まいづる肉じゃが(仮題)   作:まいちん

189 / 255
第189話 俺は唾棄すべき存在である自分の事を認められるのか?

一体何があったのだろう……?

 

どう考えて不思議、そして不自然な展開ではあるのけれど、それに対する答えなんて出るわけがない。

 

「提督さん提督さん! これで安心ですよ。じゃあじゃあ、私の質問に答えてくれますよね! 」

ぐいぐいと鹿島が体を押し付けてくる。やわらかい彼女の感触は、理性を吹き飛ばしそうなほどの暴風だ。……これはこれで嬉しくも、しかし、厳しい状況なのだが。

 

「う、……うん。ごほん、けれど状況が状況だから、手短に頼むよ」

冷泉はさりげなく彼女との距離をとりながら承諾する。

 

少し離れた位置に移動する冷泉を少し不思議そうな顔で鹿島は見るが、すぐに笑顔に戻る。

「じゃあですねえ、まず初めに、舞鶴鎮守府に着任してどう思ったか教えてくれます? 」

 

「……そうだなあ。着任といっても、実は気がついたら病室で寝ていたんだよね」

思い返せば随分と昔の事のように感じるけれど、ほんの数ヶ月前の事なのだ。

「俺は気がついたら、ベッドの上で……どういうわけか金剛が枕元でうたた寝していて」

鹿島がどの辺まで知っているのかは良く分からない。けれど、彼女の立場からすると、おおよそのことは知っているのは間違いない。なのに何故、こんなことを聞いてくるのだろうか? 彼女の意図が良く分からないけれど、嘘をついてもばれるだろう。それが彼女の機嫌を損ねることになるかもしれないわけで……。

 

現在、鹿島という艦娘の存在が唯一の頼りであることは疑いようがない事実だ。憲兵隊に捕らえられ、尋問される立場であるのに、こんな自由が許されるのは、艦娘の彼女がいてくれるからである。ここで彼女が心変わりして、冷泉の前から立ち去りでもしたら大変なことになるだろう。もはやチャンスが無くなるといっても過言ではないだろう。恐ろしいほどに彼女の存在は大きく、そして、自分が彼女に依存しなければどうしようもないことを認識して、どういうわけか怖くなる。

 

彼女は事実を、冷泉の本心をさらけ出すことを求めているように感じる。とにかく、正直に語るしかないのだろう。

 

「ファーストコンタクトは、金剛さんだったんですか。すごーい。いきなり鎮守府一番の綺麗どころと出会っていたんですね」

 

「……いや、そうなのかな? 確かにあいつの寝顔は、お世辞抜きで凄くキュートだった。まるで人形のようで、今まで見たことがないほど綺麗だった。けれどね……あいつ、俺が目覚めた瞬間、突然興奮したように飛びついてきて、背骨をへし折られそうになったんだぞ」

あれは未だにトラウマだ。艦娘という存在すら理解していない内に、女の子とは思えないあの馬鹿力で縊り殺されそうになったんだから。

「そのまま失神してしまったんだからね。……随分と酷い目に遭ったよ」

 

「へえ、金剛さんらしいエピソードですね。彼女は自分の気持ちに一直線な人だから、周りのことをあまり見ていませんよね」

と、冷静なコメントを鹿島が言う。冷泉は頷くしかない。

「で、それでそれで」

 

「次に目が覚めたら、今度は扶桑もいたわけで」

 

「あー、そこで扶桑さんともお会いになっていたんですよね」

 

「そ、……金剛はメチャメチャフレンドリーな対応なのに、彼女は少し怯えたような瞳で俺を見ていたなあ、確か。ちょっと触っただけで過剰な反応をしてたし」

 

「あら! 提督さん、いきなりのお触りは厳禁ですよ。艦娘だって女の子なんです。出会ったばかりでエッチな事されたら、さすがにびっくりしますよ。もう! そんなの、メッ! ですよ」

と言って、面白そうにクスクスと笑う。

 

「ち、違う、違う。いくら何でもそんなスケベ親父じゃないよ、俺は。す、少なくとも人並み以上に自制心はあるんだからな。君はどんな想像をしてるんだよ? 触ったって言っても、肩に手を掛けただけなんだぞ。勘違いしないでくれよな」

