まいづる肉じゃが(仮題)   作:まいちん

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第8章 藻掻く者たち
第162話 歓喜と失意のうちに


「凄い! 凄いぞ! ヒューッ!……何という事だよ、これは全くなんてこったい」

思わず声を上げて、感情を吐露してしまう永末だった。

 

舞鶴鎮守府を出立してまもなく、扶桑の中に封印されていた指令が解放されたのだ。

それは、彼女によると、前舞鶴鎮守府指令官の緒沢提督によって作られたものだという。来るべき時が来たら、この命令に記された経路及び方策により、緒沢提督によって準備された「約束の地」へと艦娘達は向かう事になっていたとのことだ。

 

その経路は、想像を絶する実に恐ろしいものだった。領域に近づくことさえ禁忌であるというのに、あろうことか領域の中へと侵入していった時は、本当に悲鳴を上げてしまい、恥ずかしさで赤面してしまった。

それでも、軍のレーダー探知網を抜けるためとはいえ、あまりにも無謀としか思えなかった。

 

領域は、深海棲艦の支配領域であり連中の巣窟。そして、人間のありとあらゆる物理的常識が否定される空間。

ほとんどの電子機器が使用不可能となり、昭和初期レベルの機械しか稼働させられない状態で艦隊戦を強いられるのだ。外的の侵入を探知されれば、即、深海棲艦が迎撃にやってくるという恐怖でガタガタと震える自分を制御するのが大変だった。

 

しかし、不思議なことに領域に侵入して数時間たっても、敵影が見えることが無かった。赤黒い不気味な空に覆われた空間は、ずっと凪状態で空気感だけが不気味ではあったが、平和な時間が過ぎ去るだけだった。

そして、何事も無いまま、領域を抜けることとなったのだ。

 

どういう理由で深海棲艦が偵察にさえ来なかったのか。そして、まるでそれを知っていたかのようなルート設定は何故なのか。いろんな疑問が永末の心の中でわき起こるが、扶桑にまもなく目的地ですと告げられた時、それはどうでもよくなってしまっていた。

 

【日キ-第27採掘基地】

 

永末達の眼前に、巨大な浮き船のようなものが現れたのだ。

扶桑曰く、それが目的地だという。

 

そこは、領域解放した海域に設置される資源採掘施設であった。

 

深海棲艦との戦いに勝利し解放すると、その海域にはそれまで確認されていなかった地下資源が大量に採掘できるようになるなるのだ。これら資源は、領域に取り込まれ鎖国状態となった日本国民の生活にとって非常に貴重なものであり、その資源を獲得するために大量の工作船団が編成され、基地を建設していたのだ。

 

建設時には多くの人が動員されるし、基地となった後には採掘した地下資源を運ぶ輸送船、護衛の為の艦娘等が頻繁に出入りするようになるし、基地自体にも採掘作業に従事する多くの人が住むことになる。

さらにはそれに付随して、多くの人々が働きにやってくる。このため、一つの町なみの施設が造られ多くの人が賑やかに居住することになるのだ。

 

しかし、地下資源も無限ではない。やがて掘り尽くした基地は、その地理的条件によって運命が変わってくる。

陸地に近かったり、重要航路上にある基地であれば継続利用されることになるが、陸地から遠く離れた不便な場所は利用価値が無くなり、やがてうち捨てられることとなるのだ。

 

今回、永末達がたどり着いた採掘基地は、陸地からはずいぶんと遠い距離にあり、航路からも大きくそれている。それどころか、領域に近接した施設は艦娘を常駐させないと危なくて住めない等の理由から、放置されてずいぶんと時間が経過している施設であった。

 

遠目に見た施設は、サイズからしてとても大きく立派なものだ。大型クレーンや燃料タンク、通信アンテナのようなものといった港湾施設だけでなく、居住施設らしき建築物群も存在が確認できる。

 

