まいづる肉じゃが(仮題)   作:まいちん

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第197話 報い

 

時間は少し遡る。

 

金剛の反乱の騒ぎが収まりかけた頃。事件の発端の原因社である草加甲斐吉は、ここ場からの逃げ時を必死に思考していた。

 

金剛から受けた理不尽な暴行により、未だに全身がヒリヒリと痛むが、なんとか動けるレベルにまで回復した。首回りにはどす黒い痣が残ったままだ。くそ、あの女……なんという馬鹿力なんだ。見た目はあんなに可愛いくてか弱そうだったから油断してしまった。所詮、化け物は化け物だったんだ。見た目に騙された自分が馬鹿だったということか。

 

それはともかく、……今考えるべき事は、この窮地からいかにして離脱するかということなのだ。

 

何度か爆発音のようなものが聞こえたりしていたが、いつの間にか静かになってしまっている。

つまり、金剛の反乱は、あっけなく鎮圧されたということなのだろう。彼女は艦とのリンクを確立させて、ここから逃げだそうとしていたように思う。艦とのリンクが確立できたのなら、当然、戦闘が行われるだろう。こんなもんじゃ無い、もっともっと凄まじい爆音と振動が感じられたはず。しかしそれがまるで感じ取れないのだから、彼女の望みは絶ち消えてしまったに違いない。貴重な戦艦であるゆえに、謀反を働いたからといって、殺されることは無いだろうけれど。何だかんだいいながら生け捕りにされてしまうのだろう……。

そして、はたと気づき、思い至ってしまう。

 

おい、ちょっと待て。金剛が生け捕りされたのだとしたら、当然、彼女に尋問がなされるはず。おづして、外に出られたのだって。……金剛がゲロったら、自分が培養槽から出した犯人だと完全にばれるじゃないか。 

 

どうしよう!!

一気に血の気が引いてしまい、焦ってあたふたしそうになる。

瞳に焼き付いていた金剛の裸体を思いだして、熱くなっていた股間が一気に縮んでしまう。身の危険が欲望を軽々と上回り、鼓動が高まり、全身に寒気がする。おまけにくらくらと目眩までする始末。年頃の少年にありがちなスケベ心なんて簡単に吹っ飛んでしまった。

 

駄目だ駄目だ。……すぐに気持ちを落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。いまさら足掻いたところで、どうなるものでない。ジタバタしたところで、済んでしまった事は取り戻せない。自分なりにうまく擬装したつもりだけれど、どこかでミスっているかもしれないもんな。

 

そもそも、金剛が気を失っている間に用事をよろしく済ませてすっきりして、元に戻す完璧な計画が失敗してるんだから。最高の女と一時のアバンチュールを楽しみたかっただけなのに! それどころか、あの女を取り逃がした事で、すでに大失敗を犯してしまっているのだから。この上、更にどこかでヘマをやってるかもしれない。

 

自分が金剛の暴走との関係がどこかで漏れるかもしれない。すでにあの女がゲロっているかもしれない。それに、どこに監視カメラがあるか知れたものじゃないことからも、自身がどうなるかなんて、神様以外には予想できないわけだ。

 

そもそも、今、ここに自分がいることが最悪なのだ。様々な隠蔽工作が完璧に機能したとしても、みんなすでに撤収したはずの研究施設にいることが見つかれば、確実に容疑者ナンバーワンだ。

 

そして、今まさに多くの兵士達がこの建物に集まってきているはず。金剛を無力化したなら、次は原因究明のためにやってくるだろう。もたもたしていたら、連中に見つかってしまう。

 

「ああ! 最悪だ。どうしよう。見つかったら追求される。追求されれば、事実がばれる。ばれたら絶対にあいつ等、許してくれないだろう! 死ぬのか、俺は殺されるのか。健全な少年が誰もが持つ欲望を発散しようとしただけじゃねえか! なんでこんなことに……ひえええええ! 」