そう、あの時の扶桑の過剰反応には少し驚いたな。本気で驚いていたし、拒絶しているようにも思えた。あんな反応は生まれて初めてだったな。

 

「ふふふ、分かっていますよ。提督さんがそんなことをするなんて、ちっとも思っていませんよ。……でも、まあ私ならいきなりでも、提督さんならOKかなって思いますけどね……えへへ」

冷泉の目を真っ正面に見つめながら微笑む鹿島。

 

「ぶっ! 」

その言葉に驚いて、動揺を隠せない冷泉。

 

「でも、変ですねえ。……どうして扶桑さんはそんな反応をしてしまったんでしょうね? 」

 

「うん、その時は俺にも分からなかった。そんなに嫌だったのかなって少し落ち込んだのは事実だけどね。……けれど、今なら何となく分かるよ。彼女は、何か違和感を感じていたんだ。舞鶴鎮守府司令官として現れた、俺に対してね。それは秘書艦の任に就いていた彼女の直感みたいなもんなんだったのかな」

彼女は、俺を試すような事もしたりしたしなあ。あの頃のやりとりを思い出す。目の前にある現実と、彼女の知っている事実とを比較し、その正しさを確認するような作業を続けていた。

 

「違和感……ですか? 」

 

「そう。俺は普通に舞鶴に着任したわけだけど、俺の前任である緒沢提督の事は、よく知らされていなかった。ただ、一身上の都合で異動したとしか聞いてなかったんだけどね。でも、不思議なことに、彼女達の記憶からは、緒沢提督の事は消されていたんだよ。それどころか、緒沢提督のことを俺と同一人物だと思っていたみたいなんだよなあ。彼がいた頃の思い出はすべて俺との思い出になっていたみたいなんだな。……いや、思わされていたってことだけど。ほとんどの艦娘は、それを受け入れて普通に俺に接してくれたけど、彼女だけは、……緒沢提督との繋がりがずっとずっと深いから、俺のなす事全てに違和感を感じていたんだろうね。記憶と現実のズレを感じとって、俺を得体の知れないモノとして警戒していたんだろう」

 

「それってもしかして、記憶の操作? 記憶の改竄……ですか? そんなことが行われていたっていうんですか? よく分からないですけど、そんなのできるんでしょうか。一人の艦娘にならまだ分かりますけれど、鎮守府全部の艦娘にですよ! そんな話聞いた事もありませんし、とても可能だとは思えませんよ。そもそも何の為にそんなことするんです? するとしたら、日本軍ですよね? 正直、艦娘の記憶を弄るなんてできないと思います。……とはいっても、専門家でもない私には、ちんぷんかんぷんですけどね」

と、不思議そうな表情を浮かべて首を傾げる。

本気で言っているのか嘘をついているのか。……どちらとも判断できない態度を取る鹿島だ。

戦艦三笠の下で働いていた彼女のことだ。鎮守府に派遣されている普通の艦娘よりは、遙かに機密事項に近い場所にいる。だから、いろいろな秘密さえ知っている可能性がある。本当に知らないのか……違和感を感じなくもない。

 

もっとも、そんな秘密があるのかさえ、不明なんだけれど。

 

「可能かどうかは分からないけれど、彼女達が緒沢提督の記憶を無くしていたことだけは事実だったよ。その原因については、謎のままだけれどね。まあ、いろいろあったけれど、俺が彼女に全てを話した事で、誤解はどうやらは解けたみたいだった。俺を信じてくれたんだ。俺が話した突拍子もない事を、受け入れてくれたんだよな。彼女は俺に対する警戒を解いてくれ、それどころか逆に俺の身を案じてくれたんだ。いろいろとアドバイスをしてくれた。実際、彼女が俺を信じてくれなかったら、果たしてその後どうなっていたかは分からん。それほど彼女の助力は大きかったんだよ」

 

「つまり、扶桑さんを味方にできた事で、提督さんは舞鶴鎮守府でやっていける自信を持つことができたんですね」

 

「確かにそういうことになるかな。あそこで扶桑が俺の事を信頼してくれなかったら、すべてが終わりだったかもしれないなあ。扶桑は鎮守府の秘書艦であったから、他の艦娘達にも影響力があった。そんな彼女が俺を後押ししてくれた事で、俺は自信を持つことができたし、彼女の支えがあったから、鎮守府の運営がやりやすくなったのは間違いない」

 

