まいづる肉じゃが(仮題)   作:まいちん

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第117話 鎮守府の一時

「はあ……」

冷泉は、執務室で大きなため息をついてしまう。

色々と考えたけれど、どれも今ひとつだと思ったし、どうしようどうしようと前に進まない思考を繰り返すだけだ。結局、何一つ行動も起こせないまま無為に時間だけが経過したわけで……。そして、気がつけば朝だという……こちらに来てからよくある行動を繰り返すだけだったのだ。

自らの置かれた立場が立場だけに、何もかも全部投げ出して逃げ出すなんてこともできないし、かといって、こうだという明確な答えを示す能力も度量も根性も勢いもない。結局、ウジウジと悩み続けて、期限が迫ってなんとか答えを出すという、自らの無能さだけを思い知らさせる毎日の繰り返しなんだよな。

 

「どうかしたのですか? 」

横で立っていた加賀が、あまり抑揚の無い声で尋ねてくる。

「直ぐ側で朝からそんな大きなため息をつかれますと、せっかく朝からがんばろうと思っているこちらまで気分が滅入ってきます。止めるなとはいいませんが、せめて私の視界に入らない場所でお願いできませんか? 」

未だにご機嫌斜めらしい。

まあ、それも仕方ないか……。そう思うと、またため息をしてしまい、彼女に睨まれた。

 

昨日は扶桑を見送った後、一人になって考えたかった。だから、みんなには内緒で「甘味処間宮」の個室を予約して、酒を飲みながら物思いに耽っていたんだよな。しかし、加賀を含め、みんなに内緒でっていうのが不味かった。連絡が取れなくなった冷泉を心配した加賀が、必死に鎮守府中を探し回っていたらしい。他の艦娘も巻き込んでの騒動になり、加賀が血相を変えて間宮の個室に飛び込んできたのが、空が白み始める頃だった。酔っぱらった冷泉を見つけるなり、彼女は泣き出すやら怒り出すやら床にへたり込むやらで、本当に大騒ぎだった。

「提督にもしもの事があったら、私は一体どうしたらいいのですか? 約束してくれたじゃないですか! もう私を一人にしないって」

瞳を真っ赤に腫らしながら、真剣な顔で懇願する彼女の姿を見て、こんなに心配させたなんて、本当に悪いことをしたなと反省した冷泉であった。その時の彼女ったら、凄く可愛くて愛おしかった。思わず抱きしめたくなるくらいに。ああ、こんな子が彼女だったらいいなあって本気で思ってしまった。

 

しかしなあ……と思う。

こんな事望んだって、絶対に叶わないんなんだろうなあって思う。そんな夢物語は、テンプレのライトノベルくらいでしか実現しないんだろうと現実に引き戻され、割と落ち込んでしまう。

 

加賀は、あの一件以降、冷泉に対して、返しきれないほどの大きな借りがあると思い込んでいるようで、何かにつけ甲斐甲斐しく冷泉の世話を焼こうとしてくれる。それは確かに男としては嬉しいのだけれど、体が動かないとはいえ、食事の世話はともかく、着替えや入浴、さらには排泄の世話までしようとするので、流石にそれは止めてほしいと思っている。きちんと冷泉を世話してくれるプロがいるのだから、そういったは彼らに任せてほしいものだ。

加賀を助けたのは冷泉の意志であり、冷泉の体がこんな状態になっているのは冷泉の選択の結果であり、加賀には何ら落ち度は無いのだから……。冷泉は加賀を救う事も、見捨てることもどちらも選択できた。そして、冷泉はあらゆるリスクを覚悟の上で加賀を救おうとしたのだ。だから、選択の責任を負うのは冷泉であり、彼女ではないのだから。加賀が気に病んで、無理をして冷泉への借りを返そうなんて考える必要なんてこれっぽっちもないんだから。

 

まあ、加賀みたいな美人さんがいつもそばにいて、自分の事を常に気にかけてくれているのは、とても嬉しいのだけれど。

 

