「詮無き事だよ、すべてが」
すべてを悟ったように、そして、すべてを諦めたように語る長門に対して、加賀は無性に腹が立った。
「死んでしまったら、そこですべてが終わってしまうわ。何があっても、生きていればきっと良いことがあるの。だから、長門……あなたは生きるべきよ」
そう説得する加賀であるが、その言葉の虚しさを一番自分が知っていることを感じていた。
「加賀、お前は人生において訪れる、判断や選択を行わなければならない時について、考えたことはあるか? 決断すべき時が来たというのに漫然とその時を逃してしまえば、人はその事を後悔してしまう。最悪の場合、心はすでに死んでいるというのに、何の意味も感じることもなく無為に生きていかなければならなくなる。今の私にそんな決断のときが訪れているんだよ」
長門は静かに語る。
彼女はすでに決断をしているようで、どんな言葉をもってしても、加賀では彼女の気持ちを翻意させることは難しいとしか思えない。どう足掻いてもどうすることもできないのか? 加賀は焦ってしまう。
「そうだわ、提督に、冷泉提督に相談すれば……」
「だめだ! ……加賀。止めてくれ、それだけは、絶対にするな」
厳しく否定されてしまう。
「確かに、お前の提督なら、関わりの無い私のためにでも、なんとかしようとするかもしれない。そして、彼の尽力で私が舞鶴に行く事になるかもしれない。けれど、それは私が思い描く未来ではない。はっきり言わせてもらえば、それは大きなお世話だ。どうしようもないことなんだけれど、私は横須賀の【旗艦】長門のままで終わりたいんだよ。決して舞鶴鎮守府がどうこう言うつもりはないから、気を悪くしないでくれよ。けれど、私には行けないんだ。舞鶴は私がいるべき場所では無い、……絶対にな。私がいるべき場所は、ここ、横須賀鎮守府しか無いんだよ。だから、このことは絶対にお前の提督には話さないでくれ」
「けれど……きっと、提督なら」
縋るような思いで加賀は答える。
「それ以上言うな、それ以上考えるな。お前の気持ちだけで十分なんだよ。もし、このことを冷泉提督に言ったとしたら、私はお前をもう友達とは思わないからな。きっとお前の事を嫌いになるだろう。そして、お前の事を一生許さないと思ってしまうだろう。だから、やめてくれ。私にそんな思いをさせないでくれ」
あまりにも強く言われ、加賀は次の言葉を紡ぎだす事ができなかった。ただ単純に長門に嫌われたくないからだ。
「すまない……強く言いすぎたな。お前が私の事を心配してくれるのは本当に嬉しい。ありがとう。でもな、今回の事、これは命数なんだよ。お前から見れば、ただただ不幸な運命かもしれないけれど、それでも私が望んだ結末でもあるんだ。戦艦として戦いの中、勝利のために死ねる。これは、前世からずっと私が求めていた事なんだよ。もちろん、これは最良の結末じゃないけれど、様々な選択肢の中ではより良い選択だと思っているんだ。私の人生を振り返ってみると、今生は、前世と比べれば遙かに幸せな人生だったと思える。常に戦いの最前線でいられ、提督という有能で信頼できる上司に恵まれ、素晴らしく頼りになる仲間に囲まれ……てな。けれど、幸せな時間は永遠には続かないんだ。無常に、いつか終わりが来る。それが今なんだと、私は思っている。引き際を誤れば、より最悪な未来が待っている。選択するならば今、そして選択肢はこれしかないんだよ」
「そんなのダメ。死なんて選んだら絶対に嫌! 生きていたら……すべてを諦めて、すべてを遠ざけ、すべてから逃げるために死にたいと思っていた私が、何を偉そうにって思うかもしれない。でもね、、今ならはっきりと言えるわ。生きてさえいれば、きっと良いことがあるって。どんなに辛くても、生きるべきなのよ。きっと、誰かが認めてくれる。救いの手をさしのべてくれる。いえ、救いの手は常に差し伸べられて居いたのに、それから目をそらしていたことに気づかせてくれる人が現れてくれるわ。私は、何があろうとも生きたいって今は思っている。長門だってきっとそう思える時が来るはずよ」
必死になっていたせいか、つい、加賀は全然関係のないことを口にしてしまい、思わず赤面してしまう。
そんな加賀を見て、長門は笑ってしまう。
「……変わったな、加賀は」
「そんな……」
「ほんの少し前は、死神に取り憑かれたような顔をしていたのに、今は人に向かって生きろと言えるようになるなんてな。驚きしかない……人との出会いは、私達艦娘の生き方考え方さえも変えてしまう力があるのかもしれないな。良かったよ。本当にいい人に巡り会えたんだな」
静かに長門が言う。安心しきったような瞳で、加賀を見つめている。
「そ、そんなこと無いわ。あの人は、信じられる上司だと私は言っているだけで、あなたの言うようなそんな変な事を考えているわけじゃ……。それに、そもそも提督がどう思っているかなんて、全然分からないんだから。あの人は気が多くてスケベなくせに、はっきりしないで優柔不断でフラフラして思わせぶりな態度をみんなにとってばかりで、やきもきさせられるだけで……あれ、えっと、私、何を言ってるのかしら」