自分でも驚くほど情けない声を上げる。そして、地団駄を踏んでしまう。ちっとも落ち着けない。

「……いや、待て。ここで諦めたら駄目だ。終了の笛が鳴るまでは、試合は終わっちゃいないんだからな。絶対に、逆転のチャンスだってあるはずだ。……そうだ、きっとそうだ。ここは人間の数が少ない。だから捜索隊を編成するのも大変なはず。そして、施設はとても広い。きっとどこかに隠れる場所がいくらでもあるはずだ。食料だって、これまでの生活の中で、黙って誰にも気づかれずに倉庫から持ち出すことができることは知っている。完全なる都市といいながら、実際は未開のジャングルのような場所でもあるんだ。そもそも、俺一人をみんなが血眼になって捜すほどの価値なんて無い。それに、可能性は低いかもしれないけれど、自分の行為が認知されていない可能性だってあるんだ」

そう思うと僅かに希望の炎が点る。

「諦めたらそこで試合終了だもんな」

三笠たち艦娘だって万能じゃない。きっと見落としがあるはずなんだ。だって、自分みたいな奴をこの施設に入れてしまったんだからな。入れたってことは、出る事だって不可能じゃないかもしれない。そう自分を励ましている内に、よくわからないけれど元気が出てきた。自分の素晴らしさに興奮してしまう。

 

とにかく、最優先はこの窮状っから抜け出す妙案を絞り出すことだ。それが自分にはできる自信がある。精神が落ち着いたら、真実が見えてくるように思えた。

 

ここの施設は、これまでの勤務から細部まで知り尽くしているつもりだ。なにせ、帰ってもすることがない仕事だから、いろいろと施設の構造を調べていたんだ。それくらいしか時間つぶしができるものがなかったことを今は感謝している。

 

上にいるであろう連中がどういう経路で来るかは予想できた。エレベータが停止されていることから、階段で来る事は間違い無い。エレベータは監視下にあるのだろうけど。

 

頭をフル回転させて、待避場所を検索する。こんな時に必要なのは、観察眼だ。昔から自分には優れた観察眼があると褒められてきた。

 

先程から状況を確認しているのだが、いつもと施設の状況が違う。照明は非常灯になっている。しかも一部は点灯できていない。空調も停止していて、じわじわと室内温度が上昇している。しかも、それが改善される気配もない。これは、もしかすると金剛がシステムに侵入して、システムをダウンもしくは不調にしたのではないか? と結論づける。それがいつからかはわからないけれど、運が良ければその影響でカメラ記録がとんでいるかもしれないと楽観的な考えが起こる。そして、現在もシステムがおかしい状態であるのは間違い無いだろう。ならばチャンスではないのか。

 

となれば、どうにかなるかもしれない。

 

探せ探せ、逃げる方法を探すんだ!

 

俺は、地元では幼い頃から天才、神童と言われてたんだ。だからこそ、軍が俺の才能を放っておかなかった。特待生でスカウトされたんだ。軍が認めたこの才能、自分の本当の能力を発揮したら、きっとこの窮地を脱せるはずなんだ!

 

「考えろ、俺。できるぞ、俺」

ポジティブに行く。

 

では、どこだ?

換気口? 天井が高すぎてたどり着けない。脚立を準備しなければ行くことはできない。仮に上れたとして、脚立の始末はどうする? 却下。どこかの部屋に隠れる? いい手かもしれないけれど、捜索をしないはずがない。そもそも、鍵無しで入れる部屋など限られている。却下。

スーパーコンピュータに匹敵するであろう自分の頭脳を必死に、必死に頭を回転させ、答えを求める。しかし、全て何もかもバッド・アンサーを返してくる。

「うおおおお!! 」

頭がオーバーヒート! 