しかし、近づくに連れてその詳細が判明してくるにつれ、永末のテンションが次第に下がっていく。

長年の風雨にさらされて薄汚れたうえに、あちこちで倒壊している建物もあり、それ以外でも壊れているところが多く存在するように見える。

 

どう考えても、人が住まなくなってから相当の期間放置され、もはや当時の機能など何一つの残されていないガラクタではないか。

なんて貧相で惨めな建築物なんだ。……こんな場所が私達の秘密基地だっていうのか? と一生懸命やってきた成果がこれかと落胆してしまった。あれだけ苦労をし、多くを犠牲にしたものが、たったこれだけのものか……。

そんな永末の失意の感情など無視し、艦隊は基地へとゆっくりとした速度で接近していく。

 

「引き続き接近。永末さん、間もなく……偽装エリア抜けます」

と扶桑が伝える。

 

「は? ……偽装って何ですか? 」

思わず声を上げる永末。扶桑が答えるよりも早く、眼前の風景が変化するのだ。

 

それは、まるでモザイク模様が晴れていくように、すべての景色が変わっていく。

 

先程まで目視では、錆が浮き水垢で黒ずんだ放置して長らく経過したようにしか見えなかった基地が、本来の姿を見せはじめていたのだ。

 

近づくにつれて、その全容が明らかになっていく。

建造当時のまま、とまでは言えないけれど、きちんとメンテナンスをされた施設がそこにあった。

その姿は、まさにメガフロート基地と言うに相応しいものだった。

どうやらこの基地は、光学的な隠蔽工作が施されているらしい。基地全体については建設年数に応じた風化具合を施し、壊れたように見えた物が、実は意図的に改ざんされた外観だったことがわかる。これほどの偽装をされてしまえば、近くを通っただけでは分からないだろう。

それだけではない。そもそも領域に近い場所であることから、滅多に艦娘も近づかないのだろうし、また、舞鶴鎮守府の管理エリアにあった事も大きな原因だろうが、この基地の存在がデータから消されるなどしていて、管理が行き届いていなかったのだろうと考えられる。

 

そして、更に施設の重要な場所には、より徹底した偽装が為されていたようだ。

それは、接岸する距離までに近づいて初めて確認できるほどのものだった。先程までは目視できなかったものが現れたのだ。

 

コの字形のメガフロート基地の凹んだ部分は港となっており、偽装エリアを抜けるまでは何も存在しなかった。しかし、今、眼前にはそこには複数の艦船が停泊していたのだ。もちろん、そこに停泊する艦船は、艦娘である。

 

眼前の停泊する艦船を見て、永末は興奮を隠せなくなり、思わずうなり声をあげてしまう。

「なっなな! 扶桑さん、これは一体どういうことなんです? 正直……凄い凄いよ、ああん、もう! 」

よくもまあここまでの艦娘を極秘裏に揃えられたものだと関心してしまう。

なんという、この陣容。これは……まさに、これは一つの鎮守府といっていいレベルの陣容だ。

「こんなの、想像以上だよ」

まるで新しいオモチャを与えられた子供のように気分が高揚し、はしゃいでしまう永末。

 

そこに停泊する艦娘達は、かつて永末が舞鶴に所属していた頃に、鎮守府に所属していた艦娘ばかりだった。

軽巡洋艦北上、同じく那珂。軽空母千歳、重巡洋艦最上、衣笠、加古、そして駆逐艦大潮、更には潜水艦伊8。

……十分戦力として計算できる陣容だ。そして、これに永末が連れてきた艦娘が加わるわけなのだから、たまらん。

 

速やかに接岸作業を終えると、永末達は上陸することとなる。

不知火はどういうわけか上陸を嫌がったが、無理矢理、他の艦娘達により艦から引きずり降ろしている。

 

一緒にここまでやって来た艦娘達は、懐かしい仲間の艦を見て喜びのためか興奮気味だ。鎮守府から半ば無理矢理連れてきた艦娘達でさえ、もはや鎮守府を裏切ったという事実より、沈んだ筈の仲間が生きていることに驚きと戸惑いと、それ以上の喜びに支配されているようだ。

