「ヒッ……ヒエエエエ」
ただならぬ雰囲気に恐怖した草加が必死に後ずさろうとするが、うまくできない。芋虫のようにうねうねと体をくねらせる。
金剛はゆっくりと歩み寄ると、草加の足を踏みつける。
金属が潰れるような鈍い音。金剛のブーツの踵が草加の義足を破壊した音だ。
「ヒャッ!! 」
義足だから神経は通ってないはずだが、悲鳴のような声を上げる。それでも金剛は無表情のまま、何度も何度も彼の義足を踏みつける。
踏みつけられるたびに妙な悲鳴と金属が砕けバチバチと何かが弾けるような音がする。
草加は自信の義足を鋼鉄で造られたとか言っていたはず。
人の力で破壊など不可能なはずの強度を誇っているはずのそれを、金剛は段ボールか発砲スチロールで造られたもののようにあっさりと、あまりにあっけなく踏みつぶし破壊している。
これが艦娘の本当の力なのか。
「……この感情は、何なのかしら」
一旦、踏み下ろすのを止めた金剛が呟く。
「人に対してこんな感情を感じたことなんて無かった。人を憎いと思ったことなんて、たぶん無かったのに。思い出せない……まったく記憶も心当たりも無いんだけれど、許してはいけないってことだけは分かる」
「ヒエ」
「何度も踏みつけてたら、衝動は収まるって思ってたけれど、それは無理みたいネ。目の前の存在を消し去らない限り、この感情を抑えることはできないみたい。よくわからない気持ちだけど、消えてほしいネ」
「何を言ってるン……ダ? まさか、まさかダヨネ、そんなこと考えてないよね」
恐怖やら混乱やらで訳が分からなくなっているであろう草加は、縋るような目で金剛を見上げる。たとえ艦娘であっても圧倒できると思っていたであろう自信もどこかに消し飛んだかのようだ。
「艦娘が人を殺めるなんて……命令もされずにそんなことできなイヨネスコ」
「どうでもいいわ。……この世からさっさと消えてなくなってしまうネ」
まずい!
本気で金剛は草加を殺すつもりだ。たとえどうしようもないクズだとしても奴は人間。金剛に人を殺させるわけにはいかない。彼女を薄汚い草加の血で穢してはいけない。
冷泉は足を振り上げた金剛に駆け寄り、後ろから羽交い絞めにして制止した。
先ほどまでの金剛の行動から冷泉の腕力で艦娘の行動を止められるとは思えなかったが、ここでなんとしても彼女を止めなければ、取り返しのつかない事態になることは明白だった。
「金剛、それ以上はやめるんだ。駄目だ」
とにかく、必死で彼女を抱きしめていた。
「な、何をするネ? 」
いきなり後ろから抱きしめられたことで驚いたのか、金剛は声を上げて振り返る。
「うっ」
すぐ目の前に金剛の顔がある。息がかかるほどの至近距離だ。目と目が合ってしまい、冷泉は言葉を失ってしまった。
こんな状況であってもドギマギしてしまう。
サイボーグ化した草加をいとも簡単に蹂躙する圧倒的な力を見せる艦娘なのに、抱きしめた両腕には驚くほど柔らかくはかなげな感触しか伝わってこない。
「あなた、離しなさい」
「駄目だ、金剛。こいつを殺してはならない。お前がこんな奴のために手を汚す必要なんて無い」
「うるさい……なんでもいいからこの手を離しなさい」
そう言って金剛は振りほどこうとするが、彼女は冷泉の両手を振りほどくことはできないでいた。先ほどまでの力を出せば、簡単に冷泉の拘束なんて振りほどけるはず。しかし、冷泉に伝わる力は、ただの女の子のものでしかなかった。なんでそうなったのかは理解できないが、危険な状況にはならないようなので安心だ。
今の彼女の力なら、弱っている冷泉でも簡単に拘束ができる。
「くっなんで振りほどけないの。なんて馬鹿力なの」
冷泉は草加から金剛を引き離す。彼女は抗おうとしたが、どうにもならない状況を理解したのか、急に力を抜いて抵抗をしなくなった。
ふう―――。
落ち着きを取り戻した金剛の状況を感じ取り、冷泉は心の中で大きくため息をついた。ただ、まだ油断はできない。彼女が隙を狙っている可能性も否定できないからだ。
「落ち着いたか、金剛。もう馬鹿な真似はするなよ」
恐る恐る声をかける。
「……仕方ないわね。理解できないけれど、これ以上の行動はできないらしいわ。はい、わかりました。もうあれをどうこうしようとは思いません」
諦めたように金剛が承諾した。
「艦娘ではありえないことをするから、一時はどうなることかと本当に驚いたんだぞ。……まあとりあえずは良かった」
「いちいちうるさいですネ。それよりも、ずっと抱きしめて身体を密着させているのは何らかの意図があるんですか? さすがに苦しいですし、離してもらえませんか? 」
「あ、……すまない」
冷泉は慌てて彼女から離れた。
「気が動転していて……」
「まあいいです。あなたもあなたなりに考えて……のことでしょうから」
「……」
先ほどからずっと金剛との他人行儀なやりとりが続くことに違和感を感じているが、これも今は別の提督の下でいるのだからやむを得ない……ということなのだろう。そう冷泉は自分に言い聞かせた。
落ち着いたせいか、冷泉は自分のしたことを思い返し、すこし鼓動が高鳴るのを感じている。
鎮守府にいたときは金剛からスキンシップをとってくるのが当たり前だったから思わなかったが、自分から彼女を抱きしめて初めて彼女を女性であると認識してしまったことにだ。
柔らかくて愛おしい。
自分の立場、置かれた状況をまったく考えずに、なにバカなことを考えているんだろうか。
そんな自分に恥ずかしさを感じる。
「て、てめえ」
怨嗟の籠ったドス黒いという形容が相応しい声が下から聞こえてくる。
草加が自信の安全が確保されたことを理解したのか、精神的劣勢を覆すことができたのか、どちらかは不明だが二人の会話に割って入ってきた。
「金剛! お前がやったことは、絶対に許されない。お前は艦娘の禁忌を破った。人間様に危害を加える……その重罪を犯したことなんて、絶対に絶対に許されないんだぞ。俺は絶対にお前なんかを許してやらないからな。軍法会議だぞ。泣き喚いて許しを請ったって許してやらない。くそ、めちゃめちゃ痛いんだぞ、てめえ。この痛みの償いは絶対にさせてやるんだから」
そういえばこいつがいたんだった。
面倒な問題がまだ残ってることを思い出した。