 

頭の芯がチリチリと焼け焦げる臭いが本当に感じられた。120%の能力を発揮という、遙か昔のキーワードが浮かんだ時、天啓のように唐突に光が見えた。

腹立ち紛れに蹴り飛ばした壁に切れ目が現れ、まるで扉のように開いたのだ。2m×1.5m程度の扉が唐突に開いたのだった。ありえないはずの空間の出現。その先は暗くて何も見えないが、俺にとっては希望への光が差し込むように見えた。その不可視の光に導かれるまま、ドアの向こうへと俺は滑り込むように飛び込んだのだった―――。

 

 

そして、取っ手も何もない扉をなんとか閉じることを完了する。数分後、階段から足音が複数聞こえてきたかと思うと、兵士達がやって来たようだ。

 

一体どうなっている? なんとか外の様子を確認できないだろうか? そう思った途端、真っ暗だった部屋に光が差し込む。なんと、閉ざされた扉に草加の願いを叶えるかのように細い細いスリットが生じたのだ。それは1ミリ程度しかない細い溝だったけれど、これなら外の連中に見付かることなく、様子をうかがえる。

 

草加は食い入るように様子を見る。

 

その数は僅かな隙間からのぞき見る状態のため、正確には分からなかったが、少なくとも二十人近くいたはずだ。普段見たことの無い、いかにも屈強そうな連中で、ゴリラと間違えそうなぐらいガタイが良かった。見たことのない機具をリュックサックのようにして背負い、ヘッドディスプレイのようなものを装着している。皆が武器を持っている。こんな連中に捕まったら取り押さえるという動作をされただけで、骨の何本かは折られてしまいそうだ。

彼等はその類人猿のようなゴツイ体からは想像できないほどの俊敏さできびきびと動き、確認動作を口にしながら、的確に状況調査を行っていく。後から科学班と思われる職員が数名やてきて、培養槽のある建物へと案内されていっていた。

あちこちを調べまわる兵士達。執拗なまでの彼等の捜索は、草加の精神をまいらせる。連中は施錠された部屋も片っ端から解錠し、警戒しながら捜索していく。

 

草加のような一般職員は1階から培養槽のある施設まではエレベータで直行させられ、途中の階には降りることは無い。

興味も無いから階段を使ったりエレベータで途中下車するような者は一人もいなかったはず。けれど、草加は何かの役に立つと思い、この施設内もいろいろと彷徨いてみたりしていた。時々警備兵に見つかったりしたが、とくに注意を受けただけで何も無かった。もっともすべての部屋に鍵が掛かっていて権限の無い人間は入れないという前提があったから見逃してくれていたのかもしれないけれど。

 

捜索する兵士達は常時鍵が掛かっている部屋を全て開けてまで確認しているということは、つまり金剛脱出の容疑者は、連中にも推測が立っていないという証左ではないか? どうやら、連中、金剛から犯人を聞きだすことに失敗したようだ。

容疑者が草加達培養施設で働く者と思っていたら、他のフロアを探すのは当然としても施錠された部屋を探すわけがない。つまり、逃げ切るチャンスがあるということだ。

 

これは奇跡だぞ。偶然の悪戯が隠し扉を発見させ救ってくれたのだ! 希望が見えたわけだ。神は我に味方したんだ。

草加は今まで以上に気配を絶ち、捜索を続ける兵士達が去るのを辛抱強く待った。

 

それから、どれほどの時間待ち続けただろう。

 

やがて兵士達は確認を終えたのか何事か言葉を交わしながら階上に上がっていった。それでもまだ残っている奴らがいるかもしれない。慎重に慎重に警戒を怠らず、じっと中腰に近い格好で外の様子をうかがい続けた。

ずっと同じ姿勢のままであることから膝がガクガクし、背中が痛くてたまらないほどの時間、身動きすら我慢して堪え続ける。

 

今何時なのだろうか?

 

焦るな。もう少し、……あともう少し我慢すれば、朝が来るはずだ。ここで急いては全てが水泡に帰す。やり過ぎというくらい待った方がいいのだ。

 

朝になれば、皆が出勤してくる職員の中に紛れ込めば、気づかれずになんとかなるんじゃないか? 

