まいづる肉じゃが(仮題)   作:まいちん

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第212話 告白

「私は、本当は舞鶴なんて来たくなかったんです。……ずっと呉にいたかったんです。信頼できて尊敬できる……大好きな提督のお側にいたかった。けれど、私の願いは叶えられませんでした」

 寂しそうな声色で榛名が呟く。

「異動を告げられたとき、ショックでしたがこれも鑑娘として仕方のないこと……だと自分に言い聞かせて、舞鶴へ着任しました。けれど私は、冷泉提督がどんな人かまるで理解できていなかったんです。司令官となるような人は、みんな提督と同じような立派な人ばかりだと思っていたんです。けれど、その認識は甘かったんです。冷泉提督は、そんな立派な人ではありませんでした。どちらかというと、欲望に忠実な人でした。彼は、ずっと私に目を付けていたそうです。……鑑娘としてではなく女として。何度も何度も呉鎮守府に対して、自分の所へ私を寄越すよう交渉を持ちかけてきていたことを提督に言われて初めて知りました。対潜戦闘しかない呉鎮守府では、いかに高性能な戦艦だろうと足手まといでしかない。そんな役立たずの榛名を引き取りますよ、と大本営経由で上申していたそうです。交渉ではなく、不要となった鑑娘を引き取ってあげるか……まるで恩を着せるかのようなな言いぶりで。そのことを提督は、とてもお怒りになってました」

 大きなため息が漏れる。

 

「そう……そんなことがあったの。けれど、提督は貴方を守ろうとしてくれたのでしょう? 」

 

「はい、もちろんです。けれど私の立場は、とても微妙だったのです。そして、そのことは、自分でも認識していました。山城さんもご存じのように現在の鎮守府艦隊においては、戦艦は飽和状態となっています。時代が変わったのかもしれませんが、全体として見れば深海棲鑑が攻め立ててくることが、明らかに少なくなってきています。日本国側だって資材等の確保が必要なため、大規模な領域解放作戦をとれるような鎮守府は少なかった。よって、小競り合い的なものしか起こらなくなっていました。そんな状況下では、消費資材の多い戦艦は不要であり、巡洋艦主体の戦闘が増えるようになりました。空母さえも、領域内での戦闘なら重要ですけれど、領域深くまでの侵攻作戦の数も減っていたため、活躍の場は減りました。空母は、通常海域ではただのミサイル母艦としてしか利用できない事も大きな原因でしょう」

 

「確かにそうですね。私たち戦艦の活躍の場は、大幅に減少していることは間違いありません。今、戦艦を欲しがる鎮守府は少ないでしょう。一番積極的に戦艦を集めていた横須賀鎮守府は、大和と武蔵を同時採用して、華々しい式典をやっていましたね。あれほどの戦艦を手に入れたのですから……ここまで強化したら、さすがの横須賀でもこれ以上の戦艦獲得はしばらくは考えていないでしょう。佐世保だって、これ以上の軍拡を考えているようには聞いていません。大湊は、他の鎮守府と比べて規模が小さいので、予算も資財も少ないから、新たに戦艦をということは提督も積極的に考えておられません。唯一、舞鶴鎮守府だけが総鑑娘数が他と比べて少なかったから、冷泉提督が積極的に活動していたのでしょうね。そして、榛名さんを欲しがったのね……」

 汚いものでも見たように山城が言う。

 

「呉においては、もっと深刻でした。戦艦の活躍がもっとも期待できない鎮守府であることから、提督はいろいろとご尽力してくださいました。私を少しでもいいところに行けるように探してくれていましたけれど、現在の鎮守府を取り巻く環境から、引き取り手は見つからなかったのです。提督も舞鶴にだけは、私を行かせたくなかったようです。冷泉提督の悪い噂を、いろいろと聞いてたいようです。酷い目にあうのがわかっていて、娘のように大切なお前を行かせるなんてできるものかと提督は仰ってくださいました。けれど……もしも引き取り手がなくこのままだと、私は廃艦されてしまう運命だったのです」

 榛名の諦めたような物言いに長波はふと思う。勘ぐりすぎかもしれないけれど、もしかするとウラで冷泉提督が動いていて、いろいろと邪魔をしていたのかもしれない。 ……榛名を手に入れられるような環境を作るために。

