島風は感覚を走らせる―――。
まさかとは思っていたけれど、伝わってきた。
敵は島風の人型の支配のみに集中していたのか、艦の支配を失念していたのだろうか? それともすでに物理的に押さえ込むことができていたから、必要を感じていなかったのかもしれない。
少女の本体である艦は、駆逐艦島風の真下にあり、艦に装備されている三本のアームがしっかりと食い込み、島風を捕獲している。
仮に加賀たちが索敵をしたところで、一つの艦にしか認識されないレベルなのだろう。
よほど近くまで接近しないかぎりは……。
深海棲艦は何かの作業に忙殺されているらしく、島風には意識を向けていない。すでに鎮圧済みと判断しているのだろう。
チャンスは今しかない。今の自分に出来ることはないかを捜し求める。しかし、余計なことは極力控えなければならない。妙な動きは敵に感づかれる危険が高いからだ。できることを最短距離で行わなければならない。
敵は、潜水艦……。艦砲射撃は無意味。そして、目の前にいる深海棲艦以外の敵の位置はわからない。
けれど、今も加賀たちはこちらに向かってきている。自分を助けようとして。
―――時間は、もう無い。
祈るような気持ちで装備された爆雷投射機に意識を向けた。
反応アリ
……いける。
爆雷は投射可能状態。いつでも射出できる。……ならば、考えるまでもない!
それでも、一瞬、……ほんの一瞬だけ島風は躊躇した。
軍艦である宿命から、死を恐れたことなどこれまでない。いかに絶望的な状況であろうとも勝利を模索し、それ一点のみを目指すよう教育されていた。結果、敗北しようとも。
……なのに。わかっている。思い悩んでも、いくら望んでもどうしようもないこと。やらなければならないことは、決まっている。あとはそれを成し遂げるだけ。それが自分のなすべきこと。なさねばならないこと。ただ、それを為すだけ。
提督、……ごめんね。
島風は起動する。同時に爆雷が射出される。
「な! 」
射出音を検知し、深海棲艦が声を上げる。
「何てことするの! 自爆するつもり? 巻き添えなんて御免だわ」
深海棲艦は体を起こし、島風を突き飛ばす。
全身を貫くような痛みが、感覚をなくしたはずの体に駆け巡る。島風の体の中に侵入していた深海棲艦の髪の毛が引き抜かれる。支配権を放置してでも島風から離れ、脱出をしようとしているのだろう。
島風の体は、崩れ落ちるようにして床に倒れこむ。
強引に接続を解除したためだろうか、体は島風の自由にならないままだ。指一本動かすことさえできない。一瞬だけ感じた痛みは幻覚なのか? 今は痛みも何も感じることはない。
視力と聴力だけは感じ取れている。
その残された感覚の一つ、視界の片隅に深海棲艦の少女を捕らえる。残念ながら、視界は自由には切り替えられないようだ。
「くそうくそうくそう! おのれおのれおのれおのれ、この馬鹿女めええええええ」
狂ったように怒りを見せる少女の真っ白だった髪が血の朱で染め上げられている。目を吊り上げて島風を射殺すように睨みつけるが、次の行動に移る間も無く、爆発音と同時に海底からの衝撃が艦全体を走る。
「うぎゃああああああああああああああああああああ! 」
深海棲艦が悲鳴を上げる。
爆雷がうまく爆発したようだ。彼女の反応からも、ダメージはきちんと入ったらしい。
島風だってもちろん無事じゃない。けれど覚悟を決めた彼女にとって何も躊躇する必要は無い。冷静に次の爆雷を射出する。ある限りの爆雷を発射するのだ。敵を殲滅するまで。自艦が沈むまで。
「ちょ、ま、待ちなさい。あんた達。この攻撃はあたしが止めるから、変な行動をしないで。……す、するなっていってるだろう! 」
誰に向かってか深海棲艦が叫び声をあげる。
「ば、馬鹿、あたしまで一緒に屠るつもりか? 誰の命令だっていうんだよ、ちょっと待てっていってるでしょう。……クソ、馬鹿野郎っ」
深海棲艦は叫び声を上げるといきなり駆け出し、艦橋の窓を叩き割って外へと跳躍していった。
