金剛は、地上へと向けて階段を上へ上へと登っていく。
時折現れる兵士達を、事前に察知している金剛は逆に待ち伏せして撃破していく。
敵の防御網は、予想とは異なり柔な上に統率が取れていないのは明らかだった。その上、金剛の対人戦闘能力を過小評価しているのだろうか、兵力を逐次投入してきている。
「そんなやり方だったら、今のワタシでも突破は……容易ネ」
上手くいけば、時間を思ったよりは取られずに目的を達せられるかもしれない。もしかすると……。そんな淡い期待を持ってしまう。
ダメだダメだ。過信は禁物。常に冷静さを保たなければいけない。物事が上手くいっている時だからこそ、より慎重にならないといけない。
障害となる兵士達の妨害を除去しながら、非常階段を利用して上へ上へと移動していく。
最初に浮かんだのはエレベータを使用しての移動だった。しかし、さすがにエレベータを利用するのは危険過ぎると考えるだけの心の余裕はあった。もちろん、本来ならエレベータを使ったほうが時間短縮できるし楽なのは分かってる。けれども動力を停止させられたら、もうどうすることもできないだろう。エレベータ内に当時込められたら、今の金剛の体では、あの分厚いエレベータの扉をぶち抜くことなんてできるはずもない。結果、閉じ込められて、催涙ガスかなんかでも送り込まれたら、それで簡単に無力化されてしまう。
急いてはダメだ。
現状、艦とのリンクが切れているものの、自分の戦闘能力は高いままであることは確認済みだ。ただ、培養槽に入れられていた際の機具取り付けによるダメージがあるのは気がかりだ。作業途中で強制終了させたためか、体の内部に蓄積された何かが体を重くしているような気がする。けれど、それはただの気のせいの……はず。だって、体はとても軽いんだから。普段とそんなに差が無いと感じているのだから。
さすがに怪我をしたら、自動修復はできないだろうけれど、今の自分はそんなの気にしていられない。とにかく、邪魔をする物は駆逐し、なんとしてもここから脱出するのだ。一刻も早く地上へと向かわなければならないのだ。そのためには少々の犠牲など気にしていられない。仮に少々怪我をしたところで、艦とのリンクが確立することさえできれば、そんな怪我すぐに回復できるのだから。
つまり、致命傷さえ負わなければ、どうということはないネ! その事にさえ注意したら、少しくらいの無理はできるはず。
そして、幸運だって自分の側にあるように思える。
金剛の阻止をすべき兵士達は、数が少ないだけでなく、指示も明確になされていないらしい。つまり、どう対処してよいか分からないらしく行動が鈍いのだ。恐らくは捕獲命令は出ているものの、無傷で確保せよといった指示状況になっているに違いない。何故なら、彼等は銃器の使用を明らかに躊躇っている。金剛が怪我をするのを恐れている。確かに、誤って致命傷を与えてしまえば、取り返しがつかないと考えて当然だろう。
もっとも、たとえ銃弾を浴びて負傷したとしても、艦とのリンクが形勢されれば、その程度の傷などすぐに回復するのだ。けれど、彼らはその事を知らないのかもしれない。
ただ、全身がじっとしていてもチクチクと痛むのは何故だろう。改二への処置中なのに、無理に培養カプセルから出たのがいけなかっただろうか? 動く度に全身に激痛が走る。その上、どういうわけか咳き込んでしまい、その度に血を吐いてしまうのだ。もしかして、内臓にまで影響が出ているの……か?
そんなことを考え、一瞬、不安になってしまうけれど、そんなことに躊躇している時間は今の自分には無い。
どのみち、ここに所にずっといたら、自分は自分で無くされてしまう未来しかない。
提督の事を忘れ、それどころか彼を憎み斃そうとする存在に書き換えられてしまう。そんなものになんて、なりたくなんてない。それは、恐怖でしか無かった。心が死ぬのと同じ事。いや、それ以上に恐ろしい。自分が死んで、体だけが残るだけだなんて、そんなのは何の意味もない。もしも、自分にはそんな未来しかないというのなら、いっそ死んだ方がマシだ。
なんとしても……ここから地上へと出る。そして、ワタシをワタシじゃ無くしようとした三笠を、そしてこの施設をこれ以上、この世界に存在させてはならない。
全てを屠る!