 

 榛名が語る冷泉という人物は、長波の知る冷泉提督とはどうしても一致しなかった。それは、自分に対しては本性を隠していたということなのだろう。それを見破れない自分の愚かさにもあきれるが。

 

 冷泉という男は、その政治力を利用し次々とほしい鑑娘を手に入れようとする男だったようだ。敵が多いように見えるけれど、同じように味方も多かったらしい。それは軍内部の権力争いも影響していたようだ。彼はその勢力争いをうまく利用して、力をつけていたようだ。その謎の経歴から、鑑娘勢力との繋がりを噂されていたくらいだから、その噂もうまく利用したのだろう。

 

「絶対に呉から離れたくなかった。けれどそれは、私のわがままでしかありません。秘書鑑をやっていましたから、私にだって呉鎮守府の財政事情は厳しいのはよく知っていました。現れる深海棲鑑は、呉の主戦場である瀬戸内海では潜水艦型が主であり、しかも神出鬼没、対応する鑑娘の数があまりにも足りなかったのです。けれど、鎮守府の鑑娘の枠数は決められています。そして、それを増やすのはとてつもなく困難なことも。軍部だけでなく鑑娘側を納得させなければならないのですから。……労力だけは多くとも、実入りは殆どありません。しかも、呉は領域解放任務は殆どなく、瀬戸内海を守るというだけと思われているため、与えられる予算も他の鎮守府と比べると、あまりに少ないのです。そんな事情もあり、戦闘に活躍の場が無い戦艦を手放せば、駆逐艦娘を数人を新たに導入できるのです。そのチャンスを逃すわけにはいかないのは、誰が考えても明らかです」

 

 存在するだけで戦艦は、資材を多量に消耗する。それを補うためには、資材を稼ぐか、無理ならば持っている資産を切り崩さなければならないし、最悪は鑑娘を放出しなければならない事態も想定される。そういった鎮守府事情もあったからこそ、……榛名が拒否できないことを知っての冷泉提督の揺さぶりだったのかもしれない。普段の行動を見ていたけれど、とても想像できない自分の上司の行動に、長波は混乱してしまう。

 

 あまりよく考えずに突っ走り、そして失敗する。けれどそこには鑑娘を思っての行動という芯があったからこそ、多くの鑑娘は冷泉提督についていっていたのだ。けれど、彼のその暗黒部分を知るうちに、やはり人は欲望にまみれて生きているのだと再認識してしまう。スケベではあったけれど、一線を決して越えない……そんな人だと思っていたけれど、結局はみんな同じか。己が欲望を最優先にして、鑑娘を食い物にする。これまで見てきた提督と何の変化も無い。その本性が現れただけ。何も驚きではない。

 

「はっきり言えば身売りに近い状態でした。提督は何度も何度も頭を下げて謝罪してくれた。大好きな人がこんなに苦しそうな顔をするのは見たくなかった。だから、私は必死に笑顔を見せました。この人のためなら、何だってできると。だから耐えられると……。けれど、けれど、とても辛かったです」

榛名は時折涙声になり言葉を詰まらせたりしながらも、必死に語り続ける。自分が舞鶴鎮守府に来てから、その身に起きた事を包み隠さず―――。

 

 それは長波にとって聞くだけでおぞましく、吐き気がする話だった。

 

 舞鶴鎮守府にとって榛名は必要だったかというと、それは確かに必要だった。艦隊の火力不足は深刻であり、その時の舞鶴保有戦力は鎮守府の規模に比してあまりに貧弱だった。ゆえに、新たな鑑を導入するのは何の間違いも無かった。それについては、冷泉提督は嘘を言っていなかったのだ。

 ……けれど彼の狙いは戦力としての榛名ではなく、女としての榛名だったのだ。ただの肉欲のために引き抜かれたのだった。

 

 榛名はその運命を受け入れて舞鶴に来たのだ。

 舞鶴に売りに出されたのだから、どんな事があろうともそれは仕方ない、と覚悟を決めていたはずだった。辛いけれど、自分が犠牲になれば、提督は救われるんだ。呉鎮守府が救われるのだ。そう思えば、涙をこらえることができた。そして着任早々に呼び出されて押し倒され、力尽くでモノにされた。降りかかる災難も提督のためだと思えば耐えられると思ったけれど、蹂躙されている最中に提督の笑顔が浮かび、涙を止めることができなかった。

