まいづる肉じゃが(仮題)   作:まいちん

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第67話

冷泉は駆逐艦島風の甲板に飛び出すと、左方に並んだ状態になっている正規空母加賀を見る。

現在も島風よりの放水による消火作業中である。このため二隻の艦が近づいているとはいえ、まだ十メートル以上は離れている。

 

さて、どうやって空母に乗り移ればいいのか……。タラップなどの便利なものは無い。ロープを引っかけて渡るか? そして、思い出した。

前に加賀に乗り込むときに管理者権限を付与されていたのだった。それを詠唱するだけで艦内に転送されたはずだ。

「確か、○×☆□△だったよな」

口走った途端、体が浮くような感覚があったと思うと、転送されていた。そして前回と同じく、着地に失敗して転倒する。今回は心の準備ができていたから、着地と同時に体育の授業で習った前方回転受身を試してみる。

 

刹那、衝撃が襲う。

 

「ぐはっ……」

受け身は失敗した。床で激しく背中を打ったようだ。しばらくの間、呼吸が困難な状況が続いた。しかし、今はこんな事で時間を取られている訳にはいかない。

痛みを堪えて何とか立ち上がり、周囲を見渡す。

 

そして、前回との相違に気づいた。前は転倒した際に加賀を押し倒してしまうというトラブルがあったために、注意が逸らされてしまい正確に覚えてはいない部分があったものの、この転送される部屋は何も無い殺風景な空間だったことだけは覚えている。

だが、今、この部屋を見た時、明らかな異変を感じていた。

前は全面が白で統一された部屋だったが、今はまるで違う。床や壁を木の根のようなものが突き破り、あちこちを張り巡らされた後に再び壁を突き抜けていっている。その根は、いやよく見ると蔦に近いように見えるそれは、人の腕くらいの太さがあり、表面はひび割れガサガサに乾燥しているように見える。その茎からは根のようなものが出て、床や壁に張り付くもしくは根が壁面に突き刺さっている。それらは蔦の吸盤のようなタイプのものと、イワガラミの根のような物に分かれ、どちらもがその巨大な茎を支えるようになっている。

背中を強打したのはこの茎のようだ。触ってみるとかなり堅い。そしてどういうわけか脈打っているようにも感じられ、少し暖かく不気味だ。茎と根の所々にトゲのようなものが突出しており、間違ってその鋭利な部分にぶつかっていたら大怪我をしていただろう。おまけにその棘には釣り針のような返しがついている。試しに突っついてみたら、いとも簡単にポキリと折れた。

「どうしてこんなものが艦内に張り巡っているんだ……」

疑問を口にするも、答えは出るはずもなかった。

異変がこの艦内に起こっていることは間違いない。その原因が何かはわからない。しかし、今はとにかく、加賀のいる場所へ進まなければならない。

冷泉は転送された部屋を出ると、艦内の通路を艦橋へと向けて移動していく。

艦内は照明がうっすらと点灯しているため、歩くのにはそれほど困らない。通路も転送された部屋と同様に根のようなものがうねうねと這うようにある。当然ながら、床にも這い回っているため、注意しないと躓きそうになり歩行にはかなり邪魔だ。おまけにさっきも確認したように、ところどころに棘があるため、不用意にそれに触れると突き刺さる。また、あらゆる場所が根からしみ出した樹液か何か分からない得体のしれないどす黒いシミが見られる。どうもそいつが原因のようで、異様な臭いがあたりに立ちこめている。

そして、艦橋へと近づくにつれ、異臭は強まり、さらには薄黒い霧のようなものが立ちこめ、視界が狭まってくる。どうかんがえても瘴気としか考えられない。少し吸い込むだけで咽せてしまう。冷泉は取り出したハンカチで口元を防御しさらに進んでいく。

 

この植物か何か全く不明の根のようなものがどこから現れたのか、どうして加賀の艦内を占拠しているのかまるで見当もつかない。ここは海の上だというのに何故にこんな事が起こるのか?

