まいづる肉じゃが(仮題)   作:まいちん

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第187話 想い

鹿島が現れてからは、状況がまるで変わってしまった―――。

 

憲兵達の態度がまさにその最たるものだった。

さすがに取り調べをしないなんてことにはならなかったけれど、実に紳士的に冷泉に対応することになった。冷泉を捕らえた憲兵のような、人を人と思わないサディスト野郎は、一人もいなかった。暴力を振るうことなど全く無く、それどころか取調中に声を荒げることさえなかった。

 

事実確認を淡々と進めるだけで、これでは冷泉がしらを切り通せば終わってしまうのでないか? と思うほどの拍子抜けするようなものに変わってしまっていた。もっとも、それについては、艦娘鹿島の影響が大きいのだと思う。彼女は、案娘という圧倒的な組織の力を最大限に利用して、憲兵隊と交渉したようだ。それは、交渉というよりは脅迫に近かったけれど……。横で聞いていたわけではあるけれど、あんなに可愛いのに言う事は、かなりシビアな要求ばかりなのだから。

 

取り調べ自体も連続では90分以上は行わず、必ず15分以上の休憩を挟む。朝は10時から12時まで。午後は13時から15時まで。夜は一切干渉せず、食事についても憲兵達が食べるものと同じ物を、毎日入浴をさせること、睡眠は7時間は取らせること、嗜好品の要求があれば可能な限り応じること、さらには常に医師を常駐させる事などを認めさせた。居住場所も牢屋のような部屋ではなく、高級ではないもののきちんとしたホテルの一室……もちろん個室だ、へと引っ越しとなった。

 

憲兵隊の兵士達がプルプル震えて怒りを抑えているというのに、涼しい表情で彼等に誠意のこもったお礼を言っているのだから、本当に凄い子だ。

 

兵士達は、一時も鹿島から目を離そうとしない。

それは、美しく可憐な艦娘に好色な視線を向けているという類いものではない。どちらかといえば目を逸らしたら何をされるか分からない恐怖で警戒しているのだった。まるで猛獣と同室にいるかのような緊張感だ。彼女が少し動くだけで、びくりとしているのが分かる。決して彼女に背中を向けるような真似はしないのだ。

 

彼女のおかげで、冷泉は鎮守府での生活や前の世界での生活とは比べられないほどの緩やかな時間を得ることができた。

置かれた状況は何一つ変わっていないものの、穏やかな時間が流れる事で、心が僅かではあるけれど軽くなるのを感じていた。久しぶりに読書なんてものもできる余裕ができたのだから。

 

医師チームがやって来て、負傷した冷泉の治療を懸命に行ってくれている。そのお陰で、冷泉の怪我は驚くほどの速度で回復していく。医師達も衝撃を受けるほどの治癒力を見せることとなった。

拷問により骨が何本も折られ、まるでグローブのように腫れていた両手も完全に腫れは引き、今では普通に動かせることができるようになった。腫れ上がって傷だらけだった体のあちこちも、どこが怪我をしていたかわからないくらいにまで治っている。剥がされた爪も何事も無かったように普通に生えてきた。。ザクロのように無残に腫れ上がっていた顔も、傷一つ無い回復をしている。殴られた時に折れた歯や抜かれたはずの歯も元に戻っている。

 

これは、回復なんて言うレベルでは無く、奇跡に近い治癒である。もはや人間というカテゴリーから外れてしまっているのではないかと思われるくらいに。

確かに、この世界に来てから、確かに異常なほどの回復力を持っているなと思っていたが、それがさらに強力になっているように思える。三笠に施術されたことも影響しているのかもしれないけれど。

 

これについては、鹿島も驚いていた。

「提督さん、凄いです。あんなに酷い怪我をしていたのに、こんなに綺麗に治っちゃって……」

そうそう、いつの間にか彼女は冷泉のことを「提督さん」と呼ぶようになっている。距離感も出会った当所よりもずいぶんと近いものになっている。

 

「それに……」

何故か恥ずかしそうに言葉を詰まらす。

 

「ん? どうかしたの」

と問うと、

「初めてお会いした時は、提督さんのお顔は、おっきなタコ焼きみたいにぱんぱんに腫れていたんですけど、今は腫れも引いて本来のお顔に戻ってるんですよね。すごく……今の提督さんのお顔、すごく素敵で……格好いいと思います」

と、はにかみながら答える。

 

ははは―――。

 

お世辞か何かのつもりなのだろうけれど、鹿島のような可愛い女の子に面と向かって真顔で言われると、照れてしまうけれど、とても嬉しい。タコ焼きの件は聞かなかった事にする。

なんて言っていいかよく分からないから、

「鹿島は、お世辞がうまいなあ」

とだけ返すしかできない。

 

「えー、そんなつもりじゃないです。本当の事ですよ」

そう言って笑うと、彼女はじゃれるようにして体をくっつけてくる。……まるでネコみたいだ。髪の毛が頬をくすぐり、何だか良い香りが漂ってきて……恐らくにやけている自分を感じる。