「うん……安心したんだよ」
と大きくうなずく。
「え? 何が」
すっとんきょうな声を上げてしまう加賀。
「思い残す事は、私にはもう無いってことだよ」
「何を言っているのか、意味が分からないわ。それは、どういうことなの? どういうつもりなの? 何を考えているの? 」
「赤城がまだ横須賀にいた頃、すでに大和と武蔵の二人がこの鎮守府に来るという話はあったんだ。その時は凄く遠い世界の話のように感じていた。それでも、ぼんやりと来るべき時がやてくるんだな、とは思っていた。そして、赤城が沈み、話が現実味を帯びてきた。その頃には私の中で覚悟はできていたんだ。ついに、この日が来るんだと。けれど、そんな私にも一つだけ気がかりな事があった。……それがお前のことだ。お前はあの頃、精神的に落ち込み、常に死に場所を求め彷徨いつづけていた。生きる希望をすべて失ったようなお前を残し、私まで逝く事となったら、その時、お前がどうなってしまうのか……。それ考えただけで、私はどうしていいかわからなかった。なんとかしてやらないという義務感はあったけれど、どうしていいかまるで検討がつかなかった。ずっと悩んでいたんだよ。……けれど、もう大丈夫だな。お前には大切な人が、守るべき人ができたようだ。やっと、生きる意味を見いだしたようだな。それを知ることができただけで、私は満足だ。これで何一つ思い残すことなく、今生では最後の戦場に出ることができのだからる」
そう語る長門には、迷いはまるで感じられなかった。
「それで、……本当にそれで構わないの? 」
「無論だよ。軍艦として戦い、そして散る。私に相応しい最後の舞台を与えられた。無駄死にでなく、勝利するための意味ある死を与えられるのだから、何を迷う必要があるのだろうか。私は、日本海軍の旗艦としての誇りを胸に、最後の任務を遂行するのみだ。そして、後顧の憂いも無くなったのだから、これ以上望むことなく、戦えるんだ」
その言葉を聞きながら、加賀の瞳からは涙が溢れ出るのを感じる。感情の高ぶりは押さえることができない。
「嫌、嫌よ! 」
いきなり感情が溢れ出て来る。止められない。
「あなたが沈むなんて、認めたくない。認められないわ。なんであなたが死ななければならないの。まだまだ生きるべきよ。たとえ勝利するためといったって、貴方が沈んだらその勝利は貴方にとって意味があるといえるの? そんなものに何の意味があるの」
「個を捨てるのは当たり前だろう? 死を恐れる気持ちは無いとは言わない。けれど、私の命でこの局面を打開できるのであれば、何を迷う必要があるのだろうか。それは正規空母であるお前だって分かってくれるだろう? 」
泣きじゃくる加賀の視線からは目をそらしながら、長門なりに説得を試みているようだ。
「そんな事、分からないわ。分かりたくない。……私は、もう誰も失いたくないの。赤城さんだけじゃなく、あなたまで居なくなるなんて寂しすぎる。耐えられないわ。私はもう友達を失いたくない」
それは加賀の本音だった。長門を説得しているつもりが、実は自分が友達を失いたくない。だから、死ぬような作戦になんて参加するなと自分勝手な理屈を押し付けていることを加賀も分かっているけれど、それを止められない。理屈なんかではない。ただ、嫌なのだ。友達が死地に向かおうとすることを許せなかった。
「……軍艦である以上、死からは逃れられない。戦いから逃げる事などできない。これは私達に課せられた宿命だ。それがわからぬお前ではないだろう? これ以上の議論は無用だ」
長門は加賀の言葉を遮るように言う。それは、まるでこれ以上の説得を受け入れるつもりはないと言っているかのように。
「私は私の定められた道を行く。お前はお前で、今与えられた運命を全力で生きなければならない。私は横須賀鎮守府の勝利のために戦う。否、生田提督の勝利のために戦う。そして、お前は冷泉提督のために、彼を守るために戦うのだ。己が使命を果たすのだ。それが私達艦娘の生きる意味なのだからな」
そう言うと、長門は頷き、部屋を去っていく。
「待って、待ちなさい。まだ話は終わっていないわ」
長門は必死に縋ろうとする加賀の声を聞こえないかのように、振り返ることもなく消えていった。
誰も居なくなった部屋に取り残された加賀は一人枕に顔を埋めるようにして、泣くしか無かった。
長門が言うことが理解できないわけではない。むしろ、当然のことのように理解できる。けれど、今の自分と彼女を比べてしまい、罪の意識に苛まれてしまうのだ。
過酷な運命を背負わされた長門。それに比べ、みんなに迷惑をかけるだけかけて、横須賀を逃げ出したくせに、自分は尊敬でき信頼できる、そして人として好きになった人を自分の上司として得ることができた。自分だけが幸せになっているのに、赤城は戦いに散り、長門は今まさに戦いの中、逝こうとしている。自分だけが幸せになり、親友と呼べる人たちは死んでいく。その後ろめたさに耐えられそうにないのだ。そして、それだけでなく、親友と呼べる者が完全に居なくなることが辛すぎた。
どうにかならないの?
