まいづる肉じゃが(仮題)   作:まいちん

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第206話 叢雲

その日も長波は、沿岸警戒の任務に単身従事していた。

 

まずは、周辺の土地勘を得る事―――。

それが大湊警備府司令官兼舞鶴鎮守府司令官代理、葛生提督からの指示だった。

 

女性の提督ということで、気が合うか心配だったけれど……話してみると思ったよりまともな人だったことに安心した。彼女は、新たに旗下に入った舞鶴の艦娘達にも分け隔てなく接してくれている。

 

いろいろと細かいところまで見ていてくれて、アドバイスをくれる。細かすぎるのが難点だけれど。それでも、冷泉提督よりは、できる人みたいだ。それが長波の全体としての評価だった。

 

現在、舞鶴鎮守府の艦娘は、いくつかの班に編成され、現在行動している。遠征に出た子もいるようだ。長波は第二帝都にいたために出遅れたので、全員が揃うまでは、単純作業に、従事するしかなかった。

 

大湊鎮守府の近海数十キロを単体でパトロールするだけの、危険などほとんどない単純な任務だ。けれど、ここでしっかりやることができれば、次の編成で、新しい任務に就くことができる……はず。

 

「はあ……」

どうしてもため息が出てしまう。喧嘩別れして来た叢雲のことが少しだけ気になったけど、ムカムカするだけなので、意識の彼方に追いやろうとする。けれどなかなか上手くいかない。

 

「あんなヤツじゃなかったのに! 」

 

思わず声になってしまう。自分に何も説明してくれず、突き放すような態度が思い出すだけで腹立たしい。

 

きっと何か悩んでいるのに、アイツは誤魔化すだけで話そうとしなかった。親友だっていうのに!

 

ダメだ。もうここにいない奴のことなんて考えたって仕方ないじゃないか。アイツはアイツの、私には私の生き方があるんだ。自分には成し遂げなければならないことがある。そのためには、些事に構ってなんていられないのだから。

 

海岸線沿いに艦を進める。津軽海峡を通過して陸奥湾へ。そして鎮守府の港が見えてきた。先ほどまで降っていた雨もどうやら上がったようだ。

 

「今日も一日何事も無かったな」

緊張しているはずなんて無いけれど、やはり母港に戻るとほっとする。本当なら舞鶴鎮守府がいいのだけれど、それは仕方ない。

 

その時、唐突にどこかから声が聞こえた。

 

ここは海の上、周りには誰もいるはずがない。声なんて聞こえるはずなどないのに、消え入りそうなほど小さな声がはっきりと聞こえたのだ。

 

そして……。

その声に聞き覚えがあった。いや、忘れるはずなんてない。けれどありえないはず。ありえないはずなのに、その声の主を確信できた。

 

「けれど、なんでアイツがここに? 」

そう、その声の主は叢雲だった。けれど、アイツは第二帝都東京にいるはずなんだ。こんな場所に来るはずが無い。

 

―――胸騒ぎがする。それは何の根拠も無いけれど、長波を行動させるには十分だった。あるはずが無いのにアイツの声聞こえるということは、あってはならない事態がアイツの身に起こっていることだ。

 

「くそっ」

海上に艦影は無い。

幻聴でしかないはずの音声の発信源を艦の機器すべてを動員して探索する。当たり前だけれど、何の成果も出ない。あらゆる探索結果データは、該当なし。けれど、長波の心が何かに感応する。視界に見える陸地からだった。

 

「陸? なのか」

何の根拠もないただの勘に頼るということなんて普段は絶対にしないことだ。けれど、何故か何の疑問も感じず、体が動く。

かつては民間用に使用されていた港に入港し、強引に接岸する。

場所的には大湊駅からそう離れていない場だ。艦から軽々と飛び降りて着地する。

 

「何も気にするな、持ち場に戻れ! 」

いきなりの軍艦の入港に驚く兵士達に声をかけると、長波は駆ける。

大湊駅より西は軍施設として警備対象となっているが、それより東側については軍施設もあるが民間施設だけでなく民家も立ち並んでいる。ここは深海棲艦の侵攻の影響を受けなかったこともあり、昔のままの町並みが残されている。

