊しているなどとつゆ知らずに。

屋上で行われたシャドーボクシングが、実は彼女の従者との死闘によるものだとも知らずに。

 

 

「なんだありゃ……いつもの慎二じゃないな……?

雑誌のこと桜に言いつけてやる」

 

何やら変なことを聞いてきた挙句、自分がだらしないのではないかと暗に疑って帰って行った慎二に対し、士郎は若干不機嫌であった。

故に彼は慎二に対してしょうもない復讐を企む。

そして後に、本当に桜に対して雑誌の事を伝えてしまった。

 

……どうやら慎二の災難は終わりそうもないようだ。

 

 

 

「野原、あの遠坂の様子がおかしいらしいんだ。

何か知らないか?」

 

「あ、士郎、ここにいたのか。

遠坂の様子がおかしいんだってさ、何か知らない?」

 

「あ、士郎!

何だか遠坂さんの様子がおかしいのよ。

怒ったりしないから、何かあったんならお姉ちゃんに正直に話しなさい?」

 

「だからさ、一成も綾子も藤ねえもなんで皆まず俺に聞きに来るんだよ!?

っていうか藤ねえの何だ?

俺がなにか犯罪でも犯したんじゃないかって口ぶりだよな!?」

 

 

 

 

 

 

時間は一気に放課後まで進む。

学生にとっては狭苦しい授業から解放され、思い思いの楽しみ方が始まる時刻。

帰りのHRにて注意事項を説明していた大河は、思い出したように生徒たちに最近街を賑わしている事件についての注意を促していた。

 

「あ……そーそーそーだった。

何でも最近、冬木とか春日部で深夜に青タイツで紅い棒持った変態が若者を狙って町中を徘徊してるっていうから、みんな下校時に注意してね~」

 

最近、冬木や春日部に不審者が出没するとの情報がまことしやかに騒がれていた。

内容は大河が語ったように、見るからに怪しい恰好の人間が武器を持って若者狙いで徘徊するというもの。

言葉にすると何とも怪しげな情報であるが、内容が内容だけに学校関係者は神経をとがらせていた。

 

――実際は綿密な計算、人払いの行われた襲撃であったのだが、人外クラスの実力を持つ者が平気で街をうろつく春日部では全くと言っていいほど機能しておらず、目撃情報が警察に相次でいたのである。

 

(全身青タイツに……紅い棒……?)

 

士郎はその話から、犯人像を考察する。

全身青タイツ……ということは、顔面から足元まで隠すタイプ?

黒い犯人が蒼くなった、そういう感じなのだろうか?

そうして――そいつは赤い槍を担いでいる。

青タイツが迫ってくる!

 

槍というと、やはり刺す用途に使用するものだ。

何に? それはもちろん……ナニに決まっている。

 

(な、何者なんだ……)

 

なぜ全身青タイツなのか。

なぜ“若者のケツ”を狙うのか。

やっぱりそっち方面の好きな人なのだろうか?

 

なまじ“オカマ”によくよく会う事の多かった士郎は、その男がいつの間にか“男好きの男”へと変化していた。

彼の中で疑問ばかりが頭に思い浮かぶが、一つだけ分かることがある。

紛れも無く変態である。

 

そして、赤い槍で若者を狙う……そういうプレイが好きな男なのだろうか?

 

「アレかな?

オリンピックがもうすぐあるからって、はしゃぎすぎた変質者かな?」

 

「そーね……士郎の言うとおり、学校でも騒ぎたい男好きな変態って形で纏まっているわ。

ちなみにもう警察関係の人も動いているらしいから、みんなもあんまり羽目外しちゃダメよー」

 

怪しいとはいえ武器を所持していること、そして既に一部でも事件となっており、警察が動き始めていた。

大河は決して警察沙汰になるようなことに巻き込まれないように、と生徒たちに釘を念に刺しつつ、HRを終えた。

 

 

そうして、冬木と春日部では

 

「オリンピック開催に合わせて、全身青タイツで赤い槍を持って男のケツを狙う不審者が出没する」

 

という噂がまことしやかにささやかれる事となる。

 

 

なおこれは余談であるが、この噂により実害をかぶった男が一人。

その男は自分が男好きとか穴をホるのが好きだとかいう噂がマスターの耳に入るやいなや、必死に弁明するものの

 

「別に貴方が何しようと趣味については私は一切関わりません。

ですが、一応聖杯戦争中ですのであまり羽目外し過ぎないようにしてください。

あとあんまり近づくな変態」

 

と3メートルくらい離れたところから言われたという。

その当の本人は自分のあまりの扱いと世の中の不条理さに「あんまりだァァ……」と本気で泣いちゃったとか。

 

 

 

 

 

おまけ

 

 

「えーと、それで……屋根伝いに全身青タイツが移動していた、と?」

 

春日部のとあるバーで、刑事二人が聞きこみをしていた。

 

「そうなのよー!

