まいづる肉じゃが(仮題)   作:まいちん

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第86話

時は、少し遡る―――。

 

 

遠征中の第二艦隊、旗艦・神通の艦橋……。

 

現在、第二艦隊は遠征任務を終了し、鎮守府に帰投するだけとなっている。

旗艦・神通は、遠征中、ずっと司令官である冷泉の事が気になっていたが、あえてその事について意識を向けないようにしていた。

あの時、危篤状態でベッドに横になったまま眠る司令官を見て、全身の血が引いていくような恐怖を感じたのは事実だった。けれど、それはほんの一瞬のことであり、彼女はすぐにそれを打ち消すことができた。

 

冷泉提督なら、いかなる困難な状況であろうともそれを打ち破り、きっと戻ってくると信じていたたからだ。

彼女の中では【期待する】とか【信じる】とかいったような。そんな曖昧なものではなく、冷泉提督が復活するということ―――それは、既に確定した単なる決定事項でしかなかったのだ。

提督が危篤状態であったという事実よりも、他の艦娘達……あろうことか戦艦・金剛でさえもが取り乱し、泣き崩れていた姿を見た事のほうが余程ショックだった。何故、愛する提督の事を彼女たちは信じられないのだろうか……と。今、一緒に行動している第二艦隊の艦娘たちも神通の手前、態度には見せたりはしないが、心穏やかでないことは間違いなかった。誰もがいつもより苛ついているのを感じるし、誰一人冗談を言うことも無く、任務に必要な事柄以上の会話をしなくなっている。いや、できなくなっている。沈黙が長いのはそれほど気にならないけれど、艦隊としての士気に影響を与えているのは間違いない。

あの優しい提督に対して、どういう訳か敵愾心を持っている大井でさえ、彼の事が気になるのか注意散漫になっているのが分かる。

 

とにかく、私がしっかりしなければ……。

 

艦長席に腰掛けた彼女は、そう自分に言い聞かせる。みんな提督の不在が心配なのだ。それは、神通にも分かる……のだけれども。

 

「でも、私は、大丈夫。私は、あなたを信じていますから……」

きっと帰投した頃には提督も意識を取り戻しているだろう。鎮守府の危機的状況でも焦ることなく動揺することなく任務を果たした自分の事を褒めてくれるだろうか? そんなことの方が気になっていた。

 

そして、神通は足下のバックをごそごそと探ると、中から白い布製の何かを取り出す。それは衣類……純白の第二種軍装だった。内側は少し汚れているがそれを気にすることなく、彼女は羽織る。明らかにそれは彼女の体に対して大きく、ぶかぶかだった。彼女は深く椅子に腰掛けると、両腕で自分の体を抱きしめるような仕草をして、恍惚とした表情を見せる。

彼女が着ている第二種軍装は、前の領域での会戦の際、大破して衣類がはだけた彼女に、冷泉が着せたものだった。あれ以降、神通は提督にそれを返す機会が無いままずっと部屋においたままで、結局自分で持つようになっていたのだ。そして、いつしか遠征の時にお守りとして持って行くようになっていた。

上着の内側には、神通の血が付着している箇所があるため、洗濯すべきなのだろうけど、洗濯すると提督の香りが無くなってしまうので結局、洗わないままにしている。

この軍服を着用し、それを着ていると冷泉提督の香りがして、まるで彼に抱きしめられている気持ちになり、どんな状態であろうとも気分が落ち着くのだった。いつでも提督を感じられる……。今では、神通の一番の宝物だった。

遠征の帰りはいつも一人でこうして、提督に抱きしめられながらいる事が日課のようになっていた。

 

「提督……私は、いつでもあなたを信じていますから。私は、あなたの為だけに存在します」

うっとりとして、思わず口にしてしまう。もっと激しい言葉も出そうになる。

 

その時、ぽん! と電子音が艦橋に響き渡る。その音は、メールの着信音だった。

「何かしら? 」

機器を操作して、メールを見る。最も大切な安らぎの一時を邪魔されるのは少し気分が悪かったが、今は任務中だから文句は言えない。

差出人は、巡洋艦夕張からだった。遠征中の神通に彼女がメールしてくるなんて、何があったのだろう? そう思いながら開封すると、舞鶴鎮守府に危機が迫っている知らせだった。

驚きのあまり、思わず声を上げてしまうが、そのメールの送付者が実は冷泉であることを知り、飛び上がらんばかりに嬉しくなってしまった。

「提督が戻られた……」

鎮守府が深海棲艦に侵攻されている事実よりも、彼女にとっては冷泉が意識を取り戻し、それどころか艦隊の指揮を執れる状態であることが嬉しかった。そうなれば最早、深海棲艦など何の意味があるというのか。

