まいづる肉じゃが(仮題)   作:まいちん

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第106話 悔いなき敗北

沈んでいく冷泉に接近してくるもの……それが長門であることに気づくにはそれほどの時間は掛からなかった。そして、予想だにしなかったから驚いてしまったのだが、なんと少し遅れながらも近づいてくる島風の姿も見えた。

長門は冷泉が飛び込んだ直ぐ側にいたからやってこられるけれど、駆逐艦島風と駆逐艦叢雲はかなり離れた位置関係にあったのに、わずかな時間差でここまで泳いで来るなんて、何という速度なんだろう。

 

彼女たちは一気に冷泉のところにまで潜ってくると、すぐさま冷泉を抱き寄せるように両脇を抱え込むようにする。右側を長門、左側には島風だ。そして、両肩に柔らかなものが体に密着してくる。

溺れていたわりに案外その時の冷泉は冷静で、右側から感じるやわらかい肉の圧迫感が大きいななどと考えていた。水中で二人の長い髪が彼の顔に絡みついてくるのもくすぐったく感じていた。

 

そして、そのまま一気に海面へと浮上していく加速感を感じながら、冷泉はゆっくりと意識が遠のいて行くのだった。

 

 

どれくらいの空白の時間だっただろうか。気がついた時は甲板の上だった。

未だぼんやりとした視界の中、冷泉の視界には長門と島風、そして叢雲の心配そうな顔が映し出されていた。

「お願いだ、目を開けてくれ、お願いだ! 」

必死の表情で心臓マッサージを繰り返す長門と、真剣にそれを見つめる顔の島風と叢雲の姿がそこにあった。

 

冷泉が目を開いた事に気づいた三人は、本気で嬉しそうな顔をした。

 

「お……俺は」

意識がはっきりしてくると、現状を確認するように声を上げる。

 

「な、なんて馬鹿な事をあなたはしたのですか! 」

安堵したかと思うと即、激高する長門。

「あんな体で海に飛び込んだりしたらどうなるか、想像もできなかったのか」

 

「そもそも……お前を連れて帰らなきゃ、俺がここに来た意味がないだろう? こんな体ではお前を力づくで連れ戻すことなんてできやしない。だから、俺は海に飛び込んだんだよ。……目の前で溺れている者を見たら、死を覚悟していたとしても、まずは助けずにはいられないだろうからな。そして、お前は後先なんて考えずに俺を助けるために海に飛び込んだ。そして、俺はお前を連れ戻すことができた……だろ? 」

長門が本気で怒っているのは分かっているが、冷泉に動揺は無かった。それどころか、のんびりした口調でそう言うと冷泉はニッコリと彼女に微笑んでみせる。

 

「な、なんと卑劣な……事を」

そんな言葉を口にしたものの、先ほどまでの怒りの矛先を上手くかわされてしまったようで、彼女の態度からは怒りの感情は抜け落ちてしまい、どちらかというと諦めに似たようなものが漂っていた。

 

「もういいだろう? もう諦めてこのまま俺の鎮守府に行くんだ」

 

「ぐぬぬ……」

悔しがっているようには見えないが、歯ぎしりをしてみせる長門。

 

「それはそうと、長門。もう心臓マッサージはしなくていいよ。さっきから少し息苦しいんだけどな」

長門は冷泉が意識を取り戻した後も、ずっと両手で彼の心臓部分に両手を乗せたままだったのだ。それが少しではあるものの、冷泉に息苦しさをもたらせていた事に気づく。

 

「お、おお。これはすまなかった。苦しかったのか? 」

慌てて乗せたままの両手を冷泉の体から離す長門。

 

あれ……?

そこで、冷泉はふと気づいてしまう。何で長門が冷泉の胸の上に両手を乗せられると息苦しく感じていたのか……と。

首から上と右腕以外については、感覚が麻痺したままの彼がどうして息苦しさを感じたのだろうか。それどころではない。あまり綺麗とはいえない海の中に落ち込んでしまったせいか、全身が油を被ったかのようにぬるぬるして気持ち悪いし、なんだか寒気もしている。思わず身震いしてしまいそうな程の寒気だ。

こんな事、負傷して以降感じたことのない感覚だ。これは、もしかしたら……そんな天啓にも似た予感ものを感じて意識をそちらに向けようとした時、島風と目が合った。

 

「島風……」

冷泉は優先順位の高い方へと意識を向けることにする。

 

「はっ、はい?ー! 何ですか、提督」

びっくりしたような顔をして彼女が慌てて反応する。

 

「島風、助けてくれて、ありがとうな。お前のおかげで助かったよ、また助けられてしまったな」

 