 

そして、複数の人影が現れた。

その途端、大井が悲鳴のような声をあげて駆けだす。それに釣られるようにして他の艦娘達も走り出していく。

 

「北上さん! 」

飛び上がるようにして、彼女は姿を見せたおさげの女の子に飛びついていった。

「北上さん北上さん、北上さん! 」

 

―――最長で3年ぶりだろうか。再会の喜びを爆発させる艦娘達。

なんだかんだ言っても、かつての鎮守府を裏切るような真似をしてしまったことをみんな心のどこかで悔いていたのだろう。けれど、仲間達と出会うことで、そんなことも完全に吹っ切れたようだ。

何故かみんなが柵から解き放たれたような、実に晴れやかで明るく自由な表情をしている。

 

永末はそんな再会を喜ぶ艦娘達を見て、自然と笑みが漏れてしまうのだった。

そして、地面に力なく座り込んでいる艦娘、不知火の姿が目に入る。彼女だけは旧友との再会を喜ぶことなく、魂が抜けたような瞳で、ただその光景を見つめているだけだ。今、何が起こっているかという現状を認識すらできていないように見えてしまう。どうやら、移動中も継続的にクスリの使用をやめることができなかったのだろう。

 

ちっ、嫌なモノを見てしまった。

 

もう完全にクスリに心も体を支配されているらしい。……これは使い物にならないかもしれないな。まあ、こんなポンコツはどうなっても構わない。最初から戦力とは考えていなかったからな。一人くらい脱落してもやむなしだ。それでも、廃棄する前に、コイツの味見でもしておくかな……。冷泉に仕込まれているかもしれんが、その成果も見てみたいものだ。

と、ドロドロとした欲望が鎌首をもたげる。

こんな使い物にならない艦娘なんてどう扱っても構わんだろう。なんといっても、これだけ多くの艦娘が自分の支配下におけるわけなのだからな。

 

強引に連れ出して来たはずの羽黒と初風も、仲間との再会を喜び会話に夢中だ。これは永末にとって強みだ。生きていた仲間の為なら、彼女達も命令に従ってくれるだろう。……不知火みたいにクスリ漬けにしないと使えないと思っていたが、……ふふふ、そんな必要もなさそうだ。

 

それまでのどこか沈鬱なムードなど完全に払拭され、皆が本来居るべき場所に帰ってきたかのような闊達さに溢れている。本来居るべき故郷といった感じの場所に彼女達が戻って来たという感じだろうか。よくは分からないが、このメガフロート基地にそんな影響力があるのかもしれない。

 

永末は、付近を見渡し現状の確認する。

 

自分以外に人は誰もいないから、艦への武器弾薬、燃料の積み込みは自前で行う事になるだろうから、何をするにも時間がかかるだろう……。万一、艦娘に損傷等があった場合、修理などができるのかどうかは検討する必要があるのだろう。鎮守府としてみるのであれば、いろいろと不足部分が多いだろうが、それでも贅沢は言えない。一通り見た感じ、補給用物資も相当にため込んでいるようだ。武器弾薬も十分あるようだし、いくらでも戦う事ができそうだ。

 

それでも足りない分は、軍から力を持って調達すればいいだろう。

 

これならば、永末の目的を達成することもできるだろう。少し興奮気味になってしまう。

 

 

―――しかし、問題は常に存在するものだ。なかなか万事上手くいかないものである。それでも今は余裕があるから、笑い飛ばすことができるのだが。

 

ふん。

早速、あいつ等……香月少佐が艦娘の詳細情報を報告せよと催促の通信をしてきているのだ。

ほんの少しだけ情報を与えたのが不味かったか……。あの連中、すでにこちらに乗り込んでくる準備を進めているようで、独自に船を出発させるつもりでいるらしい。偉そうにも、こちらにやって来る為の護衛の艦娘をよこせと言ってきている。それにしても段取りがいい。連中、だいぶ前から極秘裏に行動を進めていたらしい。

