まいづる肉じゃが(仮題)   作:まいちん

51 / 255
第51話

壁にあるスイッチを押すと、閉じられていた扉が開く。

廊下から入り込んで来る光が眩しく、思わず目を閉じる。

 

「テートクー! 」

冷泉を呼ぶ声とともに、駆け寄ってくる足音。

声の主は目を閉じていても分かる。

 

冷泉は、ゆっくりと目を開ける―――。

そこには金剛が立っていた。

 

「やあ、金剛。迎えに来てくれたのか? 」

 

「うん、そうデース。サモンイインカイ? よくわかんないけど、なんかそんな変なところにテートクが連れて行かれたって聞いたから、そこでテートクが悪い奴らにいじめられてるじゃないかって心配で心配で……。高雄にはここに行っちゃダメ!って言われてたんだけど、私、いてもたってもいられなかったヨ」

潤んだ目で冷泉を見、駆け寄るなり抱きついて来て、胸に顔を埋めてくる。

「すごく……心配したんデスよ」

 

「そうか、ゴメンな。心配させちゃって」

冷泉は驚きながらも彼女を受け止め、頭を優しく撫でる。

服越しに金剛の温もりが伝わってくるのを感じている。ほのかに石けんの香りも漂ってくる。これが彼女の香りなんだろうか。

軽く抱きしめているだけで、なんだかほんの少し前まで冷泉の全身を覆い尽くしていた、ドス黒くささくれだった何かが次第に軟化していくのが分かる。

穏やかな気持ちへと変化させてくれる。

 

「大丈夫だったんデスか? 」

冷泉を見上げてくる金剛。

あまりに金剛との距離が近すぎて、驚きの方が大きい。こんな近い距離で女の子に見つめられた事ってあったっけ? それも、こんな美少女に。 

顔が急に熱くなるのを感じた。そして、思考が凍結し、ドギマギしてしまう。

 

「う、おおう、……あ、あれ? そうだ、高雄は? 」

きちんと答えてあげるべきなのに、関係のない事を口走ってしまう。

 

「ん? 高雄なら執務室でテートクの帰りを待ってマスよ。そもそも艦娘が用事も無いのに立ち入っちゃいけない所なんダヨ、ここは」

 

なるほど。最初に高雄が一緒に来たのは、冷泉を秘書官として連れて来るという命令を受けていたからいたわけで、迎えについては命令を受けていないのだろう。だから、高雄は待っていなかったわけだ。

 

僅かな期間ではあったけど、よく分かった。高雄は規則を守る子だもんな。

 

「そ、そうか。……ん? じゃあ金剛、お前は何故ここに来てるんだよ。お前だって、ここにいちゃダメなんじゃないのか。……っていうか、お前、いつからここにいたんだよ」

今頃気づいたように口走ってしまう。

査問委員会がいつ始まり、いつ終わるなんて冷泉ですら知らなかったし、分からない。開始時間だけが知らされていたけど、場所だって知らなかった。知っていたのは秘書艦の高雄だけかもしれない。そんな状況で、どうやって金剛が委員会を終えた冷泉を迎えることができたのだろう。

 

「テートクがあの部屋に入ってからだダヨー」

 

「え? お前、後をつけてきてたか? 何でそんなことしたんだよ」

 

「それは、Loveのパワーだよ。テートクへの愛の力の前ではprohibited matter(禁止事項)なんて、たいした障壁になんてならないンダヨー」

 

「ふう。でも、誰かに見つかったら、まずかったんじゃないのか」

 

「ノープロブレムです。誰かに見つかったら、その時はその時ネ。それに少しくらいの罰なら、受けたって構わないモン。側にいたからってどうなる訳じゃないけど、……少しでもテートクの近くにいたかったんデス。テートクを応援したかったんダヨ。何も悪いことなんてしてないテートクがいじめられてるのを黙って待ってろなんてできないもん。……ダメだった? 金剛は、いけない子……なの? 」

