夢を見ていた……。
それは、普通に考えたら現実とは思えないような話だったんだ。けれど、とても……それはとてもリアルなものだったんだ。
その夢がどんな夢だったかって言うと、どういうわけか自分が自衛隊の舞鶴地方隊ではなく、日本海軍の舞鶴鎮守府の司令官になり、かつての太平洋戦争中に活躍した海軍の艦艇の名前を持ち、【艦艇】とその本体となる【人の身体】の二つで一つとなる「艦娘」と呼ばれる女の子を指揮して、突如、日本近海に出現した正体不明の敵「深海棲艦」と名付けられた存在と戦う夢だったんだ。
それは、細部については異なる箇所があるものの、ブラウザゲームの「艦隊これくしょん」そのものだった。そして、それをやりすぎて現実との区別がつかなくなった、わりとやばい人の妄想じゃないのか……? そんな風に言われるかもしれない。確かに今思うと、自分でもそうだったんじゃないかとさえ思える。
ただの妄想かもしれない。もしそうだったら、そちらのほうが良いんだけれど……。
ただ単純に、原作ゲームと同じように可愛い艦娘たちを出撃や演習で育成して、レベルを上げて、装備を整えて……。それから、レアな艦娘やお気に入りの艦娘を手に入れるために海域へ出撃し、彼女たちのドロップを狙う……。
そして、定期的に行われる期間限定イベントをこなして、新しく実装された艦娘や超レア装備を入手して、鎮守府の戦力を更に強化していく。
この手のゲームは一歩間違えたら、単なる作業ゲームになるんだけれど、魅力的な艦娘や、強力な装備を求め、また強い敵を倒し難易度の高いMAPを解放していくこと、それから結構耳に残る音楽を聴くためだけ、それからアニメとのコラボなんかが楽しみで続けていく。
そんなゲーム……。つまりは、ただのゲームだ。
それを続ける続けない、何をするか何もしないか、何を目的にどの海域に進軍するか……それは、プレイヤーの自由意志に委ねられている。
そして、仮に続けると決断したとして、どれほど難易度の高い海域やイベントであろうとも、ネットを見れば、先人達が収集したデータ、つまり、どういった艦隊編成や装備で行けば最短ルートで、かつ効率よくクリアできるかという攻略法を簡単に知ることができる。故に、極論すれば、プレイヤーに能力があるかないかに関係なく、クリアできない試練は無いんだ。
けれど、その夢の中では、何もかもが違っていたんだ。
腹立たしいけれど、自分の夢のくせに、その世界は全くもって甘くはなかったんだ。
戦う戦わないについての選択肢なんて、当然なかった。その世界では初めから戦うことが義務づけられていたんだ。そして、MAP攻略情報なんて皆無なんだ。どんな地形か、敵の構成はどうなっているか、どういう艦隊編成とすればルートを固定できるかなどのデータなど与えられるはずもなかったんだ。すべて自分で過去データを参考にして、試行錯誤を繰り返し、攻略法を模索するしかなかった。それは、知識の蓄積や経験が皆無の冷泉にとっては、相当に厳しいものだった。
けれど、投げ出すことはできなかった。そこから逃げ出すことができなかった。
もちろん、割り切って考えれば、今後の収入のことさえ気にしなければ、軍を辞めることだって不可能じゃない。……確かに、全く知らない世界に放り込まれた状況であるから、生活には相当な不安があるけれど、鎮守府司令官の任務のストレスから逃れられるのなら、それも選択肢として真剣に考えた時もあった。
けれど、……できなかった。
その選択肢は選べなかった。絶対に選んじゃいけなかったんだ。
その理由は、ごくごく簡単なことだった。
部下として戦ってくれている、艦娘達の存在があったからだった。彼女たちは司令官である冷泉を信じてくれて、命を運命を委ねてくれていた。戦って死ぬしかない彼女たちの過酷な運命の中で、唯一の拠り所として冷泉を選んでくれていた、否、選ぶしかなかった。生きるも死ぬも司令官次第。そんな彼女たちを放り出して、自分が楽になるためだけに逃げ出すことなんてできなかったんだ。