 

あの連中のこの基地への乗り入れを許せば、あっという間に、永末の基地であるここは乗っ取られてしまうだろう。基地と艦娘を手に入れた香月達なら、すぐにでも永末を放逐するかもしれない……いや、そうするに違い無いだろう。

 

しかし、そんな事はさせない。させる筈もない。せっかく手に入れたものを横取りなんてされてたまるものか。少し前までなら、自分は為す術もなく奪われるだけだっただろう。どんなに悔しくても作り笑いを浮かべ、何をされようとも耐えるしかなかった。

 

けれど、それも終わりだ。

もはや、自分は圧倒的な力を手に入れている。それを奴らは知らない。だから、偉そうに命令してこれるのだ。あんな口だけの佐官程度の連中の言う事など、聞く必要など、もはや無いのだから。それどころか、これまでいろいろと苦渋を飲ませられた借りを返さないといけないのだ。どす黒い怨念のような炎が永末の心の中で勢いを増すのを感じた。

それは高揚感をもたらし、身震いしてしまう。

 

連中には、当然の報いを受けさせなければならない。これぞ神の鉄槌。因果応報というものを、連中に教えてやらないといけない。

 

何をするか? それは、簡単な事。

 

極力、これまで以上に低姿勢で彼等に対応してやるのだ。もちろん、自分の本音など絶対に悟らせることなどなく……。彼等の望むように艦娘を護衛の為に行かせる。基地まで誘導すると見せかけて領域の側をわざと通過し、途中で彼等の艦船を放置してその海域から離脱させるのだ。

領域の側は電波障害が酷い。どんなに救援を求めても、誰にも届かないだろう。放っておけばあっという間に深海棲艦の餌食だろう。

 

本来なら、我が手により香月に復讐をしたい。連中の拷問に曝され、どれほど苦痛と苦渋にまみれたことか。殺しても殺し尽くせないほどの恨みが奴らに対してはあるのだ。かつて奴らが永末にしたように、じっくりじっくりと責め上げ、苦しさの中逃れることもできずにのたうちまわる絶望という名の地獄を……死ぬ事もできない無間地獄を味わわせるのだ。お願いだから殺してくれと懇願させ、絶望の中、ゆっくりと殺してやるのだ。それを実現する瞬間を想像して、ずっといままでやって来た。チャンスが来れば、必ずやってやると思っていた。

 

しかし、不思議なものだ。

力を手に入れてしまった永末にとっては、もはや過去のそんな些事など、どうでもよくなっていたのだ。ただ、今後どういった時に支障となるか分からないので、そういった要素は排除しておく必要もある。だから、彼等にはどちらにしても生きることは認められなかったのだけれど。

 

香月とのやりとりの中で、艦娘が直接彼等を迎えに行くという話になりかけたが、さすがに陸地に近づきすぎると、それは鎮守府艦船に発見される恐れがあるということで拒否した。もちろん、やんわりと断ったわけであるけれど。

永末の配下にある艦娘は、すでに轟沈した、もしくは日本国を裏切った艦娘でしかない。そんな表に出せないような艦娘が現れるということは、あまりにリスクが高いからだ。存在が知れてしまうと、その原因調査のために新たな艦隊が派遣されたり、過去を調査されたりしてしまう。そんな面倒事は極力避けなければならない。

 

そこで、極秘任務といいうことで、陸地から離れた放置されたメガフロート基地へ他の鎮守府より護衛付きで来て貰い、そこへこちらの艦娘を派遣する方法を提案した。そして、護衛には位置関係的にも呉鎮守府が適当だろうということになった。

 

「極秘任務」ということで、呉の高洲提督は何の疑いも持たずに駆逐艦娘に護衛させてくれたようだ。

あの提督はもうろくしているのか、何も疑問にも感じなかったらしく、むしろ極秘任務への協力ということで喜んで協力をしてくれたそうだ。

 

