一瞬の静寂―――。
「は? ……何をおっしゃるんですか? アナタは冷泉提督ですよ。どうしたのでしょうか……。きっと頭を打ったショックで記憶がいまだ混乱したままなのでしょうね」
少しの哀れみを含んだ口調。
「ち、違う。違うんだよ。これは、残念だけれど、俺が記憶障害を起こしているわけでも、頭がおかしくなってるわけでもないんだ。すべて本当の事だよ。そもそも……俺はこの舞鶴鎮守府の事なんて全く知らないし、それどころかこの世界のことさえ知らないんだから。本当に君たちとも初対面だった。俺はただのサラリーマンで、無理矢理取らされた休暇で、仕方なく始めた旅行中に乗っていたフェリーが攻撃されて沈没し、気がついたらベッドに寝かされていて、そして君たちがいたんだ」
冷泉は顔を上げ、必死に話した。
「ずいぶんと荒唐無稽な事をおっしゃるのですね。そんなこと……そうですね、金剛ならともかく、私が信じるとでもお思いなのでしょうか?」
哀れみに呆れが含まれた苦笑いを浮かべてこちらを見る扶桑。
そして、さり気なく金剛をディスってますね。
「君が信じる信じないは、この際、関係ないよ。言えることは、俺は君の知っている冷泉朝陽じゃないって事。俺は、君たちの知る冷泉という人物とは全くの別人だよ。何故こんなことになったかなんて分からないし想像もつかない」
「ならば、教えてください。あなたは何者なのですか? 」
話を信じていない彼女は、呆れたような顔をしている。
「うん、教えてあげよう。……俺の名前は冷泉朝陽というんだ。年齢はもうすぐ27歳。職業:世間ではブラック企業に限りなく近いと言われている会社の社員。最終学歴は、地元でさえ知らない人間がいる私立大学を卒業。それから独身。現在、彼女無し。貯金は、たぶん100万円くらいある。趣味はこれといって自慢できるものは無し。強いてあげるならパソコンくらい。ゲームの艦隊これくしょんとCSOが好き。CSOは運営があれなんで最近やってないけど。まあ、あとは語る事が特に無い、……そんな男だよ」
我ながら恥ずかしくて途中で声が小さくなる。
ホント、自分でいうのもなんだけど、何ら自慢できるものが無いよな。
彼女は冷泉の顔を見つめたままだ。そのままで言葉を発さない。
「あの、提督。私の理解力が無くてすみません。未だにおっしゃっている事の半分も理解できていません。……そもそも、私の記憶と照合した結果、貴方は冷泉提督でしかありえないのです。しかし、貴方は違うと言う。また、私たち艦娘のネットワークにある貴方に関するデータで照合しても、やはり貴方は冷泉提督です。この齟齬をどう説明するのですか? 」
「君を納得させるような説明なんてできない。俺は証拠を何一つ持たない。……けれど、違うということは俺が知っている」
扶桑の記憶や艦娘ネットワークの記録がどーとかこーとか言われてもちんぷんかんぷんだけれども、とりあえず反論する。説得力は皆無なんだけれども。
少し遠くを見つめ、黙り込む扶桑。
「成る程。もし貴方の言葉を信じるとするならば、貴方は私達のデータベースに侵入し、貴方に関するデータを書き換え、外見を完璧に模倣し提督になりすましたスパイと言う結論になりますよ。……ならば、貴方は即刻逮捕されることになるでしょうし、収監される事になるでしょう。その後の貴方がたどる運命を私は想像したくありません」
「おそらく、俺の正体を知るためありとあらゆる拷問がなされ、行き着くところは死なんだろうなあ……」
自分で口にしながら、恐怖した。体が震えたかも。実際、膝はガクガクしてるんだ。
「それを貴方は自ら認めるというのですか? 何の証拠も示されていないのですよ。なのに何故自ら正体を明かすのです? このままうまくやれば正体がばれなくて済むかもしれないというのに。告には何のメリットも無いはずですよ。今、私が連絡を取ればすぐに警備兵がやって来ます。即座に貴方は拘束されることになりますよ。そして末路は貴方の予想通りでしょう」
「ぐぬぬぬ」
実際しゃれにならん。思わず情けない声が漏れ出す。
「どうしたのです。怖いのですか」
「ああ……実際、まじで怖いよ。捕まったらどうなるのか想像しただけで漏らしそうだ。ううう、なんでこんな事になるんだろうなあ。俺はただ旅行していただけなのに。嫌だよう」
「だったらどうして? 」
「自分でも理解できないんだ。ただ、あのまま提督を演じたとしたら、君を騙す事になる。君の弱みにつけ込んで、君の、その、……提督への気持を踏みにじることになるじゃないか。それは、耐えられない。そんなことをしたくなかったんだ。自分の立場が最悪になるって事は分かってたんだけど」