 

声が聞こえた座標を目指して進む。平静さを保とうとするが、心は不安だらけだ。嫌な予感しかしない。祈るような想いで走る。

あちこちに水溜りが残る荒れたアスファルト道を駆け、住宅と倉庫が混在して立ち並ぶエリアに到達する。

 

そして、道路の隅に倒れた人影を発見してしまう。赤黒い血溜まりの中にその人影は倒れていた。

グレーの上着に青いズボン。黒っぽい帽子を被った人はうつ伏せ状態で路面に伏していた。髪の毛は短く、黒みがかった青。体の大きさからすると女の子のようだ。とはいえ、ショートカットであることから、長波は自分の予想が外れたことに安堵する。

 

「おい、しっかりしろ。大丈夫か? 」

抱き起こした瞬間、長波は天を仰いだ。

「……嘘だろ」

 

倒れていた女の子の顔は、煤や泥で薄汚れてはいたものの、見間違うはずがない。

叢雲だった。

どうして彼女がここにいて、こんな重傷を負って倒れているのか? あんなに大事にしていた長い髪を切っているのか? 

 

「おい、叢雲! しっかりしろ。おい、何があったんだよ! 」

もはや、そんなことはどうでもよかった。

叢雲の負傷具合を確認して、状況は相当に切迫していることを知ってしまった。それでも、幸いなことに、まだ息はある。

付近に叢雲の艦部の反応は無い。リンクが途切れているようだ。つまりは、彼女は現在、人間となんら変わらない状況であるということ。つまり、艦よりのエネルギー補充を受け入れられず、再生は不可能状況。負傷具合からすると、早急に彼女を大湊へと連れ帰り、治療をしなければならない。

しかし、このまま連絡を取って良いものか? 躊躇する。

 

叢雲の状況が只事では無いのだ。

腰の部分の出血は、銃撃によるものだ。それ以外にも足は骨折しているし、体中のあちこちに打撲や擦過傷が見受けられる。どう考えたって、まともな状況ではない。何かとんでもないことが彼女の身に起こったことだけは間違いない。

 

「今は、そんな時じゃないだろ! 」

速やかに警備府へ通信を入れる。至急、救援を請うのだ。叢雲がどんな立場だろうと、どういう状況だろうとそんなことはどうでもいい。後から考えたらいいんだ。今は彼女の命をつなぎとめることが最優先だ。何かあったら、守ってやればいい。

 

「ん、うん……」

腕の中で動きがあった。幽かに頭を左右に動かし、ゆるゆるとした感じで叢雲が目を開いた。しかし、その瞳に宿る光は、今にも消えそうなほど弱弱しい。

 

「む、叢雲。叢雲! おい、分かるか? 」

知らず内に彼女を呼ぶ声が大きくなる。

瞬間、ほんの一瞬ではあるが叢雲は瞳を見開き、何故か安堵したような表情を浮かべる。

 

「ア、アンタ……無事だったのね。こ、こんなところで何してるの」

 

「何をって、アタシが大湊にいるのは当然だろ? それより、お前、何があったっていうんだよ。どうして、こんな怪我してるんだよ」

 

「提督……でも、無事で良かった。ずっとずっと心配してたんだから」

長波の問いかけがまるで聞こえていないかのように、彼女は言葉を返してくる。何を言っているんだと言葉を発しかけ、言葉を失う。叢雲の瞳は光を失い、確かに長波のほうを見ているけれども、焦点がまるで合っていない。もっともっと遠くの何かを見ているようにしか思えない。そして、分かった。彼女には長波が冷泉提督にしか見えていないということを。

 

「そうだ、アンタに伝えなきゃいけないことがあるの」

長波の混乱など無視し、時折咳き込みながら、叢雲は訴えかけてくる。痛みを必死に堪えるその姿が痛々しい。どんなに苦しくても、何かを伝えようと必死だ。

もういい、もう喋らなくていい。そう言えれば、どれほど良かったか。けれど、必死に訴えかける彼女の姿を見て、それ以上何も言えなかった。

 