中部憲兵隊の少佐ごときが偉そうに、艦娘の護衛付きの極秘任務で無人のメガフロート基地へ何の用事だと疑問に思わないのだろうか? そんなことに想像も及ばないような、どう考えてもそんな無能なジジイが未だに鎮守府指令官で居座っている事を許してしまう軍の未来に失望し呆れてしまうが、まあそれはこちらにとっても都合がいいから構わないのだが。

 

……軍の人事は、相変わらず無能だとしか思わない。それは昔から変わらない。浄化作用など存在しない、肥だめでしかない。

 

それはともかく、彼等は計画通りに行動を始めることとなった。

永末は予定通りに駆逐艦2隻(大潮、漣)の内1隻、大潮に乗船し、闇夜に隠れるよう彼等を迎えに行く。

すでにメガフロート基地で待っていた香月は、一介の少佐のくせに民間借り上げの純白の豪華な大型クルーザーでやって来ていた。当然のように佐野少尉も同行している。

乗員を見ると軍関係者以外に関係のなさそうなスーツ姿やドレスを着込んだ民間人も乗せていたが、あえて何も言わないことにした。乗客の中に見たことのある保守系政治家の姿もあったので、香月が自分の力を誇示するためにでも呼んだのだろうと推測された。

「そもそも、もっと早くに連絡をし、私達を迎えに来て当然だろう。この無能が! 」

と、いきなり怒鳴られた事には驚いてしまったが。

艦娘を引き連れてやって来た永末が、香月にとっては取るに足らない使いっ走りだとでもアピールしたいのだろう。

 

すでに死が確定した男の見栄だ、それくらいは勘弁してやろう。余裕を持って永末は受け止め、十分な丁寧さで謝罪をしてみせる。

ふっ、所詮、どうでもいいことだ。

政治家や取り巻きの連中、賑やかしで連れてこられた美女達、こいつらも嬉しげに付いてこなければ、この先の運命を呪わずに済んだのに……と可哀想になったが、まあ自己責任。どうでもいいことだ。

 

面白半分で駆逐艦大潮に乗るかと問うてみるが、当然のように彼等には拒否された。

 

艦娘との接点が少ない者は、例え軍人であろうともその艦に同乗することを怖がるものだ。もちろん、そんなことは強がって口にせず、「お客さんのお世話もしないといかんからな。それにクルーザーのほうが乗り心地がいいから構わんよ。戦艦くらいの船なら乗ってみたいとは思うがね」と、相変わらず偉そうにほざいた。

 

馬鹿にされたようで、僅かながら心がざわつくのを感じたが、永末は平静さを保ちながら領域付近まで彼らを誘導していく。

 

当然、常識外の行動に抗議の無線が入る。

「おい永末くん、領域に近づきすぎじゃないのかね? 」

と。

 

「は! ご安心ください。我々の敵性勢力に目的の基地を探知されないためには、このコースを通らないとレーダーに探知される恐れがあり、非常にまずいのであります。皆様が危険を感じるのは当然のこと。ですが、ご安心ください。この経路は、我々はいつも通り慣れています、大丈夫です。絶対に深海棲艦は現れることはありません。たとえ万に一つでも深海棲艦が現れたところで、艦娘達が迎撃します。問題ありません」

と、100%の嘘を心の中で笑いながら説明する。そんな適当な嘘でも自信満々に語れば信じてしまうのだろう。それ以上は、彼等は何も言ってこなかった。

 

相変わらず不気味に、垂直に天まで届きそうな勢いで立ち昇る領域の雲を真横に見ながら進んで行く。

そして、頃合いをみて、大潮に艦の加速を命じる。漣も追尾してくる。

瞬時に最高速度まで達した艦は、香月の船との距離をみるみる開いていく。艦娘の速度とクルーザーでは速度はまるで比較にならない。

「何をしている、永末! 貴様ぁ、何を考えている。自分の立場を忘れたとは言わせんぞ。くだらん冗談は、やめろ」

領域による電波障害の為、途切れ途切れになるものの、金切り声で叫ぶ香月の声が聞こえてくる。こんな場所で置いてけぼりになんていうことを冗談でするはず無い事だけは、理解できているようだ。