提督の障害となるものを全て排除してみせる。たとえ、この命と引き替えにしても、成し遂げてみせる。成すしかないのだから。
もう自分の命運は尽きている。それは覆しようのない事実。けれど、その運命を甘んじて受け入れるなんてできない。
ワタシは往生際が悪いのだ。
今、自分ができることをするのだ。たとえ不可能だとしても。いや、やりたいのだ。たとえどんなに小さな事でもいいのだ。
冷泉提督の進む道の障害を、除去することができるのならば。
……せめて、ほんの僅かでもいいから、お役に立ちたい。
けれど、それを成し遂げる可能性などゼロに等しいことも理解していた。
ここは、艦娘の本拠地。
だから、たとえ戦艦である金剛の火力を持ってしても、壊滅させる事など不可能なのは分かりきっている。もしも、ここで艦とのリンクを確立できたとしても、戦艦一隻の戦力などでは、すぐに鎮圧されてしまうだろう。
「あははは……。どうしてこんなことになっちゃったのカナ」
乾いた笑いが出てしまう。
考えるまでもなく、ここに来た時に既にすべては決まっていたのだ。あの時、あの選択をした事で、今日のこの日が来ることが決まっていたんだ。……悔やんでも悔やみきれないけれど、すでに定まった運命、未来だったのだ。
ここで三笠の人形となり冷泉提督の敵となるか、……死を選ぶか。その二択しか無かったのだ。他に選択肢などはじめから無かったのだ。
唐突に、冷泉提督の顔が浮かぶ。
会いたい。そして彼の下に帰りたい……。叶わぬ願いと分かっていても、それでも切望せずにはいられなかった。
「テートク、お願い……助けて」
けれど、もう二度と冷泉提督に会えないことは覚悟していた。そして、すでに決意している。
「弱気になったらダメ。諦めたらダメネ」
両手で頬を何度も叩き、自分に渇を入れる。
ここでこんな騒ぎを起こしてしまったからには、もう自分は無事では済まない。ここから無事に逃げおおせるなど可能性がゼロなのは分かりきっている。三笠達を敵に回して、逃れられるはずがない。そして、無事に済む方法といえば、それは三笠たちに捕らえられるしかない運命だ。
そして、それは死よりも悪い運命だ。記憶を弄られて冷泉提督と敵対する存在にされてしまうのだから。そんなの、死ぬ以上に嫌だ。
ならば、少しでも冷泉提督の障害を取り除く道を―――選ぶのだ。たとえ、冷泉提督と再会する望みがないとしても、ただ彼の役に立つことができれば、それでいい。その願いの完遂は無理とは分かっている。分かっているけれど、やるしかない。自分にはその道しか無いのだから。
「戦艦金剛の最後の戦いネ……。今度こそ大切なものを守り抜いてみせるネ」
そして―――。
警報に気づいて、三笠は現地に駆けつけていた。
時折生じる振動で、地下で爆発が発生している事は感じ取れた。右手をゆっくりと差し出し、自らの機能を稼働させる。
体と研究施設そのものがリンクし、今地下で起こっている様々な情報が入り込んでくる。そして、内部の状況が次第に明らかになる。
状況が分かった事で、三笠は全身を震わせた。
心の底から沸き立つ震え……。僅かながらも拳を握りしめたかもしれない。
ざわざわと心がさざなみだつのが感じ取れた。
側にいた護衛の兵士達が怯えるのが明確に感じ取れる。恐らく、普段彼らには見せない姿が知らず知らずの内に出てしまったのだろう。感じ取れるものだけが感じる……感覚といったものだろうか?