樹液のような液体は粘り気も含んでいるようで、歩行の邪魔にもなる。それでも冷泉は歩き続け、階段を上っていく。

瘴気は更に濃くなり、ハンカチ程度では防ぎきれない状態となっている。もはや瘴気という存在の粒子さえ肉眼で捉えられるのではないのではないかとさえ思う。片手で振り払うと、さっとそれは移動する。ぐっと手を握りしめると触った感触もある。それどころかネチョリとした感触さえ感じた。

「何なんだよこれは」

掴んだ瘴気……。よく見るとそれは羽虫だった。見たこともない形の何匹もの虫が冷泉の掌でつぶれていた。大きさはコバエ程度の大きさだ。

「うわ」

思わず声を上げてしまう。

「何なんだよ、ここは」

世界はホラー映画か悪夢か。そうとしか思えない光景が目の前にある。普段なら悲鳴を上げて逃げ出している所だ。

加賀へ近づくにつれ、異界感が強まっていく。一体この先はどうなっているのか。

彼女はどうなっているのだ。

 

「くそ……なめんなよ」

冷泉は誰に言うでもなく言う。ここで逃げ出す訳にはいかない。気持ち悪いし、得体がしれないけれど、そんな不気味な世界の中心に加賀がいると思うと行かなければならないという気持ちが強まっていく。

「待っていろよ、加賀。今行くからな。それから、……あとで説教だ」

そんな悪態をつきながらも、なんとか司令室にまで到着した。扉の周りは蔦が密集しているが、ドア自体は損傷を受けていないようだ。なんとか開きそうだ。

両手で取っ手を掴むと、開けようとする。

しかし、何かが引っかかっているようで、扉は少しだけ動いただけでそれ以上開こうとしない。

「なんだこりゃ」

隙間から見える室内を覗き込むと、そこは蔦がびっしりと張り付いており、ドアに吸盤や根で張り付いているため、それが原因で開けられないようだ。そして、その奥がどうなっているかは伺い知れない状態だ。

しかし、向こう側に加賀がいることは間違いない。

「おい! 加賀!! 大丈夫か? 」

声を上げるが反応はない。

「そこにいるんだろう! 返事をしてくれ」

 

冷泉は扉を何度も何度も押し、そして引いた。そのたびに開く大きさが広がっていく。何度か繰り返すうちについには人一人が通れるほどの隙間が確保できた。蔦をかき分け体を潜り込ませる。

腕ぐらいの太さの根が鉄格子のように扉の向こう側に垂れているため、すぐには入れそうもない。しかし、その隙間から、部屋の中が何とか見えるようになった。

 

艦橋の窓には防御壁が降ろされているため日の光は差し込まない。

照明もほとんどが何らかの原因で消灯状態となっている。蔦や根が壁や天井、床を突き破って侵入したせいで断線でもしているのだろう。しかし、まだ光を灯したままの照明のおかげで中の様子も僅かではあるが見ることができた。

 

「な、んだよ……」

思わず呻く冷泉。

あちこちから集まった根のようなものウネウネと床と天井をうねった後、司令室の中央に集まり、上と下からそれぞれ垂れ蜷局を巻くようにして巨大な柱のようなものを作り出していた。

室内の瘴気はその密度を更に増しているのが分かる。空気が黒く濁り、それは視覚的にありえないはずなのだけれど異常な重さを感じさせてくる。

さらには根のような物が這い回る床や天井が揺れるように見えてくるのは何故だ。

先ほどから感じていた異臭は、さらに強まりもはや腐臭と変化し、吐き気を催さずにはいられない。

 

「加賀! どこだ、加賀」

悪臭に耐えながら冷泉は叫ぶ。少し開けただけの扉の向こう側に加賀の姿は見つけられないままだった。

「聞こえたら返事をしろ。俺だ、冷泉だ。助けに来たぞ」

 

「て……ていとく? 」

ごくごく微かに、囁く程度の大きさの声が聞こえた。

扉に体を押し込み、少しでも視野を稼ごうとする。しかし、視界の狭さと薄暗さで見つけ出すことはできない。

とっさに脳内に命じる。

加賀を探せ、と。

 

冷泉に与えられた能力。旗下の艦娘のステータス表示をさせることができる能力。これを使えば、位置が特定できるはず。

 

ポン。

 

電子音が聞こえ、視界の前方に【加賀】の表示が現れた。

そして驚いた。

 

ステータス表示画面の現れた場所。

それは、司令室の中央に巨大な柱のようになっている謎の根のような茎のようなものが絡み合ったものの中だったのだ。

 