しかし、状況を知るにあたり、舞鶴鎮守府第一艦隊の置かれた状況が良くないことを知る。

 

「提督、今すぐに、この神通が向かいますから」

そして動こうとするが、メール本文にある内容を見て動きが止まる。

 

【お前を信頼している】

 

たった一文でしかないが、その文面を見てた途端、全身が震えるような感覚と同時に、あふれ出る涙を止められなくなった。

 

「て、提督……」

この緊急時において、提督が自分を頼ってくれている。その事実が神通の体を貫くような衝撃をもたらせていた。全身に電気が流れるような感覚。意識が遠のきそうになり、ふらふらになり、しばらくの間、何も考えられなくなったが、やがて自分を取り戻すと、再度その喜びをかみしめる。

冷泉提督が自分を必要としてくれている。この緊急時に自分を頼ってくれている。

それが彼女の体から力をわき出させる。

 

神通は立ち上がると冷泉から借りたままの上着を脱ぎ、大事そうに畳んでバックに仕舞うと、添付されていたファイルを開く。

それは、神通たち第二艦隊への指令が記されたプログラムだった。機密性を最優先し、艦娘の艦内システムでなければ解析できないようにされたデータだった。

その内容は、この後の第二艦隊の行動を記したものであり、その内容を見て思わず神通は興奮せざるを得なかった。

 

早速、その指令を第二艦隊全艦に通達する。

深海棲艦が鎮守府を襲撃したことと、それを迎え撃つために巡洋艦・夕張を旗艦とした第一艦隊が迎え撃つことを。そして、その指揮を執るのが冷泉提督であることを。

そして、彼からもたらされた作戦の詳細を。

 

もちろん、近距離秘匿回線において行われる会話である。

作戦は、第一艦隊と交戦中の深海棲艦艦隊の背後を奇襲するというものだった。それだけなら問題は無いが、敵艦隊の背後は領域となっている。つまり、神通たち第二艦隊は領域を抜けて敵の後背を突くというものだったのだ。

 

冷泉提督の復活を喜ぶ間もなく、戦火が開かれようとしている現実は衝撃的だったが、皆、戦闘のために作られた者であるため、動揺は一瞬でしかなかった。すぐに、今なすべき事、現状について認識を開始する。

そして、少しの間をおき、作戦案に対し、巡洋艦大井が異論を挟んできた。領域をショートカットし、敵艦隊背後に回るという常軌を逸した作戦の成功算段はあるのかと。それは至極まともな意見だ。

 

「提督が言うのだから、間違いないと思います」

と、神通あっさりと答える。

 

「はあ? 」

呆れたような声の大井。

「領域に入るって事は、そこで待ち受ける敵艦隊に遭遇する可能性もあるって事なのよ。どんな奴らがいるかも分からないし、私達の遠征での疲労や搭載した弾薬の事をきちんと計算してるっていうの」

 

「問題はありません。私たちが倒すべき敵は、鎮守府近海通常海域に現れた敵艦隊。それ以外の敵は相手する必要はありません。たとえ領域内で敵艦隊と遭遇しても、それは無視します」

 

「そんなにうまくいくかなんて、誰にも分からないでしょう? 目の前を通っていく私達を、はいそうですかって通すような間抜けが敵にいるとは思えないわ。それに、仮に抜け出せても、そこには敵艦隊がいるのよ。敵に感づかれ、応戦態勢を取られたら、旧式の機関とシステムしか稼働していない状態で、あいつら勝ち目があると思っているの? 動力や戦闘システムの切替には時間が必要なのよ。絶対に間に合わないわ。通常海域に出た途端、ミサイルの飽和攻撃を浴びせられて防御システムを稼働する間もなく、全滅は必至よ。あの男は、私たちを囮として利用し、見殺しにするつもりに違いないわ」

大井が凄い剣幕で怒鳴ってくる。かつて何度と無く経験し見せつけられた犬死にの記憶が蘇っているのだろうか。

 

「はい、そうかもしれません。けれど……提督のために死ねるなら、それこそ本望だと思っています。そこに何の疑問が生じるのですか? 私は、提督が死ねと仰るのなら、喜んで死にます」

 

「な! ……アンタはそれで良くても、みんなは、いえ、私は、無駄死になんてしたくないわ」

死を当たり前のように答える神通の言葉に少し怯むが、それでも大井も持論を曲げるつもりはないらしい。

 

「いいえ、大井。無駄死では、無いわ。仮に、今回の作戦がそのようなものあったとしても、それで勝利に貢献できるのなら、無駄では無い。私は喜んでこの命捧げます。……けれども、その時は、あなたたちを死なせるようなことはしないわ。私がみんなを守ってみせます」

 