泣きそうな顔で見上げてくる。

 

そうかそうか。自分の事を心配してくれていたんだ。軍隊において命令違反を犯すなんて重大な違反。それを覚悟の上で待っていてくれたんだ。……本当に、健気で可愛いなあ、と思う。

出てきた感情はまずそれだ。

 

それにしても、金剛は、本当に自分のことを心配してくれているんだなあと感じる。いや、それ以上の気持ちを抱いてくれているのを、鈍感な冷泉でさえ、さすがに理解できる。

 

もちろん、それに応えたいという気持ちは当然ある。

 

自分を好いてくれているし、見た目も可愛いし、性格も良いし、好きにならない理由が見あたらない。

 

けれど、それは無理なのだろう。

 

彼女の自分への気持ちは、錯誤によるものでしかないのだから。

前任の提督への想いを、そのまま引きついでしまっただけにすぎないのだから。彼女は記憶を操作されたことにより、前任の提督と冷泉がごちゃ混ぜになっているだけなのだ。

自分ではない別の人へ寄せていた想いを、疑うことなく冷泉に向けているだけなのだから。

 

「金剛、お前は悪くなんかないよ」

そう言うのが精一杯だった。

自分は彼女を騙している。ずっと持ったままのこの感情。

一体、いつ自分はこの秘密をみんなに話すことができるのだろうか? それがいつになるかは分からない。けれど、今は宙ぶらりんな状態のままでやっていくしかないのだ。

「ありがとう。お前が応援してくれたおかげで、なんとか査問委員会は無事終わったよ」

 

「良かったあ」

彼女の顔がぱーっと明るくなる。

「当然の事デース! 」

 

「金剛、これからも俺を助けてくれよな」

 

「もちろんデース。私に任せてくれれば、すべてばっちり大丈夫です。……でも、査問委員会って結局、何をやるところなの」

突然ボケられて、一瞬言葉を失う冷泉。

何にも分からずに懲罰のリスクを冒してまで待っててくれたのか。それはそれで驚きなのだが。まあ、金剛らしいと言えば金剛らしいのだけど。

 

「まあ、なんだ。この前の戦いでの俺の指揮に問題がなかったかを検証するための場といえばいいかな。そもそも作られたシナリオ通りに演じるだけのモノでしかなかったから、適当にうまくやれたよ。……けれど」

 

「けれど、どーしたんですか」

不思議そうな顔をする金剛に、冷泉はこれ以上の事は黙っておくべきかと一瞬迷った。しかし、彼女には話しておくべきだろうと思い返す。

 

「うん。……お前たちをただの兵器としかみない奴が、委員の中にいてね。なぜ、艦隊全体の危険を冒してまで、神通を助けようとするような真似をしたのかって言われたんだよ。軽巡洋艦程度なら、いくらでも換えが効くだろうって。査問委員会なんだから、当然厳しい批判を受けることくらい覚悟していた。常に冷静に感情的にならないように注意したつもりだった。けれど……あの瞬間、俺は感情を止められなかった。本当なら言わなくても良いことを、あの場で言う必要のないことを言ってしまった」

 

「テートク、ありがとう」

金剛が何故か両眼に涙を浮かべていた。

 

「どうしたんだ、金剛」

 

「あの時、私は神通を置いて撤退するようにテートクが命令するって思ってたの。これまで、あの状況ではそうするのが当たり前だったからネ。けれど、テートクはそうしなかったよね」

冷泉は頷く。

「旗艦を私から神通に移すと言った時、本当に驚いたヨ。一体どうしたのかなって。でも、すぐにテートクの考えが分かった。あなたが神通を見捨てないってことを。そして、さらに自分が一番危険な場所に立つことで、艦隊の士気を高めようとしたことを。そんな作戦、私が知る限りは無かったネ。向こう見ず、無鉄砲、熟考無し。それまでの戦略を知ってる者ならみんなそう思うはず。けれどテートクはそれを選択し実行した。私はそれを間近に見、そして気づいたんデス。あの行動の根底にあるもの……テートクは私達のことを人として見てくれているってことを。とても嬉しかったネ」