雑だったとはいえ、隠蔽工作が功を奏したようで、連中は犯人の手がかりにすらたどり着いていなさそうだ。ならば、今日はなんとかやりすごし、あとはこの街のセキュリティの穴をついて、地下にでも潜り込めば逃げ切れるかもしれない。それどころか、このまま普通にやっていけるんじゃないかってさえ思ってきた。どう考えたってここの人間の数は、施設の巨大さに比べて少なすぎる。やり過ごすチャンスがある。自分の高次元演算思考処理能力があれば、エリートの自分であれば、こんな難局なんて軽くクリアできるかもしれんぞ。

 

「そうだ、俺ならきっとできる。俺は、横須賀や舞鶴の提督なんかより絶対に優れているんだから。たまたま運が悪くてこんなところで燻っているだけなんだ。本当の能力を引き出すことができれば、奴らよりもっともっと働ける。俺はやれるぜ」

小声で呟き自分を鼓舞する。そうすることで何故か自尊心がくすぐられて気分が良くなってきた。

そうマイナス思考なんて無駄なことをしていちゃ駄目だぜ。俺はスゲー男なんだよ。ここで艦娘連中に取り入り、逆にモノにしてやるぜ。特にあの偉そうな三笠。人を虫けらか石ころ程度にしか思っていない冷血女め。絶対に俺の足元に跪かせてやるからな。俺の本当の実力を見たら腰を抜かすぞ。

 

「フフフン、今に見てろよ……」

そう言ってニンマリとしてしまう。

 

「何を見ればいいのですか? 」

突然、背後から女の声がした。

 

「ぎゃん! 」

驚きのあまり、素っ頓狂な声を上げてしまう。

暗闇な上、背後を取られていたために何がなんだかわからない。そもそも、草加が逃げ込んだ部屋はごくごく狭い部屋だったはず。それ以前に誰も居なかったはずなのだ。それに数時間ずっとここに篭っていた間、ずっと気配など感じなかったのに。

 

「何を驚いているのですか」

再び声がした。それはごくごく近く。それも耳元で囁かれた……吐息がかかるくらい近くで。

 

「ぎ、ぎゃああああああああ」

混乱した草加は自分が隠れていることさえ忘れて、扉に体当たりして転がるようにして外に飛び出た。必死だ。

「なな、何だ何だ! 」

這うようにして扉から離れようとする。

 

中からゆっくりと人影が現れてくる。その姿を見て、再び草加は悲鳴を上げた。

「な、なんでお前が」

現れたのは、今、もっとも草加が会いたくない戦艦三笠だったのだ。どうして、この女が。なぜこのタイミングで。どこから現れた?

 

「あらあらお前? ……ずいぶんと偉そうな口調ですね。あなた、私が誰だか忘れてしまったのですか? そして、貴方の立場さえも」

そう言いながらゆっくりと近づいて来る。いつも通りのほれぼれするほどの完全な美しさ。そして、背筋が凍りつくような冷たい口調。全てを蔑むような瞳でこちらを見下ろしてくる。

 

同僚の中には、彼女の凍り付くような冷たい視線、口調、態度が堪らないという変態が多かったけれど、草加にとっては本当に生意気な女にしか見えなかった。艦娘だからというだけで、ただただ偉そうな存在でしかなかった。あの女が顔は綺麗なのは認める。小柄だけれど頭身のバランスは芸術品のように足は長く顔も小さい。しかし、胸わ大きい。スタイルまでもが完全だ。女としては最高なのだろうけれど、性格が最悪だ。そんな評価だった。

 

もちろん、一対一で会話することなど許されていなかったから、遠目に見るだけだし、彼女の言葉も全体に対しての物でしか無かったのだけれど。

それが今、自分に対してのみ喋っている。それは凄いことだが、いかんせん最悪の状態だ。

 

「な、なんでここにいるんだ……ですか? 三笠様」

 

