まいづる肉じゃが(仮題)   作:まいちん

75 / 255
第75話

待合室は閑散としていました。

先ほど外からここに戻るまでの間に、何人かの艦娘とすれ違いました。

彼女たちは加賀さん同様、神通の言葉に感化され、今、自分たちが何をすべきかを再認識したのでしょう。そして、提督が意識を取り戻し、戻られた時にすぐに行動を起こせるように準備を始めたようです。

 

残っているのは、金剛さんだけかな……。

一人呆然とした表情で頼りなさげに長椅子に座っている彼女の姿を見ただけでこちらまで痛々しく感じてしまいます。

 

普段は呆れるほど明るくて、言い意味で脳天気で元気なのですが、彼女のメンタルがここまで弱いとは思っていませんでした。彼女は、物事にのめり込んでしまう分、何かあった時、その反動も大きいのでしょうか? もしかすると普段の彼女は虚像でしかなく、自分の弱さを隠すために明るく元気な別の金剛さんと人格を演じているのかも……? そんなことも考えてしまいます。

最初の私の仕事は、金剛さんの気持ちを落ち着かせて、提督が戻られるまでにいつもの元気な金剛さんに戻しておく必要がありますね。

できるかどうかはわかりませんが、できないようでは秘書艦失格です。他の艦娘たちもそれぞれが今、様々な困難と戦っているのです。私だって負けていられません。どんなに困難であろうとも、それをやりとげるのです。気持ちから負けてしまっていたら、お話になりません。

 

よし!

 

心の中で気合いを入れ、金剛さんに近づこうとした時、視界の隅に他の艦娘の姿を認識しました。

 

……羽黒でした。

少し縮こまったような状態で部屋の隅っこにいたので、気づくのが遅れてしまいました。

 

「羽黒? あなた何をしてるの? 」

思わず声に出してしまいます。

 

「ご、ごめんなさい」

別に何も悪いことをしていないのに、どういうわけか、いつもこの子は謝ります。

「あの、……司令官さんの事が心配で。だから、私、ここにいたんです」

 

「そう、それは構いませんよ。あなたも提督の事が心配なのね」

 

「あ、あの、そのそんなつもりじゃ……。す、すぐにでも出撃できるように、みんなと同じように準備しに行きますから」

彼女は、顔を真っ赤にして否定します。全く、バレバレですね。

こんな状態では出撃に備えて準備をすると言っても、何も手に着かないどころか返ってやったことがメチャメチャで、結局、手戻りが増えるだけでしょうね。心配事があるとそのことばかりに意識が行ってしまって、他の事が何も出来ないのですから。

 

「羽黒、大丈夫よ。……あなたはここに居なさい。みんなの分も提督の無事に祈りましょう」

そう言わないと返って話がややこしくなりそうです。

 

「は、はい! 」

嬉しそうにこちらを見ます。

 

「はいはい。じゃあ、そこの椅子に座っていなさい」

私の指示にすぐ彼女は椅子に腰掛けます。

問題は一つ解決しました。次は金剛さんですね。

 

私と羽黒とのやり取りは聞こえていた筈なのに、彼女はまるで反応を示していません。自分の世界に完全に閉じこもってしまっているのでしょうか?

 

「えっと……。金剛さ」

声をかける途中で外が騒がしくなったのに気づきました。

一体、何事なんでしょうか。

まさかまだ問題が増えるなんて事は無いでしょうね? 少し心配になってしまいます。

 

大声で男女が何かを話しながらこちらに近づいてくるのが分かります。足音も一人や二人のものではありません。

 

「ちょ……まだ決定されていない時なのですから、今はまだお待ち下さい」

女性の声が切迫しています。この声は先ほどお話した女性士官のようです。

 

「どうせすでに結果は出ている。少し早いだけだろう。君も本心ではそう思っているんだろう? なあに、気にすることなどない」

高圧的であることが威厳ある話方であるかのような、とても無礼な声がそれに反論します。

ドタドタと現在の状況をまるで考慮するつもりもないような足音。

……この声はどこかで聞いたことがあるような……。記憶を辿っている間に騒々しく扉が開かれます。

 