 

「ごほんごほん」

わざとらしい咳払いが聞こえる。

そうそう、憲兵が取り調べのために呼びに来ていたのだ。

「冷泉提督、そろそろよろしいでしょうか」

 

「ああ、すまないね。もうこんな時間か……」

取り調べが始まる訳で、鹿島は取り調べには同席しない。さすがにそこまでは憲兵隊としても認められないのだろう。ただし、もし暴力的取り調べが行われた場合は、艦娘としてそれ相応の対応をすることになるので注意してくださいね……と釘を刺すのも忘れない艦娘である。

 

冷泉の推測でしかないけれど、冷泉を助けた吹雪の力を見た憲兵隊は、一つ間違えたら明日は我が身という恐れが潜在意識に染み込まされているのだろう。

艦娘という圧倒的な力を持つ勢力による憲兵隊への圧力というものが本当は恐ろしいのだけれど、現実には、すぐ目の前にいる艦娘の暴走という恐怖の方が、現場の彼等にとっては驚異なのだろう。彼らは惨状を見ているのだから。誰しも、あんなに無残に殺されたくない。

なので、あっという間に形式的な取り調べが終わるのであった。

 

しかし、取り調べばかりうけている場合ではない。冷泉にとっては、それは目的ではない。居たくもないのに連れてこられているだけなのだから。さっさと軍法会議を終わらせ、自らの無実を軍に認めさせ、少しでも早く舞鶴に帰らないといけないのだ。

そのことは取調中もしつこいくらいに伝えている。けれど、軍法会議の日程は末端の兵士では決められるわけでもなく、そして、冷泉を排除したがる勢力とそれに反対する勢力? との綱引きのせいか、なかなか決まらないでいるらしい。

鹿島からその話を聞いて、艦娘サイドからも軍法会議を早めるようにできないか聞いてもらえないかとお願いをしてみた。けれど彼女は「そうですねえ」と何故か歯切れの悪い返事を繰り返すだけで、動いてくれるようには見えない。

人間には極力干渉はしないという、基本ルールが彼女達にはあるらしい。それをしてしまえば物事は簡単かもしれないけれど、歯止めが効かなくなることを警戒しているのだそうだ。艦娘は人間を支配する存在ではなく、共存していく関係なのだからだそうだ。支配は反感を呼び、新たな戦いの火種となる。人類を救おうとして人類と戦争になったら、何の為にこれまでやってきたか分からなくなる。

そうは言いながら、冷泉の件については思い切り干渉してきているのだけれど。それを鹿島に聞いたら「それはそれ、これはこれ」ということらしい。

 

「提督さんは、いつも一生懸命がんばってます。なのにその努力が認められていません。それどころか、批判を受けてこんな場所に囚われてしまっています。こんな事って理不尽ですし、酷いと思います。本当にがんばっている人が認められないなんて信じられないです。私達は世界のバランスを保つ役割も持ってるんです。だから、提督さんに肩入れするのも当然の事であって、権利であって義務なんです。提督さんはみんなに嫉妬されて、足を引っ張られているんです。影で批判して邪魔をするなんて卑怯です。だからだから、私達は少しでも提督さんのお役に立ちたいわけなんです。私なんかでは大したお役には立てないかもしれませんけれど、一生懸命応援しますから負けないでください」

 

「そ……そうか。ありがとう」

一途な瞳で見つめられたら、ぐっとくるものがある。これほど全肯定されてしまうと、とても元気が出てくるわけで。もっともっと言葉を尽くして彼女に感謝したいけれど、ボキャブラリーが絶望的に不足している。ただ、応援されて嬉しくないわけはない。こんな先の見えない状況下であろうとも、腐らずがんばろうって思えてしまう。

そうなのだ。とにかく、今は何としてもこの状況から抜け出し、合法的に舞鶴鎮守府に戻らなければならない。諦めたり絶望していたりする場合ではない。

 

「でも、提督さん」

声のする方を見ると、ごくごく近くに鹿島の顔があって驚いてしまう。彼女は冷泉を見上げるような状態で話しかけてくる。ちょっと近すぎでドギマギしてしまう。距離を取ろうとするが、それに併せるように体をくっつけるようにして彼女も動く。壁まで追い詰められて、冷泉は逃れるのを諦める。

鹿島はニコリと微笑み、そして、少し真面目そうな表情になる。

「焦ったら駄目ですよ。今の状況は提督さんには我慢できないかもしれないですけど、一時の感情に囚われちゃ駄目です。ここで憲兵さんたちと喧嘩したって、何の徳にもならないですからね」

念を押すかのように、鹿島が言う。

かつてこれまで、何度、無意味に感情のままに短気を起こして問題を悪化させた事だろう。鹿島の言葉はそれを指しているのがすぐに理解できた。

短気は損気。よく言ったものだとそのたび事に反省してはいたけれど、どうしても我慢できないことが多すぎた。そして、さらに大きな問題に巻き込まれ、結局、損をしているのだった。

