椅子に腰掛ける。立ち上がる。そしてまた座る。それを何度も繰り返す。
しかし、どうにも落ち着かない……。
正規空母:加賀は駆逐艦三隻に護衛されて、まもなく到着する。少し待てば、高雄に連れられてやって来る。そして、それを冷泉が笑顔で迎え、ねぎらいの言葉をかける。たったそれだけのことなのに、じっとしていられないほど待ち遠しい。
心がソワソワして冷静になろうとしても無理だ。落ち着かない。部屋を出て、せめて窓から彼女がやって来る姿を確認したいという衝動に駆られてしまう。
それは、仕方のないこと。
冷泉にとって待望の正規空母が艦隊に加入するのだから。司令官としても当然の事だろう。
けれど、高雄に窘められたように、確かに落ち着きがなさすぎるとは認識してる。けれど期待だけがどんどん膨らんでいき、我慢できない。
これじゃあ、また秘書艦に叱られそうだ。
働きだしてすぐに止めた煙草が、急に恋しくなった。
こんな時に一服したら、少しだろうけど落ち着くと思う。
唐突に扉がノックされ、高雄が入ってきた。
「提督、加賀さんをお連れしました」
そして、彼女はドアを大きく開いて、後ろに立つ艦娘達を招き入れる。
背後に駆逐艦らしい艦娘を三人従えて、髪を左側で纏め、白筒袖に青い袴姿の少女が執務室へゆっくりとした歩みで入ってきた。
袴といっても膝より上の丈しかないし、黒のニーソックスを履いている。一応、ゆがけや胸当てをつけいるから弓道の格好をしているとはいえるが、やはりゲームと同じ格好だ。
ちなみに飛行甲板や弓、矢筒は持っていない。
少しつり上がり気味の瞳に憂いをまとい、無表情なために少し冷たそうに見える。
全員が執務室に入るのを確認すると、高雄がドアを閉め、冷泉の隣に立つ。
それを待っていたかのように、加賀が言葉を発した。
「はじめまして……航空母艦、加賀です。えっと、あなたが司令官なのかしら? 」
彼女は冷泉を値踏みするかのように見つめてくる。そして、少し不思議そうな表情を浮かべた。
「ああ、ここの司令官をやってる冷泉だよ。これからよろしく頼む」
すぐにでも加賀に握手を求めよう立ち上がろうとするが、横に立つ高雄が咳払いをしたので、中腰で止まり、再び椅子に腰掛ける。
「そうなの……あなたが、司令官……なの、ね」
そこでため息をつく。
「……まあ、あなたには、それなりに期待してるわ。これからよろしくね」
自分の言うべき事は全て完了した、義務は果たしたと言わんばかりに彼女は言葉を打ち切った。次はあなたの番よという感じで腕を組み、冷泉を見下ろす。
彼女の表情は冷泉を試すわけでもなく批判するわけでもなく、ただ無関心な無表情だった。
「ちょ……」
横に立っていた高雄が何か言いそうになるが、冷泉と目が合い、
「もう! 」
小声で少し苛立ったような声を出したが、それ以上は何も言わなかった。
予想とはまるで違う加賀の態度に動揺しながらも、なんとか事前に考えていた、司令官としての言葉を彼女にかけなければならない。
「俺の方からも頼むよ。慣れない環境だろうから、これからいろいろ大変な事もあると思うけど、頑張ってほしい。ま……とにかく、横須賀からここまでは遠かっただろう? 少し疲れたかな。……。今日はこれくらいで、明日からだな。まあ横須賀鎮守府とは勝手が違うかもしれないけれど、すぐに慣れると思う。俺を含めて……ははは、これは言い過ぎかな。でも、ここにいるのはみんな良い奴ばかりだからな。分からないことがあったら何でも安心して聞いてくれよ」
横須賀鎮守府から舞鶴鎮守府までは太平洋を通り、日本列島をぐるっと回っていかないとたどり着けないようになっている。
本来なら瀬戸内海を通り関門海峡を抜けるルートが最短なのだが、瀬戸内海には深海棲艦の潜水艦が頻繁に出没するため、うかつに通過できない危険なルートとはなっている。仮に通ったとしても、関門橋が深海棲艦の攻撃により落とされ、船舶は通行できなくなっている。
瀬戸内海については、呉鎮守府の艦隊が深海棲艦の壊滅のため日夜戦っているのだが、海底のどこかで敵の領域と繋がっているらしく、いくら倒しても次々と増援が現れるため、なかなか勢力下におけずにいる。
さらに本州と四国を繋いでいた橋も全て落とされ、海底に沈んでいるため、それが敵潜水艦の格好の隠れ場所になっている不利もあるようだ。
通常海域においては、深海棲艦にとって決して有利な状況ではなく、戦いは敵にとって厳しいはずなのに彼らは撤退せず、逐次戦力を投入して来る。それだけ深海棲艦にとって瀬戸内海には重要な何かがあるのだろうが、それが何なのかは未だ解明されていない。