「そうなんですね、良かったですね。さすが扶桑さんです。冷静に公平にすべてを見ているんですね。けれど、それも提督さんの真摯さが一番の原因だと思うんだけどなあ」

 

「はは、うまいな。扶桑が俺を信じてくれた……その点だけは良かったと思う。でも一難去ってまた一難だったよ。彼女はいろいろ教えてくれた。鎮守府全体の状況を知ればるほど、自分の置かれた状態の深刻さが分かってきて、頭が痛くなったんだよ」

 

「何がそんなに大変な状態だったんです? だって舞鶴鎮守府といえば、横須賀に並ぶ大鎮守府じゃないですか。少しくらいの問題なら、なんとかなる人材と組織と財力があるんじゃないですか」

 

冷泉は何度も首を振って否定する。

「驚くほどに深刻な経済状況であることが判明するまで、それほどかからなかった。前任の提督は、何をやっていたんだって呆れるくらいにね。判明している事実だけを見れば、無能かつ貪欲な提督としか思えないくらいの腐敗具合だった。鎮守府の資材は横流しをする、ろくに出撃はしないから戦果は上がっていない。上が駄目だとそれは下にまで波及する。だから、鎮守府の兵士達の士気・モラルまで低下していたんだよ。俺は緒沢提督を本気で怨んだよ。……けれど、後から知ったんだけど、実際には緒沢提督は、軍の陰謀によって誅殺されていた。そこで考えを改めたよ。だって殺されたってことは、何か知ってはならないことを知ってしまったと考えるのが妥当だろ? 組織にとって邪魔だと判断されたから、消されたんだ。ということは、今現在、事実として伝えられている事がどれだけ信憑性が高いかなんて知れたもんじゃない。誅殺の正当性を高めるために、彼以外の人物の悪事を擦り付けられたり、わざと悪評を流されたのかもしれないからね。やれやれ、死人に口なし……どこの国でも組織でも同じ愚行を繰り返すわけだよ。しかし、ここの場合は、より悪意が強いからタチが悪い。軍隊という組織の悪い部分が極端に出てしまっている」

 

「提督さんは、逃げちゃいたいって思いませんでした? 」

驚く鹿島は、あっさりと解決策を言ってくる。

 

「ああ、そうだね。もちろん逃げたかったね。だって、俺は軍経験なんて無かったんだからね。ずぶの素人に一体何をやれって言うんだよ。戦果が上がっていない? 領域解放しなければ、資材供給を凍結? 何のことだよそれって感じ。……だけど、扶桑たちに約束してしまったからね。逃げ道は無かった。……いや、逃げ道は無かった訳じゃ無いね。しっぽ撒いて放り出して逃げれば、少なくとも現状からは逃げ出せただろう。けれど、俺のいなくなった後には別の人間が送り込まれるだろう。そうなると、後任はどんなことをするだろうか。戦果を上げるために無理な出撃を繰り返すかも知れない。それだけじゃない。噂では聞いていたけど、部下の艦娘に手を出す司令官がいると聞いていた。好き同士なら構わないけれど、そうじゃないかもしれない。そんなことを思ったら、とても逃げ出すことなんてできないじゃないか。俺は、艦娘のみんなを護ると約束したし、守りたいって本気で思っていたからね」

事実を知ってもかかわりが無ければ、鹿島の言うように放り出して逃げただろう。けれど、冷泉は艦娘と知り合ってしまった。鎮守府の兵士たちと繋がりを持ってしまっていた。そうなってしまったら、見捨てることなんてできやしない。

 

「うふふ。やっぱり、優しいですね提督さんは」

 

「けれど、はたしてそうと言えるかな。結果が伴わなければ、いくらその思いが正しくても強くても、ただ傷つけるだけでしかないかもしれないんだよな。けど、希望はあった。艦娘のみんなが俺を頼ってくれたからね。彼女達の期待を感じるだけで、がんばることができた……と思う」

 

「すごいすごいです! 凄いですよ、提督さんは。もっともっと話してください。艦娘と提督さんの出来事を知りたいです」

と興奮気味に鹿島が促す。

「提督さんは、本当にみんなにお優しいですね、ふふふふ。じゃあじゃあ、教えてくれませんか? たくさんいる艦娘の事をどう思っていましたか? それぞれの艦娘に対する気持ちが知りたいです。凄く興味があります。聞いてもいいですよね? ……舞鶴鎮守府の艦娘といえば、扶桑さん、金剛さん、それから高雄さんに羽黒さんですかね」