それはともかく、そんな彼女は、今は何故か……いや、理由ははっきりしているが、怒っている。激おこぷんぷん丸なのである。

それでも冷泉のことを嫌いになる怒り方ではないのは、よく分かる。拗ねたように背を向けているけれど、じっとこちらの気配を伺い、冷泉からの言葉を待っているというのが。

 

ああ、そんな所も可愛いなあ……と思う。

 

「ねえ、……加賀さん」

甘えたような声を出してみる。

 

「ひえっ。……き、気持ち悪い声色を出さないでください。今、全身に悪寒が走りました」

割と厳しい事を言う。

 

「なあ、まだ怒ってるのかな? 」

 

「ぬ?、別に何も怒っていませんけれど。何をどう見たら、私が怒っているように見えるのですか。全く、おかしな事を仰りますね。けれど、ただ……」

 

「ただ? 何かな」

 

「提督は、怪我をなさったせいで、それまではできていた事ができなくなっている事を忘れないでください。そんな提督が一人でどこかに行ってしまって、もし、何かあったらどうするというのですか。私を心配させないでください。……とにかく、私が原因でそんな体になってしまったのですから、私には提督をお守りする義務がありますし、守らせてください。それから、いろいろと不便なことがあるでしょうから、すべてのお世話を私がします。提督がどう思われようと、提督体が治るまで、これはずっと続けさせて貰います。いろいろ私が干渉する事がお嫌なのかもしれませんけど、それが嫌なら、体を治してください」

 

「……加賀」

 

「なんでしょうか」

 

「お前の気持ちは嬉しいし、お前のその責任感の強さも本当に素晴らしいと思うよ。けどな、怪我をしたのは俺の責任なんだから、お前が責任を感じる必要なんて無いし、俺にそんな気を遣う必要も無いんだぞ」

 

「そんな簡単に割り切れるものではありません。提督の心配りには感謝しますけど、私がそうしたいからするだけなのですから提督は何も気にしなくて結構です」

 

「どうして、そこまでしようとするんだ。お前は艦娘としても他にもいろいろしなきゃことがいっぱいあるんだろう。そんな中、俺の世話までしていたら、時間が無くなってしまうだろう? 」

 

「そんなことありません。好きでやっている事ですから、私は、全然辛くありませんよ。それに……」

少し躊躇するような素振りを見せる加賀。

 

「それに? どうかしたのか」

 

「いえ……。提督のお世話をできる時間は、永遠ではありません。私達艦娘は、深海棲艦と戦う運命。ですから、いつ戦いの中で斃れるかは誰にも分かりません。斃すか斃されるかの戦場で生きている訳ですから、それは運命、仕方の無いことです。死神が私を迎えに明日やってくるのか明後日なのか、一週間後なのか、一ヶ月後なのか……それは誰にも分かりません。けれど、それは遠い未来では無く、限りある時間であることには変わりありません。だから、私は自分の思う事を望む事を、その限られた時間の中でやりたいと思っているだけなのです。……提督が仰ったように、もう、悔いを残すような事はしたくありませんからね」

 

「う……」

唐突に艦娘に課せられた重い宿命を見せられた気がして、一瞬ではあるが、冷泉は言葉を失った。しかし、すぐに言葉を続ける。

「俺は、……俺はお前を死なせたりしないよ。もちろん、お前だけじゃない。舞鶴鎮守府のみんなを、そんな悲しい運命から守りぬいてみせるからな」

それは冷泉が全てに変えても守らなければならない約束だ。

 

「はい、ありがとうございます。その言葉、少し前の私なら、口先だけの馬鹿男のくだらない戯言だと思って鼻で笑ったでしょうね……。でも、今なら、あなたを信じることができるわ」

そう言って加賀は微笑んだ。普段、無表情な彼女が笑うと、余計に魅力的だ。

「それに……あなたのお側に居られるだけで、私は幸せなのですからね……」

伏し目がちに彼女がこちらを見る。

 

「え? 側にいられたら……何だ? 」

けれど、加賀が続けて話した言葉が聞き取れなかった冷泉は、問い返してしまう。

 