常に側に使える側近達は、三笠の変化にとても敏感だ。三笠は基本的に日々心を波立たせないように努めていて、意図的にしか感情を表出させないようにしている。そして表に出す感情は、常に喜びや感謝といった周りの人を喜ばせる感情だけに絞り込んでいた。
しかし、今、三笠が纏う雰囲気は、いつもとは異なるものだったのかもしれない。その変化に気付いた彼等彼女等は、その感情を三笠の「怒り」と感じとってしまったのだろう。
―――今、三笠の置かれた状況からの彼らなりの推測。それすなわち怒りだと感じてしまったのだろう。艦娘が反旗を翻し、暴れている。そして、ここの管理者である三笠は当然、怒っている。しかも、激怒しているレベル……とでも考えたのかもしれない。
その答えにたどり着き、思わず笑い声が漏れてしまう。その反応に再び怯える側近達。
「ふふふ……。ああ、ごめんなさい。そんなに怯えなくても大丈夫ですよ。私は怒ってなどいませんよ。ふむ……どちらかといえば、喜びの震えなのですから」
そう―――。
まさか金剛がこんな極端な行動に出るなんて、思ってもみなかったのだから。
まさかまさか、艦娘が一人の男を思うあまり、ここまで極端な行動に出るなんて……ね。残念ながら艦娘の気持ちをすべて慮れるほどの想像力は、この三笠には備わっていなかったようだ。呆れるとともに感心するしかない。その事実だけを見るとこれはエラー、信じがたい事実ではあるけれど、望外の出来事であったことも事実だ。艦娘の可能性が更に高まる可能性の証左である……といえるのではないだろうか?
これはこれで、是非とも新しい展開の為に、利用しないと駄目なんだろう。
いかなる事象もマイナスとは捕らえない。常に次のステージへの糧としなければならない。常々学ぶ事が大切なのだ。悲観するのではなく、あらゆる事態に希望を見いだすのだ。
「さて、どうしましょうか」
と考え込んでしまう。
いかにこの事案を効果的に利用する方法を考えねばならない。より良き結果を迎えるようにしないといけない。ここでの判断は、今後に向けてかなり重要な場面かもしれない。
三笠が思い悩んでいる間にも、金剛は防御網を次々と突破して、上へ上へと上がってきている。情報は側近から伝えられなくても、スイッチを入れた状況では頭の中に次々と入ってくるのだ。
この施設はすべて把握しているし、今どこで何が起こっているかなど、雑作もなく知ることができる。何故なら、この第二帝都東京は、三笠自身でもあるのだから。
「あなた……教えてもらえるかしら? 金剛が艦とのリンクを確立できるのは、どのくらいの深度なのかしら? 」
あえて確認のため、側近の一人に問いかける。三笠自身は分かっていてもあえて人間達に確認をするようにしている。それは、側近達を鍛えるためであり、常に緊張感を持たせるためでもある。自身が全てを知っていたとしても、そう思わせてはいけないのだ。
人間とは、順応性に長けた存在である。過酷であればそれに、楽であればそれに対応できてしまう。故に、常に手綱を強く締める必要があるのだ。……自分の側にいる人間は、常に緊張感を持った存在でなければ許せないのだから。
「は! 地上20メートルまで近づけば、場所によってはリンク確立されてしまう恐れがあります」
きまじめそうな青年が緊張気味に答える。
「ふうん、地下三階が限界値ですか。それでは、私がそこに行きましょう」
そう言うと、側近達の置き去りにして階段を下りていく。
慌てて兵士達が後を追ってくる。
現状、エレベータは停止させているから、金剛は階段を上って来るしかない。仮にエレベータが動いたところで彼女も危険を予知して使用しないだろう。
それぞれのフロアには武装兵を待機させているが、その防御網は簡単に突破されている。さすが艦娘の中でも戦闘力に長けた戦艦である。