命を委ねられている立場の者として、自分が生きている限りは、その責務を果たさなければならない。いや、彼女たちを置いてはいけなかったんだ。そして、それが冷泉にとっての生きる拠り所でもあったわけだから。
誰一人失うことなく、この過酷な戦場を戦い抜く……。戦い抜いてみせる。
その想いだけでやってきた。
けれども、その願いも空しく、志半ばで絶えてしまう事となってしまったんだ。
彼女たちは、どんなに謝っても許してくれないだろう。けれど、自分は死力を尽くしやったつもりだった。そして、死ぬことにより退場となってしまったんだ。こればかりは仕方が無い。彼女たちには申し訳ないけれど、そう自分を納得させるしかなかった。
すべてに始まりがあり、そして終わりがある。夢もいつまでも見てはいられない。いつか覚めることになるんだ。
そうやって仕方がないことだと諦めるしかなかった。やがて意識はどこか深い深いところへと沈んでいき、記憶と共に薄れ消えていくんだろう。
人は死んだら、何処へ行くんだろう? そんなことを考えながら意識が再び沈んでいく。
そして、現実に戻る。
ずっと眠ってしまっていたようだ。目を開き、辺りの様子を伺う。
今は夜なのか……。辺りは暗闇に包まれている。
空を見ると、そこは満天の星。かすかに波の音だけが聞こえる世界
ここは、誰も居ない静かな浜辺のようだ。
まるで、船が難破して、どこかの島に打ち上げられたかのように思える。この島自体はそれほど大きな島ではなさそうだ。
そして、うっすらと見える視界のすべては、黒い夜の海だ。
自分は、一体……。
混濁する記憶の中、頼りない記憶をなんとか辿り、思い出していく。
自分は加賀を助けるため、加賀の艦内を覆い尽くした蔦のようなモノから放たれる無数の矢のようなものに打ち抜かれ、やがて意識を失ったことを。
そうだ。自分はあの時、死を覚悟した。そして、恐らく自分は死んだのだろう。それを今更ながら認識し、身に降りかかった不運に呆れた。
この世界に来る時にも、軍艦の砲撃を受けて海の底に沈んだ記憶がある。あの時、死んでいるだろうし、そして、また死んでしまったってことなのか。
少し呆れててしまう。いや、呆れるしかない。
再度、辺りを見渡す。砂浜と海と星空しか見えない。周囲に人工的な灯りは見あたらないし、海を行き交う船も空を飛ぶ飛行機のランプも見えることはない。ただただ、静かな夜の世界が広がっているだけだ。
これが、死後の世界……なのかな。
確かに、あの時、負傷したはずの傷口に痛みは無く、触ってみると怪我をした痕跡すら見あたらない。それどころか、服に破れさえないし、あの時、血まみれになったはずなのに、真っ白なままだ。
この場所も全然知らない所でもあるし、この予測はおそらくは当たりなんだろう。
何もなく、ただただ静かな世界で、時間だけが緩やかに流れていく。いや、時間が流れているかさえわからない。
夜の闇ってものは、寂しく不安で怖いはずなのに、なぜだかこれまでになく心は穏やかだ。
痛みや苦しみから解放された世界。……これが死というものなのか。そして、現在の状況を自然と……むしろ喜んで受け入れている自分がいることに気づいた。
不意に自分が何を求めていたかを思い出したんだ。
もともと旅に出たのは、ただ一つの目的があっただけだった。
それは、すべてから逃げ出したかったからだったんだよな。あらゆる面倒な事、煩わしい事、嫌なこと……そういった物すべてから逃げ出したかった。
そう考えると今のこの世界が自分が望んだ世界なのではないか。
誰も、いない、自分一人の世界。
もう誰からも傷つけられず、誰かを傷つけることもない。誰と関わることも無いし、何かに追われることもない。土曜日の段階で月曜日にやらなければならないことが頭から離れず、思考の堂々巡りを繰り返し、一人、部屋で悶々と過ごすことも、その必要もない。
それは……あらゆる事からの解放を意味している。
このままここにいても……いいよな。許されるよな?