ココの所冬木でも何か騒がしいって言うじゃない!

襲われたりとかしたら困っちゃうじゃないー?」

 

「オイオイ、こんなオカマバーとか襲う物好きな奴がいるのかね……?」

 

ガタイの良い元プロレスラーなウェイターは、同じくらいガタイのいい従業員が「イヤンイヤン」とクネクネする様を怪訝な目で見ていた。

 

「わからないわよ、お兄たまとかあれでいて結構魅力的だから。

あーホント、襲われたらどうしようかしら」

 

「えっ?」

 

「えっ?」

 

「……え、えーと、じゃあ、とりあえず俺たちは帰りますんで。

何かあったら、また連絡お願いします」

 

「あーら、せっかく来たんだから、ゆっくりしていったらどう?」

 

「あ、いえ署に帰って調書書かないといけないんd」

 

「ホラ、皆お客さんのことおもてなしして!」

 

「ハーイ!」

 

店の奥からぞろぞろと現れるウェイター達。

無論みんなオカマ。

ヒゲ。ガタイがいい。

 

(早く帰りてぇ。

妻に会いてぇ)

 

(なんでオカマバーに聞きこみに行かなきゃならないんだよぅ……)

 

刑事二人は冬の寒い夜、オカマに囲まれた自分たちの不遇を嘆いていたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春日部の地中深くにその“物体”は存在した。

 

何層もの地層よりも深く潜り込み、決して誰にも到達できないような深度に、その物体は鎮座していた。

 

漆黒の円柱状の物体。

 

一目でそれは自然の創りだしたものではない事が分かる。

 

正確に整えられた六角柱。

 

前方と、そして後方の両側に取り付けられた、ほぼ完璧に近い形の球体。

 

紛れも無く、それは人為的な手が加えられた建造物。

 

鉄製の表面装甲は、まるで数百年もの間そこに置かれていたかのように劣化している。

 

嘗ては鮮やかに塗装されていた装甲も、表面に塗装されていた“目”のような形のアートも、もはや見る影もない。

 

 

その物体は――とある人物により、はるか過去の時間にその部分に埋め込まれた。

 

第三次聖杯戦争も、冬木の第四次聖杯戦争も、幾度と無く行われた大戦の間も。

 

長い年月を経て、その物体は誰にも見つからずに地中深くで不気味にその時を待っていた。

 

 

 

カチリ、と。

 

ブゥゥン、と鈍い音を発し、ソレは起動する。

 

表面に蛍光色が走り、フォトニック結晶で作られた構造体が光を通す。

 

オリジナルとは程遠い演算能力ながらも、この世界においてはどのスーパーコンピュータをも凌ぐ性能を誇るマシンが、唸りを上げてこの世に産声を上げる。

 

誰も聞くことのない、届くことのない音声案内が、地中深くに響き渡る。

 

『……年…を再■認、20■■年……確■。

タイ……設定■開始……。』

 

『X1~Z■……のコ…ド■ャスト……始。

決■術…を……、■擬人格、…………に異常■し。

……■、チェッ■■了』

 

『ダーク■ーポレ…ーシ……製ダ…ー■■■セル、活動を開始……す。

繰り……ます、ダミー■■■セル、活動を■■します……』

 

 

 

『ヤッホ!』

 

――静かに、明確な悪意は活動をはじめた。

 

 





士郎くんの壊れっぷりが半端ない……こりゃもう半分しんのすけや。
まあこれでいいか! 書いてて結構楽しかったし。

劇場版らしく、最後にちょっとだけ敵側の事情を入れてみたり。
ラスボスかどうかは分からないけど、多分こいつが元凶みたいですね。
これからも敵がドシドシ出てくる予定です(白目

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