叢雲は、金剛が殺された事、そしてスペアボデーに移し変えられて、更に違う記憶を埋め込まれた別の金剛として横須賀に行くこと。そして、金剛は冷泉提督に敵対する存在として、彼の前に現れることを伝えてきた。叢雲自身も同じように変えられ、冷泉提督を苦しめる存在にされそうになったこと。それを拒否したところで変えられぬ運命を知った叢雲は、逃亡するしかなかったことを話した。

とにかく、冷泉提督に真実を伝えたかった。真実を伝えることで彼の苦しみを少しでも減らせることができるなら……と。

 

長波にはまるで理解が及ばない内容だけれど、これだけ必死になって叢雲が伝えようとしていることだ。言ってる事の真偽など、どうでもいい。信じるしかなかった。

 

「ごめんね、提督。アタシ、ヘマやっちゃった。……もっとうまくできるつもりだったんだけど、やっぱりアタシじゃ無理だった。偉そうなことばっかりいってたのに、結局、何もまともにできないんだ。アンタの役に立てなかった」

そう言うと、瞳を潤ませ悔しそうな表情を浮かべる。彼女には長波が冷泉提督にしか見えていないようだ。そして、何度も声をかけるが、その声は聞こえていない。

 

「何言ってるんだよ、そんなことどうでもいいだろ。もうちょっとの辛抱だ。もうすぐ、軍の車が来るから。ドックに入って治療するんだ」

たとえ聞こえていなくても、声を出さずにはいられない。

 

「提督……」

そう言うと、叢雲は震えながら手を伸ばしてくる。

 

「くっ」

長波は、その手をしっかりと握り締めた。せめて、今だけは自分が冷泉提督になるんだ……。そう決めた。

彼女は握り返してくるが、その力はあまりにも弱弱しい。

 

「提督、ごめんね。いつもいつも、偉そうな事ばかり言って、アンタを困らせて。ずっと素直になれなくてごめんなさい」

 

「何を言ってるんだよお」

涙が込み上げてくる。

 

「もっと早く、言えたらよかったのに。でも、照れくさくて、言えなかったの」

痛みが体を貫くのか、何度も体を震わせる。それでも必死に喋ろうとする。

 

「もういいんだ。もう何も言わなくていいから。これ以上、無理をするなよ、しないでくれよ」

 

「提督……」

少し間を置き、そして決心したかのように叢雲は声を出す。

「アタシなんかじゃ、提督の側にいる資格なんて無いって思ってた。でも、いつかはって願ってたの。アタシなんかでも、きっと提督の役に立てる時が必ず来るって。……けど、最後の最後まで何もできなくて、ヘマばっかりしてしまった。役立たずで、本当にごめんなさい」

潤んだ瞳からは、涙がとめどなく零れ落ちていく。

 

「そんな事無い。お前はずっとずっと」

長波は強く彼女の手を握り締める。それしかできない。自分が冷泉提督ではないことが、途轍もなく辛かった。今、ここで旅立とうとする叢雲に言葉をかけられる立場ではない事が辛い。悔しさと悲しさで、それ以上の言葉を紡ぎ出すことができない。

 

「でもね、……提督。あのね、こ、こんなアタシでも、ずっと……出会った時から、ずっと大好きだったよ。おかしいでしょ……でも、本当だよ。ずっと素直になれなくて、ホントに馬鹿みたい。でも、やっと言えた」

最後の力を振り絞るようにして話す。握り締めた手に力が入るのを感じる。

「ア……アタシの事、忘れない……で」

唐突に叢雲から力が失せた。握り返していた彼女の手から、力が抜けていってしまう。

 

「おい、……おい、叢雲。何してんだよ。ふざけてるんじゃねえよ。おい、目を開けろよ。もうすぐ軍の車が迎えに来るんだぞ。ドックで治療するんだろ? さっさと元気になって、入渠して体を治して、それからちゃんと提督にお前の気持ちを伝えろよ。あたしにこんなこと押し付けるなよ! ……なあ、いい加減にしてくれよ。ちっとも笑えねえぞ、さっさと目を開けてくれよ。くだらねえ冗談はやめてくれ。お願いだから! 本当にお願いだから……おい、叢雲、叢雲! 」