有無を言わさない口調になってくる。質問攻めだ。

 

ぐいぐいと踏み込んでくる鹿島にたじろぎながらも、冷泉は思い返すように答える。

「扶桑と金剛……戦艦の二人は、それぞれ性格は本当に違うし綺麗系と可愛い系だよなあ。あの二人は何か姉妹みたいな雰囲気があったな、そういえば。重巡洋艦の高雄は何が気に入ったのか分からないけど、凄く俺を頼ってくれたし、心配をしてくれた。それから、羽黒は話していて、とてもゾクゾクする子だった。見ているだけで放っておけない……何かをしてあげたくなる子だったね。どちらかというと、嗜虐心を刺激してしまうタイプの子だった。うん、何回か泣かせてしまったけど。……うん、二人とも俺を信頼してくれていたな」

 

「それから、軽巡洋艦でいうと神通さんと大井さんですね」

 

「神通は、健気で可憐で、本当にすっごい俺を信頼してくれていて、彼女の俺に向ける信頼で少し怖くなるくらいだ。がんばりすぎな部分が多かったね。それから大井は、うん、まあそんな感じ。なんかちょっとあれだな。可愛い子なんだけど、捻くれていたというか、少し素直じゃない部分が多かったな……はははは」

 

「空母が祥鳳さん」

 

「あいつは、鎮守府唯一の空母だった。戦闘においても非常に重要な子だったよ。彼女は、自分が軽空母だということにコンプレックスを持っていたみたいだけどな。唯一の航空戦力であることから、いつも追い詰められたような表情をしていたから、心配だった。もっと自信を持って欲しかったから、いろいろアドバイスしたつもりだ。……根が真面目なんだろうな。けど、俺によく懐いてくれたんだよ。触っても怒らないし」

 

「駆逐艦でいうと、島風、叢雲、不知火、初風、村雨、漣……」

 

「それぞれ個性の強い連中だったな。ちっちゃいくせにみんな偉そうで、そしてみんな可愛かったなあ。個性の強い連中ばかりだから、扱いが大変だったけどね。あいつらがいたから、鎮守府はいつも賑やかだったよ」

鹿島の質問に答えているうちに、いろいろなことが思い出される。艦娘たちとの日常が、昨日の事のように思い出されるのだ。

いつしか、冷泉は遠くを見るように彼女たちとの思い出を語っている。

 

語り続ける冷泉を、黙って聞いていた鹿島が口を開く。

「そんな子達を指揮して、戦って来たんですね」

 

「……そうだよ。いろいろと軍部からの嫌がらせを受けたりしながらも、戦果を上げ資金と資材を確保するために必死だったよ。俺なりに必死でがんばっていたつもりだ。……執務室の奥の小部屋を寝室にして、ずっとあのフロアに住んでいたもんな。……今更だけど、本当は専用の宿舎があったんだけど、ずっと知らなかったもんな。わりと豪華な宿舎だったんだけど、結局、数日しか滞在できなかった」

 

「提督さんは、何の為に一番がんばったんですか? 」

 

「もちろん、艦娘、あいつらを守る為だよ。俺の下では、誰一人死なせない。本当なら戦わないのがベストなんだけれど、戦果を上げなければ鎮守府に資金や資材、新たな艦娘を呼ぶことはできない。だから、出撃はしなければならない。だから、絶対に負けない戦いを心がけなきゃならなかった。戦争なんて映画とかでしか知らない俺が、艦隊指揮を執らないといけないなんて、なんて悪夢なんだよね。もっとも、指揮されるほうにとっては、もっともっと悪夢だろうけど。素人に艦隊戦の指揮をされるなんて本当に最悪だろうな」

 

「けれど、みんなはついて来てくれた……ですよね」

 

「そうなんだよ。だから俺はもっともっと必死になった。彼女達の期待に応え、そして彼女達を護ろうとね。今思うと、それがいけなかったのかもしれない。……必死になりすぎて、余裕が無くなっていた。周りを見ていなかった。いや、見えていなかった。冷静さを欠いていた。余裕がなかった、無さ過ぎた。だから、足元を掬われることになってしまった」

