まいづる肉じゃが(仮題)   作:まいちん

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第128話 今想うこと、誇れるもの

鎮守府の朝は、早い。

 

横須賀でいた頃、常に誰よりも早起きして港を散歩するのが日課だった。

まだ人気の少ない場所を歩くのが好きだった。

普段、秘書艦として活動している時には、話す事があまりできない人達と話すことができるのが楽しかった。話す事が無くても、普段見ることのできない人達の活動を見ることが嬉しかった。

それぞれの人が深海棲艦と戦うために、陰で働いていてくれる事を実感できる時。

艦娘とは強力な力を持っているが、所詮それだけでしかない。

自分たちを効率よく運用してくれる指揮官。艦本体の整備に尽力してくれる整備士たち。係留中の艦を警備してくれる兵士たち。自分たちの体調管理やメンテナンスをしてくれる医師たち。それ意外にも多くの人間が艦娘の為に働いてくれているのだ。

それを常に忘れないようにしないといけない。感謝の気持ちを常に持ち続けなければいけない。

長門がずっと思い続けていたことであり、艦を失い舞鶴鎮守府にたどり着いてからも忘れないでいたことだ。

 

横須賀と同じように、舞鶴でも変わらず、いつも朝早く起き、鎮守府の人々との交流を続けている。

舞鶴も横須賀と基本的に同じような風景だ。遥か沖合にたれ込めた赤黒い領域の壁が見えるのも同じ。横須賀に比べて舞鶴のほうが領域の壁が近いくらいか。それ以外には大きく変わるところは案外無いものだ。

 

しかし、大きく異なり驚かされたところが一つあった。

それは、駆逐艦娘達が早朝から激しいトレーニングをしているところだった。その実践さながらの訓練は、とても駆逐艦が行うようなレベルではなかった。横須賀鎮守府での感覚でいうと、オーバーワークとしか思えないものだった。いや、一歩間違えれば危険といえるレベルだったのだ。故に、やり過ぎではないかと注意しようとしたけれど、すぐに思いとどまった。

 

彼女達の指導をしているのは軽巡洋艦神通であり、端から見ていると無謀・危険とも思える程度の指示を出しているのだけれど、艦娘達は誰一人文句を言うどころか、必死でそのメニューに食らいついていた。そこに悲壮感はなく、目標をクリアしようという前向きな必死さに溢れていた。

 

どうしてなのだろうか? よく不満が溜まらないなと疑問に思っていたけれど、それもすぐに晴れる。

 

深夜早朝……みんなが寝静まった頃、まだみんなが眠っている時間に神通が一人で自分が駆逐艦娘に課したものより遙かに厳しい訓練を自らに課し、毎日行っていたのだ。その内容は、流石の長門も戦慄せずにはいられないものだった。部下に訓練を行うだけで相当時間を取られるというのに、休養時間を削ってまで自分を追い込むそのストイックさに関心させられるとともに、彼女の体の事が心配になった。

一度彼女に声をかけて問うてみた。

「自分をそこまで追い込んでどうするというのか? こんな無謀な訓練を毎日行っていたら、いざ戦闘の前に壊れてしまうのではないか? と」

軽巡洋艦がいくら努力しても限界がある。どんなにがんばったところで、重巡洋艦、ましてや戦艦と同等の戦闘は不可能なのだ。身の丈にあった訓練を行うべきではないか? そんな上から目線的な感情が無かったとはいえなかった。

「私は性能の低い船ですから、この程度の訓練では大した成果も出ないのは分かっています。けれど、わずかな可能性でもあるのであれば、訓練をしないわけにはいきません。……ほんの少しでもいいですから、提督のお役に立ちたいんです」

気弱そうにうつむき加減でそう答える神通。提督が命がけで彼女を護ろうとした海戦の事をずっと恩義に感じているのだろう。その恩に報いるために必死なのだろうか? うむ……それだけでは無いように思えるな。彼女の提督を見つめる一途な視線は、鈍感な長門から見ても恩義を越えたものを感じるし。

「では、駆逐艦達に課した訓練はどうなんだろうか? 私の経験でしかないが、横須賀ではあそこまで厳しい特訓はしていなかったように思うが」

 

「あの子達は、提督からお預かりした……大切な子達です。遠征が主たる任務ですが、戦闘に巻き込まれる可能性が無いわけではありません。そんな時、今行っている訓練がきっと生かされるはずなんです。私は、彼女たちを誰一人として沈める事はできません。みんな提督の大切な艦娘なんですから。成果なんて二の次だ。いかなる時も……生きて帰り、お前達の笑顔を俺に見せてくれ。……提督が出撃前の私達によく仰る言葉です。生きて帰る可能性を少しでも高めるためには、ある程度の厳しい訓練は必要と私は考えています」

 

「うん、それは正しい。けれど、戦争とは無慈悲なものだ。どれほどの鍛錬をしたところで、駄目なときはあるものだぞ」

 

「……その時は、私が命に代えてでも彼女たちを護ります」

緊張した面持ちで話していた神通だが、その時だけは、きっぱりと長門の瞳を見つめるように答えた。

なるほどな……。長門は納得した。恐らくはそんな神通の姿を見て、自分たちもがんばらなければと駆逐艦達も感じているのだろう。

 

それにしても……。神通にあそこまで思いこませるとは。恋とかには奥手そうな神通を夢中にさせるその手練れ。恐るべきは冷泉提督。流石は我が主。

思い出して、何故だか興奮してきた。

 

そんな時、視界に一人の艦娘を捕らえる。

長い黒髪。巫女服にミニスカート。

最近、鎮守府に着任した榛名だ。

しかし、こんな朝早くに何をしているんだろう?