もう疲れてしまった……。本気で、そう思う。
たとえ、それが現実から逃げる事だと非難されようとも、その汚名を着せられたままでさえ構わないと思う自分がいた。
けれど、それでもそれだけで割り切れない自分がいる。
どうしても、すべてを捨て去り、この平穏に逃げ込もうとする自分を許さない存在があった。
以前いた世界の記憶しか持っていなければ、今いるこの死後の世界に止まる事ですべてが解決したんだろうし、満たされた気持ちで居続けられたのだろう。
けれど、今の冷泉にはその後に訪れた世界……つまり、艦娘たちが存在する世界での記憶も持っていた。短い間ではあったけれども、彼女たちとの思い出があった。
だからこそ、そのことが冷泉に迷いを生じさせていた。
苦しみつづけるくらいなら、いっそ、ひと思いに楽になりたい……。それは誰もが思い願うこと。
深海棲艦と戦う世界は、それ以前の世界など比較にならないほどに遙かにストレスが大きく、責任という名の重圧で日々眠れない生活が続いていた。
戦略や戦術なんて考えたことさえない素人が、深海棲艦という正体不明の強大な敵といかに戦い、いかに勝利するかを常に考え実践しなければならなかった。
おまけに舞鶴鎮守府の陣容は、冷泉から見ても手薄であることは明らかだった。どう考えても領域解放を続けるだけの戦力・資材力・体力が無かった。
それでも、そんなことは理由にならない。とにかく戦わなければならない。
それ以外にも問題は山積していた。
艦娘の誰一人も死なせることなく、敵に勝利し、領域を開放する。それを実現させるだけでも相当に大変だというのに、おまけに海軍内部の冷泉としては、くだらないパワーゲームにも巻き込まれて、その対応にも神経を磨り減らす毎日……。能力も経験も無いのに様々な難題を次から次へと背負わされて、本来の冷泉であればとっくに投げ出して逃げ出しているような状況だ。たとえ、その時は逃げ出さないにしても、そう遠くない時に冷泉本人が破綻するのは目に見えていた。
今なら言える。それでも、必死でがんばったんだと。……がんばらざるをえなかった。
それは、自分を信じ慕い、健気についてきてくれる彼女たちの存在があったからだ。
前世においても人間の為に戦わされて沈み、死によりやっと平穏が訪れたはずなのに、再び戦いの場へと形を変えて蘇らされた彼女たち。彼女たちに戦う以外の選択肢は無く、今度の戦いも前回と変わらぬ位に厳しい戦いが続いている。けれども彼女たちは人間を信じ、人間のために命を賭して戦ってくれている。
そんな彼女たちを守れるのは、司令官である自分しかいないと冷泉は信じていた。自分以外の人間では彼女たち【すべて】を守ることはできない。自分が努力することで彼女たちを守れるのであれば、どんな辛苦も問わないつもりだった。そして実際にがむしゃらにがんばったつもりだった。
けれど、予想通りだったけれど、自分は無力だった。
加賀を守るだけで、冷泉のちっぽけな命を使い果たしてしまった。
まだまだやれると思ってたし、がんばるつもりだったんだけれど、結局、これから他の子達を守るという約束も果たせずに、あっけなく死んでしまったのだ。
これでは命をかけて守った加賀さえもが再び戦いに巻き込まれ、領域に散っていってしまうのかもしれない。
すべての努力は結局のところ、意味なく無駄に終わったのだ。
それが空しく、恐ろしい。
そして思い知らされるのだ。
どんなにがんばったところで、やはり、自分程度の能力では何もできないのだ。もっと力があれば、加賀をうまく説得して立ち直らせることができ、鎮守府の戦力として使うことができたのかもしれない。
けれど、自分にはできなかった。どうしていいか全く分からなかった。
彼女を失意の底から救い出し、絶望から立ち直らせることは、最後までできなかった。それどころか、自分の行動が鎮守府全体を不穏な雰囲気にしてしまい、本来の艦娘達の結束さえも乱してしまった。
偉そうにおまえ達は俺が守る……って宣言したくせに、何もできないまま退場せざるを得ない無能な自分。
自分は負けたのだ。
もしも、仮に生き返ることができたとしても、結局は同じ失敗を繰り返すだけなのは火を見るよりも明らか。能力の無い自分が分不相応な地位についたところで、結局、その能力の範囲でしかできることなんてないのだ。そして、冷泉の能力では鎮守府司令官という役職などとてもできる仕事では無かったのだ。
分かっている。……そんな現実を再び見るのは、もう嫌だ。
自分にも僅かながらもプライドってものがあるらしい。今回の事でどれほど必死でがんばったところで、結局は自分の限界を超えた力を出すことなんてできるはずもなく、身の丈を越えた事ができないとこれ以上ないまでに思い知らされた。そうなると、もう過去のことなんて忘れてしまいたいし、苦しみ抜いた上で何も出来なかった自分を見るのは嫌みたいだ。
だから、いろいろと思うところがあるけれども、もとの世界には戻りたくないし、ここの安寧から出たくないという結論になっていた。
もちろん、艦娘たちを今でも大事に想っているし、彼女たちを守りたいって思った事は嘘ではなく、今でもそうしたい。
けれど、できないことをいくら願ってもそれはできないんだ。願いを叶えることができるのは、その願いに応じた能力を持つものだけなんだ。
それを今回、嫌と言うほどに思い知らされた。
だから、もう、いいんだ。……これでいいんだ。短い時間だったけど、自分はベストを尽くした。それでいいだろう?