そして、唐突な闖入者に、場の静寂が破られます。

 

「なーんだ、この状況は? ほとんど誰もいないではないか! 」

それは明らかに笑いを含んだ声でした。聞く者の感情を逆撫でるような声です。

「ひとーり、ふたーり、……なんだ3人しかいないぞ。他の連中はどこに行ったんだ? おいおい、司令官が緊急手術だっていうのに、他の艦娘連中は、ほったらかしで遊びほうけているっていうのかね? ここの規律はどうなっているんだ。艦娘を掌握さえできていないのか、今の提督は無能だな。こりゃダメだ。ふははははははは。しかし、それにしてもこれは酷いな。君もそう思うだろう? 」

実に楽しそうに話します。

 

声の主を見た途端、全身に悪寒のようなものを感じているのを認識しました。それは、羽黒も同様のようで、目を大きく見開き、怯えたような顔をしています。よく見れば、幽かに震えているのが分かります。私は彼女のように怯えるような要素は無いのですが、嫌な出来事がいろいろと思い出されて来て、気分が悪くなるのを抑えられません。

 

「金剛に高雄、それから羽黒か……。久しいな、お前ら」

ニタニタ笑い、まとわりつくような視線を私達に這わせながら、男は近づいてきます。実際には触れられてもいないのに、全身に鳥肌が立つような気さえしました。これが舐め回すような視線というものでしょうか。実際に経験してみると、凄く不快です。

 

男の名前は、小野寺小佐……。現在は、軍令部の大佐になっています。

提督が召喚された査問委員会の委員の一人となっていたことで、知りたくも無いのに彼の現在の役職を知ってしまいました。

 

彼は、今は空席となっていますが、かつての舞鶴鎮守府の副官です。

そして、私が人間の事で初めて嫌いになった人です。

 

彼に続いて女性士官の人、そして数人の軍服を着た男性がやってきました。彼らは先ほどから病院で見かけた人たちです。

 

「……ご無沙汰しています、小野寺大佐。お元気でしたでしょうか」

一応、礼を失してはいけませんので心にもない言葉を吐きます。

 

「ふん。まあまあだな。……お前もそれなりにやっているようだな」

興味なさ気に答えます。そして、羽黒のほうを見ると

「羽黒、お前も久しぶりだなあ。元気にしてたか」

視線を上下にゆっくりと這わし、ニタリと嗤います。

 

「ヒッ! 」

思わず羽黒が小さな悲鳴を上げてしまいます。そしてそれ以上何も言えずに黙り込んでしまいます。今にも泣き出しそうです。

その姿を見て、とても嬉しそうにそして気持ち悪い笑みを小野寺は浮かべました。

 

「金剛、お前も久しぶりだったな」

続けて金剛さんにも声をかけます。

しかし金剛さんは反応さえしません。何も聞こえないのか黙ったままです。

 

小野寺大佐は、かつて鎮守府の副官でいたころ、艦娘に対するセクハラ及びパワハラ行為を繰り返し、ついには、ある事件をきっかけに提督の逆鱗の触れ、鎮守府から放逐された人物です。事案からすれば、本来なら、もう軍隊に残れる筈がないのですが、どういった理由からか左遷さえされずにその後は順調に出世をしていたので、とても疑問を感じていました。それが人間の世界の出世ゲームというならば、それは人間に対して失望しますが、やむを得ないことと諦めざるをえないのですが……。

 

「おいおい、かつての上官が来たっていうのに、全く無礼な連中だな、……コイツら。やれやれだな、これは。やはり、上司が無能、いや、きちんとしていないから、こんな間抜けが治らないままなんだよ。全く、規律の乱れは大問題だ。本当に、困ったものだ」

彼の言葉に少し苛つきますが、なんとか抑えます。

 

「大佐、本日はどうされたのでしょうか? 」

与太話に付き合っている時間はありません。

私達は提督の身を案じ、彼の帰還を祈らなければならないのです。こんな俗物のそして変態の相手をしている時間はありませんし、この部屋の静寂をこれ以上乱されたくありません。