 

「わっはっはっは。安心してくださいな。運が良ければ帰る事ができますよ。深海棲艦が出てこないか、出てきても攻撃されなければですけどね」

腹がよじれる思いで永末は、返信する。この音声が届いているかどうかは不明だけれど、拡大映像で表示された香月の乗ったクルーザーの中では人が右往左往するのがはっきりと見え、大騒動が起こっているのだけは見て取れた。

 

「きー、貴様!!! 」

ノイズまみれの絶叫が届く。

 

「よし、電波妨害の出力を上げろ。万一にでも通信を傍受されたくないからな」

大潮に指示すると、すぐに艦娘は処理をこなしたようだ。

 

「処理完了しました。……領域、急速に拡大します。間もなく、少佐が乗られている船が飲み込まれます」

と、艦娘が冷静に答える。

領域の雲がアメーバのように伸びてきて、大型クルーザーへとみるみる迫り、そして蛇行しながら喘ぐように避けようとする船を速やかに飲み込んでいくのが見えた。

 

「ちょ、が、うげ、なじゃこr」

複数の絶叫がスピーカー越しに聞こえてくるが、電波障害により聞き取れなくなる。

 

そして、何もなくなった。

 

領域は意識を持つ生命体のように、接近するものを、時折、まるで生き物が補食するかのように飲み込むことがあると聞いたことがある。それが、今、眼前で起こったのだ。

領域に入ってしまったら、人類の所有するあらゆる通信手段は無効化されてしまう。さらに、電子機器は一切使用不可能となってしまい、香月が乗っている船の動力も、ハイテクノロジーを誇った豪華船ということで、あらゆる機能が使用不可となるだろう。

動力も何も持たないまま、そして、領域の大気を防御する機器を何も持たない彼等に、生存の可能性は……無い。

 

彼等を待ち受ける運命は、飢えてのたれ死ぬか、領域の毒に冒されて死ぬか、深海棲艦によって沈められるかのどれかだろう。しかし、それを確認できた人間はいない。もし、領域に入り込み、深海棲艦に捕らえられたとしたら、どんな運命が彼等に待っているのだろう……な。

 

それを想像すると笑いが堪えられなくなる。人目を憚らずに、大声を出して笑う。これまでの辛かった日々。それを自分に与えた香月達が悲惨な死に方をするのだと思うと、最高に嬉しい瞬間だ。本当なら、連中がどんな死に方を、どんな苦しみ方をするかをつぶさに観察したいところだが、贅沢を言うことはできないだろう。そんな時間も無いわけであるし。

 

怪訝な表情で永末を見る艦娘に大丈夫だと合図すると、帰路に着く指令を出す。

 

帰りにおいても領域との境界ギリギリを走らせて帰投することとなる。こうすることにより、レーダー網から逃れることができるのだ。

 

ついに邪魔者だった香月達を排除できたが、事後処理としていろいろとすることもある。香月達の組織は、まだまだ利用できる。そのリーダー達は、非業の死を遂げたが、艦娘達は無事だ。

交渉の結果、香月の名を利用し、特定の採掘基地を指定し、そこまで物資輸送をさせる算段を付けることに成功する。扶桑のデータベースに記録された緒沢提督が利用するために整備していた、全く異なるメガフロート基地を中継地とさせることで使える話をつけたのだ。これで定期的に物資を輸送させることができる。死んでしまった連中はいろいろと忙しく動き回っているということでごまかせるかぎりごまかすつもりだ。嘘がばれたところで、攻め込むことなどできないのだから。資材はいくらあっても困るものではないのだからな。

 

しかし―――また事件が。

 

メガフロート基地に構えた司令室において、そんな雑務を色々とこなしている間に、唐突に舞鶴鎮守府より艦隊出撃の情報が入ったのである。永末達の捜索に鎮守府を出発したようだ。