それが判明すれば、もしかすると深海棲艦との戦いを有利に進めることができるのかもしれないのだが。
このため、海上ルートで舞鶴鎮守府に来るためには、四国沖を抜け九州を迂回するルートで日本海に出るしかないのだ。
「……ありがとうございます」
加賀の口調は興味なさそうで素っ気なく、おまけに冷たく感じられる。冗談めかして話したところに反応すらしないし。そして、ひいき目に見たところで彼女からは覇気が無く感じられず、やる気もない態度だ。一緒に来た駆逐艦の子達のほうが加賀の態度にどう対応して良いか分からず、キョロキョロと視線をさまよわせている有様だ。
それに先ほどから冷泉と全く視線が合わさない。いや、目線を合わせないのではなく、確かに二人の目線はあっているのだけど、冷泉の遙か向こう側を見ているようにしか思えない。
その瞳はどこか寂しげに見え、もともと綺麗な顔をしているのがより神秘的に見える。
「えーと、それから……」
「提督、他に話がないのでしたら、今日は疲れているので宿舎へ荷物を置きに行かせてもらいたいのだけれど。……いいでしょうか」
退屈そうに訴えてくる。
これ以上、冷泉の雑談には付き合いたくない。そんな雰囲気が思い切り立ち上っている。
「あ、そう? うん、そうか、結構な長旅だったからね。疲れているところ、時間を取らせて済まなかった。話はまた明日ということで。じゃあ、高雄、彼女を案内してあげて……」
と言うしかなかった。
素っ気ないのはゲームと同じイメージなんだけれど、想像していた以上に酷い。とはいっても長旅の疲れもあるんだろう。仕方ない。
それでも何というか、少し落ち込んでしまう。
視線を感じ、隣を見ると、高雄はかなり不満げに冷泉を見ているが……本当は睨んでいるようにも思えたが、言葉には何も出さなかった。けれど結構怒っている。
「では、加賀さん。宿舎へ案内しますわ」
秘書艦に案内されて、加賀は軽く会釈をして出て行った。
それにしても、司令官への着任の挨拶としてはちょっと酷い挨拶だ。駆逐艦の子ならともかく、仮にも正規空母なんだから、もっと常識ある対応をできるはずなのに、これはどうなっているんだ。横須賀鎮守府では何やってたの?
そんなことを考えると、心の平静さが保てなくなる。
ふふん。
思わず笑ってしまう。
結構、冷たくあしらわれたって感じだけれども、大丈夫。冷泉は大人の余裕的な笑みを浮かべた。
ゲームで彼女の事はよく知っているんだからな、俺は。
彼女は自分で言ってた……。自分は感情表現が苦手なのだと。
そうなのだ。彼女は照れているだけなのだ。何も問題無い。冷泉の事が嫌いだとか、舞鶴鎮守府には来たくなかったなどというようなマイナスの感情は持っていない。……いないはずだ。
「あのー……冷泉提督、よろしいですか」
そんなことを一人ぶつぶつ言っていると、冷泉を呼ぶ声が聞こえた。
「あ? 」
驚いて声のした方を見る。見るというか睨んでしまった。
「きゃっ」
と、小さな悲鳴のようなものが聞こえた。
セーラー服を着た3人の女の子たちが、怯えたような表情でこちらを見ている。
そうだ、加賀を護衛してやって来た駆逐艦娘の子達もいたのだった。加賀に圧倒されて存在を意図せず忘れてしまっていた。
一人ぶつぶつ言いながら、にやけている姿を彼女たちに見られてしまった。
いい大人なのに、しかも鎮守府司令官という立場なのに、割と本気で恥ずかしい。
「君たちが加賀を護衛してきれたんだよね。ご苦労様だったね」
妙に作ったような声になってしまう。
「い、いえ。……任務ですから」
一人の駆逐艦娘がおどおどしながら答える。茶色い髪を後ろで二つ括りにしている、まだあどけない少女といった感じの女の子だ。
何故、怯えたような態度なのだろうか。自分のどこが怖いのだろう? と考えてしまう。是非ともその理由を聞いてみたいくらいだ。
彼女たちの中では、鎮守府提督という存在は、恐ろしいものなのだろうか。となると、彼女たちの上司である横須賀鎮守府の提督って奴はずいぶんと怖がられているってことなんだろうな。故に同じ提督である冷泉に対しても同様の恐れを感じているのかもしれない。
まったく、うちの駆逐艦娘連中とは大きな違いだな。
「ところで君たちは……」
冷泉は彼女たちの名前すら知らない。ただ見た目でおおよその見当は付くのだが……。
「はい。ご挨拶が遅くなりすみません。私は吹雪型2番艦、白雪です。こっちが吹雪型9番艦磯波で、彼女が暁型4番艦、電です」