 

「当然だろ。お前たちは、今までも、そしてこれからも人間だよ。消耗品なんかじゃない。みんなかけがえのない存在なんだよ。だから、俺は失いたくない」

 

金剛は首を横に振る。

「人は私達を兵器として期待し、そうじゃなければ、恐怖の対象として恐れているネ。形は人みたいだけれど、中身はまるで違うモノだと思っているネ。……まあ実際、人間じゃないのですけどネ。でも、提督は同じ人間として見てくれます。そして、私たちを人として、そして大切に思ってくれている。それは凄く嬉しいコト。その想いに私も応えたいネー。だからテートクがしてしまった事、言ってくれた事を私は支持するネー。これからもずっとずっと、絶対に」

 

「俺を信じてくれて、ありがとう。まあ……これからも俺はヘマをやらかすだろう。だから、金剛。その時は俺を慰めてくれ。俺を叱ってくれ。頼む」

 

「うん、任せて欲しいネー! 」

胸をドンと叩いて少女が宣言する。

 

「……」

金剛の気持ちはとても嬉しく、そして励みになった。胸が熱くなるのを感じ、全身が温まっていく気がする。

 

けれど……。

 

冷泉は金剛のその姿を見て、唐突に胸が苦しくなるのを感じた。

これまで誰にも口にすることの無かった想いがある。こちらの世界に来てから、ずっと不安にさせていた考えがあったのだ。

夜中に一人で事務仕事をしているとき、ベッドに横になり暗闇で天井を見上げたとき、朝目が覚めたとき。その考えは唐突に浮かび上がり、冷泉を本気で不安にさせ、そしてまた忘れてしまう。

それを繰り替えし続けていた。

 

「どうしたんですか、テートク?? 」

唐突に黙り込み、考え込む冷泉を見て、不安げに金剛が問いかけてくる。

 

「なあ、金剛。……たぶん、この先、いつになるか分からないけれど、俺が取り返しのできないような間違いを犯してしまった時は、……お前が俺を止めてくれないか? 」

口をついて出た言葉がそんな意味の分からない事だった。

 

「止めるって? 提督が間違ったことをする訳なんて無いじゃないですカー」

 

「間違っているかそうでないかは、その時の権力者が決めることなんだ。あまり真剣に聞かなくていいんだけど、これはもしもの話、仮定の話でしかないんだけど、……もし、俺が政府に刃向かうことになって、追われる立場になったとしたら、お前が俺を止めてくれないか」

自分でも喋っている事を理解しないまま言葉を続けてしまう。止まらない。

 

「なに言ってるの? そんなの嫌だよ。私はどんな時もテートクと一緒に行くもん。提督の側にずっとずっといるもん。どんなに提督が悪いことをしたとしても、私は提督の味方でいるもんね。提督が地獄に行くというのなら、私も一緒についていくよ。私を置いていったりしたら、絶対に許さないんだから」

冷泉の意味の分からない話にも金剛は本気で答え訴えてくる。常に彼女は冷泉に対して本気で向かい合ってくる。

 

「ありがとう。お前の気持ちは嬉しい。……でも、それはダメだ。お前は戦艦という存在でもあるんだ。お前にはお前の立ち位置、なすべき事がある。お前は金剛という名前の少女であるけれど、戦艦金剛という存在でもあるんだ。お前は俺のためでは無く、国家の為に戦わなければならない。だから、俺が反逆者となった時、お前は俺を討たなければならない。……そして、もし俺が誰か殺されるとするならば、俺はお前に殺されたいんだよ」

 

