「扶桑……。体、大丈夫デスか? 」
心配そうに見つめる金剛。
扶桑はベッドに横になりながら何とか彼女に微笑み返す。
「大丈夫ですよ。……少し疲れてしまっただけだから。心配しないで」
「うん、わかった。……でも無理をしちゃダメですヨ。扶桑はいっつもいっつも、マジメすぎて気が張りっぱなしなんデスから。適当に緩ませることを覚えないと持たないヨ」
そうだ―――。
いつもこの子は、私だけでなく、みんなのことを気にかけている。彼女のほうが艦娘を束ねる器なのに……と扶桑は思ってしまう。誰よりもみんなのことを思いながら、決してそれを表に出そうとしない。本当にもったいないと思う。上っ面だけの金剛を見ると、少し抜けた、ただのお調子者のようにか見えないけれど、誰よりも繊細で気配り屋さん。
「あなたみたいに緩みっぱなしってわけには行かないけれども、珍しく言ってる事は正論ね」
「あー! 酷いデスー。まるで私が馬鹿みたいじゃないデスか!! 」
そう言って怒ったふりをするその姿も愛おしい。
「ふふふ、冗談よ。でも心配してくれてありがとう、金剛。私は大丈夫。少し横になって休めばすぐに元に戻るから安心して」
「ホントに大丈夫? 」
そういって、やはり心配そうに見つめてくる彼女にうなずく扶桑。
「さあ、提督のところに行ってあげて。あの人を放っておくわけにはいかないでしょう? またフラフラして怪我でもしたら大変」
「うん、そうダネ。提督のことは私に任せて。落ち着いたらまた来てネ」
金剛は何度かこちらを振り返り、手を振って部屋を出て行った。
「ふう……」
大きくため息をつく。
目を閉じて何度か深呼吸を繰り返すと緊張した気分が次第に落ち着いていくのがわかった。
金剛が言うように、提督が怪我をした時のことを思い出してショック状態に陥ってしまったのは事実だけれども、それ以上に衝撃を受けたことがあったことを扶桑は金剛には言わなかった。
いや、言えなかった。
あまりに突拍子も無いことで、そんなことを言っても彼女は、いや他の艦娘だって誰も信じてくれないとわかっていたから。
けれども、扶桑の心に浮かんでしまったその疑念は、彼女の心をゆっくりと、そして確実に侵食していっていた。
「ああ、提督。どうして私に優しくしたのですか……」
口にして問うてみる。
しかし、何一つ答えが返ってくるわけでもない。
提督は扶桑に馴れ馴れしく、それが当たり前のように体に触れてきた。金剛に対しても同じような態度であったから、それが提督にとっては当たり前の事、そう思えるかもしれない。
確かに、扶桑にとって【あの事】が無ければ、気にも留めることなどなかった筈。
しかし、現実は違う。提督が扶桑に対してあのような態度を取る事は絶対にありえないのだから。
なのに、彼はそうした。
それが原因で、それに対する疑問が生じ、すべてが、目の前に存在するすべてが嘘のように思えてきてしまっていたのだ。その瞬間、扶桑の足元が崩れ去り虚空に投げ出されたような気分になり、倒れそうになったのだった。
【あの事】それは―――。
それは、扶桑が提督に告白した夜のことだ。
提督と艦娘という関係でありながら、提督に恋してしまった扶桑は、激化する戦闘の中でいつ自分が戦地で轟沈するかわからない状況であることから、その秘めた想いを彼に伝えずにはいられなかった。
人間と艦娘の恋なんて成立するのかどうかなんてわからなかった。でも自分の中に芽生えたその気持ちを抑えることができなかった。
そして、その時、……彼は、冷泉提督は宣言した。
「扶桑、私は君の想いに応える事はできない。私は鎮守府司令官。君たち艦娘を死地へと送り込み、日本国民が生き残る為に君たちに戦いを強いる者。そんな立場の人間が、君たちに個人的な感情を抱いてしまったら、艦娘を人と同じものと思うようになってしまえば、……もはや戦えと命じることができなくなってしまう。そうなってしまえば、もう私は軍人として責務を全うすることができなくなる。それは、軍人にとって死ねということと同じ。……私はこの日本という国のためにすべてを捧げたい。閉塞したこの日本の現状を打破するためにすべてを犠牲にしてでも勝利を獲たいんだ。だから、立ち止まることも逡巡することも許されない。故に、君の気持ちに応える事はできない」
生真面目な提督らしい断り方だった。わざわざそんなに細かく説明しなくても、ただお前にに興味はない、と断るだけでよかった。なのに扶桑を傷つけないようになのか、回りくどい言い回しで答える提督の優しさ、まじめさがとても辛かったことを覚えている。
それ以降、提督は意図的に扶桑との接近を避けるようになった。
ただ、戦艦である扶桑は艦隊の中での要であることから、どうしても会話を避けることはできない。
しかし、その会話は事務的なもののみであり、私的なものは一切なされなくなった。
やがて艦隊に金剛が着任し、次第に扶桑が行っていた事務は彼女が引き継ぐこととなり、扶桑と提督との距離はどんどんと開いていっていたのだった。
いつの間にか、会話どころか目を合わすことすらもなくなっていたのだから。
それが、いきなりあの対応だ。扶桑の体に触れながら、あんな優しい笑顔で話すなんてことはもともとしない人だったし、あれ以降、そんなことが起こりうることなど皆無のはずだった。
あまりに唐突すぎて、おかしいと思わないほうが不思議だ。
記憶喪失だから?
記憶が無いから行動がちぐはぐ?
金剛や扶桑の名前を覚えているのに、【あの事】は覚えていないの?
そんな都合のいいことを信じることなんてできなかった。
そう。
まるで提督が提督でない……。
まるで提督が別の誰かと入れ替わってしまったような……。
そんなありえない空想があたかも正解のように思えてしまう現実。
扶桑が陥っているのはそんな妄想とも呼べるような代物。
でも扶桑には妄想として一蹴することができない。
そして、金剛は提督の事を全く疑っていない。いつも通り変化がない。
でも、そんなことがありうるのかしら?
おかしいのは自分なのか、金剛なのか。それとも二人ともなの?
考えれば考えるほど答えから遠ざかるような感覚。
堂々巡り……。
答えを知る者は、提督しかいない。
心に芽生えた疑念を晴らすには、直接あの人に訊いてみるしかないのだろうか。
それは、あのときの拒絶の恐怖を再び覚悟する必要がある。
それは怖い。恐ろしい。悲しい。そして切ない。
だけれども、知らずにはおられない……。
扶桑は思案するのだった。