少々の銃撃であれば、艦娘単体でもシールドを展開させて防御できる。拳銃程度では無意味だろう。そして、人間の数倍の速度で動けるため、状況によって回避し、そして攻撃を加える。第二帝都東京に到着後、彼女は人への禁忌が解除されている。ゆえに死を伴うような攻撃にも躊躇していない。人を傷つけるということに対する罪悪感よりも、想い人である提督のためになにかをなそうとする想いのほうがはるかに強いのだろう。加減をしてはいるものの、本当に邪魔をするなら躊躇なく人を屠るだろう。
もっとも、迎え撃つ兵士達も艦娘を傷つける事を恐れて、本気で攻撃をしようなどとは考えていない。彼等は艦娘一人の価値をよく知っている。しかも相手は戦艦である。その価値は艦娘の中でも最上位に位置する。迂闊に攻撃して怪我でもされたら後が大変だ、と無意識のうちに判断しているのだろう。
しかし、度重なる戦闘に限界を超えた能力を使用させつづけられているため、金剛の疲弊が酷くなっているのは間違い無い。
「改二改装中に培養槽から抜け出すような無茶をする、……なんて馬鹿な子なのかしら」
それがどれほどの無茶なのかは、三笠はよく知っている。金剛だって認識しているはずなのに。今の彼女は、普通に歩くのさえ大変な状況であるはずなのだ。それでも戦いながら、上へ上へと向かってきている。
愚かであり、しかし驚きでもある。
金剛が何を考え、何を為そうとしているかを慮り、心が躍る。
そして。
ついに地下三階で待ち構える三笠の前に現れた金剛は、血まみれの姿になっていた。その状態が戦闘による負傷で無い事はすぐに分かった。足止めに差し向けた兵士達は、ほとんど役に立たなかったようだ。……もっとも、まともな指示もあえてしなかった事にも原因があるのだろうけれど。
挑むような瞳でこちらを見る金剛を、ゆっくりと観察する。
体中のあちこちから出血している。それもかなり酷い状況だ。原因は、改装途中で無理矢理培養槽から出された事による反動なのである事は疑う余地が無い。改装作業中の艦娘は非常にもろくなる。それを保護するための培養槽であり各種機器なのである。ある程度、状態が落ち着くまでは、絶対に外へ出してはならない事は常識である。普段なら何の事もない事でも、改装作業途上の艦娘にとっては深刻な影響を受けることだってあるのだ。それはただの空気ですら、状況によっては猛毒になる事だってあるのだ。
何が彼女に影響を与えたかは不明だけれども、相当にダメージが蓄積されているのは間違い無いようだ。呼吸は荒く、息絶え絶えといった感じだ。すでに限界を超えているのは間違い無い。もはや、立っているのさえやっとのように見える。
とはいっても、……相手は艦娘。しかも戦艦である。油断はできない。実は何のダメージも受けていないのに、そういった演技をしている可能性だってあるのだから。
注意すべきは、それだけではない。あと数メートル上昇すれば、彼女と戦艦金剛とのリンクが確立されるのだ。今、ぼろぼろになっている体は、リンク確立と同時に瞬時に回復されるだろう。そして、金剛の目的はそれであることは間違いない
ほとんど改装に手を付けていないとはいえ、地上の戦艦が彼女の指揮下になるのだ。まともに戦艦の攻撃をうければ、第二帝都東京はほぼ壊滅するほどの損害を受けるだろう。
「ああ、なんてワクワクするんでしょうか! ここで一歩間違えたら、第二帝都東京そのものが壊滅するという境界点に立っているのです。これは、信じられないほど興奮してしまいますね! 」
そう言って、にこりと三笠は微笑む。
「こんな気持ちになるのは、どれくらいぶりなんでしょうか」
興奮気味に語る三笠を怯えたように取り巻きの兵士たちは見ているしかできないようだ。賛同してくれないとなんとなく寂しいものがあるなと感じる。
三笠は躊躇なく、一歩前に進んだ。
……ついに金剛と相対することとなる。