どうにかできないの?
誰か助けて。……お願いします。
必死に願うが、それが叶うはずのない事を一番知っているのが、彼女だった。
――――
横須賀鎮守府に行ってから、秘書艦の様子がおかしい……。
そんなことを考えながら、冷泉は隣の席で執務を続ける加賀を見る。
彼女は、書類をめくっては戻しめくっては戻しを繰り返している。ただ左から移動しそれがまた戻るといった動きを繰り返す書類。一体、何をしているんだろう?
帰りの列車の中でもずっと黙り込んだままで、話しかけても要領を得ない答えが返ってくるだけで、基本ぼーっとしているだけだった。
今は更に状況が酷くなっているように思う。普段の加賀からは想像できない状態を続けている。心ここにあらず状態を続けているために加賀らしくない単純なミスも連発して、そのたびに顔を真っ赤にして冷泉に謝るといった事を繰り返している。
明らかに何かがあったのは間違いない。けれど、その事を問いただしても「何でもありません。ちょっと疲れているのかもしれないわ」というだけで、教えてくれるつもりはないようだ。
もともと頑固な性格の彼女だから、あまりしつこく聞くと怒られるだけで、決して本当の事を教えてくれないだろう。なので、とりあえずはそれ以上の追及はやめることにした。
本当なら、もっときっちりと確認すべきなのだろうけど、冷泉は冷泉で頭が痛くなる難問を抱えていたため、そこまで気が回らなかった。
彼の抱えた問題は、彼の体の麻痺が未だに治っていない事に起因する、鎮守府の今後にも直結する重大な問題だった。
鎮守府に着任してから、何度か大怪我をした彼であったけれど、原因は不明だけれども医師も驚くほどの回復力で、常任の数倍の速さで治っていた。異世界から召喚されたボーナス的なものだろうかと勝手に推測していたのだが。
それゆえ、今回の麻痺、まあこれは結構重篤な状態だろうけど、なんとかなると高をくくっていた。けれど、未だ右手以外は動かせるどころか全くの感覚も復旧できないでいた。確かに神経系がかなり破壊されているらしいために、日常生活のほとんどをひとりでできないままだ。いろいろとやってみるものの、まるで反応がない。こんな状態だから、当然ながら執務にも支障が出てきている。
はたからみたら、それはより一層深刻な事態に見えるらしい。
実は、横須賀鎮守府に滞在した時にさっそく対面面接を命じられた。
人事担当者2人と軍医の計3名にいろいろと状況を根掘り葉掘り聞かれた。そして、宣告されたのだ。
「現在の状況が続くようであれば、さすがに執務への影響が大きすぎると考えられるし、提督ご自身もつらいと思われます。一度、長期休暇を……できれば休職扱いとしてリハビリに専念された方が良いと考えます。軍が全面的に提督の復帰に向けたサポートを行いますので、安心してお休みいただければと思います」
これに対しては、現状のまま放置するわけにはいかないと抵抗したが、ほぼ全身不随の状況の職員に鎮守府の指揮は無理であろうとの当局側の意見を突きつけられた。健康と軍務のバランスを考えた結果、一度長期に休んだほうがいいということがほぼ決定事項のようだった。
もし、休んでしまえば、これを好機と一気に他勢力が勢いづき、冷泉が舞鶴に戻ることはほとんど無理だろう。だから絶対にそれは認められない。どんなことをしてでも、体を動けるようにしなければならないし、してみせる。なんら根拠は無いが。
そこで冷泉は、彼らに宣言した。
一ヶ月のうちに全快してみせる。だから、それまで待ってもらいたいと。
「では、それが叶わない場合はどうされますか? こちらとしてもいろいろと準備もありますので」
当たり前のように、そんな言葉が返ってきた。
売り言葉に買い言葉で、冷泉は答える。
「その場合は、君たちの進めるように休職にでもなんでもしてもらって結構」
時間は少し必要なものの、人事サイドの思惑どおりに本人も承諾したということで、一ヶ月の猶予が与えられることとなった。
冷泉は、わずかな期間で全身麻痺からの回復をしなければならなくなったのだった。なんら医学的根拠もない状況というのに。
冷静になったときに少しだけ頭を抱えたが、どちらにしてもリハビリで鎮守府から遠ざけられる結果には変わりなく、一ヶ月でも引き伸ばせたのだから交渉としては、こちらの勝利だと勝手に納得したのだった。
さて、どうやったら回復できるんだろう?
……まあ、なんとかなるかな。
そう思うしか無いよな。
と、楽観的思考に終始する冷泉だった。