自分の声が途中から涙声だ。まともに言葉にならない。

親友が助からないことは、最初に見つけた時から分かっていた。けれど、絶対に信じたくなかった。信じる気なんて無い。これは悪い夢だとしか思えなかった。いや、絶対に夢なのだ。だから、きっと覚めるはずなんだ。

そう思いたかった。

 

けれど、どんなに叫ぼうとも、叢雲は瞳を閉ざしたままだ。息を吹き返すことなんて無かった。そして、いくら待っても何をしても、長波の夢は覚めることが無かった。

 

「くそ、くそくそくそー! ふざけんなよ、馬鹿野郎、馬鹿野郎」

叫ぶ。叫ぶしかない。腕の中の叢雲からは、すでに命の光はどこかに消え失せているのだ。こんなボロボロの体になるほど酷い目に遭って、苦しみと悲しみの中で大切な親友が逝ってしまった。

喧嘩別れしたまま、仲直りするチャンスは、もう二度と来ないのだ。

 

「なんで……なんで叢雲がこんな酷い目に遭わなきゃいけないんだよ。なんでなんだよ。なんで……こんなことになるんだよ。こいつがいったいどんな罪を犯したっていうんだよ」

絶叫。

強く親友を抱きしめたまま、長波は動くことができなかった。

 

 

―――。

いったい、どれくらいの時間、そうしていたのだろう。

ずいぶんと長い時間、親友を抱きしめたまま蹲っていたように思える。泣き叫び喚き散らしたと思う。そして、声も涙も枯れてしまった。

警備府からの車は、一向にやって来なかった。長波は、叢雲を抱きしめて目を閉じたままだった。動く気力さえ沸かない。

 

カツン、カツン。

金属がアスファルトを打つような音が聞こえてきた。

 

顔を上げると、人影が近づいて来ていた。松葉杖をついた男だった。いや、まだ少年にしかみえない。

軍服を着ていることからすると、軍人なのだろうか。けれど、その格好は海軍でもそして陸軍の兵士のどの軍服でもなかった。

男は、まだ幼さが顔に残っているが、どこか死線を乗り越えた自信が溢れているように思えた。

金属音の元を辿ると、どうやら彼の足らしきものがアスファルト路面を打ち付ける音だと分かった。それは靴ではなく、彼の足? なのか。

 

「誰? 」

警告を発する。

これ以上の接近は敵対行為とみなす意味でのものだ。今の長波は、気が立っている。そして、やけっぱちになっている。ちょっとしたことで暴発してもおかしくないと自覚している。そして、たとえそうなったとしても構わないとさえ思ってしまっているのだ。できるかどうかはともかく、禁忌を犯してもいいやとさえ思っていた。どうなったって構わない。興味が無い。

 

「あ……、これは失礼しました」

男は両手を上げるような素振りをしながら停止する。

「そんな、人を射殺すような目でこちらを見ないでもらえますか? 正直怖いですから」

口調はふざけたように冗談ぽい。

 

「だから、誰? 所属を言え」

無意識に叢雲を庇うようにする。

 

「私は、草加甲斐吉と申します。階級は……まだ事務処理が追いついていないので二等兵です。下っ端の下っ端です。軍学校から配属されてまだ間もないのです。所属はもともとは海軍ですが、現在は第二帝都東京で、三笠様の下で働いています」

どうみてもその軍服は兵のものでも下士官のものでもない。サイズも彼の体には少し大きいようにさえみえる。

兵が単独で動くことはないと聞いているから、それなりの地位だということなのだろうか?

まあ、男の階級なんて、そんなことはどうでもいい。

 

「なんでもいい。で、アンタが一体何しにここに来たんだよ」

 

「長波さん、あなたから救援の申し出があったゆえ、私が派遣されたのですよ」

 

「あたしは、大湊警備府に連絡を入れた。第二帝都東京になんて連絡をしてないよ」

 

「事案の重要性から、三笠様の勅命により私がこの場の指揮を執ることになったのです。ゆえに、大湊からの救援は来ません」

 

「何? 」

意味が分からない。その声には苛立ちが混ざる。

 

 

 


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