「あーだめだこりゃ。神通の話なんか聞いても、どうにもならないわ。もう、どうでもいいわ。アンタは勝手に死んだらいいんだから。けど……アンタたちはどうなの? 」

と、これ以上の旗艦との議論は意味が無いと諦めた大井が他の駆逐艦に問う。

 

「え? 私? 私は、この艦隊の旗艦に従うわ。今までだって、神通さんが言う事に間違いないから。けど……本当は……いえ、なんでもないわ」

と叢雲。何かを言いたそうだが、モニタ上で神通と目が合った途端、言葉を引っ込める。

 

「いろんな意見があるのは、当然だと思います。意見があるのなら言っておくべきでしょう。けれど、どちらにしても司令官の指示に従うのが私たち艦娘です。そして、与えられた任務に対してベストを尽くすのが使命であり、結果については、私達が話すべきものではありませんから」

当然の事のように不知火が結論づける。

 

「まあ仕方ないわね。神通さんがそう言うのなら、まあそれでいいと思うわ」

「私は、みんなに従うよ」

初風、村雨も異論は無いらしい。

ということで、大井に味方する艦娘はいない。

 

「結局のところ、大井はどう考えているのですか? 提督の作戦に従えないというのなら、無理強いは、しません。あなただけ、通常海域を進んで帰投してください。それについては、私が第二艦隊旗艦として許可します。それから他の子達も無理をしなくてもいいのよ……。たとえ誰もついてきてくれないとしても、私は提督の指示に従って戦いますから」

静かに神通は語った。

 

「……そりゃあ、上官の命令に逆らうつもりはないんだけれど、領域を抜けて行くなんて無茶苦茶な指示に、はいそうですかって従えるわけないでしょ? それは神通だって感じているはずよ」

 

「提督の仰る事に間違いはありません。提督のご指示を実行できないのであれば、それは旗艦である私の能力不足でしかありません。それに、もし、万が一でも提督の作戦が間違っていたとしても、提督の指示に従って死ねるのであれば、私には何も後悔はありません」

 

「神通、それはアンタがそれでいいだけで、他の駆逐艦娘は納得しないでしょう? みんながアンタみたいに提督オンリーな子ばかりじゃないんだから! みんなも言いたいことはちゃんと言っておかないと、一緒に心中させられるわよ」

大井はしつこく神通に噛みつく。

 

「わ、私は、あいつの……提督の事は嫌いだけど、いえ、嫌いじゃないけど、いつも言うことは間違っていないと思うから、作戦には従うわよ。……そうしないと、敵に第一艦隊がやられちゃうかもしれないんでしょう。第一艦隊が負けたら、あいつも死んじゃうって事だし、それは嫌だし。それから鎮守府だって攻撃されるわ。そうなったら帰るところがなくなっちゃう。少々のリスクは覚悟の上よ」

と叢雲。何故か時々頬を赤らめたりしている。

 

「私は、司令官の命令に従います。提督を信じる信じないではなく、それが上官からの命令だから。……叢雲と同じく、私も一応提督の作戦指揮能力は評価しているので、彼の作戦なら信じても良いと思います。それに、神通さんが一緒なら少々の危険も突破できるはずですから」

と不知火。

 

「私は多数決に従います。本当はいろいろ言いたいことがあるけど、……じ、神通さん、そ、そんな怖い顔で見ないでくださいよ」

初風がそして村雨も反論をするつもりはないようだ。

 

「もはや、これ以上議論している時間はありません。まもなく領域が見えてきます。動力を切り替えなければなりません。みなさん、提督の作戦どおりでいいですね。……大井、あなたは領域を迂回して行ってください。そして、お願いがあります。もし、私たちが全滅したら、どんな手段を使っても構いません。提督だけは、救出してください。他の事はどうでも構いません。……お願いします」

そう言うと、大井の回答を待つことなく、決定事項のように神通は行動を始めた。

他の駆逐艦もそれに習う。

動力の切りかえを開始するのだ。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。誰が私だけ行かないって行ったのよ。もう、ちょっと疑問を口にしただけじゃない。ほんと、この艦隊は頑固な連中ばかりなんだから。行きますよ、私だって一緒に行きますよ」

神通は黙ったまま答えない。ただじっと見つめるだけだ。

 

「もう、わかりました。ごめんなさい。提督の作戦を疑って済みませんでした」

 

「で? 」

と、神通。

 

「もう! ……わかりました。はい、提督の作戦を私も信じています。……はいはい、私は嘘をついていました。本当は、提督を私も好きです、愛しています。めっちゃ大好きです。ちょっとみんなが盲信しすぎるので、ヤキモチ焼いて文句言っただけです。すみませんでした」

 

頭を下げる大井を見て、ニッコリとほほえんで神通は答える。

「では、行きましょう。……提督の勝利のために」

 

 

 

 

 

 

 


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