どうやら三人の中ではリーダーらしい子が答える。
彼女の紹介にあわせ、それぞれの子が自分の名を名乗り、敬礼する。二人とも白雪よりさらにおどおどしている。
艦娘はゲームみたいな名乗り方するのだな。
「今日はご苦労だったね。ところで今日はうちの鎮守府で泊まっていくんだろう? 」
「はい。私どもの司令官に、舞鶴鎮守府で一晩お世話になり、帰ってこいと言われております」
と、白雪が答える。
普段は出撃や遠征に追われている艦娘たちには、こういった機会がないと他の鎮守府の艦娘たちと交流するような事はあまりないのだろう。その事を話すとき、彼女たちの顔に笑顔が表れる。
友人とかいるのだろうな。久々の再会を楽しみにしているのだろうか。それともこちらの鎮守府の艦娘との交流を楽しみにしているのか。
「そうか。秘書艦の高雄が戻ってきたら君たちを案内させるから、しばらく待ってくれないか」
来客をどう扱うか、どこに連れて行くか、停泊中の艦船の扱いはどうするかなど冷泉は全く分からないので、秘書艦に頼むしかないのだ。
それに帰ってきた高雄と二人っきりにされると、加賀の事で愚痴を言われそうなので、実はありがたいと思っている。
「冷泉提督、ありがとうございます。……あの、その、そのですね」
もじもじとしながらも、白雪がこちらを見る。
「ん? 何か他にあるのか」
「は、はい。あの、そのですね……」
言いかけて、彼女は他の二人を交互に見る。そして、彼女たちは交互に頷き合う。
「……か、加賀さんのことです」
「うん。彼女のことがどうかしたのかい」
「加賀さんの先ほどの、少し失礼な態度の件を許して欲しいんです。本当の加賀さんはあんな人じゃないんです。誤解しないで下さい」
と白雪が訴えてくる。
唐突に言われた事を理解できない冷泉は、不思議そうな顔で彼女を見てしまう。
少し失礼? その言葉に異議を唱えそうになるが、まあ同僚だったんだから加賀の肩を持つのは当然なんだろうな。
「そう、なのです。加賀さんは本当は優しい人なんです。あんな態度するはずないのです。……だから誤解しないであげてほしいのです」
他の二人より少し小さい女の子が訴えかけてくる。左側の髪だけを束ね、右側をおろした髪型をした電って子だ。モジモジしている。
「お、お願いします」
それまで俯いて黙っていた磯波も口を開いた。
三人とも怯えながらも真剣な表情をしている。彼女たちにとっては鎮守府司令官という存在は相当に怖い存在らしいのに、それでも言わずにいられないのか、必死だ。彼女たちにとって叱られる恐怖よりも、加賀の誤解を解くということの方が重要なのだろう。
つまり、それだけ加賀が彼女たちから慕われているということなのだろうか。
「そんなに心配しないでも大丈夫だよ。第一印象だけで人の評価を決めるような人間じゃないから、安心して」
安心させるように話したつもりだが、はたして通じただろうか。
三人の艦娘は冷泉の言葉に安心したのか、笑顔を見せた。
「けれど……」
再び言葉を発した冷泉に、驚いたように三人ともが見る。
「教えて欲しいんだけど。加賀がいつもの加賀では無い……というのなら、こちらに来るまでになにかあったってことだろう? 一体何があったんだ」
「そ、それは……」
磯波が口ごもる。
「待って、磯波。私が言うから」
遮るように白雪が一歩前に出る。
「実は先の領域解放戦において、加賀さんと一緒に出撃していた赤城さんがボス戦において被弾し、轟沈したのです。赤城さんは加賀さんと横須賀鎮守府でずっと共に戦ってきた仲でしたから、その時の落ち込み様は、とても見てられませんでした。そんなショックな出来事があったので、今は少し心を閉ざしてしまっているのです……」
その時の事を思い出したのか、目に少し涙を浮かべている。
仲間の死……。
戦いにおいては逃れられないその運命。
この世界における赤城と加賀がどれほどの関係かは分からないが、親友といっていい存在であることは間違いないだろう。
「そうか、それは辛いな……」
それ以上の言葉は出てこなかった。
「でも私達は艦娘です。みんなを守ることが使命なんです。だから、加賀さんもきっと立ち直ります。ですから、冷泉提督、少しだけ、ほんの少しだけでいいから待ってあげて下さい」
そういって深々と頭を下げる白雪。
「提督、お願いします」
「お願いするのです」
二人も頭を下げる。
真剣な彼女たちの想いを受け、冷泉は頷くしかなかった。