「加賀、お前、そこにいるのか」

どす黒い根が絡み合った柱状のものの中に冷泉は見つけ出したのだ。柱の中央付近にその根に絡みつかれるようになった状態の加賀を。

 

「今助けに行くから、待っていろ」

そう言うと入り口を鉄格子のように塞いでいる根を押しのけようとする。

 

「来ては駄目」

加賀の口がそう言っているように見えた。しかし、そんな言葉で止められるはずもない。

塞いだ茎だか根っこだか分からないものは思った以上に堅くそして頑丈だった。押すだけではびくともしなかった。

冷泉は一歩引くと靴の裏で蹴る。何度も何度も蹴る。表皮が傷つき剥がれていくが、それはほんの表面部分だけでしかない。斧やノコギリがなければ切断は難しいようだ。

「くそ、どうすればいいんだよ」

蹴った程度では折ることは出来そうもない。次に冷泉は2本のそれを掴むと広げようとする。堅いとはいえ、高さ2メートル以上のものが天井から床に伸びているものであるから頑張ればその鉄格子状となった隙間を広げられる。必死で広げると30センチくらいまでは広げられそうだ。

これなら行ける。

そう判断した冷泉はその隙間に右肩を入れると体をねじ込んでいく。肩が入り、続いて頭を押し込んでいく。片方を背中押し、もう片方を両手で掴み、右足で突っ張って押し広げていく。

後は体を押し込んでいくだけ。行けそうだ。

そう思った刹那、背中と左手、右足に激痛が走った。

「がっ」

呻きを上げて痛みを感じた場所を見る。見ることが出来たのは手と足だった。

もっとも注意してやったつもりだったのに。根のところどころにあった棘。先ほど見た時には無かったはず。きちんと確認はしたはずだった。絶対に棘なんてなかった。

なのに、今、左手を貫き甲からほんの少しだけ突き出した棘、靴の底さえを貫いた棘。みるみる血が滲んでくる。背中にも刺さっているのだろう。仕込み針のように出てきたのいうのか。

しかし、今更遅い。

この棘は少しでもどうせ動いたら折れるんだろう。突き出し具合からすぐ抜くことも無理だろう。

「だったら、やることは同じだ」

さらに力を込めて体をねじ込んでいく。動きに合わせてさらに何カ所に激痛が走る。それでも前に進むことを止めず、冷泉は茨の鉄格子を突破し、倒れ込む。

痛みで悲鳴を上げそうになるが、何とか堪える。

冷泉は起きあがろうとする。左手と右足は少し動かすだけで激痛。背中と左太ももの後ろ側にも痛みがある。棘に貫かれたのは四カ所か。

これくらいならまだいける。足を引きづりながら冷泉は中央部へと歩む。片足しか使えないために床を這うように生えている根に躓いて転びそうになる。

「加賀、待ってい……ろ。今、助けてやるからな」

そう言って加賀の方を見る。

そして、加賀と目が合う。……その瞳からは光が失われかけていた。

「今行くぞ」

 

接近して分かった事がある。

加賀はどうやら正体不明の根のようなもので張り付けにされた状態になっているようだ。両腕を広げた状態で中に浮いている。

幾重にもその根が彼女に絡みつき、柱状のものを構成しているのだ。

また、視界が歪んだりぼやけたりした現象についても、その原因が分かった。歪んだ訳でもぼやけた訳でもなかった。床一面を小さな虫たちが蠢いていただけだったのだ。先ほど握りつぶした羽虫のようなものだけではない。蟻のような形状をしたもの、ダンゴムシのようなも。他にもいろいろな形の虫が移動していたのだ。そいつらは、基本的には見たことのあるような虫であったが、どこかが異なっている。触角が3本だったり、足が左右非対称だったり、頭が二つあったりとどこかが異常だったのだ。つまり冷泉がそれまでに見たことの無い形をしている。

正直なところ、虫はそれほど好きじゃないし、触りたくもないし、見たくもない。けれども加賀の元へと歩みを進めるたびに床を移動する虫を踏みつぶしてしまう。グチャリという感触が靴越しに伝わってくる。おまけに棘を踏み抜いてしまった左足は潰した虫の体液が入ってきそうで気持ち悪すぎる。

普段なら逃げ出してしまいそうな状況だが、動くたびに棘が肩を、太ももを、足の裏を貫き抉るような激痛が襲ってくるため、気持ち悪さを気にしていられなかったことがせめてもの救いか。