過去を思い返し、声が小さくなってしまう。

 

「それは、どういうことです? 提督さんはみんなのために一生懸命働いていたんですよね? なのになんでそんな事をいうんですか」

 

「余裕が無い俺は、誰かに攻撃されると過剰反応をしてしまった。虚勢を張っていたんだ。言い負かされたら負けだとね。常に何かに追われ、余裕の無い日々だったからな。……特に艦娘の話題を出されたら、もう駄目だった。正論ばかりを言うだけでは、話がまとまるわけもない。売り言葉に買い言葉。安っぽい挑発にひょいひょいと乗って喧嘩をふっかけ、どんどんと自分の評価を下げていったんだよ。そして、作る必要もない敵を作っていった。ある程度で相手にも逃げ道を用意してあげて、適当なところで折り合いを付けて、巧くやっていたら……もう少し、まともな状態になっていたと思うだよ。けれど、俺にはそれができなかった。そういった事の積み重ねが、より深刻な事態を生み出していったんだよな。意地になっていたのかもしれない。まったくもって浅はかな男だと思う。自身の評価を落とすってことは、俺の指揮下にある舞鶴の評価も落とすってことにさえ、考えが及ばないんだから。……なんだかんだいっても、所詮、俺は軍の事に関しては、ただのド素人だ。もしも、俺が軍隊経験のある人間だったら、軍がどんなところか精通していたなら……もっと巧くやり過ごす事ができただろうし、コネもあったから助言してくれる人もいたんだろう。けれど、俺は完全なアウトローだった。軍だけではなく、世界からも。そして、前任者との引継ぎがうまくできていなかったこともあるから、鎮守府内を掌握することもできていなかった。だから、様々なきしみ、行き違い、間違いが頻発していたんだ。鎮守府指令官であれば、それを察知して速やかに修正すべきなんだろうけれどね。全然できていなかった。そんなスキルなんてあるわけないから」

 

「悪い事は重なりますね……そんな時に、加賀さんがやって来た? 」

いきなりそんな事を言われ、冷泉は言葉を失う。今まで考えないようにしていたことを、言われてしまったからだ。

 

確かに、それまでも随分と酷い状態だったけれど、結果だけを見たら加賀と出会って状況はさらに酷くなったのは事実だ。

 

艦娘はみんな守ってみせる……。その強い思い、強迫観念に近いそれに突き動かされ、冷泉は無理に無理を重ねていた。

 

そんな時に彼女と出会ってしまった。

 

今まで出会った艦娘とはまるで異なり、一身に不幸な運命を背負った哀れな空母。そして、運命を受け入れて、死に場所を求めた空母に、冷泉は必死になって手を差し伸べた。自らの命さえいとわずに彼女を救おうとした。それは事実だ。

手を差し伸べないなんて選択肢なんてありえなかった。どんな犠牲を払ってでも、彼女を救いたいと心から思っていた。

それは冷泉の意思であり、義務であり、目を逸らすことのできないことだったからだ。

 

「加賀さんが来た事で、鎮守府だけでなく艦娘の間にもあった問題が表面化してきましたよね? 」

 

「あいつは意固地な奴だったからな。誰も受け入れない雰囲気を出しまくってたからなあ。他の艦娘達が気を遣いすぎて大変だったのは事実だよ。まあ、いろいろあった俺があいつを救おうとした事に、一切の後悔は無いよ。加賀を救い出す事ができたんだから」

いろいろあったけれど、みんな無事だったのだ。結果がすべて。問題なんてない。

 

「えっと、きついこと言っちゃいますね。……提督さんは、相手が加賀さんだったから無茶をしたんじゃないですか? 」

 

「な! ……そんな事は無い。あるわけ無いだろう! 誰であっても、俺は同じ事をした。あんなに辛そうな顔をして、辛い思いをして、死に場所を求めている艦娘を放っておくなんてできるはずがない。ただそれだけで俺は動いていたんだよ。それ以外の感情なんて入り込む余地なんて無かった」

 

「提督さんは、優しいですね」

 

「俺は、ただ、みんなを護りたいだけなんだ……」

 

「提督さんの考えは素晴らしいと思います。提督さんの気持ちは嘘偽りの無い本当の気持ちだったんでしょうね。けれど、提督さんが必死になって加賀さんを助けようとしていた時に、他の艦娘たちの事はどう思っていたんでしょう」