 とても耐えられるものじゃなかった。ただの屈辱でしかなかった。心の底から死にたいと思った。

 

 金剛姉様がいるのに、何で私なんかを引き込むのですか。何で私にこんなことをするんですか? 助けて下さい。これ以上の事はしないで……許して下さい。呉に返して下さいと何度も何度も懇願する榛名を、冷泉はおもしろそうに見て、そして笑った。そして、彼は語った。

「金剛は金剛だし、あいつはあいつでいい女だけどなあ。けれど同じ金剛型四姉妹なら、妹のお前のほうに俺は興味があったんだよ。ずっと前からお前をこっちに連れてきたかった。前にお前を見た時に思ったんだよなあ。呉の秘書鑑として働いているお前の幸せそうな顔をみて、なんか尾てい骨あたりが妙に疼いたんだ。キーン! ブルブルっと震えが来たね。そんなお前を無理矢理呉から奪い去り、力尽くでも俺のもにしたくなったんだよなあ。そして、願いは叶えられたわけだよ」

 そして、彼は勝ち誇ったように笑った。

「安心しろ、榛名。俺は欲しいものはどんな手を使っても手に入れる。そして、飽きたら捨てる。これが俺のポリシーだ。お前がここに来たのは必然。あらがえない運命だったんだよ。だから、安心しろ。お前に飽きたら、呉に返してやるよ。それまでは、お前はずっと俺のためだけに働け。俺のためにだけ尽くせ。昼も夜も、身も心もな。ずっと可愛がってやるからな。けどなあ、このことは絶対に秘密だ。余計な事を少しでもしゃべろうとしたら、呉のあのじじいがまともな老後を過ごせなくなるてことを忘れんなよ。ま……お前は利口な子だ。これから先、お前がどうすればいいのか、もうわかっただろう? 」

 

 全ては、逃れられぬ運命。もはや受け入れるしかない事を悟った榛名は、懇願するしかなかった。

「だったら、お願いです。せめて金剛姉様の事は、堪忍してあげてください。私のことは、もう諦めます。好きなようにしてください。ですから、せめて姉様だけでには、姉様だけには酷いことをしないでください。酷いことは私だけで勘弁して下さい」

泣きながら懇願した。

「はあ? お前、何様だよ。偉そうに俺に指図するなよ。金剛をどう扱おうと、俺の勝手だろ。なんせ、アイツもおれの女なんだからな。俺のモノを俺が好きにして何が悪いんだよ、ぼけなすが” お前と同じように可愛がるに決まってるだろ? お前と二人まとめていろいろしてやるからな……期待してろよ」

 

 絶望……。話を聞いてそれしかなかった。彼女の未来には暗雲しか無かったのだろうか。長波は、吐き気をこらえるのに必死だった。

 

「……そんな辛い思いをしていたのね」

 慰める言葉が見つからないのか、山城の声は小さい。何かをこらえるようにしているのがわかる。

 

「けれど、酷いことばかりではなかったんですよ。提督は、普段はとても優しい方でしたから、辛い時も多かったけど、なんとかなっていました。時々びっくりするくらい怖い部分を見せることがありましたけれど……それでも普段は優しい方でした。鎮守府の鑑娘達は、優しい提督だと思っているはずです」

 取り繕うように榛名は弁護する。

 

「……榛名さん、あなたの辛い身の上はよくわかりました。けれど、そのことを話すのが、私を呼び出した理由ではありませんよね」

冷静さを取り戻したのか、山城が話がそれていく榛名に注意を促した。

 

「私が一番驚いた事は、冷泉提督がとても冷めやすい性格だと知ったことです。普段は鑑娘をとても大事にしてくれる人ですが、興味が無くなると途端に突き放したような態度をとるのです。そして、それは唐突に訪れるようでした。それが扶桑さんや不知火さんに対して現れた時は、驚かざるをえませんでした」

指摘が聞こえていないように、榛名は話を続ける。

 

「ちょっ……」

 何かいいかけた山城であったが、大人しく聞くことにしたようで、言葉は発せられなかった。

 