「そんな仮定の話なんて考えたくもないよ。何訳分からない事を言うんですか! そんなの考えたくもない。お願いだから、そんな悲しいこと言わないで」

そう言って、言葉の途中で泣き出してしまう金剛。

彼女の頬を伝い落ちる涙を見、冷泉は衝撃を受ける。

 

「ご、ごめん。なんで俺こんなこと言っちゃったんだろう。泣かせてしまってごめん。お前を泣かすつもりなんてなかったのに。……そもそも俺が裏切り者になるなんてありえないんだよな……。どうかしちゃってるんだな」

金剛に駆け寄り、真正面から彼女を見つめる。

「すまない。査問委員会で緊張しすぎて、その場から解放されたせいで、おかしくなっていたようだよ。すまなかった。許してくれ、金剛」

 

「本当に本当? 」

 

「ああ、ちょっとどうかしていたんだ。全部本気で考えてる事じゃない」

 

「信じていいんですネ? 」

ボロボロとこぼれ落ちる涙をぬぐおうともせず、彼女はこちらを見てくる。その真剣さにこちらまで悲しくなってしまう。

 

「もちろんだ。ごめんな」

冷泉は無意識とはいえ、こんなに艦娘を心配させてしまったことを本気で反省せざるをえなかった。

 

「絶対に私を置いていかないで下さいネ、約束ダヨ」

 

「もちろんだ。約束する」

そう言って冷泉は右手を差し出し、小指と小指を絡ませる。

 

「約束だからね」

涙をぬぐいながら微笑む彼女に、冷泉は頷いた。

 

ほんの気の迷い。単なる妄想。

つまらないことを口にして何故金剛を困らせてしまったのだろう。冷泉は自分で自分がよく分からなかった。

 

何故そんなことが浮かんだのか判らない。

けれど、冷泉にはそんな未来が見えてしまったのだ。

ただの妄想であればいいのだけれど、そもそも、冷泉はこの世界の人間ではない。

 

異邦人でしかないのだ。

 

しばらくこの世界で暮らしてみて、常に違和感を感じていたのだ。

最大の原因、おそらくは、この世界が戦時下にあるということだろう。冷泉が暮らしていた、平和な日本はここにはない。根本的に自分の考え方がこちらの世界の人間と異なるのではないかという不安だ。

鎮守府司令官の地位を与えられ、どんなにこの世界で頑張ったところで、よそ者に過ぎない冷泉。

この世界は戦って敗北すれば、死しかない。仮に、勝ち続けて出世していけば、今度は彼は他の人々からは煙たい存在になるのではないか? 今の時点でも自分にちょっかいを出してくる人間が多数いる上に、どうしてもそんな連中とは対決姿勢を示してしまい、さらに敵を作っていっているようにさえ思う。そしてそれを止める術を知らない自分。

自分の正義を貫くためにそれは仕方ないこと。それを押し通せるか? ……いや、昔から本当は変わっていない。冷泉は元の世界にいたときもそんなに争うことなんて好まなかったし、極力避けてきた人生だった。けれど、自分の決断で多くの人や艦娘の命運が定まる立場に置かれた現在、……間違いと思うものには徹底的に戦いを挑まなければ、大切なものを守れない。そうして、何かを護るためにどんどんと敵を作り増やし、やがてはその勢力に追われる可能性は、絶対に否定できない。おそらく、それは必然。そして、常に自分が正しくいられるとは思えない。やがては、自分の理想が本来の道をそれ、自分の理想とはまるで異なるいわゆる悪となるかもしれないのだから。

正義を貫く事は、とてつもなく難しいことなのだから。

 

「テートク、絶対、私を置いていかないで。ひとりぽっちにしないで……約束だよ」

抱きしめた腕の中で金剛が呟いた。

 

「ああ、もちろんだよ」

冷泉は優しく囁いた。

その言葉を聞いて安心したのか、金剛の体から力が抜けていくのを感じた。

 

けれど、冷泉の心から妄想ともいえるその想いを打ち消すことはできなかった。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。