 

「え? 」

 

「提督さんは、加賀さんを助けようと特別扱いをしていませんでしたか? 」

 

「いや、だって彼女はこれ以上生きていたくないって俺を拒絶した。自ら死を選ぼうとしている艦娘を放置なんてしていられないだろう? それが特別扱いになるのも仕方がないよ」

 

「提督さんは、自分が死にかかっても躊躇しませんでした。加賀さんを助けだす代償に、全身麻痺になってしまった事を気にもとめませんでしたよね。他の人は加賀さんを責めたりしましたけど、むしろ彼女を庇おうとさえしました」

 

「当然だろ? 俺が助けたくて助けたんだから。その代償であんな事になったって、全部俺の責任だからな。加賀は何一つ悪くない。それに加賀だったからじゃなくて、誰であろうとも同じ事をしたよ」

 

「そうかもしれません。きっとそうだと思います。けれど」

 

「……けれど、何だっていうんだ」

 

「提督さんが長期間死の淵を彷徨った事、そして結果としてあんな体になった事で、艦娘たちの心に大きな動揺をもたらしたのは事実です。いろいろと考えてしまうことになったのは間違いありませんよね。加賀さんの為にあれほど必死になった提督さんの姿は、みなさんに大きな感動を与えると同時に、彼女達の心を大きく揺さぶり、結果、何か引っかかりを、しこりを、棘を残すことになったんだと思います。それまで気にもしていなかった事も見えてきてしまったのかもしれません。そして、偶然だとは思いますが丁度その辺りから、鎮守府内に異変が起こっていたのですから」

 

「君の言う事が理解できない」

まるですべてを見てきたかのような艦娘の言い振りに戸惑う冷泉。

 

「提督さんは、艦娘みんなを護りたいって言ってましたよね。確かにそうだと思います。けれど、その思いはみんなに等しく伝わってはいなかったのかもしれません」

 

「そ、それは、どういうことなのかな」

 

「艦娘はいつも提督を信頼し、その背中を見ています。彼女達は等しく扱って欲しいと考えています。もちろん、艦種によって重要度が異なりますから、それは理解しての事だと思います。これまでのお話や私が知り得た情報によると、確かに舞鶴鎮守府の置かれた状況や提督さんがいきなり着任させられたという特殊事情もあって、イレギュラーな対応を取らざるを得なかったとはいえ、アンバランスな部分が多かったと思うんです。提督さんは今を生きることで必死だったのは間違いないでしょう。みんなを救いたいとがんばっていたのも事実でしょう。一生懸命、みんなを守ろうとしていたでしょう。けれど、提督さんの体は一つしかありません。どうがんばったって、艦娘みんなに等しく対応するなんてどだい無理な話なんです。しかも、加賀さんの事のようなあまりにも大きな問題が起こってしまったら、それはより一層顕著になるのは仕方無いです。……そんな時に、艦娘と提督さんの間に生じていた僅かな亀裂を押し広げようとした勢力が、鎮守府に入り込んできたんですよね」

鹿島が何を言おうとしたのか、すぐに分かった。

 

ちょうどあの頃に、永末という男が舞鶴鎮守府に出入りを始めたということが確認されている。かつて舞鶴鎮守府に所属し、緒沢提督の腹心だった男。

 

冷泉が加賀の事ばかりに気を取られていた頃、その間隙を縫うようにして、あの男はぬけぬけと舞鶴鎮守府内を好き勝手に闊歩し、扶桑に接触していたのだ。

 

そして、扶桑を謀ったのだ!!

 

訪れた結末を思い出し、冷泉の心は激しく揺れ動く。

取り返しのつかない結果を生じさせてしまった後悔。そして、憤怒。

 

すべては永末という男と、彼に協力していた背後の組織が原因なのは分かっている。けれど、冷泉がもし、あの時に気づくことができたのなら、そして、行動することができたのなら訪れた最悪の結末を回避できたのではないか? その後悔が蘇る。

 

―――そして、汚泥のように心の奥底に沈殿し、浄化されることのない怒り、絶望、呪詛の念。目を逸らし続けていたどす黒く唾棄すべき感情が溢れ出す。漂う腐敗臭に吐きそうになり、増殖をやめないその黒く暗い感情に押しつぶされそうになるのだった。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。