深海棲艦の少女が海に飛び込んだことが検知できた。敵は完全に駆逐艦島風から撤退したようだ。
どうやら爆雷攻撃により、海底に身を潜めていた別の深海棲艦の潜水艦が危険を察知して島風を仲間の深海棲艦ごと沈めるよう指示を受けたのだろう。
初弾の爆雷により、島風の真下に取り付いた潜水艦には相当なダメージを与えている。
そして、少し離れた場所から魚雷が射出されるのを検知した。
ついに終わりの時が来たらしい。そう感じた島風の心は、すでに覚悟を決めていた。
下から金属と金属が激突するような音に続いて衝撃。大きく宙に浮かび上がるような感覚。実際に体も宙に浮き上がる。そして、続けて艦も体も落下する。
床にたたきつけられ、体がゴム鞠のように跳ねる。
恐らく、体の機能が生きていたなら、島風は激しい痛みを感じたのだろう。けれど、すでに精神と体はリンクを解除されており、何も感じなかった。痛いのだろうなという認識があるだけだ。
ただ、終わりが来たんだな……と感じただけだった。
また、沈むのか……。生まれ変わってもやはりこの宿命からは逃れられないんだな。けれど、それは生まれ戦いそして死んでいく。ただそれだけのこと。軍艦として当たり前の運命。戦いの中で死ぬことは本望……。
けれど、やっと終われる。また平穏な暗闇に戻れる。静かな静かな……。
そう思った途端、悲しみに押しつぶされそうになる。絶えられないほどの孤独感が襲いかかってくる。
死など怖くもなんとも無い。けれど、もうあの人に会えないこと。あの人とともに歩けないこと。あの人と一緒に戦えない事。そのすべてが恐怖と悲しみでしかなかった。
死にたくない。まだ生きたい。こんなところで死にたくない。ひとりぽっちで逝きたくなんてないよ!
「て、提督……」
その瞬間、視界が炎に包まれた。
「駆逐艦島風……沈没しました」
艦内に冷静な声が響く。聞きたくもない事実が告げられる。その事実を伝える神通の声は、感情を押し殺したものだった。淡々と事実を告げるだけだ。
「そ、そんなことが……あるわけない」
崩れ落ちるように加賀は床にへたり込んでしまった。腰が抜けたように立ち上がることができない。
島風はすでに敵の手中にあり、罠が仕組まれていたのだ。それを打ち破ろうと、島風は抵抗し、撃沈された。
彼女は自らの命を犠牲にして、危機を自分達に教えてくれたのだ。
「なんで……。なんで死んじゃうの」
思わずこぼれた言葉はたったそれだけだった。
加賀は島風に大きな借りがある。今回それを返すチャンスだったのだ。それが、恩を返すこともできず、それどころかまた彼女に命を救われてしまった。しかも今度は彼女は自らの命を犠牲にして。
もう、彼女に借りを返す機会など訪れないのだ。
「まだ、まだ間に合うわ。急ぎ島風を救出に向かいます」
加賀はそう言わずにはいられなかった。
このまま借りを作った万で終わらせるなんてできない。そんな事実を認められない。島風を死なすわけにはいかない。絶対に助けるんだ。きっと助けて見せる。そうでなくては自分の気がすまない。
島風の死を、冷泉提督に伝えることなんてできるはずがない。彼にどんな顔をしてこの事実を報告すればいいというの。彼になんて言えばいいというのか。
「落ち着いてください、加賀さん」
と、高雄が叫ぶ。
「まだ間に合うわ。今からでも艦を救うことはできなくても、島風だけは救い出すことはできるはず」
そうなのだ。艦はもう沈没しただろう。けれど、人型である島風はまだ無事なはず。きっとまだ生きているはず。ならば彼女だけでも救い出すんだ。
「加賀さん、冷静になってください」
感情的になる加賀を宥めようと声をあげる高雄。
「何を言ってるの高雄。早く行かないと間に合わない。こんなところで議論なんてしている場合じゃないのよ。あなたは島風を見殺しにしろと言うの? 仲間を見捨てろと言うの? そうじゃないでしょう、だったら、今すぐ島風を」
こんなところで議論なんてしている場合じゃないのだ。とにかく今は島風を!