「え? いえ、その……指揮官たる提督の事がいつもフラフラして心配だから、私が側にいないと駄目だって事です。そ、そうです! それに一緒にいたら、今後の作戦もより詳細に聞く事もできますから、秘書艦としても勉強になりますしね。そうです……特に深い意味はありませんからね! 」

何故か顔を真っ赤にして、加賀が話を打ち切る。

その態度から、これ以上の質問は無理かもしれないと冷泉は思った。

加賀の冷泉に対する献身的な世話の話については、少しずつ彼女を説得していって、その項目と時間を減らしていって貰うようにするしかないかなあと、ほとんど諦め気味だ。罪滅ぼしのために世話をされるのは心苦しいのだけれど、そうしないと彼女の気持ちの整理できないのなら、少しは我慢するしかないのかもしれないし。彼女には、何の罪も無い。そこまで思い詰めなくていいのに……と思ってしまう。冷泉にとって、彼女の優しさが心に痛いのだ。

 

「さあさあ、冗談はこれくらいにしないと。提督、そろそろ、お時間ではないですか」

そう言うと、ドンと書類を机に置くと、加賀が立ち上がる。

 

「お? 」

強引な話題転換に思わずたじろぐ冷泉。

 

「え? 私を助けた時に、確かに頭を強く打ってたような気はしますが、……まさか、お忘れになったわけでは無いでしょう? 」

 

「お、おう? ふん!、し、失礼な。もちろん、お、覚えているさ」

さて、何だっただろう? 目まぐるしく頭を回転させるが、まったく閃かない。今日は特に遠征から帰ってくるわけでもないし、来客の予定も無かったように思う。議員の視察も入ってないし、市民団体の要望もしばらくは無いはずだった。他機関との打合せも無かったと思うし、鎮守府内の会も無かったし、懇親会も入っていなかったはずだが。……艦娘との親睦会も最近やってないなあ、とふと思ってしまうほど、何も思いつかなかった。

うむむむ。

 

「ふっ……」

僅かに鼻で笑うような気配を感じるが、気のせいだったか。

「まあいいでしょう」

と、呆れたような表情で見下ろす加賀がいた。何か分からないまま彼女を見上げる冷泉。

加賀は冷泉に顔をぐい近づけると、じろじろと見回す。ほのかな石けんのような香りが漂ってきて、うっとりしてしまう冷泉。

「……うん、まあ身だしなみには問題がありませんね。服装も特に乱れていませんし……。鎮守府司令官としては……まあ及第点でしょうか」

満足げに頷くと、制帽を冷泉に被せる。

 

「及第点かあ……厳しいなあ」

 

「客観的に見ればです。けれども……私から見れば、あなたは素敵な提督だと思います」

ぼそりと呟く。

「えっと、もうすぐ、呉鎮守府より戦艦榛名が着任する時間ですよ。どうされますか? 港までお迎えしますか? ここでお待ちになるのでしたら、私が彼女を迎えに行ってきますけれど」

 

「そうだなあ。うん、俺も港まで出向こうか。……鎮守府として彼女に寄せる期待の大きさを見せてあげたいし」

 

「そうですね。わが鎮守府においては、高火力の艦娘が不足気味ですからね。戦艦が一人でも増えれば、それだけ作戦の幅が増えますから。その期待の大きさを示すため、提督自らが港で出迎えたら、彼女もきっと奮起してくれるでしょう。……どこぞのポンコツ変態女は戦艦のくせに本当に役立たずですから、今は一人でも戦艦がほしいです」

割と毒のある台詞を加賀が吐く。どこぞの云々で批判されているのは、まあ間違いなく長門ことながもんのことだろうなと納得。今日、まだ現れていないのは昨晩は飲み明かしていたからだろうか。たがが外れた艦娘は怖い。あれほど堅物で通っていた長門も、肩の荷が下りた瞬間、本当にポンコツ化してへたれてしまったようで、加賀が何を言っても言うことを聞かないらしい。親友である長門がそういう使い物にならない状態になったことが加賀には、信じがたくて許し難いようで、長門の事を語る時、どうしても感情的になってしまうようだ。

 

