「何故でしょう? あなたにとって、決して悪い話では無いはずなのに。このまま何もせずにいたなら、あなたの死は確実な物となってしまうのですよ。どうして、この申し出を拒否されるのでしょうか? あなたは、死が怖くないのですか? 」
呆れたように、そして不思議な物でも見るような目で三笠が問いかけてくる。
「正直、あなたの提案は、とても魅力的ですよ。俺だって死ぬなんてまっぴらだし、このまま自分の体が自由にならないままなんて、考えただけでも嫌だし耐えられない。この体が元に戻るというのなら、なんとしてでも治して貰いたい。それは本当の気持ちです。……けれど、今はまだ受け入れることはできません」
「へえ……その理由を、私に教えて下さるかしら? 」
少女のようにさえ見える彼女は、興味深げにこちらを見つめてくる。それは、物珍しい物を見つけて驚いているかのようにさえ思える。そんなことを考えながら、冷泉は答えた。
「あなたがたの……存在そのものが謎すぎるからです。あなた達がどこから現れ、そして何を考え、何を目的に人類に味方するのか。未だに何一つ明らかにされていない。人間に味方しているけれど、その実、もっと別の目的があって、それのために人類を利用しているのではないか……。俺は、そんな事を考えてしまうのです。正直、それが怖い」
「うふふふ、面白い考えをお持ちなんですね、冷泉提督は……。それにしても、随分と私達の事を買いかぶっておらるのですね。……けれど、私達にはそんな万能な力はありませんし、もちろんそんな大それた野心などありませんわ。ただ、結ばれた盟約の下に行動しているだけですわ。つまり、深海棲艦との戦いを有利に進めることができるように、そして、人類をより良き方向へと向かえるように微力ではありますがお手伝いをするだけ。そこに他意など入り込む余地はありませんわ」
面白そうに笑ってみせるが、彼女は何一つ本当の事を語っていないようにしか思えない。その優しげで美しい笑顔の奥底に、一体何があるのか……。想像を巡らそうとも、冷泉程度の思考能力では答えなんて導き出せないのだろう。そもそも、彼女が単なる代理人でしかないとするならば、彼女の心を読もうとしてもまるで無駄な事なのかもしれない。考えれば考えるほど、答えは霧の中へと……手が届かない彼方へと消えていく。
「俺が恐れるのは、あなた達と日本国が目指すものが異なる日が来た時、はたして艦娘がどうなるか? ということなんです」
「答えは簡単です。私達は日本国との盟約がありますから、決してそんなことは無いということですわ。ありもしない脅威に怯えるなど、無意味ですよ。あまりに当然すぎる事でしょう? 」
「けれど、あなたは先ほど人類の慢心、深海棲艦との戦後を見据えて行動している人類に対して牽制の意味も込めて、俺を味方にしたいと考えているのでしょう? 」
「……あら、そんな事言いましたかしら? 」
と、とぼけたような事を言う。
「確かに私達が戦う気が無くとも、人類側がどう考えるかは分からないことです。彼らは艦娘という強力な力を手にしています。仮に、現在の敵である深海棲艦を倒す事ができたなら、次は同様に異質な存在である私達を疑い、やがて排除しようと考えるかもしれませんね。そんな事が起こらないように、日本国側で力を持つ同士を得たいと考えています……そう言えば理解して下さるかしら? 」
「そういう風に言われるなら、理解できなくはありません」
そう言った途端、三笠の表情に安堵のような物が浮かんだように思えた。
「それでも、私達の仲間になる……というわけではないようですね」
問いかけに冷泉は頷く。
「日本国が更なる敵を求めて馬鹿な事をしでかさないように協力はします。俺の部下達に、艦娘達に必要の無い戦いを強いることなんてしたくないですから。深海棲艦との戦いは、戦わざるを得ない戦いで彼女達の力無くして成り立たない事だから、やむを得ずしているに過ぎない。しかし、あなた達と戦うことは無意味だからです。それについては、協力は惜しまない」
「しかし、それは絶対的なものでは無い……ということですよね」
「そうです。あなた方が何を考えているかを明らかにしていただけない状況においては……です。戦わざるを得ない時には、たとえあなた達であろうとも戦うという選択肢だけは残しておきたいのです。勿論、こちらから攻め込むなんて事をする気はありませんし、日本国側がそんな真似をしようとする場合は、阻止するように努力します。不可能ならば、すぐにでも情報はお知らせするつもりです。極力、戦いなんてことはしたくないし、させたくないのです。ご理解いただけますでしょうかね? 」
「それで構いませんわ」
諦めたのか不明だが、随分とあっさりと三笠が引き下がった。もう少し揺さぶりをかけてこられるかと思ったけれど、そこまでのこだわりは無かったのだろうか?