 

「まあ……なんだな。次の勤務地の事前確認といったところだ」

 

「大佐、それはまだ案であって、決定事項ではありません。それを軽率に艦娘たちに言うことは……」

素早く女性士官が言葉を挟みます。

 

「ふん。どうせ、すぐに決定事項になることなんだ。いや、もう決まっている事だろう? こんなことは。さっさとコイツらに伝えてやったほうが良いに決まっているだろう」

 

「どういうことでしょうか? 何がどうなるのか私には分かりません」

 

「ところで、扶桑は居るのか? 見あたらないが」

私の言葉が聞こえていないわけではないでしょうに、全く別の事を言います。相変わらず人を怒らせるのは上手ですね。

けれど、怒っても仕方ありません。それは彼のペースに乗せられてしまうだけです。

 

「扶桑さんは、現在、入渠中です」

 

「わはははははは!! おいおい、あのポンコツ、まーた入渠しているのか? 傑作だな。本当に相変わらずの欠陥戦艦ぶりだな。よく偉そうに鎮守府で戦艦として居座っていられるな。そもそも一体、いつ出撃するんだね。どれだけ面の皮が厚い、厚かましい奴なんだよな、そう思わないかね? 」

不愉快な笑い声が室内に響きます。

反論してやりたいですが、なんとか堪えます。この数瞬だけで1年分の忍耐を使ってしまった気分です。

「相変わらずの層の薄い鎮守府だな。それにしても、あんな奴が、まさか、未だに第一艦隊に居座っているなんて事ないだろうな? 補欠だろ? 補欠だよな? 違うのか? だとするなら、今の提督もやはり、戦略戦術ってやつがまるで理解できない、……無能って事だろうな」

 

「あの、すみません。今、提督は、絶対安静中となっています。もう少しお静かに願いませんか? 」

嫌味っぽく言うだけしかできません。

これ以上、扶桑さんの悪口をこの男に言わせたくないですし、私も聞きたくありません。私が我慢の限界値に達しそうです。あと少しでも喋ったりしたら、恐らく、かなり高い確率で彼をぶん殴ってしまいます。

この野郎! どの口がそんなことを言ってやがるんだってところです。

 

小野寺大佐が扶桑さんを毛嫌いしているのは、それ相応の理由があるのは知っています。もともとドスケベで変態気質のあった彼は、提督に隠れ陰で艦娘達にセクハラ行為を働いていました。それは巧く表面化せずにいたようですが、ある時、エスカレートした彼は、理由をつけて扶桑さんの艦内に入り込み、彼女を襲ったのです。幸い、大事には至りませんでしたが、それが提督の耳に入る事となり、激怒した提督に放逐人事をされたのでした。その時、提督は普段の温厚な性格からは考えられないくらい激高しており、小野寺大佐に対して暴力行為に及んだようです。それが、不味かったのかもしれません。小野寺大佐につけいる隙を与えてしまったのです。

単なる加害者でしかなかった彼が、被害者の立場も手に入れてしまったのです。

 

結局、小野寺大佐は鎮守府から異動となりましたが、処分らしい処分はされませんでした。提督もおとがめ無しでしたので、何らかの政治的解決が図られたようです。

けれど、そのことで彼の経歴に傷が付いたということで自分はぬれぎぬを着せられたと激高し、提督をそして被害者であるはずの扶桑さんを呪いながら鎮守府を後にしたのでした。襲われた事でしばらくの間、扶桑さんは精神的にかなり不安定になってしまって大変だった事を覚えています。あの時、提督が本当に献身的に扶桑さんのケアをしたので、なんとか彼女も立ち直ることができたようでしたが。

 

つまり、全くの逆恨みでしかないのです。

 

「ふふ……そのことか。喜ぶがいい。お前達にとって良いニュースだけを持ってきてやったぞ」

鼻を膨らませながら答えます。

 

「大佐、それはまだ」

女性士官が止めようとしますが、小野寺大佐は無視します。

 

「喜べ。冷泉提督が死んだら、私がここの司令官となるのだよ」

それは、私達にとっては、最悪のニュースでした。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。