「さて、どうしてでしょうね。改二改装中の戦艦金剛が、どういうわけか培養槽から抜け出して、さらに外に出ようとしていたのです。外から操作しないと培養槽を開く事はできないのに。しかも、彼女は調整中だったわけですから、意識はほとんど無かったはずなんです。だから出ようなんてことを考えるはずもないのですが……。どうして、こんなことになったんでしょうか? 」

感情の起伏がほとんどない喋り方だ。まるで機械じみて見える。それだけに余計怖い。

 

「そ、それは俺なんかが分かりません」

 

「そうですか。調査をした結果、何者かが金剛を培養槽から出したという記録だけは残っているんですけれどね」

 

「はあ、俺には何のことだか分かりかねます」

必死に平静を装い、とぼけて見せる。ここはなんとかシラ切って逃げ切るしかない。

 

「そうですか、貴方は何も知らないのですね」

そう言うと、三笠はニコリと笑った。

普段笑わない彼女が笑うとこれほど可愛いのか。草加は驚いた。

 

彼女はゆっくりと草加に歩み寄り、右足を彼の左足の甲にそっと乗せた。

「え? 」

 

「ふふふ」

彼女は再び笑うと、冗談めいたように草加の足を踏みつけるような素振りを見せる。そしてゆっくりゆっくりとその力を込め始めた。

 

「ちょ、何するんですか? あの、すみません、ちょっと痛いんですが、やめても……」

草加は彼女の足を押しのけようとするが、びくともしない。まるで万力で締め付けられているかのように、1ミリも動かすことができない。騒ぐ草加を無視して、三笠は微笑んだまま、力を加えてくる。

「ひっひ! つ、つぶれる、やめろ、やめれ」

悲鳴のような声を上げながら、草加は三笠の足を押しのけようとする。しかし、それが叶わぬと気づき必死に彼女の足を殴りつける。両拳で全力で殴りつける。ドンドンと音が響くが三笠はまるで痛みを感じていないように、じわじわと、しかし容赦無く力を込め続けるのだ。

「ひいいいいいいいいい! 」

ゴキリという嫌な音が響くと同時に、草加が絶叫する。

「ギャアアアアア」

それでも三笠はやめる気配を見せない。何かが裂けるような異音。草加は悲鳴とヒイヒイという、うわごとのような声を出し続ける。彼の履いていた靴からは真っ赤な血が滲み出す。彼の靴下は、不気味に膨らむ。

三笠は、最後にまるで吸殻を踏み消すような動作をし、やっと踏みつけた足をのける。

そこには、無残に足の甲から先が無残に踏み潰された草加の右足があった。

 

「ぷぎゃあ! ひいひひひいいいい」

悲鳴とも呻きとも分からない声が聞こえる。情けなくも哀れな泣き声。草加は、それが自分が漏れていると気づくのに数秒かかってしまった。起こった事実と状況がうまく繋がらなかった。

優しく微笑む少女が前にいて、自分が床に倒れている。そして痛む左足を見ると血溜まりがあり、足先部分が靴ごと完全に踏み潰されていたのだった。靴の足先部分からはミンチのような気持ち悪い肉塊が血とともにトロリとはみ出して来ている。慌てた草加はそのはみ出してくる肉塊を両手で必死に押し戻そうとする。

「いたいいたい、痛いよう、なうんだこらうう、あぢがあぢがなびい。なにづんだ、でめえ」

憎しみどころか殺意を込めた眼で美少女を睨み付ける。

彼女は小首を傾げて彼を見、身をかがめると彼の右手首を掴んだと思うと、そっと曲げた。通常の人間では、絶対に曲げられない方向へと。

 

乾いた枝が折れるような音とともに、再び草加が絶叫する。彼の右手が妙な方向に捻じ曲がり、それを左手で必死に庇おうとしている。

「しー、静かにしなさい」

そういうと、三笠は彼の右耳を軽く左手で叩く。再び悲鳴。右手は使用不能になっているため、押さえることのできない彼の右耳からはどろりとした赤い液体が流れ落ちて来ている。

さらに三笠は一歩踏み込むと、無造作に情けなく泣き喚いている彼の股間を蹴り上げた。

 

ぱん!