 

まあ、当然のことだろう。あれほどの事件が起こったのだ。冷泉提督としても何らかの行動を起こさなければならない。破壊して使えなくしたゲートが撤去できたのだろう。とはいっても艦隊を派遣するにしても、永末達がどこにいるかなど分かるはずもない。広い日本海をくまなく探すというのだろうか?どうせ当てずっぽに探し回るだけに違い無い。絶対に追跡不能な筈なのだから。

 

「冷泉提督も軍部につっつかれて、自分の尻に火が付いたことがやっとわかったのかな。ずいぶんと焦っているらしいな」

それを思うだけで笑いがとまらなくなる。ただ、予想していたよりは出撃できるのが早い気はしたが。

「エリートだかなんだか知らないけれど、所詮は何の経験のないコネだけの男ったのだ。それに、仮にあいつがやって来たところで、我が手にある艦娘達で一周してやるさ……。そう思わないか、みんな」

と大きな事を言う永末。

しかし、周りにいた艦娘誰一人、彼に同意することなく黙り込んだままだ。何か違和感。少しだけ不満。

 

「どうしたんですか? みんな大人しくなって」

不思議がって永末はみんなに問いかける。

何故なんだろうか? どういうわけか、こちらに来てからの艦娘達の視線が日に日に冷めたのに変わっていっているように感じてしまうのだ。彼女達から到着時の熱意が冷めてしまい、どこか機械的に作業をしているだけのようにしか感じられない。扶桑ですら、どこか元気がないように感じてしまう。

 

いやいや、ただの思い過ごしだと否定する。

かつての仲間と出会えたことでテンションが上がりすぎた状態を標準と見てしまっているからそう思うだけなんだろう。謎めいた考えに向かおうとする自分を否定する。

焦っても仕方がない。どうせ冷泉が捜索を行うにしても、何の手がかりもないのだ。時間は充分にある。何の問題もない。

 

しかし、翌日。扶桑からの報告が入る。それも緊急だ!

「永末さん、大変です。舞鶴鎮守府より出立した艦隊の経路をシミュレートしました。あきらかに、提督は迷うことなく一直線にこちらに向かって来ています」

 

「嘘だろう」

と永末がすぐさま否定するが、大型画面に表示された冷泉指揮下の艦隊の航路を見てそれが間違いだと気付かされてしまう。扶桑が冷泉の事を未だに提督と呼んでいる事に少し腹が立つが、今はそれを訂正させている場合では無い。

 

彼等は迷うことなく最短距離で一直線にこちらに向かってきているのだ。

その艦隊の詳細は、戦艦2隻、正規空母1隻を含む5隻の艦隊だ。舞鶴に残されたほぼすべての艦を動員しているのが分かる。鎮守府の警備はどうしているんだという疑問が起きるが、そんなことは今論ずる時では無いのである。

 

「嘘だろう? やばいぞ、なんであいつ等にここがばれているんだ! あれほど慎重に航路を選んで痕跡を隠して動いたはずなのに。すべて、緒沢提督の計略通りに隠蔽されていたはずなんだろう? 」

航路の動きと予想進路を見て、慌てふためく永末。やけくそになって当てずっぽうで行動しているようには思えない。

しかし、あまりに早すぎる。居場所が知られるにしても、日本海は広いのだ。なんの情報も無く、これほどの短時間で探し当てられるはずがないのだ。もっともっと時間が掛かるはずなのに。

 

永末の予定としては、しばらくは隠れて戦力を増強するとともに艦娘達を掌握し、様子を伺いながら行動を検討するはずだったのだ。隠蔽は私が見ても完璧だったはず。捜索するなんてほぼ不可能なはずだ。仮に推測できたとしても、こんな短時間では探知などできるはずがない。

 

―――なのに、何故ばれるのだ? 