人目を気にするようにこそこそと移動している。胸を庇うように腕で隠しているし。……いやにスカートが短いぞ。白い太ももが剥き出しだし、なにもしていないのに、パンツが見えている。

あんな露出狂だっただろうか? しかし、その姿は扇情的であるけれども美しいく感じられ、長門ですらじろじろと彼女の体を見てしまう。

……あんな感じだと、提督は興奮するのだろうか?

何故だかそんな事の方が重要に感じてしまう。

 

「はる……」

声をかけようとして、彼女が長門に気づいた。すると、普段でも大きい瞳をさらに大きく見開くようにして驚愕の表情を浮かべると、引きつったような笑みを浮かべ、慌てて走り去った。

 

「一体、どうしたんだろう」

思わず言葉が漏れてしまう。

それに、なんだか、彼女の瞳から涙がこぼれていたように思うのだが、どうしたのだろう。

 

彼女は宿舎に向かって走り去ったけれど、一体どこに行っていたのだ?

はて、方向的には……。

「ん? 提督の宿舎があったはずだが。……まさかな」

変な想像をしてしまうが、今の冷泉提督の体では、鎮守府でもトップクラス(当然ながら、揺るぎない1位は、誰あろう長門であるのだが)の榛名がどんな扇情的な格好をして誘惑しようとも、何もできないのだから、ありえないのである。

では、何をしていたんだろうか。

 

そういえば、榛名は着任した当初から少し他の艦娘とは異なる雰囲気を醸し出しているように感じていた。その違和感をずっと感じていたけれど、この違和感が今後どうなるかが少しだけ心配だ。悪い方向へと行かなければいいけれど……。

 

そんな事を考えていたら、携帯端末が鳴った。鎮守府敷地内限定で使用できる(暗号アルゴリズムMAIT)秘匿回線を使用したものだ。

 

「長門さん、予約時間になっていますよ」

電話に出るなり、聞こえてくる声。ドックの艦娘医療を担当している乾崎軍務少尉からだった。

 

「ん? ……もうそんな時間になっていたのか、すまぬ。少し散歩をしていたらいろいろと雑事が重なってな、気づかなかった」

 

「もう……、いつもそうなんですから。もう少し時間にきっちりして貰わないと困りますよ。仮にも横須賀鎮守府秘書艦だったんですから、他の艦娘に示しがつきませんよ」

冗談めかして彼女は指摘する。

 

「秘書艦はとうの昔に降任したからな。今はそういった柵に縛られる立場では無いよ」

 

「冷泉提督と約束しても時間にルーズなんですか? 」

 

「否、提督との約束であるならば、5時間前から待機し、なかなかやってこない司令官の事を思い、自分は彼に嫌われているのではないかと心配しながら過ごすだろう」

 

「うわ……」

受話器の向こう側で呆れる雰囲気が感じられる。彼女は長門の発言に引いてしまったのだろうか? 想像して何故か鼓動が高まる。

「ごほんごほん……いい加減にしてください。冗談はさておき、ですよ。長門さん、早くこちらにおいで下さい。先日の検査の結果が出ております」

急に真面目な口調で乾崎で言う。

 

「了解だ。すぐにそちらに向かう」

 

 

そんなこんなで、長門はドックの医務室において乾崎と向かい合って座っている。

「さて、検査の結果なんですが……」

と、医師は話を始める。

 

長門は艦と共に沈む覚悟を決め、領域の海深く沈んでいくはずだったのだが、冷泉提督によってその覚悟を変えさせられて舞鶴鎮守府にやって来た。

そもそも艦娘と艦は、二つで一つの物であり相互補完関係にある。このため、いずれか片方が無くなれば、もはや片割れは何の価値も無くなる。戦艦が戦う能力を失ったとしたら、存在する意義などあるのだろうか? 仮に艦が沈み、艦娘のみが残されるとしたのなら、それは果たして幸福なのだろうか? 