「……貴方、馬鹿ですね」
「おお、そこまで言う? でも本当に馬鹿だよな。でも、でもね、それでも女の子の心を弄ぶなんてことはできないよ」
「その代償が死としてもですか? 」
ずいぶんと意地悪な事を言うな。
「それは勘弁してほしいけど、それでも君の想いを踏みにじるような真似はしたくない。たとえ。俺が生きるためでもね」
究極にかっこいいと思いながら、完全な馬鹿ですなと自省する。
「ふふふ……」
突然、扶桑の肩が上下に震えたと思うと、笑い出した。
「ど、どしたの? 」
何がどうしたか理解できず、あたふたする冷泉。
「提督、……いえ、冷泉さんとお呼びした方がいいんでしょうか? 貴方、本当にお人好しですね。全く提督以上です」
「え? そ、ですか。そりゃどうも」
と頭をポリポリ。もうどうでも良くなってる。
扶桑は大きくため息をついた。
「やれやれですね。……せっかく貴方の正体を確かめようといろいろ計略を考えたのに、貴方から正体を明かすなんて思っても見ませんでした」
「え? 俺の正体知ってたの? 」
「いいえ。少しおかしいなと思っていただけで、私の記憶、ネットワークの記録全てがあなたを本物と認定していました。少しの違和感があったのでそれを確かめたかったんです」
「それであんな事をしてきたの」
「お出しした泥水のコーヒー。……提督はコーヒーはお嫌いでした」
扶桑は頷く。
「なるほど。俺はブラックが好きなんだ」
「オペラを観に大阪に連れて行ってくださいって言いましたよね? 」
「うん」
「大阪市は2年前に暴動により壊滅し、今は完全なゴーストタウンです」
「えー!! 」
驚きで思わず大声を出してしまう。あの大阪が無いだって?
「大阪どころか、神戸・京都の近畿の三大都市は、すでにこの世界から消失しています」
恐ろしいことだ。でもここが異世界であることが確定したので、とても大変な事なのになんだか凄く遠い世界の事のように思えてしまう。
「そして、私と一緒にオペラを観に行く事。これは完全な禁止事項です。任務以外で私たちは外界に出ることを禁じられています。それを提督が知らないはずがないのに、貴方は躊躇無くOKしました」
「あらら」
「そして、失敗しましたが、私と提督は恋愛関係にはありません」
「え? そうなの」
かなり自然な感じだったので完全に騙されてしまったよ。
「恥ずかしいことですが、貴方が正直におっしゃって下さったのですから、私も正直に話す必要がありますね。私は提督のことを男性として好いていたと思います。ですが、提督は私を避けようとしていました。ですから病院で貴方が私の体に触れてきた事で驚きました。……あの行動が私が貴方に対する疑問を持ったきっかけとなったわけなんですが」
「あー。そんなところですでに疑われていたんだなあ」
「でも、まあ良いです。私の疑念が晴れたので……」
と、彼女は笑った。
すごく魅力的な笑顔でした。
「そっか……」
冷泉は椅子に深く腰掛けた。
「いろいろ他に聞きたい事があるけど、そろそろ警備兵を呼ばなきゃいけないだろ? 」
しかし、扶桑は動こうとしない。
「どうしたの?」
「私は、提督、あなたを告発する気などありませんよ」
「え? でも、俺の正体を暴こうといろいろ考えていたんだろ? 」
「最初はそのつもりでした。そして偽者なら容赦しないつもりでしたが、その、……あなたから告白されたので、もうどうでも良くなりました」
「え? 」
「提督がどこに行ってしまったのか、どうして私たちの記憶が定かで無くなっているのか?……いろいろと調べる必要があるのかもしれませんが、ここで貴方を偽者と告発してしまえば全てが終わってしまうような気がします。だからアナタはこのまま冷泉提督のままでいて下さい」
「しかし、俺は何も知らない人間だ。やがてボロが出てしまうから結果は一緒じゃないかな」
「大丈夫ですよ。私が補佐します」
「ありがたいけど大丈夫かな」
「提督を失踪させ代わりに貴方を送り込んだ存在。それが何者かは分かりません。ですが、私達の記憶を気づかれずに操作する権限もしくは力を持つ存在です……。たやすく解明できるとは思えませんが、提督が協力してくださるのなら、もしかしたら何とかなるかもしれません。私たちの記憶の喪失の謎を解くために協力をしていただく……それが交換条件です」
「おーそれくらいならおやすいご用さ・」
「それに……」
「それに? 」
「アナタがいなくなったら、きっと金剛が悲しみますからね。それから、島風さんも。他にもいるかもしれませんし。そして、……私も」
「え? 何だって……? 」
突然、難聴になってしまった。
どこかのラブコメかいな。