 

そして、痛みは歩くたびに酷くなる。けれど歩みを止めることはしなかった。

加賀を助けるんだ。その思いがなければ、ほんの数メートルの距離でさえ進むことはできなかっただろう。

 

最後の一歩。冷泉は倒れ込むようにして加賀の元へとたどり着いた。

 

「加賀、来たぞ。……すぐにここから出してやるからな」

そういって絡みついた根のようなものに手をかける。幸い、加賀を絡め取っている根や茎のようなものは艦内やここの入り口を塞いでいたものとは異なり、色はまだ緑色で若々しく、そして細く柔らかかった。

これなら引きちぎることさえ可能だ。

 

「なぜ、来たの」

視点の定まらない瞳で加賀が冷泉に問いかける。普段以上に感情の起伏がなく、さらには弱々しい声だった。

「私のことなど、放っておいてくれればいいのに。そんなに怪我をしているのに……何をしているのですか」

 

「約束しただろう? 俺はお前を必ず護るって……だから、俺はここにいる」

 

「そんな怪我をして、……一体何の意味があるのですか」

少しだけ彼女の瞳に感情が戻ったような気配を感じた。けれどそれはすぐに消え、また灰色の瞳に色あせていく。

 

「意味はあるさ。お前を助けられる。その為なら、この程度の怪我なんて代償にすらならないさ」

 

「司令官としては下の下の選択肢です」

 

「そうだろうな。けれど俺にとってはベストな選択だと思っている」

冷泉は加賀の瞳から一時も目を逸らさずに話続ける。痛みはやがて痺れになってきている。先ほどから出血が止まらないことを認識している。どうもこの植物の棘には止血を阻害する成分が含まれていたようだ。油断すると意識が飛びそうになるのを感じながらも冷泉は話し続ける。

「俺はお前をここから救い出す。お前を悲しませたまま沈ませなんかしないぞ」

 

「私は、もう、こんな世界で生きていたくはないの。領域で沈まなければ、穏やかな死が、もしかしたら迎えられるかもしれないって思って来てみたのだけれど、沈みかけたらこんな状態よ。結局は逃れられないのね。ふふふ、死ねば深海棲艦になるようね。まったく散々な運命だわ……一体、どうすればいいのかしら」

諦観するように呟く。

 

「簡単な事だ。俺と一緒にここから出ればいい。お前は俺の言うことを聞けばいいだけだ」

 

「残念だけど、お断りするわ。……もうこれ以上艦娘として生きるなんて嫌なの。戦い続け仲間の死を送り、そして自分も死んでいく。そんなことを繰り返すなんてゴメンだわ。そんなことをするくらいなら、いっその事、深海棲艦になって人間を滅ぼし、すべてを終わらせるほうがマシじゃないの。だから、あなたも私に構わずにここから出て行きなさい。そうして、私を沈める準備をしたほうがいいわ」

説得などまるで聞く耳を持たない加賀。

もはや完全に諦めの境地にあるようにさえ思われる。それが彼女がずっと悩み続け考え抜いた末の結論だというのか。

 

そんなの、……あまりに悲しすぎる。

 

「だったら俺もお前の提案を拒否する」

 

「な……。あなた怪我をしているじゃない。それにこのままここに留まったら、どうなるかわからないわ」

諦めの悪い司令官に少しだけではあるが苛立ちを感じているようだ。

 

「俺はお前を連れて帰る。これは絶対だ。どんなことがあってもそれだけは絶対に変えない。これはみんなとの約束でもある。だから、絶対にお前を連れて帰る」

 

「……馬鹿じゃないの」

呆れたような、そしてそれ以上の感情が彼女の中に芽生えているようにも見える。

 

「馬鹿で結構。ここで諦めてお前を見捨てることと比べればそんな批判などいくらでも受けてやる」

 

「……じゃあ、勝手にすればいいわ。……私は自分の運命を受け入れるだけだから」

一瞬だけではあるが感情が表れたように思えた加賀の表情も、すぐに何の感情も無いものへと変化していった。

 

「もちろん勝手にやるさ。お前を絶対にここから連れて帰るからな」

そう言うと、冷泉は加賀を拘束している蔦のようなものを両手で掴むと思い切り引っ張った。

 


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