「う、うん。……提督が無事で良かったです」

視線を逸らしながら、少し頬を赤らめてもじもじしている。おそらくは褒められているから嬉しいんだろうけど、どうして冷泉の目を見て話さないのだろうか。前までの彼女なら、絶対に冷泉から視線を外さなかったんだけれど。もしかしたら、何か気に入らないことでもあるのだろうか? そんな事を思い、少しだけ不安になったけれど、今度は別の事が気になってきた。それは生理的なものだ。

とにかく、全身がムズムズして痒い。衣服が海水でべったりと張り付いていて不快だ。海の中で見たヌメヌメしたものが体に張り付いているようで気持ち悪い。口の中も変な物を飲み込んでしまったせいでねばねばしているし。……だがしかし、何故そんなものを感じ取れることができるのだろうか? ここ最近、感じることが皆無だったため感覚が鋭くなっているように違和感を感じてしまう。

 

再びの予感。

 

もしかして?

 

冷泉は動かない筈の左手指先へ意識を集中する。もちろん、指先はぴくりとも動かない。けれど、何も感じず反応もなかった左手に何かを感じる……ような気がする。

……これは?

 

「ハイハイ! アンタたち、のんびりと話している暇は無いわよ。忘れたの? もう敵が接近してきているんだから」

ずっと黙っていた叢雲が、もう限界だとばかりに指摘する。

「ここでグダグダしていたら、こんな状態で敵艦隊と交戦を覚悟しなけりゃならないでしょ。さっさとここを撤退するわよ。島風は、自艦へと急いで戻りなさい。提督は、自分の目的を達成しようというのなら、そこの長門をしっかり捕まえておきなさい。可及的速やかに、この場所から全速力で離脱するわよ」

 

冷泉はリアルな現実に引き戻される。

そうなのである。叢雲の言うとおり、今は急いで逃げなければならないのだ。

「分かった……」

島風は近くまで接近させてきていた自艦へと存在を一瞬で転送される。

 

「さて、アタシも艦橋に戻るわ。アンタも甲板から落っこちないように注意してね」

そう言うと、一度だけ大きなため息をすると、叢雲は艦橋へと戻っていく。

 

「お前達、ちょっと待て。勝手に話を進めるな。……私は提督と一緒に行くとは言っていないぞ。私には、どうしてもやらねばならないことがあるのだ。このまま生きて、生き恥を晒すわけにはいかぬ」

そう言って長門が立ち上がろうとするが、何者かに腕を捕まれていて立ち上がることができなかった。

 

「駄目だぞ、長門。お前は俺と一緒に帰るんだからな」

彼女の手を掴んだ張本人の冷泉が指摘する。

 

「すまないが、それは無理だ。冷泉提督、だから、手を離してもらえないか。私は自分の艦に戻らなければならないのだから。艦のみでこんな海に沈めるわけにはいかない」

そう言うと彼女は冷泉の手を振りほどこうとする。

「私は、あの艦と運命を共にしなければならないのだ

 

「離さないぞ。ごちゃごちゃ訳の分からない事を言い続けたって、俺は手を離さないぞ。力ずくで行こうとするんなら、やってみろよ。また、俺は海に飛び込むからな。これは冗談ではないよ」

冷泉はそう言うと、悪戯っぽく笑う。

 

「そ、そんなあ……」

恐らく誰にも見せたことの無いであろう程度の情けない表情で長門がうなだれた。

長門の性格上、目の前で助けを求める者がいれば自分がどんな状況であろうとも最優先でそれを救おうとする。そこを利用されていると知りながらも、どうすることもできない自分に腹立たしいやら、そこまでしてでも自分の死を引き留めようとする冷泉提督に感謝するやら複雑な気持ちで混乱していた。

ただ、

「……分かりました」

と言い、敗北を認めるしかなかった。

それが敗北と言うのかどうかはよく分からない。過去に幾度と無く敗北の辛酸を舐めてきた彼女ではあったが、今回の敗北は何故か嫌な気分にはならなかったのは不思議だったが。

 

叢雲と島風が萌え続ける長門から離れた後、二隻の駆逐艦の雷撃を受けて今生での前横須賀鎮守府旗艦、戦艦長門がゆっくりと沈んでいった。

 

そして、それは長門の意思によるものあった。

 

沈みゆく半身を見つめながら、彼女は少しばかり泣いた。それは過去への決別であった。

 

「では、行きましょう……冷泉提督」

といって冷泉提督に微笑みかける。

その笑顔には、後悔というものは見られなかった。

 

冷泉も彼女に微笑み返す。すべてを捨てて自分の下へと来てくれる艦娘に対して一つの誓いを心の中で行う。

 

いかなる困難が立ちふさがろうとも、俺はきっとお前を守り続ける……と。


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