 

……答えは、否である。

 

少なくとも長門は、そう考える。

戦う能力を失ったモノに何の価値があるというのか。生きて生き恥を晒せと言うのか? そんな屈辱を味わうくらいならば、沈みゆく艦とともに運命を共にするのが誇り高き戦艦の生き様である。

確かに、駆逐艦や軽巡洋艦においては、艦のみが沈み艦娘が生き残るということは希にあった。しかし、戦艦や空母が生き残ることは無かった。何故ならば戦艦や空母が沈むということは艦隊そのものが瓦解している状況であり、沈みゆく船から艦娘を救い出す余裕が無い状況であるからだ。また、戦艦、空母は艦隊旗艦であることが多く、生きて生き恥晒すよりも敗戦の責任を取り、死を選ぶ事が多かったという事情もある。

あの時までは長門もそのつもりだった。

冷泉提督に救われるまでは。己が誇りよりも、冷泉提督への想いが勝り、冷泉提督を悲しませたく無かったから生きることを選んだ。

 

この先、何があろうとも、この身は常に提督の側にある。……命尽きるまで。

そのつもりだった。

 

異変を感じたのは、ここに来て1週間も経たない頃だろうか。

急な眩暈や脱力感を感じるようになったのだ。単なる疲労? 少し休めば治るだろう。最初はその程度にしか思っていなかったが、症状は日に日に酷くなり、頭痛を伴うようになってきたのだ。体調変化には波があり、良いときもあることはあるが、ほとんどが普通以下になっていた。酷いときはベッドから出ることすら辛い時があったのだ。そして、不調の比率が徐々に高まって来た。流石にまずいと感じ、精密検査を受けることとなったわけだ。

 

「最初に言っておきますが……長門さん、聞こえていますか? 」

考え事をしていたからぼうっとしているように見えたのだろう。乾崎が再度問いかけてくる。

 

「ああ、すまない。大丈夫だ。話を続けてくれ」

 

「はい。最初に言っておきますが、私達人間の科学力では艦娘及び艦の事はほとんどがブラックボックス化されていることから分からないのが現状なのです。今回の件については、あなたがたの日本の拠点……第二帝都東京に問い合わせをしました。それは答えではなく、抽象的なものでしかありませんでした。このため、艦娘側からの解答と不足する部分については他の鎮守府での事例や人間達の独自の研究成果、推論が含まれたものであることを了承下さい」

長門は頷く。オーバーテクノロジーである艦と艦娘の全てが分からないということは了承済みだった。

「艦娘と軍艦は対人類コミュニケーション機能を付与された部分と、戦闘に特化した部分というカタチで役割分担をしています。そして、その二つは人類にとっては未知の回路で接続されています。それは可視化できないない。そもそも物理的に繋がっているかさえ人類には不明ですが。ともかく、それによって情報共有を行ったりエネルギー供給を行ったりしています。しかし、現在、長門さんは軍艦部を失ってしまっています。それがどういうことになるかは分かりますか? 」

 

「つまり、燃料補給を得られなくなっているということだな」

 

「そうですね。だいたいはそうです。しかし、長門さんは人間と同じ物を食べることができる。そして、食事により日常的なエネルギー供給はできることが分かっています」

 

「ほう、そうなのか。ならば、飢え死にすることだけは無さそうだな」

 

「事はそんなに簡単ではありません。手を貸してもらえますか? 」

言われるままに彼女に右手を差し出す。

「チクリとしますが、我慢して下さいね」

そう言うなり、小型のナイフで長門の指先を切る。僅かな痛み。そして、切り口からポツポツと血が溢れ出す。

「見て下さい……。何かおかしくないですか? 」

 

「おかしいもなにも、ただ赤い血が出ているだけだが」

傷を受ければ血が出る。当たり前の事だ。それが目の前で展開されているだけ。やがて血は固まり出血が止まり瘡蓋となる。それだけのことだ。

 

「よく見て下さい。血の止まりが悪くないですか? これまで負傷した時と比較してみて下さい」

そう言われて初めて気づいた。血が止まるのがあまりに遅いことに。艦があったころは、深々と切られたとしても瞬時に出血が止まり、細胞の再生が行われた。傷一つ残らずに再生していたはずだ。それが、出血は緩やかに停止しているだけで、一向に再生は始まらない。

 

「これはどういうことなんだ? 」

僅かではあるが動揺する。

 

「軍艦部との接続が途絶えた今、長門さんの再生能力が極端に落ちているということなのです。それだけでなく、かつては軍艦から得られていたエネルギーにより実現されていた能力も全て失っているのです。艦娘側からの情報提供、そして、人類の研究結果が共に示すこと、それは、あなたはかつての無敵ともいえる能力を失っているということです。……恐らくは人間と同程度の力までに。怪我をすれば治療しなければならないし、症状が酷ければ人と同じように死にます。普通の女の子と同程度の能力しかもはや持たないということなのです」

宣告するように医師が伝える。

予想されたことではあるが、衝撃だった。人間と同程度の運動能力再生能力。それでは何もできないではないか。

プラス思考で人間に戻ったと思えばいいのか? いいや、そんなことは無い。頑張ったところで艦娘は人ではない。決して人間にはなれないのだから。

それは、仕方のないことと諦めるしかない。

 

「ははは……。それは仕方ない事だな。では、この体調不良の原因は分かったんだろうか? 力を失ったのは仕方ないが、体調が戻らないことには、提督と一緒にいることもできないだろう? 」

せめて元気であれば、提督のために何かができるはずだ。原因が分かれば何らかの打つ手もあるだろう。

 

「……ごめんなさい、長門さん」

辛そうな顔で彼女は長門を見る。どういう訳か瞳が潤んでいる。

 


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