「冷泉提督は、不知火さんの死を本当に悲しんでいました。それは、とてもとても深く傷ついているようでした。けれど彼女が薬漬けにされていたことを知った途端、まるで汚いモノでも見るような冷たい態度に豹変してしまったのです。扶桑さんに対する思いも同様です。永末という裏切り者と結託して、自ら彼のモノになっていたということで、積極的に助けるという気力を無くしていました。他の鑑娘達の手前、無理した態度をとっていただけです。扶桑さんが投降すると聞いた時、彼は忌々しげに舌打ちをしていました。冷泉提督が寝物語で断片的に話てくれたことですが、彼女が秘書鑑であった頃、扶桑さんに命じて、物資の横流しや人事関係、契約関係などでいろいろな法令違反をさせていたようです。敵に寝返ったのは痛かったけれど、全部をあの女に押しつけて死んでもらいたかったんだがなあ、と冗談っぽく言っていました。それが現実となり、他人の女になったような鑑娘なんて興味ないし、秘密を知ってる奴がそれを交渉条件になんかを要求してきそうだと恐れていました。そこで、私に命じて彼女を迎えに行かせ、扶桑さんを襲わせたのです。他の鑑娘であれば、扶桑さんに対して情が沸いて、そんなことをできないし、……神通さんとか叢雲さんなら従いそうですが、それでも誰かに相談する危険性もありました。完全支配下にできている私が適任だったわけです。私は彼に逆らうことなんてできませんし、扶桑さんとはほとんど接点も無かったので躊躇することはないだろうと。どうせ日本国を裏切った敵だ。スパイとして再度送り込まれたのかもしれない。殺すのはやむを得ない、と提督は言っていました。本当はもっとひどいことを言っていましたが、それ以上はいえません」

 

「ひどい……」

 山城はその言葉しか出せなかった。

 

「山城さん、ごめんなさい。でも、これが真実です。今まで嘘をついていて、ごめんなさい。けれど、私は言えなかったの。本当は嘘をつき続けるのが辛くて辛くて、苦しかった。話して楽になりたかった。でも、冷泉提督には、逆らえなかったんです」

涙声で訴える榛名に対して、山城は何も言えないようだ。

本当は殺してやりたいほどの感情があふれているんだろう。姉を殺した犯人がすぐ前にいるのだ。……けれど、榛名は道具にすぎないということも理解しているのだ。鑑娘は司令官に命じられれば、それに従うしかないのだから。その上、彼女は精神的に追い込まれていたようだし……。

 

「でも、どうして、本当の事を言ってくれたの? 」

と、山城の問いかける。

 

「悲しむあなたを見て、罪の意識に耐えきれなくなったのです。もし冷泉提督に知られたら、私は彼の興味を失うでしょうし怒り狂うでしょう。そうなったらどんな目に遭うかはわかりません。けれど、扶桑さんを殺してしまい、山城さんを悲しませている事実に耐えられません。たとえ鎮守府を放逐されても、それはそれで構いません。私の裏切りは、呉鎮守府にも影響があるかもしれません。けれど、提督は許して下さる。よく我慢したねとほめて下さるはずです。私には大切な人がいるのです。冷泉提督に対する思いを持たないままでいられた私は、こんな目にあっても、それでもまだ幸せです。金剛姉様や叢雲さんのように、彼を未だに信じ続けている子達よりは幸せでいられる」

 

「それはどういうこと? 」

 唐突な話の流れに、山城も問いかけてしまう。長波は思わず身を乗り出しそうになる。

 

「私が舞鶴に来たことで、提督は金剛姉様と叢雲さんをどこかに異動させることを決めていました。女としての魅力も無くなったし、ちょうどいいやっかい払いする頃合いになると言っていました。彼女たちを追い出せば、新しい子を迎えられるからなとも言っていました。冷泉提督に危機が迫っていない時でも、彼はそんな事を冷泉提督は考えていました。そして、彼は現在追い込まれている状況です。その打破するために、彼女達を駒として活用し、危機を打破することを考えないといけないなと言っていました。それがどんなことなのかは、さすがに教えてくれませんでしたが……。提督も捕らえられてしまって、行動を実行できたかはわかりません。けれど、何かを命令していたのは間違いありません。第2帝都東京と横須賀鎮守府で何かが起きるのかもしれません」