「……落ち着いてください、加賀さん。もう無理です。今から島風を助けにいったところで間に合いません。駆逐艦島風は、すでに沈没しています。恐らく、彼女は艦とともに海底に没したはずです。そして、海底には少なくとも2隻の潜水艦がいるようです。さらに海域は半分領域化している状況。どのような罠が仕組まれているか分かりません。敵本隊も接近中の今、この戦力で向かうのは自殺行為でしかありません。これ以上の戦闘の拡大は犠牲を増やすだけで、戦略的にも戦術的にも無意味と私は判断します」
状況を説明する神通は、あくまで冷静だった。あまりにも事務的なほどに。
「な! ……神通、あなたは仲間に対する想いというものが無いの? まだ島風は生きているに違いないわ。私達が勝手に判断して見捨てていいものじゃない。だから! 」
「島風が一番状況を把握していました。そして、彼女は私達の到着を待つよりも敵の殲滅に動きました。たとえ勝ち目が無くともそうすることで、私達に彼女の置かれた状況を知らせようとしたのでしょう。私達が助けに行ったとしても、それは敵の罠の中に飛び込むことだと教えるために。私達の命を守るために」
恐らくは神通の言う事が正しいのかもしれない。いや、正しいのだろう。けれど、それを受け入れることが加賀にはできない。
自分だけが助けられ、結局何も返すことなく……それどころか彼女の絶対的な危機に手を差し伸べることさえできず、見捨てるなんてこと。そんなことできるはずがない。
「神通、あなたは島風の事をなんとも思っていないの? 彼女が死に瀕しているというのに、わが身大事さで見捨てるっていうの? あなた達は私なんかよりずっとずっと付き合いが長いはずなのに、そんな薄情なの? 」
言いすぎだと分かっていても言わずにいられなかった。神通が言っていることが正しいのは分かっている。けれどそれを受け入れられないから、誰かにきつくあたるしかできない。
「加賀さん、それは言いすぎです」
耐えかねて高雄が口にする。
しかし、そんなことくらいで感情を抑えることなんてできない。
「どうなの、神通。なんとか言いなさい」
「……私は、島風の意志を大切にしたいだけです。彼女は自分の命を犠牲にしてでも私達に敵の罠を知らせようとした。だから、私達は生きて帰らないといけないんです。だから、加賀さんがどうしても島風を助けに行こうっていうのなら、力づくでも止めます。絶対に認めません。島風の思いを無駄にしないためにも……これは本気です」
普段、あまり自分の意見を言わない彼女が明確すぎるまでに我を通そうとしている。それにも少し驚いてしまう。
加賀が行こうとするなら、本気で彼女は止めるつもりだ。武力を行使してでも。その気迫だけはひしひしと感じ取れる。圧倒されてしまうくらいに。
「……あなた、島風の命なんてどうでもいいのね」
思わずそんな言葉が出てしまう。
「く……」
呻くような声が聞こえた。同時に何かを強く打ち付けるような音も。少し間が空き、その後大きく深呼吸をしたと思うと
「すみませんでした。なんと言われようとも結構です。けれど結論は変わりません。大湊に帰投します……よろしいですね」
「わかったわ」
加賀には、そう答えるしかなかった。
島風の救出は失敗に終わった。
悲しみだけを残し、作戦は終了する。