もちろん、彼女たちにはいくら謝っても許されないだろう。約束を破った自分を許してなんてくれないだろう。あれだけ信頼させたっていうのに、あっさりと居なくなってしまうんだから。
けれどそれも、自分が生き返ることができるというあり得ない妄想の中での話なんだ。
死んでしまった今では、何を望もうとも叶うはずがない。
そんな堂々巡りを夢から覚めた世界でも延々と繰り返してしまう。
「……となり、構いませんか? 」
と、突然声をかけられる。
そうして、冷泉は思考の中から引き上げられる。
そして、考える。
ここには誰も居ないはず……。
なのに……。
声のする方を振り向くと、そこには、腰まである長い黒髪の女性が立っていた。
女性……といっても、冷泉より年上ではないだろう。落ち着いた雰囲気を醸してはいるものの、それでも冷泉よりは少し年下に見える。
そして、真っ白な弓道衣、膝より上までしかない朱色の袴、弓道着とは関係のない白のニーソックス。その服装とその顔には見覚えがある。色が違うけれど加賀と同じような格好から、すぐに推測できた。
艦娘の正規空母赤城であると。
「えっと、君は、もしかして赤城……さん? なのかな」
「あら! 私のことをご存じでしたか。……初めまして、正規空母赤城です。……それから、さん付けはいりません。たぶん、私の方があなたより年下でしょうから」
彼女は、一瞬驚いた表情を見せるが、すぐに納得したのか、笑顔を見せる。
「なるほど、そっか。ところで、一つ聞いてもいいかな? ……君は、どうしてここにいるんだい」
たしか、彼女は戦いの中で深海棲艦化して、加賀に沈められたのではなかったのか?
疑問を口にした後で、すぐに自分の質問の回答を得る前に納得できてしまった。
ここは死後の世界なのだから、沈んだ、いや死んだ赤城がいても、別に不思議ではない事を。
「そうか。……ここは死後の世界だもんな。君がいたって不思議じゃないか。ところで、挨拶が遅れたね。俺は冷泉朝陽。階級は少将で、舞鶴鎮守府の司令官だ……。いや、今は違うな。かつて司令官だった……が正解かな」
冷泉は自分で質問し、彼女の回答を待つことなく自分で納得する。そして、自己紹介をした。
彼女は、少し戸惑ったような顔をしている。
「どうかしたのか」
「あなたが勘違いしても不思議ではありませんが、冷泉提督、……ここは、死後の世界ではありません」
「なんだって? 」
では、ここはどこだというんだ? その思いで即座に問い返す。
「ここは現世でもあの世でも来世でもない所……。世界の狭間にできた空間といったほうが冷泉提督にはわかりやすいかもしれませんね。残念ながら、提督が望んでいらっしゃるような【天国】ではありません。もちろん、【地獄】でも……。ここは、生きてもおらず死んでもいないものが迷い込んでしまう……澱みのような場所です。冷泉提督も死んでも死にきれずに、魂だけがここに流れ着いてしまったのでしょう」
「でも、ここはすごく静かで穏やかだし、心が安らぐ気がするんだけどな。もっとも、俺は信じている宗教は無いけれども。それでも分かる気がするんだ。ここの雰囲気は、いろいろ見聞きした死後の世界から感じ取れる、天国のイメージと同じように思えるんだけど……違うのかな」
「提督も先ほどまでいた世界の状況はご存じでしょう? 今は、戦争中です。何十万何百万という多くの人間があの戦いの犠牲になっています。ここが死後の世界というなら、あれだけの魂を受け入れるには、少し狭すぎると思いませんか? 」
確かに、冷泉が聞いただけでも深海棲艦の出現から現在にいたるまでに、深海棲艦との戦いだけでなく人間同士の争いもあった。見聞きしただけでなく資料から推測するに、日本だけでも一千万人以上の人が亡くなっているはずだ。領域に覆い尽くされてしまっているため、他の国の事は分からない。けれど、日本と同じような状況であれば、数億人単位で犠牲者が出ていてもおかしくない。
「それはそうだけれども……」
そう答えるが、いまいちピンときてはいない。
「それに仮にここが天国として、あなたはそれでいいのですか? 」
突然、赤城の口調が問い詰めるような口調となり、思わずドキリとしてしまう。
「え? いやその」
返答に困る。自分の弱気な心を見透かされてしまったようで、動揺してしまった。
「冷泉提督は、向こうでやり残したことは無いのですか? 自分の意志に反して、無理矢理現実を受け入れようとしていませんか? 本当はやり残したことがあまりに多いのではないですか? 」
静かだけれども、赤城の質問は冷泉を追いつめる。
けれども、それに対する答えを冷泉は返すことが出来なかった……。