 その言葉に長波は思い出す。確かに金剛と叢雲は一時期、冷泉提督と深刻そうな話をしていた。あれがその影響なんだろうか。あの後、ばたばたっと二人の異動が決まって旅立っていった。お別れの挨拶もまともにできないままに。

 

「可哀想な二人……。彼女たちは、提督の気持ちが自分から離れていっていることを認識していたはずです。新しくやって来た加賀さんや長門さんへと提督の気持ちが心変わりしていることを肌で感じ取っていたでしょう。金剛姉様については、その上、私が舞鶴に来たことがより状況を悪化させたようです。どんな事を命じられたかはわかりません。けれど困難な事を言われたのは間違いないはずです。けれど、提督の指令を実行し成功すれば、必ずまた自分たちを見てくれる。彼女たちは、そう信じてたんでしょう。すがるような想いで……。心のどこかでは無理だと思っていたかもしれませんけれど、それにすがるしかなかったのです、……彼女たちは。提督の愛を取り戻せることを。そして冷泉提督は、それすら利用したのです。これは私の推測ではありません。実際、提督ご自身が仰っていたことなのです」

 

「なんという外道」

と、思わず山城が叫ぶ。

「鑑娘を道具のように使い捨てるなんて……酷すぎる」

 

「けれど、冷泉提督は、今でも多くの鑑娘の心をもてあそんで操っています。私に対しては欲望のままに拙速すぎただけで、本当はもっとじっくりと時間をかけるんでしょう。加賀さんや長門さんに対するみたいに」

 吐き捨てるような冷たい口調で榛名が話す。

「冷泉提督がもしも戻ってきて、真実を知れば、もう私はここにはいられません。それまでの間は、大湊の鑑娘として一生懸命がんばります。今更許されるとは思いませんが、扶桑さんへの罪滅ぼしにはならないかもしれません。けれど、私はがんばります。許してもらいたいとは思いません。けれど、私は望んで行ったわけじゃないことだけは覚えて置いて下さい」

 

「正直、すぐに気持ちを整理する自信はないです。あまりに衝撃的すぎて。けれど……本当の事を話してくれてありがとう、榛名さん。本当に辛かったわね。自分だけを責めないでください。仕方なかったのよ、あなたは。どうしようもない状況まで追い込まれていたんですもの。あなたは悪くないわ。けれど……冷泉提督だけは、絶対に許せないわ」

 山城のうめく様な声が聞こえてきた。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

と、榛名の泣きじゃくる声も聞こえて来る。そして、扶桑までもが泣き出したようだ。

 

 長波はずっとしゃがみこんで隠れていたが、一人、込み上げてきた怒りに身を震わせていた。叫ぶのを押さえるのに必死だった。

 

 ずっと引っかかっていたものの正体が明かされた気分だった。自分の上司、信頼できる司令官であるはずなのに、……どおりで信頼しきれなかったわけだ。本能的に警戒すべき奴……とこれまでの自分の経験と勘がそうさせていたのだ。

そして榛名の告白は、長波の司令官である冷泉という男のウラ側をまざまざと見せつけていた。疑ってはいたけれど、やはりショックだった。自分にとって、一番信頼できるはずの男がそんな奴だったとは。明らかな裏切りだ。いや、そんなことはどうだっていい。もっとも許せないのは、叢雲を駒のように使い捨てたことだ。彼女の気持ちを知りながら、それを弄び、自分の都合のいいように使ったのだ。しかも、叢雲の生き死にについてなんら頓着していないことに許し難い怒りがこみ上げていた。

 

 草加の言っていたことが正しかったと知ってしまい、絶叫したくなった。突きつけられた事実から目を背けたいけれど、できるはずがない。

 

 叢雲は、無駄死にだったんだ。無駄に死んだんだ。

 あれほどあの男のことを想い続け、最後の最後まで必死になって生き延びようとし、彼の役に立とうとしていた叢雲を見捨てたのだ。……あの男は!! 冷泉は。

 

「絶対に……許さない。許さない」

 呻くように呟く長波の口の中に、生暖かい鉄の味が広がるのを感じた。

 

 しかし、そんなことなどどうでもよかった。

 

 怒りでおかしくなってしまいそうだ。

 悲しさで気が狂いそうだ。こんなこと、二度目に生まれてから、初めてだった。

 


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