 

「ぎゃん! 」

激痛とともに視界が暗転した。

 

 

 

―――夢だったのだろうか?

再び意識が戻った草加は思った。今は仰向けに寝ている状態であることを確認する。

 

確か、意識の無い金剛を襲おうとして失敗し、逃げようと思ったらいきなり三笠が現れて理不尽な暴行を受けたような気がする。

確か足を潰され腕を折られ鼓膜が破れて股間を蹴られて……。

思い出しただけで失神しそうになる。けれど、痛みは無いように思う。

「フッ、悪い夢をみたんだな」

悪い夢だったと安心して、大きなため息をつく。寝起きのせいか、自分の声も言葉遣いも何か違和感を感じてしまうが、気のせいだろう。そして、起きようとするが体が動かないことに気づいた。

 

「あれ? 金縛りか? 」

 

「違いますよ」

唐突に声がした。最も聞きたくない恐怖の対象でしかない声が聞こえた。

「やっと起きましたか」

視界にあの艦娘の姿が見えた時、悲鳴を発していた。

ここにあの女がいるということは、すべては夢ではなく現実であったということ。すると―――。

 

「一応、局所麻酔をしていますから、痛みは感じないでしょう? 」

 

確かに痛みは無い。けれど話すことはできるようだ。体は思うように動かないけれど、必死に自分の体がどうなっているかを確認しようとする。どうやら、場所は動かされていないようで、血溜まりの中に寝かされているようだ。

 

「……た、たすけてくれ」

怯えながらも、生殺与奪の権限を持つ艦娘に必死に懇願する。

「こ、殺さないでくれ。……それと、すぐに治療を治療を」

記憶が事実なら、自分は相当な重症だ。麻酔だけされたんじゃあだめだ。出血はだいぶ酷いと思うし、足は潰れたままなんだよ。出血多量で死ぬじゃないか。

 

三笠は、草加の側に近づくとしゃがみこむ。そして、とても不思議そうな顔をしてしばらく彼を見つめる。綺麗で、そして恐ろしい顔だ。

 

「面白い事を言いますね、助けて欲しいだなんて。自分がどんなことをしたか、覚えてないのでしょうか? 」

 

「な、何のことかさっぱり分かりません」

訴えるように叫ぶ。

三笠は、彼の右手小指を掴む。そして、小指をポキリ折った。本当に何気なく、あっさりと。邪魔な枝でも折るように、自然に。そして、草加の指は、折れたというより千切りかけたという方が正確な表現といえる。哀れにも本当に皮一枚で小指は手と繋がっている状態になってしまった。ぶらぶらと揺れている。

痛みは感じないはずなのに、全身を貫くような痛みを感じた。

 

「な、なにを……しゃれになんねえよ。なんで俺がこんな酷い目に遭わないといけないんだよ」

涙がこみ上げてくる。感情の高まりからか鼻水も出る。腹が立つが、抵抗できない自分が辛い。

 

「……この期に及んで、嘘は許しません」

何の感情も無く、告げる三笠。

「あなたが何を考え、何をしたかはすべて分かっています。薄汚い欲望を満たさんがために、何をしようとしたか。ニンゲン如きが、そしてその中でもさらに価値のない最下層存在の情欲を満たさんがための下劣で下等な行動のために、戦艦金剛は死ななければならなかった……」

彼女の言葉から、金剛が死んだという事実を知らされる。

「金剛の死、その損失を取り戻すために、どれほど私が行動をしなければならないか、あなた等には想像もつかないでしょう。私が一生懸命考えたシナリオを、あなたのような価値の無いニンゲン一人が壊してしまったのです。その罪は、計り知れなく大きい。罪を償わせるにしても、簡単に処理するわけにはいきません。いえ、私の気が収まりません」