 

「こんな事、内通者がいない限りできるはずがないのだ!! 」

両手で頭をかきむしりながら絶叫する永末。先程までの余裕が完全に無くなってしまっていることには気付いていない。

移動に関する隠蔽は、完璧な筈。情報が漏れるといっても漏らす人間などここには存在しない。香月達が仮にリークしたとしても、途中までしか分からないはずだし、今はすでにこの世にいない。

艦娘達だって皆が緒沢提督の意思を継ぐ為に行動しているはずで、敵である冷泉に情報を漏らすような艦娘など存在しない……はず。

はず? ……いや、本当にそうか?

そこで雷鳴が頭の中にとどろいた。

 

いや、一人だけいた。永末の行動に賛同していない奴が。

 

「不知火、おまえか! 」

永末はすぐさま駆け寄ると、襟首を両手で掴んで少女をつり上げる。

「貴様、貴様がここの場所を冷泉に教えたな! 」

激高した永末は、つばがかかるくらいの距離まで顔を近づけて不知火を追求する。

 

しかし、虚ろな瞳で遠くを見ているだけの不知火。

強力な薬物の力により、精神まで汚染されつつある彼女がそんなことできるはずが無い事は、永末にも分かっているつもりだが、それでもこの女以外に考えつかないのだ。

「お前、はっきりしろ。お前だろう、いや、お前に違い無い」

何の反応も示さない不知火に苛ついた永末は、ついには彼女に対して暴力に及んでしまう。

握りしめた拳を華奢な不知火の腹部に打ち込んでいく。手加減など無しで何度も何度も殴り飛ばす。柔らかい肉の鈍い感触が拳に伝わってくる。小さな彼女の体は、永末の暴力の嵐に為す術もなく振り回されるだけだ。悲鳴を上げることもなく、時々妙な音を立てるだけで、彼女は何の反応を示さない。まるで人形のようだ。何の反応も示さない事が更なる怒りを駆り立てる。

「くそが」

彼女の整った顔にも、永末の暴力の嵐が吹き荒れる。

 

「や、やめてください永末さん! 」

扶桑が悲鳴のような声を上げ、不知火に覆い被さるようにして割って入る。永末を見るその表情は必死だ。

「し、不知火さんがそんなことするはずないでしょう。……こんな状態じゃ、できるはずもないです。だから、もう、そんなことはやめてください。お願いします。他の子達が見ています。みんなが見ています。お願いです、それ以上酷い事をしないで」

涙を浮かべて必死に訴えかけてくる扶桑。その瞳には懇願だけでなく、永末に対する批判も含まれている。自分に対して扶桑がそんな目で見られたことがショックで、永末は固まってしまう。そして、胸が痛くなる。

 

批判は扶桑からだけでは無かった。

視線を感じて振り返ると、責めるような視線が他の艦娘から浴びせられている。いくら鈍感な人間でも気付かないはずがない。居心地が悪くなり、ぶつぶつと謝罪の言葉を述べるしかできないない永末。

「……でもでも、こいつ以外考えられないんです。そう思うだろ? みんな」

賛同者を求めて視線を彷徨わすけれど、誰も反応してくれない。扶桑ですら、目を逸らしてしまう。

 

「お、落ち着いてください、永末さん。冷泉提督がこちらに向かっているのは、単なる偶然でしかありません。きっと何かの間違いです。無計画に動いているだけで、たまたまこちらに近づいているだけです。それに仮に近づいたところで、光学隠匿されたこの基地に私達がいることまでを確認できるはずがないです」

と、説得される。

そして、彼女の説得に黙り込むしかできない永末。

 

「そ、そうですよね。はははっはは。そ、そうですよね。きっとそうです。私が考えすぎただけですよね。わははっはははは」

乾いた笑いを浮かべる永末だったが、誰一人としてそれに賛同する者は無かった。

何人かの艦娘が不知火のところにかけより、彼女を心配そうに見つめていた。それ以外の艦娘は批判を込めたような視線を永末に向け、その視線にいたたまれなくなった永末は何も言わずに司令室を出て行くしかなかった。

 

 


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