「非協力的でない事が分かっただけでも、私達にとっては成果があったとさせていただきますわ。それはともかくですね……」
また何か要求を言ってくるのかと思い、思わず身構えてしまう冷泉を見、面白そうに彼女は笑う。
「そんなに構えないで下さい。交渉はここまでです。次からは、提案ですよ」
そう聞いて胸をなで下ろしてしまう冷泉。
「少し休んだら、あなたの治療を行いたいと考えているのです」
驚く冷泉を見つめながら言葉を続ける。
「驚かないで下さい。交渉の材料として使わせてもらいましたけれど、最初からあなたへの治療には、なんら代償を求めるつもりもありませんでした。けれど、あわよくば……とは思っていましたけれどね。……ふふふふふ、そんなに睨まないで下さい。私だって仕方なく言わされただけなんですから。素敵なあなたが困る姿を見るのは面白かったですけれど。……コホン、さて、あなたを治療するについては、きちんとした理由があってのことなんです」
「それは、どういうことですか? 」
「あなたがそんな状態になってしまったことで、ずっと自分を責め続けている子がいるんです。決してあなたの前ではそんな素振りを見せる事はありませんが、ずっとずっと苦しみ続けている馬鹿な子がね。気が強くて頑固で可愛げの無い子ですけど、人一倍責任感が強くて、そして誰よりも優しい子です。その子をこれ以上苦しませるのは、さすがに私達としてもしたくないのです。ですから冷泉提督、ここは私達を信用していただいて、治療をお受け下さい。お願いします」
突然、深々と頭を下げられ、思わずドギマギしてしまう。
彼女が言っている可愛げの無い子の事はいわずもがな。
「それに、あなたが元気になれば、当然、鎮守府のみんなが喜ぶことでしょうね……いろんな意味で」
後半部分は小声になっていたため良く聞き取れなかったが、全身麻痺が取れるならどれほど嬉しいことだろうか。代償を何も求められないのならば受けてもいいのではないだろうか。しかし、ここは慎重にならないといけない。
「ほ、本当に俺を治療する事で何の代償を求めないということで、いいんですか? 」
「もちろんです。なんなら念書を書いても良いくらいですよ。もっとも、そんな書面にどれほどの効力があるかは不明ですが。私達を信じて貰いたいとしか言いようがないのですけれど。ただ、仮に私達が代償を要求したとしても、なんら拘束力を持たないのは考えずともお解りでしょう? あなたは鎮守府に戻ると私達はもう手出しできませんからね。あなたはさっさと鎮守府に戻るだけでいいのです。約束など拘る必要はありません。そうなれば、いくら言ったところでどうにもなりませんからね。ですから、安心していただいて結構ですよ」
その表情からは、邪な物はまるで感じ取れなかった。
信じて良いだろう……と、思う。そして、彼女の言うように、仮に後出しで味方になることを要求されたとしても無視するだけで逃げ切れる事も。
ならば、結論は簡単だ。
冷泉は、同意することとなった。
準備に数時間必要だったものの、毎日行っている冷泉の日常的なケアを受けているだけですぐにその時がやって来る。世話をしてくれたのはいつもの舞鶴鎮守府の看護師達で無かったために、恥ずかしさに堪え忍ぶ必要があったのだけれど。ただ、彼らは完璧なプロなのだろう。恥ずかしがり、申し訳ないと謝り続ける冷泉に対して頷くだけで無表情で淡々と流れ作業をこなすようにしか思えなかったのがせめてもの救いだった。
診察室らしい部屋に看護師達に運び込まれる。そこには一人の医師と複数の看護師らしい女性がいる。
医師というよりは研究者といったほうが相応しい感じの白髪交じりの医師より、治療内容の説明を受けた。三笠も同席しており、隣で興味深そうに聞いている。
医療用語についてまるで詳しくない冷泉にとっては何を言っているかよく分からなかった。そもそも、人類の科学力を越えた治療を行うわけであり、専門用語も医療関係者ですら理解出来なかったのではないかと推測する。ナノマシンという言葉やサイバネティック、オーガニズムなんて聞いたことのあるワードも言っていたな。
とにかく手術は数時間程度で完了するということだった。全身麻酔を行っての処置であるため、目が覚める頃には全て完了しているらしい。ちなみに神通の改二処置は艦船部が1ヶ月程度、艦娘側の調整はプラス二週間程度と言われている。
当初から神通がドッグに入ったら、一端鎮守府に戻る行程を組んでいたわけであるから、大した遅れは無いだろう。念のために加賀に連絡を入れておく必要はあるかもしれないけれど。
そんなことを考えている内にいきなり医師に右腕を取られたかと思うと、ビリっとした感覚があった。ほぼ同時に意識が霞んでいくのを認識した。
消えゆく意識の中で、瞬間、三笠と目が合う。
彼女は、ほんの一瞬ではあったものの。口角を吊り上げ、嗤っていた。そしてすぐに気づいたように、無表情へと転化させる。それが実に印象的だった。
三笠は冷泉と話している時は常に自制しており、あらゆる所作が演技じみていてつかみ所が無かった。彼女が決して見せることの無かったものであり、計らずとも出てしまったといったように思えたのだった。
その意味するものは何かと考えようとしたが、すぐに意識が消失していったのだった。