その言葉からすると、彼女は金剛の死そのものについては何ら思うところが無いように聞こえた。金剛を使って何かをしようとしたことが、できなくなったことを怒っているように感じる。草加が言えた義理ではないけれど、金剛を殺したのはどうかんがえても三笠だろう。責任がどうとか言っているけれど、所詮、三笠の手前勝手な理屈でしかないだろう。そんなことを考えながらも、自分がとんでもないことをしてしまったことだけは認識していた。

 

どうやら、自分は確実に殺される運命らしい。死という恐怖は誰もが持つ根源的な恐怖……。しかし、三笠はそれだけでは許してくれそうもないようだ。

 

「下等生物一人の命では、金剛の命とはまるで釣り合いません。あなたのような存在を生み出した両親も、そして同じ血を引く兄弟も皆同罪です。あなたと同じように死の運命を受け入れてもらわないと。それくらいしないと、金剛の気が収まらないでしょうから」

最後の方は冗談ぽい口調で話しているけれど、決して目が笑っていない。

そして彼女の地位であれば、それは簡単になしえるということに恐怖する。

「まずはあなたに自分の罪がどれほどのものだったかを明確に理解させるように、じっくりと苦しんで死んでいってもらいます。そして、あなたの身内の方も同様に苦しみの中で死んでもらいます。楽には死なせません。そして、何故、自分達がこんな惨い目に遭わなければならないのかをしっかりと認識して死んでもらいます。自分の息子が、自分の兄弟が下劣な情欲を起こしたためにこんな目に遭っていることを知ってもらい、絶望と恥ずかしさとあなたへの憎しみの中で逝ってもらいます」

死は怖いが身内まで同罪にされて殺されるのは絶えられない。そして、自分の悪事……しかも恥ずかしい欲望による失敗が身内や知り合いに暴露されるのも嫌だ。死んでも死に切れない。もちろん、自分が死ぬのなんてゴメンだ。ここに来た時から逃げられないことは認識しているが、普通に生きていけるという補償があると信じていた。へたしなければ面白くはないが生きるに困ることはないと思っていた。第二帝都行きは出世コースだと親も兄弟も喜んでいた。いくばくかの金が彼等にも入る。なのになのに。俺のために嬲り殺されるなんて、どう謝ればいいんだろう。

 

「お願いです、許してください。親兄弟まで命を取るなんて言わないでください。せめて私だけで勘弁してください。俺はどうなっても構いませんから

スラスラと言葉が出てくるけれど、もちろん口先だけの嘘だ。こんな格好良い台詞を言えばきっと彼女なら素晴らしいと許してくれるだろう。小説の主人公なら、自己犠牲でそういうだろう。

 

「ふざけないで、本当の事を言いなさい」

立ち上がった三笠は、股間を再び蹴り上げる。彼女の靴が容赦なく股間にめり込む。何かがパンクするような音がした。僅かに生暖かいものが股間を湿らしてく感覚があるが、それが出血によるものか失禁によるものかは分からない。言えることは、おそらく、股間からは猛烈な痛みが発生しているのだろうけど、麻酔のため良く分からない。

三笠の目を見て恐怖する。そこには何の感情も無い空虚な光だけしか見えなかった。彼女は淡々と処理することしか考えていない。そこに怒りも喜びも悲しみも何も無い。そして、嘘は許されないし見破られそうだ。

「本当の事以外、話す必要はありません。これ以上無駄な時間は過ごしたくないです。麻酔が解けるのを待って、作業を続けるだけです」

 

「す、すみません。全部嘘です。親兄弟はどうなっても構いません。私だけで結構ですので、助けてください。お願いします。私以外ならどうなっても構いません。三笠様の好きなようにしてください。けれど、私だけは生かせてください。とにかくお願いします。すぐに治療してください。このままじゃ私は廃人になってしまいます」

すべて本音で本気の言葉だ。

その言葉を聞いて、彼女は頷いた。そして続いて恐ろしい言葉を言う。

 

「では、……その対価は、何ですか? 」


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