 

「提督さんがいつも正しいのは、色々聞いていて私だって知っています。提督さんが怒るのは当然ですもの。みんなぶっ飛ばされたって問題ないです。だって、あの人達のほうが絶対に悪いんですもの。私が提督さんの側に居たら、先に手を出していたかもです」

本気で何かに怒ったような顔をする鹿島。

 

「君まで怒ってくれるのか」

どこまでも本気か分からないけれど、自分の気持ちを理解してくれる……理解してくれようとしている人がいることは嬉しい。

 

「当然ですよ。舞鶴の艦娘たちは、みんな幸せだと思います。冗談抜きで、うらやましいです。こんなに艦娘の事を思ってくれる司令官の下で働けるんですから。こんなにすばらしい人と一緒に働けるんですから」

腕をぐいと組んで体を密着してくる鹿島。無意識の行動だと分かっているのに鼓動が高まる。

鹿島は再び真剣な顔になって冷泉を見つめる。

「提督さん、舞鶴鎮守府に戻りたいですか? 」

 

「もちろんだよ」

 

「あんなに酷い目に遭ったのに、あんなに辛い思いばかりしか無かったのに、帰りたいのですか? 」

何かを再確認するかのような問いかけだ。

 

「ああ。確かに酷い目に遭ったよなあ。何度も死にかけにもなったし、軍部の連中に精神的にもネチネチと責められて嫌がらせをされた。そして、多くの仲間を、大切なモノ失った。大切なモノを手放さなければならなかった。何よりも、大切なモノを守ってやれなかった……。思い出せば辛い事ばかり……。自分の無力さを思い知らされて、後悔ばかりだ……な」

異世界よりこの世界にやって来てから僅かな時間ではあったのにあまりにも多くの事が起こった。そして、後悔ばかりが残る時間だった。

「だけど、ここで投げ出すことなんて、できないんだよな。逃げ出すのは簡単だ。けれど、できない。……いや、したくない。俺のせいで犠牲になった人達にこのままじゃ顔向けできないしな。……この先、どんなに辛い事があったって……これまで以上に辛い事悲しい事どうしようもできない事がたくさんあるかもしれない。いや、恐らくあるんだろう。だけど、まだ俺を信じて待っていてくれる仲間がいるんだ。こんなつまらない、何の能力も経験も無い奴を司令官として認めて待ってくれている人達が。彼等は俺にチャンスを与えてくれている。もう一度やり直すチャンスを。だから、俺が先に諦める訳にはいかない。辛くて悲しくて嫌で仕方無くても、逃げ出したいよ。けれど、それ以上にみんなを守りたいんだ。まだ俺にはそれができると信じているから。信じてくれている者がいてくれるから」

偽らざる想いだった。この想いが叶うかどうかわからない。強い思いがあったところで、全てが上手くいくかは分からない。けれど、何かを為す前から諦める事はできない。いや、したくない。

「諦めるのは、本当に簡単なんだよね。諦める事は、いつでもできる。……けれど、今はその時じゃない。何かを為す前から結果を想像して、無理だって諦めるなんて事、もうしたくない。やる前から無理な事なんて、無いんだ。その判断を下すのは、今の自分じゃない。何かをやりとげた自分じゃなきゃ、結果は分からないんだから。昔の俺なら言えない言葉だったけど、今なら言える。心から言えるんだ」

 

経験に基づいた自信なんてものは、今の冷泉には無い。

自分一人なら、きっと諦めていただろう。昔の自分のように。

けれど、今は違う。自分を信じてくれる者がいる。自分を頼ってくれる者がいる。自分に期待してくれる者がいる。がんばれと励まし応援してくれる者がいるんだから。

だから、簡単には諦めない。諦められない。

 

「さすがです! 」

いきなり鹿島に抱きつかれる。そして、彼女は顔をスリスリと擦りつけてくる。

「さすが、提督さんですね! 」

どういうわけか、興奮気味に話す。

「きっと提督さんなら、そう仰ると思っていました。素敵です。……はい、私、決めました! こんな私ですけれど、提督さんの為にできる限りのことはしますね。大丈夫、この状況はきっと解決するはずです。私なんかにどこまでできるかは分かりませんけれど、がんばります。ですから、提督さんも遠慮しないで何でも言ってくださいね」

 

「お、……おう」

鹿島の柔らかい感触を感じながら、なんとかそう言うのが精一杯の冷泉だった。

 

彼女から真っ直ぐな好意を向けられる。彼女は、冷泉の良いところも悪いところもすべてを肯定してくれる。それは、これまで感じたことのない感覚で、とても温かく心地よく……安らぎさえも感じる。

 

こんなところで、こんなことを考えている場合では無いのだけれど……それでも少しくらいなら、もう少しくらいならこの心地よさを感じていたって良いだろう? 

 

冷泉は、誰に言うでもなく、言い訳をするのだった。

 


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