加賀の批評について、冷泉は曖昧に答えるしかできない。なぜなら、冷泉と話す時、長門は、まるで少女のように頬を赤らめながら、潤んだ瞳で何度も冷泉の言葉に頷き、一語一句を聞き逃さぬよう真剣に話を聞いてくれるのだから……。それが何を意味するのかはよく分からないけれど、かつては横須賀鎮守府の旗艦を務めた、凛々しい彼女がそういった態度冷泉に示してくれることは、こそばゆくもあり誇らしくもあったりしている。

 

「うん、まあ……そうだな」

総合的な判断と言うことで、あえて長門の事には触れないでおく。

 

「……けれど不思議ですね」

急に思い出したように、加賀が疑うような目で見てくる。

 

「え? ……何がかな」

 

「いえ、提督は榛名の着任を心待ちにしていたと記憶していたのですが。どうして、着任日を忘れてしまったのかしら? 」

そこで扶桑の事が気になっていたから、などと言ったらまた話がややこしくなりそうだ。まだ、単なる不安でしか無い事を口にしたら、加賀にまで負荷をかけてしまう。この子は人の不安にとても敏感だ。少しでもそんな素振りを見せてしまったら、徹底的に追求されてしまうだろう。ただでさえいろんな負担を加賀にはかけてしまっている。これ以上は駄目だ。それに、そもそも何の確証も無い話で騒ぎ立てるのは逆効果だし。

 

「うーん、まあ俺もいろいろと忙しいからね。スケジュール管理がきちんとできていないのかもしれんな。ちょっと反省だ」

 

「まあ、どうせスケベなことでしょうけど」

あっさりと判定された。

 

「それ、凄い誤解だよな。俺のどこがスケベなのか本気で教えてほしいです。いや、スケベではないと断言できるほど聖人君子では無いけれど、いつもエッチな事ばかり考えてたら鎮守府の運営なんてできないだろう? わりと本気で教えてほしい」

 

「……あっちこっちで艦娘を口説いているじゃ無いですか」

ぼそりと加賀が言う。

 

「それ、今ひとつわかりません」

本気でそう言ってしまう。冷泉がいつ艦娘を私的に口説いたというのだろうか。みんな美人さんばかりの艦娘に冗談でも口説くような真似ができるほど、冷泉は女慣れしていない。そんなことを口にしようとしたら、拒否されたらどうしよう嫌われたらどうしようというネガティブ思考が先に出て、緊張のあまり鼓動が限界まで高まり、頭の中が真っ白になって何も言えなくなってしまうはずなのだ。

 

「思わせぶりな台詞を言って、みんなの心をかき乱して……。みんなをその気にさせるのにそれ以上は何もしない。おまけに他の子に同じようにちょっかいだして。気が多いのか何なのかは分からないけれど、提督の言葉で何人もの子が悲しい思いをしているかも知れないのですよ」

 

「全然、身に覚えがないんだけれど」

 

「高雄や神通、島風、叢雲……。それから長門。私が知る限りでもこんなにいるんですよ。みんな提督の事を鎮守府司令官に対するもの以外の気持ちを抱いているのが分かりませんか? 」

少し睨むような視線を感じるが、今ひとつピンと来ないのが正直な感情。もちろん、好意を持たれているのは何となくは分かる。けれど、それはぼんやりとした物でしかないはずだ。艦娘に関わることのできる男性など極端に少ない。そんな環境がもたらす誤解にすぎないはずだ。だから、そういったことは軽く流すことにする。

 

……それに冷泉は艦娘に愛されてはいけないし、愛してもいけないと思っている。自らがこの世界の住人ではないことを認識しているからだ。いつ、別れが訪れるかもしれないのだから。彼女たちを守るためにベストは尽くすが、見返りを求めちゃいけないのだから。

 

「どうかしたのですか? 」

黙り込む冷泉に不思議そうな顔をする加賀。

 

「いや、なんでもないよ。……じゃあ、港に行こうか。加賀、すまないけれど、車椅子を押してもらえないかな」

 

「もちろん、そのつもりですよ」

 

冷泉は車椅子を押されながら、物思いに耽ってしまう。

今、この時が永遠に続けばいいのに……と。


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